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母が「余命10日」の宣告を受けたとき、50代娘が一番後悔した決断

プレジデントオンライン / 2020年12月22日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/KatarzynaBialasiewicz

多くの人が直面する親の介護と看取り。両親の介護体験を踏まえ『親の介護をはじめる人へ伝えておきたい10のこと』(ダイヤモンド社)を上梓した作家の鳥居りんこさんは「医師から余命10日の宣告をされた認知症の母親がベッドの上で衰弱し苦しむ中、最終的に『延命治療しない』と決めた自分は正しかったのか、激しい葛藤に苦しみました」という――。

■「母が母でなくなり、私も私を保てなくなる」介護は“懲役刑”か

10年前、肺がんだった父(享年79歳)を自宅で看取り、正直「やれやれ」と思ったのも束の間、母(当時75歳)がある難病にり患していることがわかった。日ごとに体が不自由になっていく母の「なし崩し的介護生活」は、文字通り、問答無用で始まった。

親の介護をするつもりは1ミリもなかった。

両親は長男教であり、私は姉兄がいる末っ子で、しかも親から「嫁して実家の敷居をまたがず」という教育を受けてきたからだ。

その顛末は前2作『鳥居りんこの親の介護は知らなきゃバカ見ることだらけ』『親の介護をはじめたらお金の話で泣き見てばかり』(いずれもダイヤモンド社)に書いたが、結局、両親の介護生活は10年を超えた。

その間は葛藤の嵐である。私は介護なんか、やりたくなかったのだ。

母は途中で認知症も加わり、私の知っている母ではなくなっていった。そんな姿をただ茫然と見つめる、あるいはムカつく、あるいは情けなくて涙するという日々に、母も私も互いに打ちのめされた。

介護は、母が「母でなくなる」ことを見せつけられるばかりか、私自身が「私を保てなくなる」ようで、お互いの平安のために、私はこの“懲役刑”が早く終わることだけを願っていた。

しかし、健康診断での母は常に内臓周りは異常なしの「健康優良児」。ケアマネに「よかったですね~!」と言われるたびに、更年期障害で苦しむ私は本気で「逆縁」(※)を心配したほどだ。

※本来、後に亡くなるはずの人間が先に亡くなること。

当時、私の中には母が死ぬという概念がなかった。「この人は死なない」と本気で思っていた。でも、母は死んだ。

介護はある日突然、はじまる。正確に言えば、徐々に介護が必要になる体に移行しているのだが、介護者にとっては、見て見ぬふりをしてきたという経緯があるので「ある日、突然」と感じやすい。「看取り」も同じだ。ある日、当事者にさせられる。

■「お母さんの命はあと10日ほどですが、延命治療をしますか?」

約3年前の梅花の頃、母が入居する老人ホームの訪問医から、私はこう告げられた。

「お母さんの命はこのままですと、あと10日ほどですが、延命治療をしますか?」

前年秋に腸閉塞の手術をした母はそれ以来、食が細くなり、1日の大半をベッドの上でボーっとして過ごしていた。認知症は明らかに進行していたが、私との会話は辛うじて成立していた。とても10日後に死ぬ人には見えなかった。

しかし、時は急を要する。訪問医の宣告で世界はひっくり返った。

命を助けてほしければ、今すぐ、救急車で大病院に運ぶ。運ばなければ、死ぬ。救命か看取りか、選択肢はふたつだ。命の決断は認知症の母ではなく、介護のキーパーソンである私に委ねられたのだ。

実は、母は、その日からさかのぼること1年半ほど前、日本尊厳死協会が行っている〈リビングウィル〉に加入していた。つまり「延命治療は望まない」という意思カードを持っていたのだ。ならば、普通は「お看取り」を選択となりそうだが、私は迷走し、決断できなかった。

■「延命治療しない」とすぐに決断できなかった理由

その理由は今、考えると、下記のようなことだったと思う。

1 「延命しない」は本当に母の意思なのか? という迷い
2 母への惜別の情

1について説明すると、こうなる。

以前から母は「体に管を付けないで!」と言っていた。それは、ベッドの上で病気の治療や救命処置のための管や電線などを体に取りつけられた入院患者を嫌というほど見てきたせいだ。

