「数多くのママたちを見送ってきた」渋谷のんべい横丁の広報が語る裏面史
プレジデントオンライン / 2021年1月5日 9時15分
※本稿は、フリート横田『横丁の戦後史』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
■あまりにもスムーズなベテランママたちとの出会い
(前略)
ところで渋谷で飲んで、ママや昔からの常連たちの聞き取りをしていた私が、突然目黒にハシゴして、「のんべい横丁」の昔話をドンピシャで聞くことができたのか。
「昔横丁にいたママが、渋谷を出て目黒川沿いで店をやってるので紹介しますよ。まあ僕も行きますから一緒に行ってみましょうか」
と、どこの馬の骨か分からない私とともに電車に乗って、ママたちを紹介して、一緒に酒まで飲んでくれた人に今回出会えたからだ。往時を知る常連客のもとへもつないでいただいた。戦後すぐに生まれた横丁なのに、現役の営業者に聞き回っても古い時代のことは知らず、聞けば高度成長期どころか平成に入った頃創業の店、というケースは時々ある。それだって十分に凄いことなのだが。平成元年創業でもすでに30年以上の歴史となる。それが、この「広報」の方は、横丁の人々だけでなく去った人にまでつないでくれた。
■渋谷のんべい横丁「広報」の仕事
渋谷のんべい横丁の広報・御厨(みくりや)浩一郎さんだ。ライブエンターテイメントの企画・制作をする会社を経営しながら、自身でも横丁内の小さな店のカウンターに立つ。
それにしても戦後以来の横丁に広報担当とは。横丁の持つ昭和テイストというコンテンツを外部へ向けて発信していく方かな? と最初は思ったけれど、どうも違う。
「電球換えてくれたり、大根買ってきてくれたりね」
長年横丁で商売する小料理屋「串木乃」のママはこう言う。私が話を聞きに行った日は、別の高齢ママの代わりに振り込み処理をしに銀行まで出かけ戻ってきたところだった。広報活動だけでなく高齢になった女将さんたちのサポートも日々しているようだ。だが世話焼きさん、ともちょっと違う。彼と横丁の店々をハシゴしながら話すうち、私には響いてくるものがあった。
「めんどくさい、と思うこともありますよ(笑)。でもめんどくささと安心って同居してますよね。それに、高齢とは言っても、婆ちゃんたちは『ここまでなら頼んでいいかな』とちゃんと分かっているんです。あの人たちは自分の足で立っていますから」
■「面倒なことが安心」の意味
御厨さんが「婆ちゃんたち」「あの人たち」とママたちを指して言うとき、軽口のようでいて、腹の底から響かせている尊崇の音が混ざっているのが分かった。
名物ママのいた「会津」を中心に、20年以上客として横丁通いをし、歳を重ねて店に立ちにくくなった会津のママから2010年には店の鍵を託され、自身や常連が店に立つようにもなった。ママの家まで様子見に顔を出し、入院すれば見舞いに通った。病室には常連客の姿もあった。ママが2018年に亡くなったあとは完全に店を継ぎ、今日まで守っている。
彼の言う「面倒なことが安心」とはどういうことだろうか。
■「我慢を越えてきた」高度成長期のママたち
第二世代、高度成長期の若きママたちは、昭和の間はもとより平成後期に入るまで健在の人ばかりだった。それが4、5年前から病気で引退したり、亡くなることが続いた。女性たちの多くは、独り身。御厨さんは、多くのママたちを見送ってきた。
「婆ちゃんたちが入院しているところも、お葬式も、たくさん見てきました。でもそういうものを『見る』ことが自分のためにもなったんです」
今度は、「見る」?
