脳科学者の母が、九九の暗記に絶望した小学生の息子にかけた言葉
プレジデントオンライン / 2020年12月23日 13時15分
※本稿は黒川伊保子『息子のトリセツ』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。
■なぜ、学校に行くのか
男性脳は、ゴール指向問題解決型という脳の使い方を優先している。
とっさに遠くを見て、潔くゴールを見定める。
物理空間で行うこの癖は、思考空間でも変わらない。対話においては、最初に「話の最終ゴール」=結論や目的を知りたがる。ゴールがわからないと、思考が散漫になり、相手の話がモスキート音のように聞こえてしまう。
この脳の癖を知っている私は、息子が小学校に入学するとき、小さな「男性脳」に黄色い帽子をかぶせてやりながら、これから始まる学校生活のゴールを知らせてやらなければ、と思った。
私は、息子に、こう伝えた(本当は、もっとごちゃごちゃしたことばだったけど、要約するとこんな感じ)。
「あなたはこれから、いろいろな教科を学ぶことになる。算数(これはやがて数学になるわ)、国語、理科、社会……そのすべては、この世の見方を学ぶことなの。いくつもの見方を学校は教えてくれる。やがて、そのうちの一つか二つで、人は世の中を見ていく。数学を選ぶ人もいるし、音楽を選ぶ人もいるでしょう。けど、小さいうちは、どれがその人に似合うかわからないから、学校はすべてを教えてくれるの。ものの見方をいくつも手に入れること。勉強は、そのためにする」
■男の子には「ゴール設定」が必要
ものの見方を手に入れるために、学ぶ。
こう決めておけば、苦手な教科ほど、無視できなくなる。そこに、自分の持っていない「新たなものの見方」があるからだ。挫折も多いほうがいい。ものの見方がさらに深まるからだ。そして、「なぜ、社会に出たら使いもしない微分積分をやらなきゃいけないのか」なんて疑問を持たなくても済む。
この目標なら、「苦手」も「挫折」もポジティブな方向となり、迷いがなくなる。学ぶものにとって楽なうえに、万能なのである。
■昔の小学校に二宮金次郎像があったワケ
当然、それぞれのおうちのゴールがあってもいい。「いい成績を取って(できれば一番になって)、いい大学に行く」「医者になる」という潔い目標も、それが親子にとって楽しければ、もちろん、ありである。男性脳は、志を持つと生きるのが楽になる
いずれにしても、男の子には、ゴール設定か、ロールモデル(目標となる人物)がいる。
昔の小学校に、二宮金次郎像があったのは、このためだ。あるいは、ときに街角に英雄の像があるのも。「ああいう立派な人間になる」というのも、男性脳たちを安心させる目標設定のひとつだからだ。
世界のほとんどの国では、「お国を守る」というナショナリズムが、男性脳の「育ち」のゴール設定にできる。徴兵制があれば、なおさらだ。「この世に戦争がない」と思い込んでいる平和な国では、男性脳の明確なゴールがないので、各々が意識して決めなければいけない。
ちなみに、女性脳は、プロセスを無邪気に楽しめる。今の目の前のこと、「テスト」「遠足」「運動会」に夢中になっているうちに、時が過ぎる。好きな男の子に会いに行くというモチベーションだけでも、十分に学校に通いきれる。だからつい、「ずっと先の目標」という目線を息子にあげるのを忘れてしまいがちなのだが、ここは、息子の母親たるもの、ぼんやりしていてはいけない。
なぜなら、男性脳は、目標が遠く高いほど、今を楽に過ごせるからだ。
「大谷翔平のようなすごい野球選手になる」という遠く高い目標(志)があるから、今日の千本ノックに耐えられるのである。
■ゴールは遠くに設定するべし
息子が、掛け算九九を習ったときのこと。
2の段が言えるようになって、ほっとした息子に「じゃぁ、次は3の段ね」とほがらかに言ったら、がっくり落ち込んでしまった。「え、ここがゴールじゃないの?」とすっかりうなだれている。
これこれ、これが男性脳なのだ。ゴールだと思っていた場所がゴールじゃなかったとき、モチベーションがだだ下がりする。
近いゴールだと、乗り越える度にモチベーションが落ちることになる。だから、ゴールは遠くないといけないのだ。女の子なら、バラをつんだ後、あらチューリップもあるのね、という感じで、「今」を重ねて、先へ進めるのに。
2の段ができてちやほやされたら、「え、3の段もあるの? よっしゃ~」という感じだ。たとえ、9の段の後に実は10の段もあるのと言われたって、そうショックじゃない。
女性が、先の見えない事態に強いと言われるのは、このためだ。阪神淡路大震災のときも、東日本大震災のときも、「その日のうちに精力的に動き出したのは女性たちだった」と言われた。町が壊滅しても、「とにかく、今日の夕飯」から立ち上がれるのが、女性脳の素晴らしいところだ。
■男は大局を失うと闇に落ちる
男性脳は、大局を失うと、闇に落ちる。生きる気力さえ失うことがある。そんなとき、お湯を沸かそうとする女が傍にいて、「薪集めてきて」とお尻を叩いてくれるのがうんと大事なのだ。
男たちの「大局を見失ったショック」に無頓着ではいられない。特に、男の母としては。
というわけで、息子の「2の段で終わらなかったショック」を見逃せなかった。「3の段どころか、9の段まであるわよ」と言ったら、絶望の淵に沈んだような顔をしている。その顔を見ながら、この際、算数(数学)に関する息子のゴールを、うんと遠くにしておこう、と思いついた。
「なんて顔してるの。先は長いわよ。掛け算が終われば、次は割り算を習うの。その先に、分数や負の数がきて、因数分解、ベクトル、微分積分。あなたが理系の大学院まで行ったら、つごう17年間、あなたは算数(そのうち数学)と付き合うことになる。そこまでいかないと、宇宙を知ることはできない」
2の段でがっくりきている息子にしてみたら、「分数」から「微分積分」までは、なんのことやら、ちんぷんかんぷんだったと思うが、「九九なんて、はるか遠い道のりの、ほんの小さな一歩にしかすぎない」ということは伝わったらしい。
彼の顔から絶望が消えて、希望に変わった。そののち、数学に関しては、「まだやるの」「なんでやるの」ということばを聞いたことはない。黙々と時を重ねて、物理学の大学院を出て、自分のことばで宇宙を語れるまでになった。
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脳科学・AI研究者
1959年、長野県生まれ。人工知能研究者、脳科学コメンテイター、感性アナリスト、随筆家。奈良女子大学理学部物理学科卒業。コンピュータメーカーでAI(人工知能)開発に携わり、脳とことばの研究を始める。1991年に全国の原子力発電所で稼働した、“世界初”と言われた日本語対話型コンピュータを開発。また、AI分析の手法を用いて、世界初の語感分析法である「サブリミナル・インプレッション導出法」を開発し、マーケティングの世界に新境地を開拓した感性分析の第一人者。近著に『共感障害』(新潮社)、『人間のトリセツ~人工知能への手紙』(ちくま新書)、『妻のトリセツ』『夫のトリセツ』(講談社)など多数。
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(脳科学・AI研究者 黒川 伊保子)
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