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「強豪・大阪桐蔭からは1人のみ」歴代日本人MLB選手60人の都道府県別・高校別輩出数ランキング

プレジデントオンライン / 2020年12月17日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PatrickGorski

1995年、野茂英雄が米メジャーリーグ(MLB)に挑戦し大旋風を巻き起こしてから25年。歴代の日本人選手で最も活躍したのは誰か。スポーツライターの相沢光一さんが戦績データを分析した結果、判明した「実働年数」トップ3、「登板数」トップの意外な投手、「ワールドシリーズ出場して優勝」した4選手、そして都道府県別・出身高校別のMLB輩出数の順位とは——。

■NOMOのメジャー挑戦から25年、日本人MLB選手60人を総括

12月8日、巨人が菅野智之投手のポスティング申請を行った。アメリカのMLB各球団には「菅野は契約可能な選手」という通知が行き、これから入団交渉が始まることになる。いうまでもなく菅野は今の日本球界を代表する投手。ニューヨーク・ヤンキースをはじめ5~6球団が獲得に動くといわれている。菅野にとって夢だったMLBでのプレーが現実のものになろうとしているのだ。

今オフは他にも数多くの選手がMLB挑戦に名乗りを上げている。西川遥輝外野手・有原航平投手(以上、日本ハム)、石川歩投手・澤村拓一投手(以上、ロッテ)、山崎康晃投手(DeNA)らだ。MLB各球団も新型コロナ禍の影響を少なからず受けており、例年のような補強はしないとも言われている。彼らが順調に契約できるとは限らないが、より高いレベルでプレーしたいというトップクラスの選手の熱意は変わらないようだ。

このMLB挑戦の道を切り開いたのが野茂英雄投手である。

1995年、ロサンゼルス・ドジャースに入団して13勝6敗、防御率2.54、奪三振236(この年の最多)を記録。日本人でもMLBで通用することを証明した。野茂以前にも村上雅則投手がメジャーでプレーしたことはあったが(1964年から2年)、MLBサイドの日本人選手に対する評価が高まり、挑戦しやすい環境になったのが、この年からだ。

■投手43人、野手16人、そして二刀流の大谷翔平

それから四半世紀が経った。この節目に改めて、MLBに挑戦した日本人選手をデータで振り返ってみた。

この25年間でMLBの球団と契約し、プレーした日本人選手は60人にのぼる。投手43人、野手16人と投手・野手のどちらもこなす二刀流の大谷翔平だ。

挑戦者はこれほどの数になっているが、野球強国の実力者が成功を目指して集まるMLB。その厳しい生存競争に勝ち残って好成績を残せる選手は数少ない。

■投手か野手か、誰が世界最高峰のリーグで一番通用したのか?

誰が最高峰の野球リーグで通用したのか。活躍度を項目別に分けてランキング化してみた。

まず、実働年数で見てみよう。メジャーの戦力として認められ、プレーし続けたシーズンの年数だ。MLBの契約はシビアだ。どんなに実績や人気があっても、戦力にならないと見たらバッサリ切るし、実績ゼロでも戦力になると見込んだら厚遇で契約する。その契約を勝ち取り、それを継続できたことを示すのが実働年数。最もMLBの選手としての価値を端的に示す数値といっていいだろう。

日本人メジャーリーガー実働年数ベスト10

この実働年数1位はイチローで18年だ。2位は先駆者の野茂英雄で12年。3位は10年で松井秀喜と大家友和が分け合った。以下は長谷川滋利、上原浩治、田澤純一らが続く。MLBの球団から戦力として認められて契約できたという点で、この実働年数の順位が活躍度を示すランキングといっていいのではないだろうか。

投手と野手を分けて見ていこう。

【メジャーで一番通用した日本人投手は誰か】

まずは投手である。

登板数1位は野茂の2年後の1997年、MLBに挑戦した長谷川滋利だ。517登板を記録している。登板数が多いのはリリーフ役(セットアッパー)を任されていたからだが、実働の9年間、コンスタントに起用され続けたのは、首脳陣から実力が認められ信頼されていたからだろう。地味な存在ではあったが、日本人投手のレベルの高さをMLBに知らしめた功労者といえる。

日本人メジャーリーガー投手 登板数ベスト10

2位・上原はクローザー、3位・田澤はセットアッパー、4位・斎藤はセットアッパーとクローザーと上位4人まではリリーフ投手が占める。先発投手として最も登板数が多いのは5位の野茂だ。通算登板数323のうち、318回が先発登板。実働の12年間、先発ローテーション投手として投げ続け、この数字を積み重ねたのは立派というしかない。