こんなママもいた。老いてもカクシャク、毎夜店で自分も飲みながら、深夜バスで夜な夜な帰宅する小柄なママ。「夜中、酔ってひょこひょこ歩いてるのを見かけると客が心配になっちゃってみんなバス停まで送っていく」ママ。ある夜もいつものようにバスで帰った。が、翌日別のママが電話をかけても出ない。布団のなかで休み、そのまま亡くなっていた。80代後半だったという。好きな酒と商売を全うして亡くなったから幸せだっただろうと、周囲は言った。常連たちにそう言わせる姿のみを見せ、彼女は亡くなった。
「毎日横丁で婆ちゃんたちを見ていると分かります。計り知れない人生ですよ。でもあえて聞きません。ただ我慢をしてきているのは分かる。体育会系の我慢とは違いますよ。そういうのではなく生きていく上で仕方なかった我慢を越えてきているから、一つひとつ言葉を聞いているだけで自分ももらえているものがある。これを守りたいんです」
「一人で立てる」ママたちだけれど、それでも助けてほしい時少し手伝うのは普通の人間がやることでしょう? とグラスを傾け御厨さんは笑う。
![のんべい横丁と書いたアーチ看板の先にずらりと提灯が並んだ通り](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/1/1/500/img_117c8c4cfc16250529065c627440f37b306126.jpg)
■「休業協力金」申請書類の記入も手伝った
少し分かってきた。
このコロナ禍騒動でどの店も開けられなくなったときには、休業協力金申請のための複雑怪奇な申請書類記入をママたち全員分手伝い、横丁救済のためクラウドファンディングを立ち上げ見事目標額を集めたり、渋谷が本拠のIT企業とWEB上で「バーチャルのんべい横丁」を立ち上げる試みをしながら、ママの家の電球交換や振り込み代行もやる。そしてママたちを「見る」。「面倒なことが安心」、の指す意味もなんとなく分かってきた。
このあたりでうすうす気付く。現役の高齢ママたちが昭和時代の苦労を言わず、口々に「楽しかった」と回想したこと、前回五輪以来のんべい横丁に通う老紳士の評「大人の街だった」の一言、御厨さんの「見る」、も、「安心」、もすべて通底したものがあることに。
結局、明るく、上品で、ケンカもしない人々による万々歳の愉快で安全な横丁なんぞ、カッチリと据え付けられたように元からそこに存在するわけはなかった。ともすれば一瞬で消える楽しい横丁の光景を、努めて客と店主が維持し続けているのだ。
■勇気が湧いて、安心できる「距離と関係」
生きていれば誰にもある憂いや怒りのエネルギーは、ノレンを潜る瞬間にはパッと笑っておしゃべりを楽しむ快闊な力に変換できる「大人」の客。狭い店内で向かい合うママの人柄がそうさせているのだが、本人は快闊さにあてられ「楽しかった」と笑うのみ。人の世の歪みを嘆く酒にも簡単にできるところ、人の世を楽しむ酒にし続ける人々。彼・彼女らの強さを「見る」とき、安心が生まれる。
ママたちも、時々は、強くいられない。どうしても自分を支えられないときだけ、少し手助けしてもらう。
そういう距離の取り方、関係の結び方があること、その喜びを両者は横丁内でビールをさしつさされつし、馬鹿話で笑い合う姿で図らずも日々表現し続けてきたのだ。時々飛び込んでくる若い客は両者の“表現”に触れ、教えられ、自分もそこに列したくなってくる。若き日の御厨さんもその一人だったろう。
勇気も湧き、「安心」もできる。距離と関係をそのまま数十年、果ては死ぬまで保持して生きられるということを、ベテランのママは象徴的に示し続けるから。御厨さんはママの手伝いもするが同時にもらっているものがあったのだ。ちゃんとギブアンドテイクの関係になっている。
御厨さんは50代半ばだが、飲んで話してみて、失礼ながら少しも老け込みを感じないし、相手に年齢の上下を意識させるような傾斜をつけた話し方もしない。
ただ、私がいまだ見つけられないできた「現代人にとって横丁とはなにか」の解を教えてくれた。簡潔に表現するとごく当たり前のこと、「他者との距離の取り方、つながり方、楽しみ方を教えるのが横丁」ということを。そのあたりを言語化し、行動によって証明もしている先達がいたことを私に意識させてもくれた。これは嬉しい体験だった。私もまた時々飛び込んでいく若造の一人だから。
