「15センチ角のガラス片が降ってくる」筑波大卒25歳が西成の飯場で見た壮絶な現場
プレジデントオンライン / 2020年12月22日 9時15分
■「訳アリ」人間が全国から集まる地下の世界
筑波大学を7年かけて卒業するも、就職できずに無職となった私が流れ着いたのは、日本最大のドヤ街、大阪市西成区あいりん地区だった。新宿都庁前のホームレスについて書いた卒業論文を出版社の編集長に見せたことをきっかけに、「西成に潜入してルポを書かないか」と言われたのだ。
生きていくにはとにかく仕事をしなければならない。私はS建設という建設会社の飯場で働くことにした。この会社だけ募集の「健康保険」の欄に丸がついており、何となく安心だったからだ。
テレビカメラが入ることはない飯場は、想像以上に壮絶であった。
飯場――。インターネット上では「タコ部屋」とも呼ばれる。建設現場や解体現場で働く肉体労働者たちが共同生活を送る寮のことである。
英国人女性殺人・死体遺棄事件で無期懲役となった市橋達也は2年7カ月もの間、逃亡生活を送っていたが、彼が選んだ潜伏先もまた、西成区あいりん地区の飯場であった。逮捕されてからすでに10年以上が経過しているが、同地区の飯場には今でもさまざまな「訳アリ」人間が全国から集まってきていた。
■いままで関わることのなかった人間たちがここに集まっている
なぜだか分からないが自分が本当にどうしようもない――西成で一生ドカタをするしか選択肢のない――人間であるように思えてきた。
朝の四時半に起床し、五時に一階の入り口に集合する。食堂では岩のような手をした大柄な男や、歯が抜け腰の曲がった老人が生卵を白飯にぶっかけ、初めて持ったみたいな箸の持ち方でかき込んでいる。ズボンに手を入れ股間をかきむしり指先の匂いを嗅ぐ男。ポケットに両手を突っ込み、肩を揺らして歩きながら何事かわめいている男。
いままで関わることのなかった人間たちがここに集まっている。世間の目が届くことのない、日の当たらない地下の世界へやってきたのだ。
新しく現場に入るということで書類を何枚か書かされた。これはS建設ではなくこれから行く現場のクライアントに提出する物のようだ。安全対策に関する講習はしっかり受けたか、といったいくつかのチェック項目がある。
「よく分からないだろうけど全部チェック入れておいて」と私の現場の班長である菊池さんに書類を渡された。
■「安全帯」の使い方すら知らないまま現場へ…
この菊池さんはS建設に入ってすでに15年以上。その想像を絶する勤務年数ゆえに班長に抜てきされているが、日給は私と同じ一万円(内寮費が三千円)。むしろまったく度が合っておらず遠くの物はもちろん、近くの物もそれはそれでぼやけるという眼鏡(菊池さんは乱視なのにケチって乱視用レンズを入れなかったらしい)のせいで周りからはボンクラ扱いされている。
「北海道出身だが住民票がどこにあるかもう分からない」ということから分かるように、一生飯場暮らしのチケットが発行済みの菊池さん。いつも下を向いては行き詰まった顔をしている。
講習などもちろん受けていない上に、私は高所での作業の際に自分の腰と手すりなどをつないで落下を防ぐ「安全帯」の使い方すら知らない。こんな状態で安全に作業ができるとは到底思わなかったが、あと10分で現場に向かうというので、内容も読まず、すべてにチェックを入れた。
私は「土工」という職種になるらしい。簡単に言うと一番下っ端の底辺労働者ということだ。飯場に入っている人間のほとんどがこの土工というポジションになる。何年飯場にいるとかそういったことは関係ない。全員ひっくるめて底辺土工だ。
■頭上で跳ねた無数のガラス片
バンに乗り込んで約1時間、今日の現場に到着した。老朽化で閉館したデパートらしい。これから10日間、どんな仕事をするかさっぱり分からないが取りあえずこの建物をぶっ壊して更地にするというのが現場の最終目標である。
ユンボで地面を掘り返すとおびただしい数の鉄筋がぐちゃぐちゃになって飛び出してくる。結局こんなにぐちゃぐちゃにするのなら、こんな粗大ゴミ初めから作らなければいいのではないか。スクラップ&ビルドばかり繰り返して、無駄なことばかりしてバカなんじゃないか。
