「100円ショップで買い物がしたい」知的障害の息子、鬱病の夫、脳梗塞の母をケアする女性の唯一の夢
プレジデントオンライン / 2020年12月19日 8時45分
■24年前、最重度知的障害・自閉症の息子を出産した
関東地方に在住の清水陽子さん(仮名・46歳・既婚)は、高校卒業後、銀行に就職。7歳年上の夫と知り合い、1996年に22歳で結婚。翌年妊娠が分かると、出産のタイミングで退職することにした。
結局出産の1週間前まで働いていた清水さんだったが、5月に破水が起こり、産院へ行くと、看護師に「これは(普通の)破水じゃないよ」と言われて帰宅。翌日も破水があり、産院へ行くと、主治医に「何でもっと早く来なかったの? 生まれても、知的障害とか、肺炎とか、髄膜炎とかが出るかもしれないよ?」と言われ、分娩室へ向かいながら、内心大パニックになった。
「知的障害とか自閉症は、脳に明確な異常が見られるわけではなく、産後しばらくは違いがわかりません。しかし成長するにつれて、他の子との差が明確に現れてきて、『うちの子は何でこんなこともできないの?』と思うことが多くなっていきました」
息子は、抱っこしてもおんぶしてものけ反るため、おんぶ紐をすり抜けて落ちてしまいそうで怖かった清水さんは、常にぎゅっと強く抱っこしていた。
また、話しかけても、名前を呼んでも相手の顔を見ようとしない。絵本を見せても、「犬はどれ?」と訊ねても、興味を示さず、ただ大泣きするだけ。
1歳半検診のとき、まだ言葉が出なかった息子は、小児科へかかるようすすめられる。ところが、脳波を調べたり、CTを撮ったりしても異常は見られず、「3歳にならないと診断はできないので、それまでは成長過程を見守りましょう」と医師に言われた。
「当時(1990年代後半)は手元にパソコンもスマホもなく、医師からも役所の保健師さんからもお母さん友だちからも、みんな母親の私に気を遣ってか、『どこも悪くないよ』『普通だよ』と言われてきましたが、それが辛かった。私も夫も『おかしい』と思っているのに、何がおかしいのかはわからず、誰も教えてくれず、ずっと悶々としているのが地獄のように苦しかったです」
銀行員の夫は朝早くに出勤し、夜遅くまで帰ってこない。清水さんは、朝から晩までグズグズな息子に振り回されてクタクタになっており、夫が帰宅する頃にはぐったり。部屋の中は、息子が暴れて壊したり、食事をこぼしたりしたあと、清水さんが疲れ果てて、片付けられずにそのままになっていることもしばしばだった。
そんな中、息子が2歳になった頃、清水さんは大量に下血。夫の運転で病院を受診すると、大腸からの出血と分かり、大学病院に入院することに。医師から原因はストレスだと言われ、入院中は車で2時間くらいのところにある、清水さんの実家に息子を預けた。
やがて、3歳が目前に迫る頃、児童相談所を訪れると、息子をひと目見た児童相談所の所長が言った。
「お母さん、この子は自閉症ですね」
それを聞いた瞬間、清水さんは所長の手を握り、「やっと言ってくれました! ありがとう!」と固く握手をしていた。3歳になったとき、ついた診断名は、「知的障害を含む自閉症」。知的障害のレベルは最重度で、言葉が出ず、人とコミュニケーションが取れず、こだわりが強いという特徴があった。
■最重度知的障害・自閉症の息子の子育て
息子が3歳で通園施設に通い出すと、清水さんは、「大好きな100円ショップでゆっくり買い物がしたい」という夢を叶えようと実行に移した。
息子は数秒もじっとしていてくれないため、商品をゆっくり見られないだけでなく、レジでお会計するにも、大暴れする息子を取り押さえながら財布を出して、やっと購入できるという感じだったのだ。
ワクワクしながら店に入ると、清水さんは涙が溢れてきた。
「息子が生まれてから、1人でこんなにゆっくり買い物ができる日が来るとは、想像する余裕さえありませんでした。通園施設のありがたさを噛み締めつつも、息子が障害児という現実は重く、涙が止まらなくなりながらも、他のお客さんに気が付かれないように、存分に買物を楽しみました」
![100円硬貨](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/9/3/670/img_93d10f9ca629a0e6a1dbb0d4048da9bd777268.jpg)
息子は小学校に入学する年に、養護学校に入った。
清水さんは、息子が居ない間に家事や買物を済ませる。息子は目を離すと何をし始めるか分からず、言葉で注意しても通じないため、危ないものから遠ざけ、安全な環境を作ったうえで、気の済むまでやらせるしかない。些細なことで機嫌が悪くなると、物を投げたり壊したり、清水さんに掴みかかってきたりすることもあった。