![平屋に挟まれた通りに二人の男性が立つモノクロ写真](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/a/2/670/img_a228aaba82be2446a425a7fd5df455a3283404.jpg)
(※注)のんべい横丁と思われるモノクロ写真。東京都が露店業者たちの集団移転後の様子を撮影してまとめた冊子『露店』(東京都臨時露店対策部編・昭和27年発行)より引用。立ち退き事業を推進した側である行政の制作したものながら、露店商たちへの同情的な視点と、新装成った移転先店舗群の大写しの写真に、事業への自信も垣間見える。
■ママも客もギブアンドテイク
さて、こう文字に起こしてみれば、ママと客との関係から見て、ずいぶんとクサい「人情横丁」ですね、と思われたかもしれない。その点は少し違う。古き良き昭和の、義理と人情の横丁みたいなものの関係性の裏には、上下関係や、御恩と奉公、というような、温かみよりは湿っぽい関係や体面を人に強いる強制性も潜んではいなかったか。
今横丁で見てきた関係はむしろ、一種乾いてさえいて、現代でも未来でも取り入れられる普遍性があると思える。客たちは、ママを慕い自発的にカウンター席に集い関係を築く。上も下もないし、客は何か義理ごとにしばられるような負荷もかけられていない。行きたいときに行き、嫌なら行かなくていい関係の上での楽しさ。この空気を醸成しているのは無論ママたちなのだが、彼女たちは自らの求心力のおかげだと誇ることもなく、つまり自らを権力化させることなく、ただ客がつとめて発する快闊な雰囲気に感謝してきた。
カウンターの中も外も、平等ということ。ママも客もギブアンドテイクの関係。
■3人の子どもにそれぞれ家を建てたママもいた
いやあ今度は、ずいぶん「ママたちアゲ」するね、とも言われそうだが、ただ人と人がつながる商売の達人であるとの事実を示しただけなのだ。聖人ではない。神話のように書いてきた人との関係性も、今日も明日も夜の街で力強く生きる人々の所作、一側面でしかない。たとえば別な一側面、所作だって、そりゃ、ありますよ。私も年中感じるママたちの一習性が。それは……。
![フリート横田『横丁の戦後史』(中央公論新社)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/1/d/200/img_1d9e84328af23ac4331142aa491973f2302660.jpg)
会計時の「ん?」。
実によく出会う。盛り場の古い店に一人で出かけても、何人かで行っても毎度キリよい額になることがある。これはまあ小さい「ん?」。それより、ん、んんん? とうなるしかない額をママたちから言われることがある。御厨さんもこの点、同意し、笑う。
「あるよね。ビール2本で(!)この値段……ん? 高くない? ってね。ママにそう言って、1週間くらい行かなかったこともあるよ、そしたら向こうから電話かかってくる(笑)」
呼び出しに応じると、「この前はゴメンね~」なんて言いながら、今度はうってかわってタダで飲ませてくれるママ。「この一手にまたやられちゃう」。実によく分かる体験だ。額は若干相場より載せた程度、ぼったくりなどと騒ぐ額ではないところがまたニクイ。それに嫌なら二度と店に行かなければ済む話。それでもまた足が向く。
「バブルの頃なんか、婆ちゃんたちは稼いだからね。とある横丁のママはね、90過ぎまで小さい店に立って、3人の子どもにそれぞれ家を建ててやったって」
このがむしゃらさにも輝くものがある。我慢と快闊を両立させながら2坪3坪の店で一人、利潤をしっかり追ってきた商売人の女将たち。だからこそ半世紀以上変わらず袖看板を掲げ続けることができ、飴色のカウンターも保存された。
(後略)
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文筆家
路地徘徊家。1979年生まれ。戦後~高度成長期の古老の昔話を求めて盛り場を徘徊。昭和や盛り場にまつわるコラムや連載記事を雑誌やウェブメディアに執筆、TV番組にも出演。著書に『東京ノスタルジック百景』『東京ヤミ市酒場』『昭和トワイライト百景』など。
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(文筆家 フリート 横田)
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