鳥居りんこ『親の介護をはじめる人へ伝えておきたい10のこと』(ダイヤモンド・ビッグ社)
鳥居りんこ『親の介護をはじめる人へ伝えておきたい10のこと』(ダイヤモンド・ビッグ社)

母自身も、認知症がさほど進行していない時に、病院側の意向で手にはミトン、腰には拘束ベルトという拷問生活を何度か体験したことがあり、それを本当に嫌がっていたのだ。

それゆえ、リビングウィルカードを無事に手にした私は、母が自分の意思で自分の最期を決めることができたと思い込み、満足していた。けれども、実際は母が100%決断したわけではなく、私が誘導した部分もかなり大きい。

母の「管を付けたくない」は「延命無用」という意味なのだと私は勝手に解釈し、「管を付けない=治療しない=死」という深いレベルでの意思を確認せぬまま、半ば強引にその書類にサインさせたようなところがある。

この機を逃せば、母が自著でサインすることはできなくなるという焦りもあった。ゆえに、十分な話し合いがなされ、母の本当の意思を確かめたとは、とても言えなかった。

母は昔から病院が大好きで、病院に行きさえすれば、魔法のように病は完治する。治らないのは病院に行く回数、あるいは医療者の技術が足らないのだというほど西洋医学信仰を持っているとしか思えないような人だった。それと矛盾するようだが、「管はつけないで治す」ということも母の“信仰”の延長線上にあったのだ。

■「介護生活からの解放」を願っていた私と違う私が、そこにはいた

もちろん、そんな都合の良い話はなく、母の場合、生き永らえることはできるが、それは延命に過ぎず、いわゆる普通の暮らし(ベッドから起き上がり、口から食べる)に戻ることは困難だということは、訪問医の説明からも明らかだった。

しかも、一度、「延命」のボタンを押せば、もう後戻りはできないシステム。病床の天井を見つめるだけの時間が年単位で流れる可能性も大きかった。

そうやって客観的に親のことを見る一方、もしかして「奇跡」が起こるのではないか、という感情も私の中に存在した。「母は生きたいのではないか?」という思いがわきあがったのだ。

「どんな形であっても、奇跡を信じて、生かすことができる命は救うべき? それとも、それでは生きているとは言えないと考えるべき? どっちなの、お母さん?」

母が返事をできる状態の時に、こう聞けたらよかったのに……。

もちろん、死ぬはずがないと思っていた人間があと10日でいなくなるという事実に、急に惜別の情が湧いてきたこともある。昨日まで、あんなに「介護生活からの解放」を願っていた私と違う私が、そこにはいた。その事実に私はショックを受けた。

終末期患者と手を握る家族
写真=iStock.com/Motortion
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Motortion

看取り担当の私の一番の苦しみは、母の命の糸を、フェイドアウトにしろ、カットオフにしろ、私が決めなければならないという責任の重さだ。「自分の手で母の命をカットオフする」。このことに耐えられなかった。

■母が死なないのである。死なないというより、死ねない。

苦しみに苦しみ抜いて、私はやっと決めた。病院での延命措置ではなく、施設内での看取りを選んだ。「命の長さ」より「命の仕舞い方」を選んだのだ。しかし、ことは予定通りには運ばなかった。

母が死なないのである。死なないというより、死ねない。あらゆる臓器が死に向かっている中、心臓だけが頑張り抜いているようなイメージだ。

余命10日だったが、2週間が経ち、3週間が過ぎようとしていた。看取り経験豊富な施設長によれば、母の場合は「遠い溺死(治療死)か、近い餓死(自然死)」の2択。私は「枯れて死ぬこと」を選んだのだ。

1滴の水が飲み込めない母は絶飲状態。せめて、渇きを癒やそうと、唇を湿らせたガーゼで拭うと、母は口をパクパクしながら水を求める。その姿は陸に揚げられて、必死に呼吸をしようとしている魚のようだった。