息子が中学生になった夏休み。ずっと家の中にいると息子が機嫌を悪くなるため、買物にでも行こうかと車に乗ったとき、ルームミラーに写った自分の顔に一瞬目が止まる。口が異様に曲がっていたのだ。「あれ? なんでだろ。嫌だな、変な癖がついちゃったかな」。そのときは特に気にもとめず、そのまま出かけた。
しかし夜になると、だんだん不安になってくる。顔の右側だけ下がってきて、右目は瞬きができない。口の右端が半開きのまま閉じないため、飲み物を飲んでもこぼしてしまう。
深夜に帰宅した夫に「絶対おかしいよ。病院に行きなよ」と心配され、「脳が原因だったらどうしよう?」と動揺する。
翌朝、行きつけの内科に電話したところ、「ああ、それは耳鼻科なので、耳鼻科で相談してみてください」と言われ、近所の耳鼻科へ行くと、「入院ですね」と言って大学病院への紹介状を書かれた。
「耳の中の神経がストレスで壊れてしまったらしく、表情が動かせなくなっていたようです。治療は、強いステロイドを大量に点滴で投与し、監視が必要になるため、入院しないといけませんでした」
入院中は、車で1時間半ほどのところで一人暮らしをしている義母が来て、息子や夫の世話をしてくれた。
「息子は中学生くらいまでは、常にイライラしている感じでした。気に入らないことがあるとパニック状態になり、地団駄を踏んで、窓ガラスをバンバン叩いて怒っていました。一番ひどかったのは、15歳の時です。虫歯の治療の後、麻酔が切れて痛みが出てきたせいでパニックになり、テーブルやテレビなど、リビング・ダイニングにあるものをほとんどなぎ倒して暴れました。私は身の危険を感じて外に避難し、そろそろ落ち着いたかなと思って玄関を開けると、息子が血まみれで立っていました」
息子は、割ったガラスのコップで手を切り、その手であちこち触ったため、家の中はまるで殺人事件現場のよう。冷蔵庫の引き出しの手をかけるくぼみには、血が数ミリ溜まっていた。
清水さんは真っ青になり、すぐさま夫に電話する。仕事中だったが、電話に出た夫は救急車を呼ぶよう言った。
救急車が到着すると、清水さんは事情を説明。救急隊員は血だらけの息子を見て、「最近子どもの虐待が多いため、決まりなので、念のため家の中を見せてもらいますね」と言って家の中を確認。血のついたコップを発見し、「このコップですね」と言い、テキパキと応急処置をした。
病院に到着すると、息子は暴れて傷口を縫えないため、包帯を巻かれて終了。仕事帰りの夫と落ち合い、3人でタクシーに乗って帰ると、大惨事の後片付けをした。
■夫が適応障害から鬱に
清水さんの義父は、40代でベーチェット病を発症。ベーチェット病とは、口腔粘膜のアフタ性潰瘍、外陰部潰瘍、皮膚症状、眼症状の4つの症状を主症状とする慢性再発性の全身性炎症性疾患で、難病に指定されている。発症以降、闘病を続けてきたが、70代に入ってから急激に悪化。
![聴診器](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/f/9/670/img_f9b3cc6d1d590b1f7d238d5e999969ae392610.jpg)
清水さんは障害を持つ息子を抱えながら、義父の病院への送迎や病院手続きなどをする義母をサポートした。夫には姉がいるが、関西に住んでいるため、あてにできない。
息子が中学生に上がる頃(2010年頃)、義父は肺がんを併発し、帰らぬ人となった(享年78歳)。
その頃から清水さん(当時36歳)は入浴中、発作的に強い不安に襲われることが増える。
「ふと、息子と自分の将来について考えると、強い不安に襲われて、まるで今現在、自分が死んだような気持ちになり、息子を1人にしてしまう恐怖感で耐えられなくなりました」
しばらくして夫(当時43歳)が転勤になり、上司からパワハラを受け始めた。夫はストレスから精神のバランスを崩し、心療内科に通い始める。幸い夫の味方は多く、深刻な状況にはならなかったが、主治医に夫が清水さんのことを話したところ、「奥さんのほうが心配だから連れて来てください」と言われた。
清水さんは気が進まなかったが、障害の程度を判定する障害者区分認定を受けるために、息子を心療内科に連れて行く必要があったため、ついでに自分も受診。清水さん自身は自覚がなかったが、医師は清水さんの不眠を見抜き、睡眠導入剤と抗不安薬を処方した。
ところが、息子の養護学校卒業が迫ると、清水さんは再び強い不安に襲われ始めた。
「養護学校は、子どもも親も同じ境遇の人ばかりで居心地が良く、ふと、『もうすぐ卒業か、せっかくできたお母さん友だちとの交流も減るだろうな』と思ったら、急に恐怖心が湧いてきたのです」
