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三浦瑠麗「迫真のノンフィクション『安倍・菅政権vs.検察庁』」を読む

プレジデントオンライン / 2021年1月29日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ferlistockphoto

■迫真のノンフィクション『安倍・菅政権vs.検察庁』

村山治著『安倍・菅政権vs.検察庁―暗闘のクロニクル』(文藝春秋)が話題だ。検察庁法の改正をめぐるツイッターデモを覚えている方は、ぜひ読んでほしい。

著者は長らく検察を取材してきた記者。丹念な取材に基づき、黒川弘務氏を重用した結果つぶしてしまう官邸と、組織内で決めた人事に一切口を出させるべきでないと考える検察の攻防を描いている。

検察独特の論理と正義感、人間関係、組織防衛のロジック、不祥事が起きたときの官僚同士のかばい合い、官邸にいる人々の思惑などがみごとに浮かび上がる取材だ。人事に関して何が起きていたのか。つい最近の森まさこ前法務大臣とのつばぜり合いまでが描かれていて、いまだ生々しいテーマを扱いながらここまで詳細に物事の経緯が示されているのに感銘を受けた。

■勧善懲悪ストーリーに矮小化された問題

官邸や大臣は、法に基づき人事に多少なりとも政治の側の評価が反映されるべきだと思っている。検察庁の側は、人事の自律性を最重要視する。しかし、特捜部のみの組織ならばともかく、政策官庁である法務省は、政権や国会の協力なしに1つも法案を進めることはできない。黒川氏は個人の能力としてそうした折衝に長けており、政治に重宝がられた。しかし、検察庁内部の人間には黒川氏に見えている風景がなかなか理解できず、ややもすれば政治に近すぎるとして警戒されてしまう。ボタンの掛け違いと人事が絡み合い、黒川氏と林眞琴氏のあいだの溝が深まった、という見立てである。

検察は政治にも他省庁にも踏み込みうる強権を有しているがゆえに、現場が暴走してしまった場合には権威に大きく傷がつく。例えば村木厚子さんの事件や陸山会問題などで、検察は国民の信を失った。自律性が重んじられるということと、組織の判断の正しさは別ものだからだ。当然、検察は自己改革を求められ、危機感を抱く。そして、政治の側は長年の政治主導改革の延長線として、検察人事にも影響を及ぼそうとする……。

2020年のツイッターデモのあと、検察はいかにあるべきか、公務員制度はいかにあるべきかという議論は残念ながら盛り上がらなかった。政治との人事抗争のみに耳目が集まり、まるで水戸黄門のような勧善懲悪ストーリーにされてしまった。黒川氏の麻雀事件は、単に「政治の側のお気に入り」が自滅した事例としてひっそり片付けられた。本書はそのような単純な世界観に抗うものだ。

一方で、疑問に思った点もある。例えば、著者は安倍内閣がツイッターデモで力を失ったとするが、いささか言いすぎのように思う。また、昨今の有名な経済事件における「検察の論理」への評価も、著者に聞いてみたいと思った。

検察のプロとしてのバランス感覚は尊重すべきだ。しかし、それが無謬性の主張の上に胡坐をかいた密室性の尊重であってはならない。そんなことも思わされた。

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三浦 瑠麗(みうら・るり)
国際政治学者
1980年、神奈川県生まれ。神奈川県立湘南高校、東京大学農学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。著書に『21世紀の戦争と平和』(新潮社)、『日本の分断』(文春新書)など。

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(国際政治学者 三浦 瑠麗)

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