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「猛批判にもまったく動じない」コロナ分科会・尾身会長の激動の半生

プレジデントオンライン / 2020年12月30日 9時15分

撮影=森本真哉

政府の分科会で新型コロナ対応にあたる尾身茂会長は「信念の男」だ。「GoToトラベル」の一時停止や帰省、忘年会・新年会の自粛など、その呼びかけには批判もあるが、動じるそぶりはまったくない。なぜ信念を貫けるのか。尾身会長の「激動の半生」とは――。

※本稿は、プレジデントファミリー編集部『医学部進学大百科2021完全保存版』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■WHOの西太平洋地域トップを10年務める

2019年末から世界中で猛威を振るい、社会を大きく変えた新型コロナウイルス。世界が道なき道を進む中、日本国内でコロナ対策の旗手となったのが尾身茂氏だ。

新型コロナウイルス感染症対策分科会長として、年末年始の「GoToキャンペーンの一時停止」を政府に提言。国民に向けて感染リスクが高まる「5つの場面」への注意喚起、忘年会・新年会、帰省への自粛を呼びかけるなど、感染拡大防止に重要な役割を果たしている。

尾身氏はWHO(世界保健機関)で20年間、感染症の制圧に力を尽くし、1999年からの10年間は、西太平洋地域のトップとして、感染症と闘ってきたエキスパートだ。

「私の専門は、公衆衛生という分野です。個人と向き合う臨床とは違い、社会全体の健康を考え、政策提言などをするのが仕事で、感染症の予防から、公害対策、食品衛生や環境汚染まで扱っています」

■予防接種のために停戦協定を結ばせる

WHOではポリオによる小児まひの根絶やSARS(重症急性呼吸器症候群)の感染抑制、新型インフルエンザ対策などにも力を注いできた。

「公衆衛生の仕事では、国際機関や各国政府、企業、地方自治体、現場の医療機関、ウイルスの発生源と思われる家畜を飼う農家まで、さまざまな関係者とコミュニケーションを取ることが重要です。感染予防のために人や物の流れを止めるとなれば、経済や人々の日常生活に与える影響も極めて大きくなります。医学的な根拠やデータだけでなく、政治や経済も含めた幅広い知見を持って、提言しなければいけません」

関係者との連絡、調整、交渉役といった、どちらかといえば役人やビジネスマンのような仕事にも近いという。

「例えばポリオの根絶にあたっては、30億円のワクチン購入費を捻出するため、“営業マン”として、ありとあらゆる組織に頭を下げて回ったり、複数の国の間を行き来してお互いの主張をすり合わせたりしました」

内戦中の国や政情が不安定な国に対しては、予防接種のために停戦協定を結ばせたこともある。

「フィリピンでは、当時ミンダナオ島で内戦が勃発しており、ワクチン接種どころではありませんでした。しかし、ラモス大統領(当時)に依頼し、予防接種のために紛争当事者同士の間で『停戦協定』を結んでもらったのです。同様のことが、クメール・ルージュと紛争中のカンボジアでもありました」

■学校閉鎖を決意させた一枚のスライド

WHOを退任し、帰国してわずか3カ月後の2009年には、メキシコで豚由来の新型インフルエンザが発生した。

尾身氏は、当時の麻生首相から専門家諮問委員会の委員長に任命された。

「日本で流行し始めたのは大阪府と兵庫県で、当時の橋下徹知事と井戸敏三知事は直ちに学校閉鎖に踏み切りました。実はこの素早い判断は、私が以前、お二人に見せた1枚のスライドがきっかけでした。それは20世紀初頭、スペイン風邪が流行した際の、アメリカの二つの街の死亡率を比較したグラフでした。死亡者数を減らすには、感染の初期の段階でなるべく早く学校閉鎖などをすることが望ましいと伝えておいたのです」

