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M-1を観て「これは漫才じゃない」という人たちが知らない漫才100年の歴史

プレジデントオンライン / 2020年12月30日 11時15分

『M-1グランプリ』公式HPより

12月20日、漫才日本一を決定する『M-1グランプリ』が放送された。その内容をめぐって、「今年はつまらなかった」「これは漫才じゃない」といった指摘が相次いだ。漫才史研究者の神保喜利彦氏は「『昔の漫才は話術だけで勝負していた』というのは短絡的な歴史解釈だ。そんな解釈をなされたら、過去100年近くの漫才のほとんどを否定せねばならなくなる」という――。

■好き嫌いと「理想の漫才像」を混同していないか

12月20日に放送された『M-1グランプリ2020』(ABC・テレビ朝日系)について、優勝したマヂカルラブリーをはじめ、ファイナリストたちの漫才スタイルが賛否両論の議論を巻き起こしているという。

賞レースに賛否両論はつきもので、仕方のないことである。しかし、その中で「これはコントではないか」「漫才ではない」「本格派ではない」という否定的な主張はひどく気になった。この手の意見や主張を見るたびに、私は「“本格”の漫才というものは存在するのだろうか」と考えてしまうのである。

言い換えると、当のコンビの芸の好き嫌いを自分の中の「漫才像」に当てはめて曲解してはいないか、ということだ。

観る人と芸人との相性は十人十色で好き嫌いがあってしかりであり、感性の問題である。好き嫌いで判断するのは別に悪いことではない。

しかし、「漫才ではない」「これはコント」という批判は感性の問題では片付けられないだろう。どこまでがコントでどこからが漫才なのかという明確な基準がはっきりしないままやみくもに批判され、「本格」の説明もないままに本格論が展開される。一種の「こうでなければいけない漫才像」めいたものが人の中にあることを感じさせる。

■「本格派漫才」で挙がる先駆者は本当に「本格派」か

漫才とは本来そんな堅苦しいものなのだろうか。こうした批判を見るたびに、そのような考えが頭をよぎる。

漫才は自由だからこそ、何をしても許されるだけの度量があったからこそ、ここまで発展してきたのではないのか。『M-1グランプリ』の審査員を務めたサンドウィッチマン富澤たけしの言葉を借りるでもないが、自由と進化が許されるからこそ、漫才たるゆえんではないのか。最大の長所を否定するようになったら、それこそ「漫才」は真の価値や面白さを失いかねないだろう。

最近の漫才師に向けられる「本格派の漫才ではない」という批判について考えてみたい。そうした言葉を使う場合に「本格派」の例として挙げられるのは、古くはエンタツ・アチャコ、中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、横山やすし・西川きよし、近年ではオール阪神・巨人、中川家、サンドウィッチマン、ナイツなどといったメンツである。当然、ほかにも多数いるがここでは省略する。

しかし、このメンツがはたして「本格派」かというと疑問を呈さざるを得ない。今も活躍している人はさておき、すでに鬼籍に入っている人に関しては幻想を抱きすぎではないだろうか。

■エンタツ・アチャコも舞台で大暴れしていた

エンタツ・アチャコは一般的に「しゃべくり漫才の元祖」と言われることが多い。活動時期が戦前ゆえに古すぎてもはや簡単に比較対象できる存在ではないが、当時の資料によれば喜劇的な動きや表情の多い漫才だったそうで、決して話術だけで勝負していたわけではなかった。ましてや、アチャコはデビュー当時、その頃の相方・浮世亭夢丸の映画説明風の台詞にあわせて、飛んだり跳ねたりと当てぶりをする漫才をやっていた。エンタツも青竹や長靴で相方(菅原家千代丸)をぶん殴り蹴倒す暴力漫才を得意としていたという。

今年のファイナリスト錦鯉がテレビや動画に出るたびに、「暴力漫才だ」「殴りすぎ」と批判されているのを見かけるが、「しゃべくり漫才の元祖」と称されるコンビでさえも、その鉱脈を発見するまで、マヂカルラブリーや錦鯉よりもよほど強烈で問題になりそうな漫才を演じていたのである。最初からあんな整然とした知的な漫才を演じていたわけでは、ない。

■名人たちの晩年のスタイルが全てだと思っていないか

ダイマル・ラケットは「爆笑王」と称されるが、今残されている映像などを見るとそのリアクションの大きさに驚かされる。若い頃は舞台でパンツ一丁になってボクシングのまねごとをするコント風の漫才を演じて観客を驚かせたことも影響しているのだろうか、このコンビもまた決して整然と漫才を演じるタイプではないのだ。

確かに二人のギャグや話術が優れているのは言うまでもない。ただリアクションも起爆剤になっていたのは事実である。ダイマル・ラケットの漫才は正に見るにも聞くにも最適だったといえようか。

いとしこいしもまたしかりである。「上方漫才の至宝」のような扱いを受けている二人であるが、あの話術一本に行き着くまで、すさまじい変容を繰り返している。若い頃は「漫才学校」をはじめとするコメディに出演したり、ネクタイや衣装を舞台上で切り刻んでいく漫才をやったりと、前衛的なことに挑戦し続けていたのである。

1998年10月29日、夢路いとし・喜味こいし 漫才師、勲四等旭日小綬章受章者
写真=読売新聞/アフロ
1998年10月29日、夢路いとし・喜味こいし 漫才師、勲四等旭日小綬章受章者 - 写真=読売新聞/アフロ

それが身体の老化と、長年培ってきた話術や間(ま)への自信があの品のある漫才へと至ったわけで、若い頃からあのような芸ではなかったのだ。逆に言えば、若い頃の彼らが晩年と同じことをしようとしていてもまず無理だっただろう。つまり、あの飄然とした晩年の姿だけが彼らの漫才ではないのである。

