メルケル首相のような「ハッとするコロナ演説」をする政治家が日本にいない理由
プレジデントオンライン / 2021年1月3日 11時15分
2020年12月13日、ドイツのアンゲラ・メルケル首相は、コロナウイルス感染症の「指数関数的な増加」に歯止めをかけるため、ロックダウンを実施するとベルリンの首相官邸で発表 - 写真=AFP/時事通信フォト
※本稿は、ヤマザキマリ『たちどまって考える』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
■パンデミックが浮き彫りにした各国のリーダーの姿
今回のパンデミックは、普段では気づかないような事柄を炙(あぶ)りだしているように思います。特に比較文化学的な視点で見てみると、とても面白い。
今ではインターネット上のニュースやSNSを介して、海外の報道や情報も時差なく入手することができますが、各国の対応越しにそれぞれの国の性質が見えてもきました。それはまるで一枚一枚、表面に纏(まと)った衣を剥がされているかのようです。
多くの人がコトの次第、状況の顛末を一緒になってリアルタイムで見ることができるのは、過去のパンデミック、たとえば20世紀初頭のスペイン風邪のときにはなかったことだと思います。その意味でも、目の前で今起きていることがパンデミック後にどうつながるのか、とても興味深く感じています。
各国のリーダーたちの姿も、いつになく浮き彫りになりました。特に演説の雄弁さには歴然とした差が見られます。
■演説で株を上げるドイツ・メルケル首相
欧州のリーダーに必須だとされるのは、自分の言葉で民衆に響く演説ができるかどうかですが、その点において素晴らしかったのが3月18日、ドイツのメルケル首相が国民に対し、新型コロナウイルス対策への理解と協力を呼びかけたテレビ演説です。
テレビの前にいるであろう、一人ひとりの目を見据えているかのように、彼女が落ち着いた面持ちで語ったその言葉は、感染が広がるなか、未知のウイルスに対して不安を抱える人たちが求めていた「安心感」をまさに与えるものでした。その訴求力たるや。ドイツ国民ではない日本の人までもが絶賛し、全文を翻訳したものがSNSで拡散されたほどでした。
おそらくこの演説は、今回のパンデミックの一つの象徴的な事象として、後世にも語り継がれていくことでしょう。虚勢や虚栄の甲冑(かっちゅう)を身に纏う権力者とは違い、謙虚な親族のおばさんという体(てい)のメルケルが「あなた」という二人称を使って、国民に呼びかけたことは印象的でした。「スーパーに毎日立っている皆さん、商品棚に補充してくれている皆さん」と、パンデミック下でも人々の生活を支えて働く人々への感謝を述べていました。
■二人称を使った呼びかけは、聞いた人の心に響く
この二人称は、古代ローマ時代からの「弁証」の技術において非常に大事なポイントです。カメラを通していたとしても、「医療に携わってくれているあなた、本当にありがとう」と目線を合わせて言われれば、心に響かない人はいませんよね。
これが原稿の書かれた紙に目を置いたまま、自分の言葉ではない、表面的な表現を連ねて語られたのなら……。聴いている人には何も届かないし、その心は癒やされもしません。
同じく3月の半ばにはフランスのマクロン大統領も、外出に対する厳しい制限を発表した際、「戦争状態」になぞらえて「新型コロナウイルスとの戦いに打ち勝つ」といった意志を強い言葉で演説し、国をまとめようとする姿勢を表明していました。
イタリアのコンテ首相も、国民に結束を呼びかけるテレビ演説を行いました。そのなかで私が秀逸に思ったのは、弁護士出身である彼がまず、法について述べた点です。
「皆さん、イタリアの法律では人の命を何よりも守らなければなりません。だから、私はそれを行使します。これから都市を閉鎖し、経済的に皆さんにご迷惑をおかけするでしょう。しかし、人の命をまず最初に守らなければいけないのです」
経済よりも人の命が優先であることを、カメラ目線で国民に向かって宣言した。普段コンテ首相を非難している人たちも、彼の言葉に「よし、わかった」と納得したわけです。
国が違えば政治体制も文化的な事情も異なりますし、一概に比較するのは難しいことだとは思います。ですが、世界が同じ一つの問題に同じタイミングで向き合っているのを、リアルタイムで見つめる機会もそうありません。だからこそ、私たちはこのパンデミックへの各国のリーダーたちの対応や姿勢を比べてしまうし、また比べることができているのです。
■危機的状況は指導者が人気を上げる好機