【図表】1918年のスペインインフルエンザにおけるフィラデルフィアとセントルイス(米国)の死亡率比較
提供=尾身茂氏

このアドバイスが功を奏したのか、結果として日本での死亡率は世界の10分の1と桁違いに少なく抑えられたそうだ。

「公衆衛生学の知見を活かし、学校を閉めたり、人の往来を減らしたりといった判断で多くの命が救えます。とてもやりがいのある仕事ですね」

■学園紛争で外交官の夢をふさがれた

幅広い知見を持つ尾身氏の背景には、悩める青春時代があったそうだ。

「高校時代に1年間のアメリカ留学に行きました。当時はケネディ大統領のころで、アメリカの生活水準には驚くばかりでした。帰国して外交官に憧れ、東大法学部を目指したものの、学園紛争で東大の入試が中止になり、進学した慶應大も入学早々ストライキに入りました。社会全体が、“外交官か商社マンになりたい”などと言おうものなら、“人民の敵”と言われそうな雰囲気でした。目の前の道がふさがれたようで、心がポキポキッと折れてしまい、自分が何をしたいのかわからなくなりました」

■猛勉強の末、学費無料の自治医科大学へ

大学の授業がなくなり、時間を持て余していた尾身青年は、渋谷の本屋に立ち寄って、哲学、宗教、人生論、さまざまな本を乱読していたという。

『プレジデントFamily医学部進学大百科2021完全保存版』
『プレジデントFamily医学部進学大百科2021完全保存版』

「当時、幅広いジャンルの本を読めたことが、自分の中で大きな糧になっていると思います」

そんな中、偶然目に入ったのが、『わが歩みし精神医学の道』という本だった。内村鑑三の息子である内村祐之(ゆうし)が、精神科医として歩んだ人生論をつづった一冊だ。

「それが医学の道との初めての出合いでした。こんなにも人間味があふれ、人に喜んでもらえる仕事があるのかと。悩める心にビビッときたんです」

父親の反対を押し切って慶應大を退学して猛勉強。これ以上親には迷惑をかけたくないと、学費が無料の自治医科大に1期生で入学した。その後、医師としての進路に悩んでいた時に、ユニセフで働く高校のアメリカ留学時代の友人に「WHOで働いたら?」と言われたのがきっかけで、現在の道に進むことになったという。

紆余曲折はあったが、尾身氏の業績は、外交官と医師を掛け合わせたようなもの。今振り返れば、天職に行き着いたといえそうだ。

「『得手に帆を揚げる』ということわざの通り、自分の好きなこと、得意なことなら辛くても耐えられる。ただし、人生の入り口に立つ君たちに、“得手”とはそう簡単には正体を現してくれません。いま進むべき道に迷っている人がいたら、思う存分迷ってほしい。その間に自分自身に正直に向き合っていれば、いずれ“得手”を見つけられるはずです」

尾身氏が医師を志すきっかけになった本
撮影=森本真哉
尾身氏が医師を志すきっかけになった本。渋谷の書店で購入し、今でも執務室の書棚に大事に置いている。 - 撮影=森本真哉

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加藤 紀子(かとう・のりこ)
フリーランスライター
京都市出身。東京大学経済学部卒業後、国際電信電話(現KDDI)に入社。法人営業、サービス企画等に携わった後、2007年に夫の留学を機に家族で渡米。帰国後、フリーランスライターとして、富士フイルム代表取締役会長CEOの古森重隆氏、聖路加国際病院名誉院長の故・日野原重明氏、政策研究大学院大学前学長の白石隆氏、灘・開成・麻布・武蔵・渋谷教育学園・豊島岡女子学園・女子学院各校の校長など、ビジネス、政治、アカデミア・教育のトップリーダーのインタビューを数多く手掛ける。一男一女の子育て経験を活かしつつ、現在は教育分野を中心に“プレジデントFamily”“Resemom(リセマム)”“ダイヤモンドオンライン”“NewsPicks”など様々なメディアで執筆活動を続けている。2020年6月発売の『子育てベスト100』(ダイヤモンド社)は、15万部のベストセラーとなる。

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(フリーランスライター 加藤 紀子)

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