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『鬼滅の刃』で最も重要なキャラは、炭治郎の師匠・鱗滝左近次である

プレジデントオンライン / 2021年1月8日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/koyu

なぜ『鬼滅の刃』は大ヒットしたのか。精神科医の樺沢紫苑氏は「この父性渇望の時代に現れた、超骨太な父性漫画だったからではないか。その象徴が、竈門(かまど)炭治郎(たんじろう)の師匠・鱗滝(うろこだき)左近次(さこんじ)という人物だ」という――。(前編/全2回)

※本稿は、樺沢紫苑『父滅の刃 消えた父親はどこへ』(みらいパブリッシング)の一部を再編集したものです。

■なぜここまでの大人気作品となったのか

漫画、アニメ界における近年最大のトピックは、『鬼滅の刃』の大ブームです。これに異論がある人はいないでしょう。まさか、『ONEPIECE(ワンピース)』を抜く漫画が現れるとは……。

単発のコミック売り上げ部数で『ONEPIECE』を抜き、2020年2月10日付のオリコン週間コミックランキングでは、1位から10位までを完全独占するという史上初の快挙! さらに、11月30日発表の年間コミックランキングでは、調査時点での既刊22巻が1位から22位を独占しました(最終23巻は12月4日発売)。

また、第20巻では初版280万部という、これまた記録的初版部数を達成。ビジネス書で100万部を超える本すら滅多に出ない中、『鬼滅の刃』は国民的人気と言っても過言ではないでしょう。

なぜ、『鬼滅の刃』は、ここまでの大人気作品となったのか? キャラが魅力的、アニメの出来が良かった、背景の大正ロマンが若者に新鮮だった、など様々な分析があります。どれも「後付け」というか、キャラが魅力的でアニメの質が高くても、ここまで大ヒットする作品は生まれていないので、何の説明にもなっていません。しかし『鬼滅の刃』を「父性」という切り口で見ると、この作品の本当の魅力と、なぜここまで多くのファンの心を掴むのか、その理由は明確になります。

『鬼滅の刃』は、2019年4月から放送されたアニメ版から大ブレイクしました。私は友人の勧めもあって、まずは漫画を読んでからアニメ版を見ました。漫画を読んだ直後に思いました。「この父性渇望の時代に、超骨太な父性漫画が現れたものだ」

■仲間と協力する『ONEPIECE』、自力で突破する『鬼滅の刃』

『鬼滅の刃』と『ONEPIECE』。『少年ジャンプ』から生まれた、この二大漫画を比較することで、『鬼滅の刃』の特徴と魅力が浮かび上がります。

父性不在の時代において、『ONEPIECE』では「仲間」という答えを提案しています。
『父滅の刃 消えた父親はどこへ』の「第6章」で解説したように、カリスマ的リーダーや権威的なリーダー、古い時代の「強い父性」的なリーダーはもはや時代遅れである。リーダーシップではなく、「仲間」同士が信頼し、協力、連携、共闘して、強大な敵を倒し、大きな困難を乗り越えていける! これが、『ONEPIECE』の特徴です。

では、『鬼滅の刃』はどのような作品なのか? 父性不在の時代において、やはり父性というものは重要ではないのか。誰も頼りにならなければ、自分が「父親」になるしかない。自らの父性と強さに磨きをかけて、仲間を牽引し、自分の力で壁を乗り越えて行くしかない! それが、『鬼滅の刃』です。

■「自分でなんとかしろ!」という父性的厳しさ

『鬼滅の刃』のストーリー展開の特徴として、「分断」があります。

鼓屋敷での戦い。那田蜘蛛山での戦い。無限城での決戦。仲間と一緒に乗り込むものの、分断されてしまい、結局、一人ひとりが強大な鬼と対峙することになるのです。無限列車の戦いも、仲間はそばにいながらも眠らされてしまったため、最初は炭治郎がたった一人で戦うしかありませんでした。

強い鬼との戦いで、瀕死の重傷となり、もうダメ。そんな最後の最後に、仲間や柱が駆けつけて助けてくれる。協力して鬼を倒すという展開になりますが、戦いのほとんどは「1対1」の孤独なもの。自分で鬼の弱点を見抜き、自分で突破していくしかないのです。

