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朝日新聞が何かにつけて政府の批判ばかりを繰り返す本当の理由

プレジデントオンライン / 2021年1月17日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/artisteer

どんなものも「バイアス」から無縁ではない。社会学者の橋爪大三郎氏は「たとえば朝日新聞は、戦前は、戦争行け行けドンドンの新聞だった。戦後、これを深く反省して、その結果、何かにつけ政府に噛み付くようになった。これもバイアスだ」という――。

※本稿は、橋爪大三郎『人間にとって教養とはなにか』(SB新書)の一部を再編集したものです。

■教養は「ルーティン以外の仕事」の道しるべ

たとえば、多くのひとは会社勤めをしている。

会社では日々、さまざまなことが行なわれている。ルーティンワークも多い。けれど問題は、ルーティン(決まったパターン)でない仕事をどうするか。

どうしたら売り上げが伸びるか、取引先とうまく付き合えるか、競合他社に勝てるか、社内のマネジメントがうまくいくか、……などなど、ルーティンに収まらない問題に、日々直面しているはずです。

こうした問題には絶対的な正解がない。正解がないから、学校で教わったことだけでは解決できない。まさに教養の出番ですね。

さて、ここでひとつ問題が生じる。

それは、教養には、明確な「因果関係」が存在しないということです。

教養とは、決まった目的があって、身につけるものではない、と言ってもいい。

■「パワポの本」と違って因果関係がない

たとえば、パワーポイントで資料を作成する技術を身につけたいなら、そのことが書いてある本を読めばいい。「パワーポイントで資料を作れるようになる」という目的で、そのやり方が書いてある本を読む。やり方がわかるので(因)、できるようになる(果)。因果関係が明確ですね。

ところが教養には、こうした明確な目的(因果関係)がない。売り上げを伸ばすのに役立つ教養、取引先とうまく付き合うのに役立つ教養、競合他社に勝つのに役立つ教養、社内のマネジメントをうまくするのに役立つ教養、なんてものは存在しないんです。

いや、本当は存在するんだけど、パワーポイントの実用書ほど、身につけたら(因)、できる(果)、という因果関係が明確でないのです。問題が解決したら、何と何が役に立った、と因果関係がはっきりする。でもそれは、あとからわかるので、問題が解決するまでは、何が役に立つかわからない。暗中模索です。

じゃあ、どうしたらいい?

明確な目的意識など持たずに、広く教養に触れるしかありません。

教養という森は広大です。何しろ教養とは「今まで人間が考えてきたことのすべて」なんですから。

したがって、何か問題が起こってからあわてて教養を身につけようとしても手遅れ。

いつ役に立つのかわからないものを、いつか役立つ日のために、日頃から少しずつ蓄積していくのです。

■いつもぼんやり目立たなかった大石内蔵助

ここでひとつ、例をあげましょう。

神社
写真=iStock.com/MasaoTaira
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MasaoTaira

江戸の中期、元禄時代に、大石内蔵助(くらのすけ)という人がいた。

大石は赤穂(あこう)藩という藩の家老だったんだけど、あだ名は「昼行灯(ひるあんどん)」。行灯は夜に灯すもので、昼間に灯してもしょうがない。いつもぼんやり目立たず、何のためにいるのかわからないような人物、という評判だった。不名誉なあだ名で呼ばれていたのです。

そこに事件が起こる。

藩主・浅野内匠頭(たくみのかみ)が江戸城内で刀を抜き、上役の吉良(きら)上野介(こうずけのすけ)に斬りつける、という刃傷沙汰(にんじょうざた)を起こした。この件で藩主は切腹。さらには、お家取り潰しとなってしまった。これは、会社の経営者が急に更迭されて、倒産するようなもので、解雇される藩士(社員)たちにとっても一大事です。

しかも、その刃傷沙汰の相手である吉良にはいっさいお咎めなしだった。

浅野が一方的に吉良を斬りつけたのは、もちろん悪い。しかし、江戸城内で刀を抜くなどという暴挙に出たのには、それ相応の理由があったはず。「喧嘩両成敗」の考え方にも反するということで、大石以下赤穂藩士の人びとは、憤慨した。

ここから大石内蔵助の活躍が始まる。

「藩主の恨み、晴らさでおくべきか」と憤る藩士らをまとめあげ、自分を先頭に、四七人で吉良上野介の屋敷に討ち入り、その首を討ち取ってしまう。その後、幕府の処分で、全員が切腹を命じられた。

この事件は大評判になり、歌舞伎でも上演された。「忠臣蔵」といえば、お正月の映画やスペシャルドラマの定番でした。

■「有事」に役立つのが、教養という問題解決能力

冷静に見れば、物騒な「暗殺事件」と言えなくもないのですが、ここで言いたいのは、大石内蔵助のリーダーシップです。

もしも、藩主の切腹、お家取り潰しという事件が起こらなかったら、きっと大石は目立たない「昼行灯」のまま、人生を終えていただろう。それが、お家の一大事となったとたん、リーダーとしての抜群の能力を発揮した。周囲のひとにはみえなかった潜在的な能力が、緊急事態で、一気に開花したのです。