なお、6位・岡島、7位・大塚、8位・佐々木はリリーフ投手として活躍したが、9位の黒田博樹、10位の大家友和も先発投手。それで200以上の登板を記録しているのは称賛できる。

日本人メジャーリーガー投手 勝利数ベスト10

通算勝利数1位は、やはり野茂だ。123勝まで積み上げた。1995年、野茂がドジャースのユニフォームを着てMLBでプレーを始めた時、日本のファンは「果たして通用するのか」という目で見ていた。

■レジェンドNOMOはいかにして記念すべきメジャー1勝目をあげたのか

メジャーデビューは5月2日のジャイアンツ戦。先発した野茂は5回を投げ、被安打1、奪三振7、無失点という好投を見せた。勝ち星はつかなかったが、1試合目から十分通用することを証明したのだ。ファンの興味は「初勝利はいつできるのか」に変わった。その後も先発し好投するものの白星にはつながらず、衛星中継を固唾をのんで見る状態が続いたことを筆者もよく覚えている。

そしてデビューから1カ月後の6月2日、メッツ戦で7度目の先発登板した野茂は8回を被安打2、失点1の好投を見せ、ついにメジャー初勝利をあげたのだ。この時、日本は歓喜に沸いた。日本人投手がMLBで1勝することは、それほど重いことだったのだ(日本人メジャーリーガー第1号の村上雅則は5勝をあげていたが)。

ここから野茂の快進撃が始まる。6月だけで2完封勝利を含む6連勝。この活躍が評価され、野茂はオールスターゲームに選出。ナショナルリーグの先発を務め、この晴れ舞台でも2回無失点の好投を見せた。シーズンを通しては13勝6敗、防御率2.54(ナ・リーグ2位)、最多奪三振236という輝かしい成績を残した。

この快挙に加えて日本のファンを喜ばせたのは、アメリカでの野茂人気の高騰だ。体をよじるようにして投げる独特の投球フォームは「トルネード」と呼ばれて注目を集め、「ノモマニア」という熱烈なファンも多数現れた。野茂のMLB1年目の大活躍で、アメリカ人の日本人選手に対する評価が一変し、日本の球界関係者やファンもMLBコンプレックスがなくなったといえる。野茂はそれほど大きな役割を果たしたのだ。

すぐに野茂に続く日本人選手が現れるようになる。翌年には日本のプロ野球を経験していないマック鈴木が、その後も長谷川、伊良部秀輝、吉井理人、大家友和、佐々木主浩らがメジャーに挑戦し、それぞれの持ち味を生かして好成績をあげるようになった。

ただし野茂以降の5年間でメジャーに挑戦したのは投手のみ。投球術やキレのある変化球を駆使して「打たれなければいい」投手と異なり、野手の場合は、打撃でも守備でもメジャーのパワーやスピードに対応しなければならず、通用するのかまだ疑問視されていたのだ。

■メジャー史にその名を刻むイチローの3089安打&レーザービーム送球

【メジャーで一番通用した日本人野手は誰か】

しかし、野手のほうも先駆者となったイチローがその不安を一掃した。イチローがシアトル・マリナーズでプレーを始めたのは2001年。それまでの9年間はオリックスでプレーし、7年連続首位打者、日本球界初のシーズン200安打(イチローの記録は210)、通算打率3割5分3厘など数々の記録を打ち立てたが、最高峰のメジャーでも変わることなく打ちまくったのだ。

メジャー1年目はア・リーグ最多の242安打を記録し首位打者。56盗塁で盗塁王にもなっている。打撃だけではない。外野手としても広い守備範囲を誇り、レーザービームと称された強肩で補殺を重ねた。イチローは野手でも日本人選手が通用することを証明したのだ。

そしてその後は野手でも日本人のメジャー挑戦者が次々と現れることになる。

ここで日本人野手のメジャー成績を見ていこう。

当然のことながら、出場試合数も安打数もイチローが群を抜いて1位だ。とくに通算安打数3089は、メジャー歴代23位の記録(※日本通算1278安打で、参考記録の日米通算4367安打はメジャー1位のピート・ローズの4256本を111本上回る)。また、2004年の262安打はメジャー歴代シーズン最多安打記録でもある。イチローは「日本人選手として」ではなく国籍を超えて称賛されるメジャー史に残る選手なのだ。

日本人メジャーリーガー野手 出場試合数 安打数ベスト10

記録では及ばないが、メジャーでイチローと同等の存在感を示した日本人野手がいる。松井秀喜だ。メジャーきっての名門チーム、ニューヨーク・ヤンキースの中軸を打った功績はもちろんだが、松井はイチローが手にできなかった栄光を手にしている。ワールドシリーズ制覇に貢献し、MVPになったことだ。