そこで清水さんは、「働きに行こう! 新しいコミュニティができるし、お給料ももらえて、お客さんの役に立つこともできる!」と思い立つ。清水さんは週3~4日、大好きな100円ショップでパートとして働き始めた。
「息子や夫の世話をしても感謝されませんが、お客さんからは喜んでもらえます。仕事に行くと気持ちがシャキっとするので、私にとってはすごくいい気分転換になりました」
しかし2017年。再び夫(当時51歳)が転勤になり、新しい上司からパワハラを受け始める。前支店では味方が多かったが、今回はほぼ全員が上司側につき、夫は苦しんだ。それでも夫は半年ほど頑張っていたが、適応障害と鬱病の診断書が出されると、夫は問題の上司に診断書を提出し、1年間の休職に入った。
そして2018年末。会社から今後の選択肢を提示され、夫は退職を選んだ。
■父親が突然死、母親が言語障害に
悪いことは重なるもので、同じ年、清水さんの父親が体調を崩し、病院を受診すると、心臓が悪いことが発覚。専門の医師に診てもらう段取りをしていたところ、入浴中に急死していた。74歳だった。
「父はお酒が大好きな人でした。それでも晩年の数年間は、自発的にお酒をやめてくれていたのですが、体調が悪化したあたりには、こっそりお酒を飲んでいたようです。心臓が悪いのにお酒を飲んでお風呂に入り、一度救急車のお世話になっているにもかかわらず、また同じことをやり、今度は亡くなってしまいました」
当時、67歳だった母親は、まだフルタイムでバリバリ働いていた。夜、仕事から帰宅して父親の姿がないことに気付き、家中を探し回ったところ、浴室で発見した。
母親から電話を受けた清水さんは、何となく嫌な予感がしていたという。実家に着くと、救急車ではなくパトカーが停まっていることに気付き、「やっぱり……」と思った。自宅での急死だったため、家族への事情聴取や遺体の検視が行われた。
そんな最中、ふと母親に話しかけると、反応がない。座ったまま固まったようになり、言葉が出ない。ちょうど到着した葬儀社の担当者も異変に気付き、救急車を呼ぶことに。
「病院に着いたとき母は、人が変わったように暴れ、『もう死んだっていいんだ~!』と叫び、手がつけられない状態になっていました。普段はこんな人ではないので驚きました。後で知ったのですが、脳梗塞の急性期に出る症状の一種だったそうです」
MRIを撮ったところ、脳梗塞によって言語領域が損傷を受けていることがわかり、急遽大学病院へ転院となった。だが、翌日に父親の通夜・葬儀を控えている清水さんは、一人っ子のため、他に頼れるきょうだいはいない。
![MRIスキャンの脳](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/b/3/670/img_b36dd572b3f197434c92bb4c78b579a2813060.jpg)
翌日、母親の付添は母方の叔母に頼み、自分は喪主を務めた。導師が息子を気にかけ、大きな音を鳴らさないようにお経を上げてくれたため、息子は奇跡的に葬儀に参列できた。
それからは、毎朝息子を送り出してから実家へ向かい、少し実家を片付け、父親が兼業農家だったため、少し農作業をやり、母親の病院を見舞い、着替えなどを交換し、施設から戻った息子のことは夫に任せ、清水さんは22時頃帰宅する……という日々を過ごす。
1カ月後、母親はリハビリ病院への転院が決まった。
母親は運動能力には問題はなかったが、脳梗塞の後遺症で以前のようには言葉が出ず、出ても「窓開けるね」と言いながら閉めるなど、行動と反対の言葉を言うようになってしまっていた。
「医師から『もう1人暮らしは難しいよ』と言われ、何よりも母自身が、父が亡くなった家で一人暮らしをすることができなくなってしまったので、私の家へ呼び寄せ、同居することに決めました」
母親は、浴室で亡くなった夫を見つけたときの記憶が、トラウマになってしまったのだ。
以下、後編へつづく。
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ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。
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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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