日本の保育士が「非効率な手書き」を必死で続けている理由
プレジデントオンライン / 2020年12月29日 9時15分
※本稿は、貞松成『AI保育革命』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■記録作業がほぼすべて「手書き」で行われていた
日本のさまざまな業界の中で、とりわけ保育業界では、ICT化の遅れが顕著となっており、そのことが現場の生産性を下げる要因となってきました。その点において、改善の余地が多分にあると言えます。
私がまだ現場で園長をやっていたときのことです。現場で必要とされる記録作業のほぼすべてが手作業で行われていました。具体的には、園児の登降園時間の記録、保育計画、活動記録など、多岐にわたる記録がすべて手書きだったのです。
加えて、出退勤の記録や連絡事項、日誌など、日々のルーチンワークに該当する事柄に関しても、手書きを中心に行われていました。しかし、これらの多くは、他の業界ですでにシステム化されており、手書きのままでは時間・労力ともに非効率的です。
そこで私はまず、手書きで行われていた記録作業を可能な限りエクセルに入力するよう、現場に指示しました。そうすることで記録の一元管理を可能とし、ミスや抜け、漏れを防ぎつつ、省力化を実現していったのです。エクセルに入力した次は、クラウドに上げて管理するようにしました。
このような工夫をするだけでも、現場の業務負担は大きく改善されていきました。ただ、長く勤めているベテランの保育士ほど、作業を手書きで行っていることの意味を疑うことがなく、むしろアナログであることの必要性を信じている傾向があったのも事実です。
■「効率化」への現場の拒否反応が強かった
もちろん、デジタルデータとアナログはともに良し悪しがあります。しかし、人員が限られた中で、より良い保育サービスを提供するには、再現性を高めるためのテクノロジーの活用が不可欠です。その点において、若い保育士のほうが順応性は高いかもしれません。
「教育」という側面から考えると判断は難しくなりますが、「保育士の事務作業を省力化する」という発想で考えれば、システムの導入は合理的な判断であることがわかります。なぜなら、事務作業の時間を減らせれば、保育士はそれだけ園児との交流に時間を使えるからです。
「保育の効率化」という議論は、この点で誤解が生じやすい部分でもあります。私が保育園の運営管理システム「CCS(チャイルド・ケア・システム)」を開発し、他の保育園でプレゼンテーションをしたときも、「保育を効率化するなんて、子どもを放っておく発想だ」という拒否反応が少なくありませんでした。
■業務負担の削減は、より良い保育につながる
余談になりますが、当時は保育関連の用品を購入するのでも、アマゾンや楽天などを使ってeコマースで購入しようものなら、「保育とは、そういうものではない」という意見がありました。つまり、代理店の顔を見ながら、商品を吟味して購入するべきということだったのでしょう。
たしかに、そのような考え方も重要です。園児のことを考えれば考えるほど、物事の判断に慎重さが求められるのも事実です。ただ一方で、より良い保育サービスを提供するために、保育士の業務負担を削減することも必要ではないでしょうか。
センス(感覚)で行う保育も大切ですが、園児と直接的に接しない部分、それこそ記録や入力、購買などの事務作業を省力化することは大切です。それがすなわち、日進月歩で進化していくテクノロジーを活用した、これからの保育につながっていくはずです。
![開いたノートパソコンの上にミニチュアのショッピングカート](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/2/d/670/img_2d0aa2a7feb91d1aad51809d359fca43293146.jpg)
■「ヒヤリ・ハット」事例はデータ化すれば予防しやすい
また、保育業界に参入してみてわかったことですが、園長をはじめとするマネジメント層のパソコンに対するアレルギー、つまりITリテラシーの遅れも顕著でした。そのような保育園では、アナログで業務を進めていくことが当然であり、合理化や生産性向上を図ろうとする意識はほぼ見られませんでした。
アナログの良さは、「PCやタブレットなどのデバイスが不要なこと」と「目で読みやすいこと」です。一方、データの良さは「メールで転送が容易なこと」と「解析や分析が容易にできること」です。
たとえば、いわゆる「ヒヤリ・ハット(事故にはならなかったものの、そのような可能性のある「ヒヤリ」「ハッ」とした事例)」を手書きで記録していても、過去の情報を集約して、いつ、どこで、どのような危険が多かったのかを分析することは容易ではありません。
一方、データであれば、ボタンひとつで、いつ、どこで、どのような危険が多く発生し、誰が最も危険に気づいてくれたのかさえも、数秒でグラフを作成して理解することができます。また、園内での共有も容易です。
せっかく手で書いた「ヒヤリ・ハット」を、このように分析して活用している保育園はかなり少ないと思いますし、分析して対策を打たないのであれば、「ヒヤリ・ハット」を書いた意味もありません。こうした観点からも、やはり保育園の資料は可能なかぎりデータ化したほうが、明日の質の向上に直結するのです。
■事務作業の時間が減るほど、園児に費やす時間が増える
教育に対する姿勢はアナログ的でもいいのですが、新しいテクノロジーをただ拒否しているだけなら問題です。事務作業に使う時間を削減できれば削減できるほど、園児に費やす時間が増えることを理解しなければなりません。
自分が向き合っている目の前の園児のことだけでなく、保育園全体のことが考えられる人は、合理化や生産性向上が何をもたらすのかについて理解しています。しかし、そうではなく、長年慣れている手法にしか関心がない人は、いつまで経ってもシステムを活用できません。
ただ、そのような姿勢が、保育士全体の労働環境を過酷なものにしていることも、忘れてはならないのです。厚生労働省では、2017年4月からICT化を後押しするべく、補助金の助成を開始しています。こうした国の方針からも、保育業界の実情が垣間見えるのではないでしょうか。
■「経験・勘」重視から「エビデンス」重視の保育へ
