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「期待をかけては裏切られ」なぜアメリカは中国への片思いを繰り返すのか

プレジデントオンライン / 2021年1月25日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/farosofa

アメリカと中国が対立を深めつつある。打開の方法はあるのか。駿台予備学校の世界史講師の茂木誠氏は「両国は昔から仲が悪かったわけではない。西欧列強や日本とは違い、アメリカは一度も中国を侵略しなかった唯一の大国。打開のヒントは歴史にある」と指摘する――。

※本稿は、茂木誠『世界の今を読み解く「政治思想マトリックス」』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。

■トランプ政権下で深まった米中対立

自国第一主義を打ち出すアメリカのトランプ政権が、最も激しく対立した国が、中国です。

米中対立は、初めは貿易摩擦から始まりました。中国からの安い工業製品がアメリカ市場を席捲(せっけん)し、アメリカの製造業に深刻なダメージを与えています。「国内の雇用を創出する」ことを公約に掲げて当選し、製造業を支持基盤とするトランプ政権としては、座視できない問題です。

アメリカが2018年から中国製品の一部に関税をかけ始めると、それに反発した中国が、アメリカ製品に同額の関税で対抗する報復措置に出ました。両者一歩も引かない貿易戦争は、2020年1月の協定合意でいったんは収束したかに見えましたが、新型コロナウイルス感染症が世界に広がると、中国をウイルスの発生源と見るアメリカの対中批判が激しくなり、両国は再び火花を散らし始めました。

■中国人を「キリスト教化」できると信じていた

軍事的緊張も高まり、一触即発となっているアメリカと中国ですが、両国は昔から仲が悪かったわけではありません。中国を植民地支配しようとした西欧列強や日本とは違い、一度も中国を侵略しなかった唯一の大国がアメリカなのです。

アメリカは、中国へのキリスト教(プロテスタント)の布教と経済進出を夢見ていました。中国人をクリスチャンにし、東アジアに強力な親米国家を建設できると真面目に信じていたのです。日本はむしろ競争相手で、日清・日露戦争で日本が連勝すると、アメリカは日本を警戒し始めます。

日清戦争後の列強による中国分割に対し、アメリカは「門戸開放宣言」を発し、日本が満州事変を起こしてからは、日本と戦う中華民国を一貫して支援する一方、対日経済制裁を発動しました。石油を止められた日本が真珠湾を攻撃し、日米開戦となるのです。

■毛沢東に裏切られた片思い

しかし、日本軍の撤退後、毛沢東率いる中国共産党が内戦に勝利して政権を握ると、社会主義計画経済を採用し、アメリカ資本は接収され、宣教師も追放されました。アメリカを牛耳るグローバリストの国際金融資本は、中国への「片思い」が裏切られたと知り、徹底的な封じ込めに転じました。

中国がアメリカと交戦したのはこの直後です。1950年、北朝鮮軍の韓国侵攻で始まった朝鮮戦争では、中国義勇軍が北朝鮮側について、韓国支援の米軍と戦いました。

朝鮮戦争が引き分けの形で終わったあと、アメリカは在韓米軍、在日米軍、沖縄の米軍で中国を包囲し、日本の再軍備(自衛隊の設置)を容認しました。

■「中ソ対立」から始まった米中蜜月

建国当初、ソ連陣営についた毛沢東でしたが、長大な国境線で接するロシアと中国は、歴史的に領土問題という火種を抱えていました。軍港ウラジオストクがある沿海州は、19世紀半ばにロシア帝国に併合され、今もロシア領のままです。

また、「共産主義の本家」を自任するソ連共産党は、上から目線で毛沢東に命令していました。中国独自の革命を目指す毛沢東はこれに猛反発し、中ソ対立が表面化します。

アメリカとの核軍拡競争に後れをとったソ連では、スターリンの後継者フルシチョフが、核開発の時間稼ぎのためにアメリカに急接近し、「雪どけ」を演出していました。

面白いのは、毛沢東がソ連を「米国にこびへつらう右翼日和見主義者」、フルシチョフは中国を「核戦争をあおる冒険主義者」とお互いに罵倒しあっていることです。共産主義者の中で、「お前は右翼」「お前は左翼」と喧嘩(けんか)していたのです。

