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「社長から現場まで全トヨタが泣いた」川淵キャプテンがもらい泣きしたワンシーン

プレジデントオンライン / 2021年1月1日 9時15分

提供=日本サッカー協会

日本サッカー協会会長などを歴任し、「キャプテン」の愛称がある川淵三郎氏は、トヨタ自動車と深い関わりがある。そんな川淵氏は『トヨタ物語』(日経BP)を読んで、涙が止まらなくなったシーンがあったという。涙のワケをノンフィクション作家の野地秩嘉氏が聞いた――。

※本稿は、野地秩嘉さんのnote「「トヨタの強さ」『トヨタ物語』続編連載にあたって 第6回」の一部を再編集したものです。完全版はこちら。

■大野さんはおっかない人だった

僕はトヨタ生産方式を体系化した大野(耐一)さんに会ったことがあるんだ。古河電工時代、名古屋支店の金属営業部長だったから。

大野さんは名古屋では有名人でした。「かんばん方式の大野」と言えば知らない者はいなかったんです。ですからゴルフ場で会ったら、私は必ず挨拶していました。

名古屋の和合コースの月例会で同じ組になった時のことです。私はバンカーで3つ叩いたのに、それを忘れて「このホールのスコアは7でした」と申告した。すると、不思議そうに僕の顔をじろっとにらむんだ。

あれっと思ってもう一度、数え直して「すみません、8打でした」と後から言ったら「ああそう」……。冷や汗をかいた記憶がある。しゃべらないで、じろっとにらむだけ。それでもおっかない人だった。上背は高いし、迫力のある人だった。

※川淵キャプテンが古河電気工業名古屋支店の金属営業部長をやっていたのは1982年から6年間。45歳から51歳まで。日本電装(現・デンソー)に伸銅品を営業していた。

■サッカーのことなどまるで考えなかった

トヨタの車がどんどん売れていた時代だったから、僕たちがデンソーに納める伸銅品も合わせて伸びていった。伸銅品はラジエーター(放熱装置)、ヒーターに使う材料だったんですよ。当時、部下を集めて「扱い量が千トンを超えたら沖縄旅行に連れていく」とハッパをかけたら、全員が頑張って5年間で目標を達成してしまった。倍々ゲームで売らなきゃ達成できないような目標だったけれど、1年、前倒しで達成したんです。

それくらいトヨタの売り上げは急上昇していた。そのため古河電工は三重県の亀山に、デンソーに納めるための伸銅品の専用工場を建てたくらい。それまで、古河電工のお得意先は電電公社(現・NTT)、もしくは東京電力などの電力会社だった。電線が主な製品だったからね。

デンソーへの納入実績が増えたから、僕はこれは出世するぞと思い、実際、ある程度まで偉くなったけれど、最後は左遷されて、それでサッカー界に戻り、Jリーグにつながるわけだ。

でも、名古屋で働いていた頃はサッカーのことなどまるで考えなかった。デンソーのサッカー部に監督を紹介したりはしたけれど、それよりも仕事だった。僕もよく働いたけれど、トヨタの人、デンソーの人もよく働いていた。よく働き、よくゴルフをした時代でした。

■専用工場ではトヨタ生産方式を取り入れた

あの当時は、かんばん方式と言っていた。トヨタがジャスト・イン・タイムで生産をしていたことも知っていた。先ほど言った伸銅品の専用工場は、トヨタ生産方式を取り入れて、ジャスト・イン・タイムの生産体制にしたくらいですから。

野地さんの『トヨタ物語』を読んであらためて勉強になった。ジャスト・イン・タイムも自働化も言葉としては聞いていたけれど、導入の背後にこれだけの努力と長い時間がかかっていることは知らなかった。あらためて感慨深く読みました。

実は、本を見た時、「こんな分厚い本をいったい誰が読むんだ」と思ったけれど、面白くて、2日間で読んじゃった。野地さんもゴルフばっかりして、遊んでいるのかと思ったら、ちゃんと仕事をしているんだなあと、そちらも感心しました。

