自分の母が「毒親」だと気づいたとき、子供はそれにどう向き合って生きるべきか
プレジデントオンライン / 2021年2月7日 8時15分
自分嫌いの母は、整形を繰り返しており、学校から帰ると顔が変わっていることもしばしば。おおたわさんは整形した母親の顔が大嫌いだそう。この日のウエディングドレスも、ドレス選びに母は一切付き合ってくれず、ひとりで選んだという。
■せっかくかわいく産んだのに、おまえはどんどんどんどん醜くなっていく――
7年前の2013年に母が亡くなり、少しずつ母との関係を公に話すようになると、私が母から虐待を受けていたと記事にされることもありました。でも、私は虐待を受けたとは思っていません。今、ご縁をいただいて、母との思い出を書籍にまとめる機会を得、当時を思い出すにつれ、母がどんな思いで私に厳しくしたのか、手を上げたのか、暴言を吐いていたのか、薬物依存に陥っていったのか、母の気持ちが少しわかった気がします。
時代背景もあるのか、また、そうせざるを得ない状況だったのかもしれません。子どもにとって親は絶対的な存在。母が私に厳しく当たるのは、私が悪いせいだろうと思っていました。でも、今振り返れば、「母の行いは間違っていた」と思います。そう思えるようになったのは、つい最近のことなんですよ。
■虫垂炎から人工肛門に。祖母に捨てられた思いと相まって
1935年、母・はる子は7人きょうだいの末っ子として長野県で生まれました。母が10歳くらいのとき、虫垂炎をこじらせ、腹膜炎を患い、処置が遅れたせいで一時期、人工肛門に。その後、10回以上の手術を繰り返したようです。母の悲運はそれだけではなく、祖母が酒乱の祖父を残し、家を出たのです。
バスに乗り込む祖母を伯母と2人で追いかけ、伯母はバスに乗れたけれど、母は間に合わずに置いていかれてしまったそう。そのときの寂しさ、悲しさは強烈だったでしょう。その後、生活を立て直した祖母は母を呼び寄せ、一緒に暮らすようになりましたが、母は常に“捨てられた”という思いを拭いきれずにいたようです。
腹膜炎の後遺症もあり、まともにお嫁にいけないだろうと考え、看護師の道に進み、東京の病院で働いていたとき10歳年上の医師である父と出会います。でも、2人が出会ったとき、父には妻と生まれたばかりの子どもがいたのです。奥さんに離婚を切り出すも応じてもらえず、2人が籍を入れたのは、私が生まれた後のこと。父は、幼い子どもを置いて家を出た負い目があり、慰謝料と養育費のために一生懸命働いていました。一方の母は、愛する人と添うことができたものの、親戚から「子どものいる家庭から父親を寝取った女」とさげすまれていました。
母の勧めで、小学校を受験しましたが、有名私立の志望校には受からず、国立の東京教育大学附属小学校(現・筑波大学附属小学校)に入学。母は異常なまでに教育に熱心でしたが、周囲を見返してやりたいという思いが強かったのでしょうね。母の目標は私を“医者にすること”だったのだと思います。
母は体が弱く、腹膜炎の後遺症のためか、いつも「痛い痛い」と床に伏せっていました。家事はほとんどせず、私の面倒をみてくれていたのは住み込みで働いていた家政婦さん。料理・洗濯・お米のとぎ方など、普通、母親から習うことはすべて家政婦さんから学びました。
私にとっては育ての親。家政婦さんがいてくれたおかげで、私の心のバランスは取れていたのだと思います。ただ、母から厳しくされていたことに対し、家政婦さんが母に意見することはありません。どんなに私が慕っても、私を含め家族と雇用関係で結ばれた間柄ですから。
父は、家の隣にある診療所で毎日遅くまで働いていました。父は私を医者にしたいとは言わず、「やりたいのならやればいい」と言っていました。いつも大きな愛情で私を包んでくれていました。父の言葉「何があっても、パパの子どもだから大丈夫」は、悩んだり、迷ったりしたときの心の支えになっています。父は母を愛していたように思います。私はストレスで髪を抜いたり、チックの症状が出たりしていたのですが、それが母の異常な行動と関係しているとは父も気づけなかったようです。
■薬物依存に陥り、家にアンプルや注射器が散乱