東京オリンピック(1964)の開催期間中、毛沢東が最初の核実験に踏み切ったのは、ソ連からの軍事的圧力に対抗するためでした。1969年には中ソ国境で軍事衝突が起こっています(ダマンスキー島事件)。共産主義陣営の分裂は、アメリカにとっては絶好のチャンスでした。

ニクソン米大統領は、米中が国交を回復することで、ソ連を孤立させようと画策しました。米中和解の最大の狙いは、中国とソ連の間に楔(くさび)を打ち込み、ソ連を牽制(けんせい)することにあったのです。

■ベトナム撤兵のための中国との和解

当時のアメリカは、ベトナム戦争に苦しんでいました。反共主義の南ベトナム政府を支援する米軍に対し、北ベトナムの支援を受ける共産ゲリラ(彼らに武器を提供していたのは中国でした)が抵抗を続けていました。民主党のジョンソン政権は、ベトナムに50万の米兵を送りますが、決定的勝利を得られぬまま戦争は泥沼化し、米国内ではベトナム反戦運動が高まりました。

「ベトナムからの名誉ある撤退」を掲げて当選した共和党のニクソン大統領は、中ソ対立を利用して中国と和解し、米中両国がベトナムから手を引くという戦略を立てました。1972年、ニクソン大統領が北京の毛沢東を訪問、米中関係は劇的に改善されます。この米中両国の蜜月は、トランプの「米中冷戦」発動まで約50年間続いたのです。

アメリカの中国への歩み寄りには、もう一つの狙いがありました。巨大な中国市場です。毛沢東により中国市場から排除されていたグローバリストたちが、「夢をもう一度」とばかりにニクソン訪中を促したのです。

このニクソン訪中を機に、アメリカはそれまで支援していた、台湾に逃亡した蒋介石を見捨て、北京政府に乗り換えました。

握手する毛沢東とリチャード・ニクソン
写真=AP/アフロ
1949年の共産党政権の成立以来国交がなかった中国を電撃訪問し、毛沢東党中央委員会主席(左)と会談したニクソン米大統領(右)=1972年2月21日 - 写真=AP/アフロ

■脱・計画経済と中国型グローバリズムの始まり

毛沢東の後を継いだのが、鄧小平です。

1978年、鄧小平はそれまでの共産主義による経済運営からの大転換を図ります。経済の自由化です。ソ連型計画経済の失敗を認め、米国型市場経済へと舵(かじ)を切りました。これがいわゆる「改革開放」です。

強い国家主導で経済的平等を実現すれば、誰もが幸せになれる。これが、毛沢東の中国が目指す理想の社会だったはずです。しかし、そうはなりませんでした。考えてみればわかることですが、どんなに働いてももらえるお金が同じなら、労働者は働く意欲を失い、真面目に働かなくなります。それに、成果を皆で平等に分け合うだけでは、パイは縮む一方です。

スターリン同様、毛沢東も「反体制派の大量粛清」という恐怖と密告で人民を縛り上げ、働かせようとしましたが、人々は口では共産党を礼賛しつつ、面従腹背で働くふりをしていたのです。経済成長がなければ分配するものもなく、国も、人々の暮らしも豊かになっていきません。

■市場経済を導入しつつ一党独裁を維持

鄧小平は、経済を発展させるために人民に「金儲(もう)けの自由」を認めました。アメリカや日本の資本を中国国内に呼び込むことにしたのです。「これから中国は変わります。市場開放します。どんどん投資してください」。

こうして中国はグローバリズムを受け入れました。すべては経済発展のためです。

ただし、これは外向きのメッセージで、内向きには一党独裁を維持しました。つまり、人民は「金儲けの自由」を享受しましたが、「政治批判の自由」は与えられなかったのです。一党独裁下の市場経済――これが鄧小平という指導者の賢さです。