■ベテランは人気や実力を得たから今の舞台がある

漫才は変容を続けることで、そのコンビにあった形に成っていく。それは今日の阪神巨人やサンドウィッチマンやナイツにも言えることだろう。

今日第一線で活躍する漫才師に「昨今のM-1優勝者と同年代の時に、今と同じ漫才を完成させていたか」とたずねれば、十中八九は「否」と答えるであろう。人気や実力や地位を得たからこそ今の舞台を演じられるわけであって、そこに至るまでは相当の試行錯誤や芸風の模索を繰り返しているはずである。

そういう成功者の姿を、これからの成功者候補にあてはめようとするのはあまりにも傲慢ではないだろうか。そう考えると、批判者の放つ「本格的な漫才」の正体は、「先人の最終的なスタイル」「成功者のスタイル」というものではないか、と思うのである。

現状で評価がない・少ない若手中堅にとっては、相当な猛者でもない限り、そのスタイルをすんなり受け入れてもらうなどまず無理な話である。

身も蓋もない話であるが、そもそも『M-1グランプリ』は若手中堅漫才師を集めたテレビ向けの大会である。当然、審査内容も制限時間もテレビ局はじめ主催者の意向が重んじられる。いくら本格派がいたとしても、面白くなかったりタイムオーバーしたりすれば、予選落ちをする。

これは芸人のせいでもなく、観客のせいでもない。コンクールという構造上での脱落である。それが嫌なら、はなから「グランプリ」そのものを否定しなければならないだろう。

■音曲漫才、剣戟漫才、兵隊漫才…実在した多様な漫才

そして漫才師自身の変化・進化のほかにもうひとつ、漫才自体の変容もある。今年の『M-1グランプリ』に対して「昔の漫才はあんなドタバタしていなかった」「昔の漫才は話術だけで勝負していた」という意見や批判も見かけたが、これもまた短絡的な歴史解釈である。悪く言えば、『M-1グランプリ』だけの歴史でしか解釈できていないのだろう、と感じるほどである。そんな解釈をなされたら、過去100年近くの漫才のほとんどを否定せねばならなくなる。

古い漫才の広告や当時の記録を調査すると、昨今の『M-1グランプリ』が実に穏健に見えるほど好き勝手なことをやっているのだ。

楽器を演奏する「音曲漫才」を筆頭に、舞台の上で皿や傘を回す「曲芸漫才」、舞台でチャンバラのマネごとをする「剣戟漫才」、相手を殴り倒す「暴力漫才」「ドツキ漫才」、軍服を着て兵隊生活を茶化す「兵隊漫才」……中には「煙管漫才」「タヌキ漫才」「ゴリラ漫才」「相撲漫才」なんていうものも実在した。

■暴れようが小道具を使おうが「漫才」なら「漫才」

しかも、これらのジャンルはほんの一握りで、挙げようと思えば一冊の本にまとめられるほど、漫才の芸は多岐にわたる。

むろん、その中にしゃべくり漫才も含まれるが、全員が全員マイクの前で整然としゃべっているわけではなかった。しゃべくりのスタイルを踏襲しながら、内実は浪曲漫才、芝居漫才だったという名コンビはいくらでもあった。ちなみに、音曲漫才や珍芸漫才と称しながら、しゃべりに主眼を置いていたコンビも存在するので、ややこしい。

今日ならば「曲芸」「コント」と批判されそうであるが、その昔はいくら舞台で暴れようが、小道具を使おうが「漫才」という矜持があれば、内外共に漫才だという認識を得ていたのだろうということが読み取れる。そもそも「漫才」はもともと「万才」と書いたように、「万(よろず)の才能」と目された部分もあるのだろう。

■「なんでもあり」だからこそ芸として地位を高めた

裏を返せば、漫才には絶対的な定義や解釈を定めることができないということになるだろうか。身勝手といえばそれまでかもしれないが、しかしその身勝手さゆえに漫才は救われてきた部分が存在する。

現に芸能界の中で、老若男女問わず、これだけ漫才師がいるのも、「漫才はなんでもあり」という解釈が成り立つからであって、もし「こうでなければ漫才として成立しない」という制約があった場合、ここまでの隆盛や進化を遂げることはできなかっただろう。

「自由」「なんでもあり」の精神があったからこそ、漫才という芸がここまでの地位に上り詰めることができたといっても過言ではない。

定義づけをしようと思えば、いくらでもできるかもしれない。しかし、それは漫才にとって幸せなことなのだろうか。歴史を顧みることなく、都合のいい部分だけ抜き出して、「これが漫才としての正しい形」「本格派」などと定義づけしてみるのは、過去の漫才師の活躍を否定し、かかわってきた者たちの努力を否定しかねないことではないのだろうか。

■常に変容と進化を許してくれる「漫才」

芸の好き嫌いはあって当然であるし、「これはおもしろいのか」と疑問に思うのは悪いことではない。しかし、好き嫌いと、漫才のスタイルの多様性への批判を混同してはいけない。

今、目の前で漫才を披露する漫才師が、10年後も同じ姿・スタイルでいるかどうかなど保証は一つもないし、大御所としてコメントをする漫才師やこれからの漫才師たちにも同じことが言える。

今の舞台が、彼らのすべてではない。一見同じような形でも、その裏では絶え間ない努力や模索が行われており、日々変容と進化を遂げているのである。そして、そういった変容と進化を許してくれるのが「漫才」という芸なのではないだろうか。

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神保 喜利彦(じんぼ・きりひこ)
漫才史研究者
10年近くにわたって東京漫才の調査を行う。ブログ『東京漫才のすべて』管理人。著書に『東京漫才調査報告及資料控』(私家版、NDL蔵)がある。

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(漫才史研究者 神保 喜利彦)

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