保育園におけるAI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)の活用は、エビデンス(証拠、根拠)が求められる未来の保育へとつながっています。これからの保育サービスは、保育士の経験や勘のみに基づいて行われるのではなく、情報やデータも活用したエビデンスが必要だと思われます。
この場合の「エビデンス」には、2つの方向性があります。
1つは、「園児が何時に登園して、どのような活動をし、体調や体温はどうだったか」といった数値データのことです。これらのデータが、適切な保育サービスの提供につながります。
もう1つは、同じ活動をしている中で生じる、園児ごとの違いに関するデータです。たとえば、みんなで水遊びをしているとき、A君は「冬の水は冷たいんだ」と思う一方、B君は「どうすれば遠くまで水が飛ぶのかな」と考えるかもしれません。あるいは「水は細かくなると霧になる」「シャワーの近くでは虹ができる」など、園児がそれぞれ異なる気づきを得ていることがあります。
![おもちゃで遊んでいる子どもたちと先生](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/6/5/670/img_650abbbe0ac0683be491ddfd0c4ec5d9301685.jpg)
そうした違いに目を向けられるかどうかは、これまで現場の保育士の経験と勘に大きく依存していました。しかし、今後AIやIoTを活用して測定できるようにすれば、経験や勘、つまり個々人のセンスに頼ることなく、園児の気づきを認識できるかもしれません。それが結果的に、個性を伸ばす教育へと結びついていくのです。
■データの蓄積で「その子に何が必要なのか」が見えてくる
もちろん、「そのような目に見えないものを、どうやって計測するのか」という問題は残るものの、目に見えないものを「見える化」する取り組みは、保育サービスの質を左右する重要な要素になると思います。それを、保育士の経験や勘だけに頼るべきではありません。
事実、保育士はそれぞれ、見ているところが違います。細かいところに目を配り、園児の興味・関心の差や成長の度合いに目を配っている保育士もいますが、そうでない保育士もいます。また、細かい気配りができる保育士が、細かい記録を取っているとは限りません。
重要なのは、保育士が日々の保育で気づいたことを、データとして蓄積することです。定量的なデータだけでなく、定性的なデータをも積み重ねていくことによって、「その子に何が必要なのか」が見えてくると考えているためです。
![ラップトップキーボードのアップ](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/4/b/670/img_4b1bb312bcbe12203846be191c26e0e7298531.jpg)
私はそのようなデータの活用が「保育の個別最適化」につながると想像しています。小学校に上がってしまうと、ほぼ一律の評価軸によって評価されてしまうことを考えれば、未就学児のうちに個性を育むことが大事です。
そして、そのためには、未就学児の段階からどれだけ気づきを蓄積できるかがカギを握ると思います。まだ雲をつかむような話かもしれませんが、そのようなデータの活用と学習の方向性が合致したとき、エビデンスに基づいた教育が一歩前進するでしょう。
いずれにしても、現場の保育士が蓄積してきた暗黙知を形式知として活用してこそ、保育園における学びの価値をより高められることは間違いないでしょう。端的に表現すると、園児の気づきを大人が気づいてあげることが、何よりも大事です。
■優秀な保育士のセンスを保育園全体で共有できる
優秀な保育士であれば、数値データを活用しなくとも、個別最適化に近い教育を実施することができるかもしれません。ただ、そのようなマンパワーをシステムで共有可能にするところに、ツールのポテンシャルがあるはずです。
CCSのようなシステムをより発展させることによって、理論上は、すべての保育士を経験豊富なベテラン保育士に育て上げることも可能となります。それはすなわち、外的なエビデンスを内的なエビデンスに昇華させることに他なりません。
![貞松成『AI保育革命』(プレジデント社)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/a/5/200/img_a5bcbb2608e36ba12805b1c0413343d5216200.jpg)
よく「センス」という言葉が使われるのですが、センスの有無によって児童に対する教育内容が変わってしまうのは、保育園全体として望ましいことではありません。
それぞれの児童が遊びの中で得た気づきや興味を見抜き、そこを自然に伸ばしてあげるような保育サービスを提供すること。それを子どもたちは、感覚的に「楽しい」と感じるのではないでしょうか。未来の保育は、そのレベルまでアプローチできるはずです。
内的な発見を細部にわたって数値化する取り組みは未だ道半ばですが、CCSのようなシステムによって蓄積されたデータとその活用によって、何らかのヒントは得られるはずです。その土台となるエビデンスが、保育の現場で培われています。
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global bridge HOLDINGS 代表取締役社長兼CEO
1981年長崎県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修了。大阪総合保育大学児童保育研究科博士後期課程。2007年に千葉県にて無認可保育園(のちに認可保育園へ転換)を開園。2014年、保育園運営管理システム「CCS(Child Care System)」をリリースし、ICT事業を開始。同年、障害児(者)事業を開始し、認可保育園や通所介護施設との複合施設を開始。2017年、保育ロボット「VEVO」の開発に着手。同年、東京証券取引所に上場。
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(global bridge HOLDINGS 代表取締役社長兼CEO 貞松 成)
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