自らが主体的に行動し、自分が強くなり、自己の責任において、自分で突破するしかない! そうでなければ、死ぬだけ。非常に厳しい、ストーリーです。その厳しさが「父性」なのです。「仲間と協力しよう!」という『ONEPIECE』。「自分でなんとかしろ!」という『鬼滅の刃』。全く対照的な二作品と言えます。

■炭治郎を動かす原動力となった「長男意識」

主人公の竈門炭治郎。真面目で頑固、一本筋が通っている。それで妹や仲間を命がけで守る心優しさもある。非常に魅力的なキャラクターではありますが、言い換えると「たぐい稀な父性キャラ」と言えるのです。

6人兄弟の長男。父の炭十郎は「炭焼き」をしていましたが、病弱のため亡くなりました。父亡きあと、炭治郎は一家の大黒柱として、炭を売って、一家を支えていました。兄弟たちの面倒をみる「長男」であり、実質的に「父親」(家長)の役割を担っていました。

そして、彼は長男としての責任感を背負い、その責任感が彼を動かす原動力になっていました。「俺は長男だから我慢できたけど、次男だったら我慢できなかった」他にも「長男だから」という言葉が、何度も登場します。

長男(家長)としてのプレッシャー、責任感。それは家族を支える責任であり、自らの「父性」を奮い立たせる言葉と言えます。

■父性的な面と母性的な面の共存

炭治郎は極めて父性的なキャラクターです。では、炭治郎に母性的な部分がないのかというと、そうでもないのです。

例えば、炭治郎は自分の敵である鬼に対して、時に共感したり、止めをさすのを躊躇するシーンが何度か出てきます。鬼といっても元々は人間なわけで、その人間時代の不遇なエピソードには共感すべき点があるのです。

「裁く」「断ち切る」は父性。「赦す」「受け入れる」のが母性。炭治郎は最終的に鬼を斬るものの、鬼の人間的な部分に共感し、受け入れ、そして赦すのです。つまり、「父性」と「母性」の共存。鬼を斬るという父性的な役割、鬼に残された人間的な部分に共感し受け入れ赦す。あるいは、鬼から市民を守る、鬼に人を絶対に殺させないという「護る」という母性的な役割を同時に背負いながら戦う場面が随所に出てきます。

炭治郎は、「強さ」と「優しさ」の両方を備えた、つまり「父性」と「母性」のバランスが非常によくとれたキャラクター。それが、私たちが炭治郎に魅了される心理学的理由です。

そして、『鬼滅の刃』では、全編にわたって「父性と母性のバランス」というテーマが、何度も何度も繰り返されます。

■強烈な父性キャラ、鱗滝左近次

『鬼滅の刃』で、炭治郎以外に父性的なキャラクターを挙げろと言われたら、迷わず挙げたいのが「育手(そだて)」鱗滝左近次でしょう。

鬼殺隊・水柱、富岡(とみおか)義勇(ぎゆう)の導きで鱗滝の元を訪れた炭治郎。炭治郎は鬼と戦い、鬼は斧で木に磔(はりつけ)にされます。鬼を殺せず「どうしたら、止(とど)めをさせますか?」と迷う炭治郎に、鱗滝は「人に聞くな。自分の頭で考えられないのか」と突き放すような一言を放ちます。

崖の上で風化した巨石
写真=iStock.com/Crazylegs14
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Crazylegs14

鬼殺隊に入るための選別試験を受けられるよう、鱗滝の指導で修行を始める炭治郎。

鱗滝は、山の上まで炭治郎を連れて行き、こう言います。「ここから、山の麓の家まで下りてくること。こんどは、夜明けまで待たない」。「えっ、それだけ?」と炭治郎は思いますが、すでに鱗滝の姿は、そこにはありません。

そして、狭霧(さぎり)山に来て1年後、鱗滝は突然言葉をかけます。「もう教えることはない」。炭治郎の身体よりもはるかに大きい岩をさして、「この岩を斬れたら“最終選別”に行くのを許可する」と言います。