そんなことを考えながら粉じんに水をまいていると、3階から「ガガガガガ」と耳をふさぎたくなるほどのごう音が聞こえてきた。そんなむやみやたらに壊して大丈夫なのだろうか。まだ壊しちゃいけない場所まで壊して一気に倒壊しないだろうか。
解体現場の作業員が下敷きになって死亡する事故をよく目にする。今までは他人事だったが、もうそういう訳にはいかない。ついに振動で3階部分の窓が割れたのか「バリバリ」と音がした。思わず上を向くと無数のガラス片が降ってきている。とっさに下を向くとヘルメットの上で無数のガラス片が跳ねた。
中には15センチ角ほどの鋭利なものもあり、ヘルメットがなければ今頃私は脳みそを垂れ流しているだろう。肩や腕に当たっていても切り傷では済まない。
S建設とは別のドカタ軍団、T組の一員である高見さんは、バーナーで鉄筋を切るのに夢中で気付いていない。その体勢だと背中にガラス片が思い切り刺さってしまう。「高見さん! ガラス! ガラスが上から降ってきています!」と私は叫んだ。
「気い付けえや」
高見さんはそういうと再び鉄筋を切り始めた。背中に刺さったらどうするの? ヘルメットをしているとはいえ、首筋の頸(けい)動脈を切られたら本当に死んでしまう。私はホースを投げ出し安全な場所へ逃げ出した。ガラスの雨が収まると、私は高見さんの元に駆け付けた。
■安全帯をつけずに穴に落ちて死んだ作業員
「ガラスが落ちてくるなんて日常だぞ。そのためにヘルメット被っとるんやろ。解体の現場はこの業界でも一番ケガが多いんや。ある程度は覚悟持ってやらんと仕事にならんで?」
運が悪ければ死んでもおかしくないということか。たしかにガラス片を気にしていたのは現場で私だけ。3階で重機を動かしている人間も、窓が割れたことにすら気付いていないだろう。
「違う現場で安全帯つけんと作業していたやつがいてな、そいつは目の前で穴に落ちて死によってん。とんだ迷惑や。兄ちゃんも気を付けや。重機に背中向けるのは殺してくれって言っているようなもんやで」
夕方を過ぎると一気に空が暗くなってきた。ポツポツと雨が降っている上にジェット噴射の水が身体に跳ね返る。ユンボが掘り返した穴の粉じんが舞わないように水をまいているのだ。そのせいで、体中が泥だらけになってしまう。17時になると道具の片付けも途中のまま、定時ちょうどに帰らされた。バンに乗り込み、タイヤの上で揺られながら、飯場の1日目が終了していった。
■頭の中にいる誰かと話す、2人殺した殺人鬼
飯場生活も1週間を過ぎると、訳アリとはいえ、ほかの労働者たちともだいぶ打ち解けてきた。中でも坂本さんは、飯場の人間模様をいつも面白おかしく私に教えてくれた。この坂本さんも、覚せい剤の密売所を襲撃し現場に残った覚せい剤と現金400万円を奪って逃走したという過去を持つ「訳アリ」である。
「おい、アイツ見てみろ。そこでブツブツ言いながら洗濯機回しているおっさんや。アイツが人2人殺して刑務所から出てきたっていうのは有名な話や。包丁で腹からズブッと刺し殺したんやて」
現場から飯場へ戻り、一階のランドリーで作業着を洗っている私に坂本さんがそう耳打ちしてきた。私の目の前にいるその元殺人鬼は焦点の合わない目で頭の中にいる誰かと話しながら洗濯機に洗剤を投げ込んでいる。
元ヤクザ、薬物中毒者は飯場では基本的なステータスとなっているが、殺人はさすがにまれである。当然ながら私も、人殺しに直接会ったのは初めての経験だ。犯罪者の話は漏れなく面白く興味深いものであり、いつか殺人者の話も聞いてみたいものだと思っていた。
しかしいざ目の前にすると、相手に対する興味というのがまったくもって湧いてこない。人間というより、何か違う生き物を見ているような気がしてくる。関わりたくない。声を聞いただけでこっちの寿命が縮んでしまいそうである。
この死神みたいなやつは珍しいとしても、やはり飯場には他にも個性的な人間がギュッと集まっている。特にこの西成のど真ん中にあるS建設はこのかいわいでも有名で、ビックリ人間の巣窟のような場所なのであった。