幼いころから、母の機嫌が悪くならないように、怒らせないように、母の顔色を見ながら生活する毎日。母の期待に応えようと必死でした。それでも母に褒められた記憶はありません。おしゃれが好きな人だったので、誕生日プレゼントにマニキュアを買って渡したのですが、「ありがとう」と言われることはありません。
それでも、自分の家庭が普通だと思っていました。近所の小学校に通っているなら、わかったのかもしれませんが、電車に乗って家から離れた学校に通っていたので、友人の家に遊びに行く機会はほとんどなく、母親とはどこもこんなものだろうと思っていましたから。悲しい気持ちにはなりますが、おかしいと思ったことはありませんでした。
小学校の高学年くらいからでしょうか、家の中にアンプルや注射器が散乱するようになったのは。父が母の痛みを和らげるため、痛み止めを渡していたのですが、母の求めに応じて徐々に強い薬を出すように。母は元看護師なので、そのうち、父の目を盗んで鎮痛剤を持ち出すようになっていたのです。注射器を手に何かに取りつかれたような母の姿を見て、ゾッとしました。そんな状況でも、家出するとか非行に走ろうという気持ちはありませんでした。どんなときも、「私が家庭を守らなくては」と思っていましたから。
■「せっかくかわいく産んだのに、おまえはどんどんどんどん醜くなっていく」
中学生になると、母も勉強に口出しできなくなり、今度は私をののしるように。母にしてみれば、私が離れていくのが不安だったのでしょう。大人になっていく私に嫌悪感を抱き、「せっかくかわいく産んだのに、おまえはどんどんどんどん醜くなっていく」と毎日言われ続けました。下剤入りの飲み物を飲まされたこともあります。医学部に進学しても、医者になっても、結婚しても、母が喜ぶことはありません。一方で、薬物依存はますますひどくなり、次第に父に手を上げるように。私もそんな母を見ていられず、家族と距離を置くようになりました。
依存症の母を父に押しつけている後ろめたさを感じているなか、2003年、父を亡くしました。母はその10年後、心臓発作で亡くなりました。第一発見者は私。孤独死でした。父は亡くなる前、「いい娘を持って幸せだった」と言ってくれましたが、残念ながら母は亡くなるまでやさしい言葉を掛けてくれることはありませんでした。
母の勧めで医者の道に進みましたが、決して自分が切望して就いた職業ではありません。母を怒らせないように生きてきた結果なので、これが正解だったのかわかりません。自分ではいまだに答えを出せないのです。生きづらいけれど仕方がありません。目の前のことを毎日コツコツ丁寧に繰り返していくだけ。そうしていれば、次につながり、人生は開けていくと思うのです。
3年ほど前から、矯正医療に携わっています。矯正医療とは、犯罪者を収容する矯正施設で行われる受刑者への医療のこと。お話をいただいたとき、私の経験が生かせる仕事だと直感しました。犯罪の根底にあるのは“依存”。母の依存を目の当たりにしてきた私だからこそ、適切な医療を施せるのではないかと思っています。矯正医療で大切なことは“笑うこと”。日本で初めて“笑いの体操”を取り入れ、いつの日か再犯率が下がることを期待しています。
私は母に似ているんです。本当は笑うのが苦手で、自分嫌い。こんな私がよくテレビに出る仕事をと、自分でも感心するほど。そんな私だからこそ、人前に出ているのかもしれませんが。今は、ご縁に身を任せ、精いっぱい生きるだけ。今を一生懸命生きた結果が、10年後に現れるはず。10年後が楽しみなんです。
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医師・作家
東京都出身。東京女子医科大学医学部卒業。地域開業医を経て、現在は刑務所受刑者の矯正医療に携わるほか、都内クリニックで非常勤医師として勤務。作家としても活動しベストセラー『女医の花道!』(朝日文庫)など多数。9/7に最新刊『母を捨てるということ』(朝日新聞出版)を出版。コメンテーターなど多方面で活躍中。
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(医師・作家 おおたわ 史絵 構成=江藤誌惠 撮影=国府田利光)
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