母は苦しそうに見えた。さまざまな医療関係者が「自然な死は苦しくない」と発信しているのは嘘なの? それを信じていたのに、現実の母は苦しそうで、眠るように安らかには、とても見えなかった。

■母を生かしたいのか、殺したいのか。どっちなんだ、私は。

繰り返し、繰り返し「今からでも病院に行くべき?」という思いがよぎっては消える。「外から不自然な手を加えて、それで1日、ひと月、1年と、長く生きることに意味があるのか?」との1人問答が延々と続いていく。

ある時は、苦しそうな姿を見ていられなくなり、母の鼻と口を覆えば、母は楽になるのか? という誘惑にかられた。そうかと思えば、母の足が異様に冷たくなりかけると必死に温めて、その命を長らえさせようとする私がいた。

生かしたいのか、殺したいのか。どっちなんだ、私は。

点滴
写真=iStock.com/Amornrat Phuchom
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Amornrat Phuchom

母は結局、1カ月近く経ったある日の夜半に旅立った。葬儀が過ぎ、50日祭(仏教の49日に当たる神式行事)が済んでも、私の心は重かった。耐え切れず、看取りの時にお世話になった看護師さんを訪ねて、こう聞いてみた。

「(延命措置をしなかった)私の決断は正しかったですか?」

■延命措置をしなかった決断は正しかったのだろうか?

彼女は「判断する立場にはない」と言いながら、こう答えてくれた。

「ある高齢のご婦人の話をしますね。自宅でその時を待っていたその方は点滴を拒否されました。終末期の点滴は血管が脆くなっているので、漏れたり、刺す場所も見つけられなかったりで、刺し直しは激痛を伴うからです。

でも、ご家族は『最後まで治療を諦めないで!』と懇願されました。それでそのご婦人は、必要最低限の点滴をゆっくり入れることに同意され、やがて旅立っていかれました。『家族が望むならば、そうしましょう』というご希望だったのです。これはこれで、ご家族全員が納得された結果でした。

りんこさん、『死』は『死』であって、それ以下でも、それ以上でもないです。『良い死』『悪い死』というのもありません。そこには家族にしか分からない家族の思いがあるだけです……」

■「10日後に死ぬ母」延命しない決断を下した50代娘は見殺しにしたのか

私はもっとわからなくなり、今度は自分の姑に尋ねてみた。

「母を見殺しにしたんじゃないかって……」

姑はこう言った。

「りんちゃん、死は苦しいものなんやて。『最期は安らかに旅立ちました』と人は言うかもしれんが、それは最期の瞬間の話。人は泣き叫びながら逝くことはできんでね。でも、そこに至るまでは、どんな死に方を辿ろうとも、苦しいものなんやて。誰もが、そうやって苦しみを通って、また別の世界に行く。それを遺されたものが思い煩う必要はないんやよ」

母が逝って3年。今も本当の意味での整理はついていない。

私は両親を看取った後で「人は死ぬのだ」と驚く大阿呆である。

「人の死」を知らなさ過ぎたのだ。にもかかわらず、いきなり介護のキーパーソンになってしまい、「終着駅」を前にして、余計に大混乱に陥ってしまったのだと思う。

ただ、両親の死は私に最後の教育を施してくれたのだろう。それは「人はこうやって老いて、死ぬのだ」ということに他ならない。

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鳥居 りんこ(とりい・りんこ)
作家
執筆、講演活動を軸に悩める女性たちを応援している。「偏差値30からの中学受験シリーズ」(学研)の著者。近著に『親の介護をはじめる人へ伝えておきたい10のこと』(ダイヤモンド社)、近刊に『神社で出逢う私だけの守り神』(企画・構成 祥伝社)、『1日誰とも話さなくても大丈夫 精神科医がやっている猫みたいに楽に生きる5つのステップ』『たった10秒で心をほどく 逃げヨガ』(取材・文 いずれも双葉社)など。

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(作家 鳥居 りんこ)

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