2009年、フィラデルフィア・フィリーズとのワールドシリーズに出場した松井は6戦で13打数8安打3本塁打8打点、打率6割1分5厘と大爆発。とくに優勝を決定した第6戦ではワールドシリーズ・タイ記録となる6打点を記録し、文句なしでMVPに選ばれた。野球選手として世界最高の栄誉を手にしたことになる。

一方イチローは、マリナーズに入団した2001年とヤンキースに移籍した2012年にポストシーズンを戦っているが、いずれもリーグチャンピオンシップ(ア・リーグ優勝決定戦)でチームが敗退。ワールドシリーズでプレーすることはできかった。運に恵まれなかったということだ。

■野茂、イチロー、松井のBIG3に次いで活躍した日本人選手は?

なお、ワールドシリーズ優勝チームの選手・スタッフにはチャンピオンリングという指輪が贈られることになっており、このリングを得た選手は松井の他、伊良部、井口資仁、高津臣吾、田口壮、松坂大輔、岡島秀樹、上原、田澤、川崎宗則、青木宣親がいる。

このうちワールドシリーズでプレーしたのは井口、松坂(シリーズで1勝をあげた)、岡島、上原(優勝決定試合を締めくくった=日本でいう胴上げ投手)だけ。他は出場せず、優勝に貢献しなかったにもかかわらずリング所持者になったわけだ。この辺にもチーム運の良し悪しが感じられる。

ともあれ、この25年間の実績をチェックすると、抜きんでているのが野茂とイチロー、松井ということで異論はないだろう。この3人ほどではないがMLBで十分活躍したといえるのは、投手では松坂大輔、黒田博樹、リリーフで存在感を示した上原、佐々木、長谷川、現役では田中将大、ダルビッシュ有、前田健太だろう。野手では青木宣親、松井稼頭央、井口、福留孝介といったところ。二刀流でファンの心をつかんだ大谷翔平も入れてもいいかもしれない。

■唯一の日本人捕手として活躍した城島健司の功績

それともうひとり忘れてはならない選手がいる。城島健司だ。

MLBでのプレーが4シーズンと短かったため記録的には目立った数字を残していないが、唯一キャッチャーとしてメジャーに挑戦。言葉の壁をものともせずレギュラーの座をつかんだ。また、今ではキャッチャーの身を守るためホームベース上での接触を禁じるコリジョンルールが採用されているが、城島がプレーした時期はランナーが本塁を守るキャッチャーに走って体当たりするのが当たり前だった。巨漢メジャーリーガーの突進を、身を挺して防いだ勇気は称賛に値する。

さらに、そんな過酷な役割を果たしながら、マリナーズの3番も務めた。誇れる日本人メジャーリーガーだったといえるだろう。

■都道府県別&出身高校別メジャーリーガー輩出数ランキング

最後にメジャーリーグでの活躍を示すデータとは異なるランキングを紹介しよう。都道府県別メジャーリーガー輩出数だ。

日本人メジャーリーガー出身県ランキング

1位はダントツで大阪。12人のメジャーリーガーを生んでいる。先駆者の野茂をはじめ、黒田、上原、ダルビッシュ、前田、松井稼などそうそうたる名前が並ぶ。大阪は高校野球では春も夏も優勝回数1位の野球強豪地区。優秀な選手を生む土壌があるのに加え、チャレンジ精神が強いのだろう。

2位は東京で6人。3位は5人の兵庫、4位は京都、千葉、神奈川が3人ずつで並んだ。地域でいえば関西が最も多く、それに次ぐのが関東だ。

ちなみに高校別輩出数では1位がPL学園で4人(松井稼、桑田真澄、福留、前田)、2位が3人の横浜高(松坂、高橋建、筒香嘉智)と東北高(佐々木、斎藤隆、ダルビッシュ)、それに次ぐのが2人の上宮(黒田、薮田安彦)、東海大仰星(上原、建山義紀)、花巻東(大谷、菊池雄星)だ。

やや意外だったのは、近年、春・夏の甲子園大会で目覚ましい成績を収めている大阪桐蔭からは、西岡剛ただ1人だったこと。また、まだひとりも輩出していない県が多いなか、野球強豪県とは言えない岩手から複数のメジャーリーガーを出した花巻東が入っているのは立派というしかない。

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相沢 光一(あいざわ・こういち)
フリーライター
1956年生まれ。月刊誌を主に取材・執筆を行ってきた。得意とするジャンルはスポーツ全般、人物インタビュー、ビジネス。著書にアメリカンフットボールのマネジメントをテーマとした『勝利者』などがある。

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(フリーライター 相沢 光一)

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