「前に教えたよね」デキる人ほど言ってしまうパワハラ寸前のNGワード

プレジデントオンライン / 2021年1月21日 11時15分

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部下や同僚に、自分はどう見られているのか。劇作家の竹内一郎氏は「余計な一言が人望を失わせているかもしれない。自分の立ち居振る舞いを修正する時は、演出家の視点で自分を客観視することが大切だ。誤解や人間関係のストレスは大幅に減らせる」という――。

※本稿は、竹内一郎『あなたはなぜ誤解されるのか 「私」を演出する技術』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

■職場で使わないほうがいい「嫌われ言葉」

セクハラやパワハラへの意識が高まったことで、あまりに典型的なNGワードを口にする人は減ったと思われる。「死んじまえ」「バカ」「スタイルいいね」等々。

一方で、ハラスメントとされないまでも、口にしないほうがいい言葉がある。私はそれを「嫌われ言葉」と呼んでいる。いかなるものか。どう意識して防げばいいのか。本稿では、この問題を考えてみよう(以下は、竹内一郎著『あなたはなぜ誤解されるのか 「私」を演出する技術』の第3章をもとにしています)。

優秀な人に多いのだが、それを言うと人が離れていくという「嫌われ言葉」が常套(とう)句になっている人がいる。

上司が部下にいう台詞によくあるもの。
「前に教えたよね」
「当たり前のことができてない」
「これで何回目だっけ」

本人はアドバイスをしているつもりになっている。だが、言われた方は、できないから同じミスを繰り返しているのである。時間は掛かるがスキルが上がってくればミスは減ってくる。嫌われ言葉が有効に作用することは少ない。

上司には、それを言っているとき快感が伴う。快感は普通、只(ただ)では手に入れられない。何がしかの代償を払って得るものだ。

上司は部下からの「人望を失う」という代償を払っている。人望を失うのは、それを言った相手からばかりではない。それを聞いている周囲の人全てから、である。

■「忙しい自慢」と「寝ていない自慢」

多くの場合、次に自慢話が続く。功績や手柄の自慢だけなら、まだ、戒めることはできる。自戒しにくいのは、次の二つである。

「忙しい自慢」と「寝ていない自慢」。私にも経験があるから、偉そうには言えないが、本人の意識は「疲れているから休みたい」と言いたいだけなのである。決して自慢している自覚はない。

しかし、聞かされている方は同僚であれば実績を自慢しているとしか思わない。フリーの仲間ならば「いいねえ、そんなに仕事があって。羨ましいよ」となる。自慢話にしか聞こえないのだ。

仕事が立て込んでいても、「忙しい」という言葉を言わなければよい。「貧乏暇なし」と言ったところで、「仕事がたくさんある」の意味に聞こえる人もいる。自分が昨夜寝ていなくても、目の前にいる人には関係のないこと。目がしょぼついていても、誠意を尽くすほかない。呑(の)みながら寝てしまったときは、相手も許す他ないから、許してくれるはずだ。

このあたりのことは、観客、演出家の目で自身や周囲を観察すると修正できる。会社が舞台の演劇や映画を想像してみてほしい。

そこで「前に教えたよね」「寝る暇もなくてさ」と登場人物が第一声で発したらどうか。観客は「この人は口やかましい先輩役だな」「忙しい自慢のうざい男だな」と瞬時に感じるはずだ。

男性の行動に戸惑い、困惑している会社員の女性
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■「ここだけの話」と言ってはいけない

典型的な嫌われワードの一つに「ここだけの話」がある。

「ここだけの話」というのは基本的にスクープである。人が知りたい秘密情報が「ここだけの話」となる。どの程度信憑(ぴょう)性があるかわからないが、皇室の話はかなり漏れ聞こえてくる。恐らく、宮内庁担当の官僚や記者が「ここだけの話」をしているから漏れるのである。

秘密を共有すると、相手との距離感が急速に近くなる。人にできない話を自分だけに聞かせてくれているのだなあ、と思えるから相手を信じやすくなる。

その原理を使って、それほどでもない情報を「ここだけの話」として使い、相手に自分を信頼させるのを、「ワザ」として使っている人も見かける。社内の人事情報をいち早く耳打ちする、というようなことだ。

儲(もう)け話などでも「ここだけの話」がよく出てくる。インサイダー取引の場合もあるし、マルチ商法の場合もある。ここまでくると犯罪に近いが、「ここだけの話」は相手と手っ取り早く仲良くなれるマニュアルなのである。しかし、ある程度知られたマニュアルになった段階で、それは「決め技」にはならないし、相手には「浅薄な奴だ」と見抜かれてしまう。

映画やテレビドラマで「ここだけの話」をする人を思い出してほしい。大抵は、軽い人、信用できない人という風にキャラクター設定されている。『水戸黄門』の「うっかり八兵衛」がまさにそれである。会社の中で「自分はうっかり八兵衛だ」と自覚している人はいない。普通は、自分をもっと格好いい人間だと思っている。しかし、現実の世界でも、この言葉を使うと、そのように見られているということだ。