「鱗滝さんは、それから、何も、教えてくれなくなった」。炭治郎は、その後、1年以上も、完全に放置され、自力で修行を続けるしかありませんでした。

■重要なシーンで見せた意外な一面

鱗滝は手取り足取り教えない。「自分で考える」「自分で切り抜ける」と徹底的に突き放した、父性的な指導を行います。これぞ、父性! 父性的な指導の究極系と言ってもいいでしょう。必要なことは、全部教えた。あとは自分で考えろ。人に頼るな。その厳しさが、人を育てる。それは、ものすごく冷徹で冷たいようにも思えますが、そうではないのです。

のべ2年をかけて、ついに岩を真っ二つに斬った炭治郎に鱗滝は言います。

「よく頑張った。炭治郎、お前は凄い子だ……」

一切の手出しをすることなく、炭治郎を見守り続けた鱗滝の父性愛を感じるのです。手取り足取り、丁寧に教えるだけが教育や指導ではないのです。自分で考え、自分で限界を突破する力は、こうした厳しい指導からしか育たない。

このシーンですが、「圧倒的な厳しさ」を持つ鱗滝としては、かなり意外な一面を見せます。炭治郎を抱き寄せ、頭をなでなでするのです。

「お前を最終選別に行かせるつもりはなかった。もう、子供が死ぬのを見たくなかった」。「断ち切る」「手放す」「社会に出す」は父性、「抱え込む」「包み込む」「家に留(とど)める」は母性。「手放したくなかった」という鱗滝のこの言葉は、非常に母性的です。

■鱗滝の「母性」を描くアニメ版独自の演出

そして、アニメ版には原作にないシーンが入ります。岩を斬り、全ての修行を終えた炭治郎を、鱗滝は手作りの料理で労うのです。鮎の塩焼きとキノコ汁がとてもおいしそうです。料理を作り、それを労うという、原作にあった鱗滝の母性的な優しさをさらに強化する描写。

これによって、「極めて厳しい修行をさせる男」(父性)だけではなく、「影から温かく見守る優しさ」(母性)を持った「育手」であることを表します。鱗滝が父性と母性、「厳しさ」と「優しさ」の両方を持つ、魅力的な人間として私たちに迫ってくるのです。そして同時に、人を育てるためには「父性」と「母性」の両方が必要なのだということを伝えています。

■苦悩する炭治郎を救った一人の少年

炭治郎が岩を斬れたのは、自分一人の力ではありませんでした。毎日、厳しい修行を続けるものの、半年たっても岩を斬れずに苦悩する炭治郎の前に、ある日、一人の少年「錆兎(さびと)」が現れます。

樺沢紫苑『父滅の刃 消えた父親はどこへ』(みらいパブリッシング)
樺沢紫苑『父滅の刃 消えた父親はどこへ』(みらいパブリッシング)

錆兎は真剣の炭治郎に木刀で襲いかかり、言います。「鈍い。弱い。未熟。そんなものは男ではない」と。

木刀で、炭治郎をボコボコにする錆兎。「男なら、男に生まれたなら、進む以外の道などない!」

打ちのめされる炭治郎の前に、笑顔が可愛らしい少女「真菰(まこも)」が現れます。彼女は、炭治郎に寄り添い、悪いところや無駄な動き、癖を細かく指摘してくれました。そして、強くなるために絶対に必要な「全集中の呼吸」のコツを炭治郎に詳しく教えるのです。

半年間、錆兎にボコボコにされながら、それでも勝てない炭治郎。ある日、いつも木刀だった錆兎が真剣を持って現れます。炭治郎と錆兎の真剣勝負。一瞬で勝負はつき、炭治郎の刀は錆兎の面を斬りました。しかし実際は、巨大な岩を斬っていた……のです。

父性的な厳しい指導の「錆兎」、母性的な優しい指導の「真菰」。この父性と母性のバランスのとれた指導によって、炭治郎は大きく成長し、最初は不可能と思われた「岩を斬る」ことを現実にしたのでした。

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樺沢 紫苑(かばさわ・しおん)
精神科医
作家。米・イリノイ大学への留学を経て樺沢心理学研究所を設立。YouTubeやメルマガで精神医学の情報を発信。著書に『学びを結果に変えるアウトプット大全』『精神科医が教える ストレスフリー超大全』ほか。

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(精神科医 樺沢 紫苑)

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