■十分に一回洗面台に向かっては手を洗うオヤジ
私と同じフロアに通称“手洗いハゲ”という、10分に1回洗面台に向かっては10分間手を洗い続けるというオヤジがいる。10分間手を洗い、10分間部屋で休憩してまた手を洗うという繰り返し。うそみたいな話だが、現場が終わって飯場に着く18時から21時くらいまでずっと手を洗っているのだ。そのため私のいるフロアは常に石けんの香りが漂い、場末の飯場とは思えない、ソープランドのような雰囲気がある。
風呂場に入るとまず風呂用のイスを石けんで泡だらけにする。その後は20分ほど入念に身体を洗い(というよりも磨き上げ)、湯船に浸かり、湯から上がるとまた新しいイスを泡だらけにしてもう一度身体を磨き上げる。トイレの個室には自分の服を持ち込みたくないようで、用を足す時は常に全裸。仕事道具の手入れも怠らず、ヘルメットはいつも信じられないくらいにピカピカだ。
そんな手洗いハゲは「なんでそんなに手洗うんですか?」という私の問いに、「気になるんや。疲れが取れなくて大変なんやで」と笑いながら答えてくれた。話してみると意外や意外にいい人で、仕事中は目をギラギラさせながら馬車馬のように動き続けるためS建設には重宝されているという話もある。こんな潔癖症もいるもんだなあと感心していたのもつかの間、坂本さんはこう教えてくれるのであった。
「アホ。アイツただのポン中やで。覚せい剤の幻覚で体中に虫が這(は)っているだけや」
■ユンボの先がつまんだ土工の生首
40手前の山田君は風呂に入るたびに鏡の前でニヤニヤしていた。エグザイルを意識しているらしく、昔は見た目がアツシそのものだったそうだ。だがどこでも構わずはだしで歩くなどの奇行が目立ち、訳も分からず他のドカタに顔面をボコボコに張り倒される日々。ある日突然、「自分頭おかしいんで辞めます」と自ら宣言し、京都の精神科病院に週一で通い始めたという。
つい最近辞めた(というよりパクられた)小山君は、ちょっとしたことで相手の顔面をグーで殴るという、かなり危ないやつだ。たとえ相手が老人でもお構いなし。「くしゃみがうるさかった」「目が合った」くらいの理由でいままでに4人のドカタをボコボコにした。ついには社長に呼び出され、殴った理由を話したところ、「それやったらしゃあない」で騒動は完結。小山君もおかしければそれを雇う人間も頭がイっている。
「S建設も大粒ぞろいやけど、京都にあるF興業って会社もエゲつないらしい。その会社は従業員の9割が中国人。会社の前のクレーンには犬がぶら下がっとるらしいぞ。とにかく労働環境がメチャクチャでバンバン死人が出とるらしいわ。ユンボの運転手がよそ見して手元(手伝い)やってる土工の首つまんでな、生首になってしもたんやって」
と坂本さんは言う。まるでサークルみたいなノリで解体作業をするF興業。またあるときは、ユンボを運転する人間が、運転席で注射器を引っ張り出し、その場で覚せい剤を打ちながら作業に励んでいたこともあったという。S建設もF興業もとにかく平凡な人間という者が見当たらないのである。
壮絶な10日間は、私が目を丸くして驚いているうちに、あっという間に過ぎていってしまった。
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ライター
1992年生まれ。筑波大学芸術専門学群在学中よりライター活動を始める。キナ臭いアルバイトと東南アジアでの沈没に時間を費やし7年間かけて大学を卒業。編集者を志すも就職活動をわずか3社で放り投げ、そのままフリーライターに。元ヤクザ、覚せい剤中毒者、殺人犯、生活保護受給者など、訳アリな人々との現地での交流を綴った著書『ルポ西成 七十八日間ドヤ街生活』(彩図社)が、2018年の単行本刊行以来、文庫版も合わせて4万部6000部のロングセラーとなっている。
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(ライター 國友 公司)
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