「ここだけの話」というワードは、極力使わないほうがいい。「そんな風に話すと距離を縮められる」というのは安易なマニュアルレベルの幻想である。イージーで軽薄な言葉だと心得よう。

■注意する際は脳をフル活用しなくてはならない

ここまでを読んで、そんなに気を使っては部下に注意することもできない、と思われた方もいるかと思う。実のところ、他人に注意するのはとても大変な仕事なのである。

注意は、相手を思い、相手の感情を斟酌(しんしゃく)しながら、どういえば受け入れてくれるか、TPOまで考えてするものである。基本的に相手の思考パターン、感情のツボなどを考慮しながら、脳をフルに使って行う。当然、感情のおもむくまま、気の向くままにやっていては、相手の心には届かない。演出の意識が必要になる。

オフィスの女性のグループ
写真=iStock.com/metamorworks
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注意をする時には「序破急(じょはきゅう)」を意識するとよい。序破急は、世阿弥が提唱した能の心得である。

特に大切なことは、「最初はそろそろ」である。序盤は雑談に近い、とりとめのないことを話すことから始める。相手の警戒心を解いて、心に防御壁がなくなりつつある時に、こちらの話を相手が受け入れてくれる流れになればスムーズに進む。

可能なら、相手が自分で気付くような話の進め方をする。話が終われば「急」である。さっと切り上げる。後が長くなると、ついつい自分を褒めてやりたくなる。

「俺だからこういうことも気づいて注意してやれるんだよ」

そんな余計な一言が出てしまう。これがいけない。話が最初に戻って繰り返しに、なんてこともある。

注意するときは余裕が必要なので、喫茶店でも深く座れる椅子があってゆったりした空間があるところがよい。職場の狭い会議室や、狭い喫茶店では「序」のときに、余裕が作りにくい。

■心地よく注意を受け止めてもらうワザ

そして大前提として注意は難しい、と肝に銘じることが大事だ。演出家は、俳優に対して「ダメ出し」という形で、注意する仕事でもある。俳優が心地よく受け入れる「ダメ出し」にはワザがいる。「こうやって欲しい」と言いたいときに、「どういえば相手は気持ちよくそうするか(できれば自発的に)」を考える癖をつけるのはよい。考えるのは苦しいが、それは仕事なのだ。

私は出版の世界に長くいて、優れた校閲(こうえつ)者の「注意」に一目置くようになった。「こう書いた方が伝わりやすい」という場合や、同じ言葉が近くに使われており、言い換えをした方が良い場合など、鉛筆で著者も納得するような書き込みをして、傍に「トカ」「ナド」と入れてある。多くの場合、著者に失礼のないように、慎重に考えた末に書かれている。

優れた校閲者が「トカ」「ナド」と入れた場合、著者である私も「スッ」とアドバイスを受け入れるものだ。自分で気付いた気持ちになって変更できるのである。この指摘がうまくないと、著者が逆ギレすることもあるという。

「トカ」「ナド」は優れた知恵で、私も演出をするときに利用にしている。「相手をもう少し睨(にら)んでみたら」ではなく、「ここはいっそ睨んでみる……トカ」「睨みたい気持ちは内側に秘めて、相手は見ない……ナド……見ないと駄目かなあ……」などと。演出家が押し付けた感じにはならずに、俳優が自分で気付いた気分で、演技に挑める。

■演出家の視点で自分の振る舞いを修正する

注意は成果を挙げた時、つまりずっと後に達成感が得られるもので、「その時」は楽しくないものだ。快感は伴わない。

竹内一郎『あなたはなぜ誤解されるのか 「私」を演出する技術』(新潮新書)
竹内一郎『あなたはなぜ誤解されるのか 「私」を演出する技術』(新潮新書)

注意とよく似たものに説教がある。これには快感が伴う。

快感には要注意であることは先ほども述べた通り。

居酒屋などで呑むと、サラリーマンが部下に向かって、延々と説教をしている場面に出会うことがある。周囲で呑んでいる客の雰囲気も悪くなる。呑んで、反論できない若い人に同じことを何度も何度も繰り返しているうちに、本人もハイになっていく。快感が伴うことはよろしくない、と肝に銘じよう。

このように自分自身を客観視して、振る舞いを修正するために必要なのは「演出」という観点である。人生という舞台の主人公である「私」を演出家としての「私」が客観的に見て、効果的な演出法を考えてみる。その意識を持って日々を過ごせば、誤解や人間関係のストレスは大幅に減らせるはずだ。

ちょっとだけ変えれば、人は付いてくる。ちょっとだけ変えれば、無駄な対立や軋轢(あつれき)を回避することができる。

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竹内 一郎(たけうち・いちろう)
劇作家、演出家
1956(昭和31)年福岡県久留米市生まれ。横浜国大卒。さいふうめい名義で漫画『哲也 雀聖と呼ばれた男』の原案を担当。演劇集団ワンダーランド代表。著書に『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』(サントリー学芸賞)、『人は見た目が9割』など。撮影=山岸伸

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(劇作家、演出家 竹内 一郎)

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