たまたま見かけた国際ニュース番組で、アメリカのオバマ前大統領とブッシュ元大統領の補佐官を務めていたという二人が対談をしていました。現職のトランプ大統領の政策を批判する内容でしたが、そこで面白い指摘が展開されていました。
「トランプ氏が大統領として怠っているのは、国民を結束させることと、国民を激励し安心感を与えることへの責任である。そのために言葉をきちんと選んで話す弁証のスキルをもたなければいけないが、彼にはない。パンデミックのような状況は、本来なら指導者が自分の人気を上げるのにいかようにも利用できる好機なのに、もったいないことだ」
大体このような感じです。たしかに、ドイツのメルケル首相の株は、今回のコロナ対策でグンと上がりました。台湾の蔡英文総統も高く評価されています。
■いつまでも届かない日本のリーダーの言葉
ひるがえって、我が国、日本はどうでしょうか。“アベノマスク”などのコロナ対策の評判は芳しくなく、決然としたリーダーシップを発揮しているようにも見えませんし、むしろがっかりしたという人も少なくないと思います。特に言葉の力という点において、ヨーロッパで見られるように民衆の心に届く演説ができる政治家は、現在の日本にいないのではないでしょうか。
ヨーロッパにおけるリーダーには弁証力が求められます。イタリアに住むなかで私が実感するのは、小さな頃からの学校教育に、その力を育むシステムが組み込まれているということです。
政治家たちがもつ言葉の力。その背景には、弁論力こそ民主主義の軸と捉える古代ギリシャ・ローマから続く教育が揺るぎなく根付いていると感じさせられます。リーダーが民衆に届く言葉を備えられるかどうかは、自分の頭で考えた言葉として、人々に発言できているかどうか。「言わされている」言葉には、人に届くのに必要なエネルギーが発生しません。
世間と、そして自らとしっかり対峙したうえで、国民は今どんな心境で生きているのか、どれだけ辛い思いをしているのか、自らもコロナ禍のなかで生きる一人の市民としての脳で考える姿勢は、政治家にとって不可欠です。
熟考の末に紡ぎ出された言葉は、小手先だけでまとめられた美辞麗句とは説得力のレベルが違います。国民の支持率を上げよう、とりあえず安心させる言葉を選ぼう、という傲(おご)りが滲んだ言葉を並べても、国民の気持ちを掴むことはできないでしょう。
■一人ひとりが意見を言える環境が民主主義である
「開かれた民主主義に必要なのは、政治的決断を透明にして説明することと、その行動の根拠を伝え、理解を得ようとすることです」
メルケル首相の演説でも、最初に政治の透明性、国民との知識の共有と協力について述べています。そしてそれらは民主主義が成り立つための「根幹」とも言える要素です。指導者として民主主義の何たるかを国民に自覚させ、「皆さん一人ひとりが意見を言える環境が民主主義なのですよ」という姿勢の確認から話を進めたわけです。
まるでどこかの学校の、立派な校長先生のように説得力のある姿勢とカメラ目線で「皆さん、考えてください」というメッセージを込めて呼びかけられたら、受け取る側は「はい」と思うしかありませんよね。もちろん、そういった演出の効果も計算されているのが、ヨーロッパにおける弁論の力というものです。
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漫画家・文筆家
東京造形大学客員教授。1967年東京生まれ。84年にイタリアに渡り、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で美術史・油絵を専攻。2010年『テルマエ・ロマエ』で第3回マンガ大賞 受賞、第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞。2015年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。著書に『プリニウス』(新潮社、とり・みきと共著)、『オリンピア・キュクロス』(集英社)、『国境のない生き方』(小学館新書)、『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)など。
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(漫画家・文筆家 ヤマザキ マリ)
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