土地も国有のままで、企業は共産党の認可を受けて国有地の使用権を認められ、ビルや工場を建設します。この許認可を得るため企業は共産党幹部にワイロを送り、政治腐敗が深刻になりました。貧しい者の味方だったはずの共産党幹部が豪邸に住み、ベンツに乗るようになったのです。共産党独裁のもとではこれを批判する野党が存在せず、マスメディアもすべて国営ですから、共産党政権に都合の悪い報道はしません。

こうして、中国共産党の腐敗は際限なく広がっていったのです。腐敗を正すためには言論の自由が必要ですが、言論の自由を認めると、一党独裁が維持できません。

■天安門事件後9年で対中投資を再開

この矛盾が爆発したのが1989年の天安門事件でした。鄧小平は、言論の自由を求める民衆を戦車で踏み潰すことで、独裁強化に大きく舵を切ったのです。

天安門事件は西側諸国から非難と制裁を招き、中国共産党は危機を迎えました。しかし、グローバリストたちは中国市場への回帰を強く望み、これに押される形で民主党のクリントン大統領が1998年に訪中。天安門事件はまるでなかったかのように、対中投資が再開されました。

「人権よりも金儲け」──これがグローバリストの本質です。その本質を見抜いていた鄧小平は、勝利したのです。

■中国当局が香港弾圧への批判を意に介さない理由

2019年から始まった「香港の自由を守れ」という市民運動に対し、習近平政権は警察を使って徹底的にこれを弾圧し、ついには「香港国家安全維持法」を制定して、香港の自治権を事実上剝奪しました。トランプ政権は香港の運動を支持し、香港弾圧を命じた中国政府要人の在米資産を凍結できる香港人権・民主主義法をアメリカ議会が可決しました。

ところが日本では、この期に及んで習近平を国賓として招こうという声が自民党内にあります。自民党のバックにいるのは経団連。日本版グローバリスト集団です。トヨタ自動車は、中国企業と合弁で燃料電池会社を立ち上げ、ドイツのフォルクスワーゲン社も中国市場なしにはやっていけません。習近平は、これらのグローバル企業を優待することで、今回の香港危機も切り抜けられると高をくくっているのです。

■現在もなお進行中の鄧小平の計画

現在、中国が虎視眈々(たんたん)と狙う南シナ海における覇権樹立も、1970年代、鄧小平の時代に立案された「列島線」という概念がもとになっています。この計画は、東シナ海と南シナ海、さらにはサイパンやグアムあたりの太平洋までを中国海軍の支配下に置く、というものです。

茂木誠『世界の今を読み解く「政治思想マトリックス」』(PHP研究所)
茂木誠『世界の今を読み解く「政治思想マトリックス」』(PHP研究所)

戦後、これらの地域にはずっと、横須賀を母港とするアメリカ第7艦隊が展開しています。中国は、この海域から米軍に出ていってもらいたいのです。「ハワイの向こうは任せますから、グアム島からこっちは中国に任せてほしい」というのが中国海軍の本音です。

このような壮大な計画を練りながら、鄧小平はその野望を微塵(みじん)も表には出しませんでした。中国が真の実力を蓄えるまでは、アメリカを挑発しない。じっと待つのが最善の策と考えたのです。

鄧小平が貫いた外交姿勢は、「韜光養晦(とうこうようかい)」と呼ばれています。「能ある鷹(たか)は爪を隠す」といった意味です。その後も、江沢民、胡錦濤と続く歴代の指導者は、アメリカとの友好関係を演出してきました。

鄧小平が実施した改革開放によって、アメリカや日本をはじめとする外国資本による対中投資が進み、1980年代には製造業をはじめ中国の経済が急激な発展を遂げました。これが、のちにアメリカに莫大な対中貿易赤字をもたらし、アメリカのナショナリズム回帰と米中貿易摩擦を引き起こす要因ともなるのです。

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茂木 誠(もぎ・まこと)
駿台予備学校・N予備校世界史講師
歴史系YouTuber、著述家。YouTube「もぎせかチャンネル」では時事問題について世界史の観点から発信中。近著に『「米中激突」の地政学』(ワック)ほか、『パンデミックの世界史(仮)』(KADOKAWA)を2020年秋刊行予定。

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(駿台予備学校・N予備校世界史講師 茂木 誠)

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