江戸時代は天下泰平、平和な時代でした。武器をとって戦うのが本業のはずの武士が、事務方に回り、のんびりサラリーマンのような生活を送っていた。

これは私の推測だけれども、きっと大石はのんびり日常の業務をこなしながらも、いったん事あれば自分がリーダーとしてどう行動するかの、イメージトレーニング(覚悟)があったのではないか。

この大石内蔵助の例は、教養というものの性質を表していると思うのです。

赤穂には、山鹿素行という優れた学者がいて、儒学を講義していた。大石や藩士たちはそれを受講していた。素行の学問は政治や戦争や、緊急事態の場面でどう行動すべきかのべている。それが彼らの教養の基礎だったと思われる。

「答えのない問題」にぶち当たるのは、いわば「有事」。そのときのために、教養という問題解決能力を、日頃から培っておきたいものです。

■この世に「完全に中立な人」はいない

この世に、「バイアス」がゼロという人はいません。

ニュース
写真=iStock.com/microgen
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/microgen

どんなに公正で中立的な人でも、何かしら偏った見方をするものです。「わかったつもり」というのも一種のバイアスだし、「リベラル」「保守」だってバイアスだ。

「客観的事実」を報道するのが仕事の新聞だって、実際のところ、バイアスから自由ではありません。

たとえば朝日新聞。良心的な紙面づくりで、信頼をえている全国紙です。

その朝日新聞が、戦前は、戦争行け行けドンドンの新聞だった。戦争の旗振り役だった。今からは想像もつきませんけれど。

まあ、朝日だけでなく、当時の新聞はおしなべてそうだった。

戦後、朝日新聞は、これを深く反省した。そこで、つとめて良心的な新聞になったのです。何かにつけ政府に噛み付くのは、それはそれでバイアスではある。

これは責められるべきものではない。各紙に「編集方針」があるでしょう。朝日には朝日の、読売には読売の編集方針。それだってバイアスです。

そこで当然、何が紙面に書かれているかにはずいぶんと違いが出てくる。

■教養で「思い込み」から自由になれる

つまり、新聞に書かれているものは「事実」ではあるが、それをどう報じるか、どう評価するかには、各社それぞれの考え(バイアス)がある。そう思って新聞に接するのが正しい姿勢です。

これが書籍となればなおさらです。

本は基本的に、一人の著者が書いている。ということは、その本は、その著者のバイアスに従って書かれていると思って読むのが正しい。個性的な本に、どんなバイアスがあるかを発見することが、読書の醍醐味のひとつと言ってもいいでしょう。

いろんな本を読むごとに、いろんなバイアスを知っていく。こんなバイアス、あんなバイアス、……。完全にバイアスフリーになることはできないけれども、いろんなバイアスを知れば知るほど、いろんなものの見方ができるようになって、そこから自分なりの考え方がかたちづくられる。

読書はそのためにある、と言ってもいいぐらいです。

■ファッションと教養は似ている

女性のファッションは、毎年流行が移り変わりますね。

橋爪大三郎『人間にとって教養とはなにか』(SB新書)
橋爪大三郎『人間にとって教養とはなにか』(SB新書)

今年の流行色はブルーだとか、ゆったりめのシルエットがトレンドだとか、ファッション誌はそういう話題をどっさり載せています。

そこで、流行のものばかりを身につけるか、自分なりのスタイルにちょっと流行を取り入れるか、どちらのほうがファッション上級者かと言ったら、後者ですね。

自分の好みや自分に似合うものがわかっている人は、流行と自分との間に適度な距離感がある。流行をわかったうえで、流行にふり回されない軸がある。

教養もこれに似ていて、いろんな本を読んでいる人は、著者のバイアスと自分との間に適度な距離感を保ちながら、本を読むことができる。いちいち著者のバイアスにふり回されず「これはいいな」と思った考え方を、自分の考え方に取り入れることができる。

■いろんな本を読むことで、教養上級者になれる

ファッションと同様、言論にも流行り廃りがあります。

流行の理論にまったく触れずに、自分の頭だけで考えるのは難しい。かと言って、流行の議論をたくさん頭に詰め込んだところで、それが何? ということになる。

そこで、自分が本当に大事だと思うことや、考えたいことを考えて「私はこういう考えですが、それがあなたの考え方と違っても当然だし、それでいいんじゃないですか」という頭の使い方ができるかどうか。

これが本当の教養深さと言ってもいいかもしれない。

自分のスタイルに流行を取り入れることがファッション上級者であるように、いろんな本を読むことで教養上級者になれるわけです。

その出発点として、自分が触れる情報にはすべて「バイアス」が含まれている、という前提を意識することが重要です。この本はどういうバイアスに基づいて書かれているのだろうか? 読者はこの姿勢を忘れてはいけません。

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橋爪 大三郎(はしづめ・だいさぶろう)
社会学者
1948年神奈川県生まれ。大学院大学至善館教授。東京工業大学名誉教授。77年東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。『4行でわかる 世界の文明』(角川新書)、『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『皇国日本とアメリカ大権』(筑摩選書)、『中国VSアメリカ』(河出新書)など著書多数。共著に『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書、新書大賞2012を受賞)、『日本人のための軍事学』(角川新書)など。

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(社会学者 橋爪 大三郎)

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