デスク
写真=iStock.com/ANGHI
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ANGHI

■ビジネスパーソンが役に立つトヨタの要諦

この本を読んで、ビジネスパーソンは「ここを読めばいい」という点がいくつかある。たとえば将来の予測についてです。

企業のなかには将来の予測にやたらとお金をかけたり、調査に熱中しているところがあります。しかし、この本によれば、複雑な世の中になったら、10年先の予測は当たらない。それよりもリードタイムを短くして、変化に適応できる体質になっておくことが重要だと。確かにそうですよ。

加えて、考える人間になれということ。毎日、研鑽に励まなければ、時代の変化についていけないと言っている。当たり前のことです。しかし、当たり前のことを実行するのは簡単ではない。

どうして、僕がその個所を大切と思ったかと言えば、ドラッカーの言葉を思い出したからなんです。『ドラッカーの講義』という本にあるのだけれど、彼はこう言っている。

「知識は磨かれ、鍛えられ、そして育まれなければならない。それを怠れば衰退あるのみ」

『トヨタ物語』の内容を集約すればドラッカーの言葉に現れている。大学の教授でも長年、同じことばかり教えていれば自分の言葉に白けてしまうでしょう。誰もが知識を磨き、研鑽を続けなくてはならない。

■日本企業はまだまだムダが多い

あの頃、仕事のカイゼンも自分なりにやっていた。この本には「カイゼンには終わりなし」と書いてあるけれど、僕も現状維持は退歩と考える方だから。カイゼンして労働環境をよくしていかないと、生産性は上がりません。僕自身、実感しています。

たとえば、働き方改革だけれど、それは自分の仕事が楽になる方向で考えなきゃならない。電子化、IT化が進んで、仕事は以前よりも楽になっているはずなんです。

しかし、実際はやることばかり増えて、残業が多くなっている。生産性は向上していない。職場をIT化したのであれば、次は自分の仕事からムダを省いていかなくてはいけない。日本の企業の生産性が欧米企業に比べて低いのは、まだまだムダが多いのでしょう。

■「つぶれる」と本気で心配しているのはトヨタぐらい

うん、読後の感想はいろいろある。たとえば紡績、製糸という言葉について。「木綿をより合わせて糸にすることを紡績と言い、絹の糸を作ることは製糸」。僕は初めて知った。紡績と製糸の違いは意外とみんなが知らないことじゃないかな。

そして、トヨタ自動車を作る前の時代を描いてあることも勉強になった。豊田織機、豊田紡織の話が出てくるでしょう。あの時代の日本の繊維産業の実力は世界一だったんだなとわかりました。品質のいい織機を作っていた豊田喜一郎さんが始めた自動車製造だったから、トヨタの車の品質もよくなったのでしょう。

それにしても、トヨタはベンチャー企業だったし、今もまだベンチャーの意識を保っているんじゃないかな。大企業にしては幹部は危機感にあふれている。「うちの会社はつぶれる」と本気で心配しているのはトヨタくらいのものですよ。

■キャプテンも涙したワンシーン

それと、本のラストがいい。リコール問題で(豊田)章男さんがアメリカの公聴会に呼ばれていくでしょう。そして、現地の工場のアメリカ人が章男さんを応援するために公聴会へ行く。

僕はあの場面をテレビで見ていたんです。公聴会の後の販売店、工場の人との集会のシーンもテレビで見ました。あそこで、現場の人たちが泣いたし、章男さんも涙ぐんでいた。ラストにはあの場面が描かれていて、僕も思わず泣いてしまった。いい話だけれど、泣けるから困ってしまう――。

川淵さんが尊敬するドラッカーは次のようなことも言っている。これもまたトヨタ生産方式に通じる言葉だ。

「生産性向上のための最善の方法は、他人に教えさせることである。知識社会において生産性の向上をはかるには組織そのものが学ぶ組織、教える組織にならなければならない」(noteマガジン『トヨタ物語 ウーブン・シティへの道』に続く)

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。noteで「トヨタ物語―ウーブンシティへの道」を連載中(11月まで無料)

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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