そこまでやるか…社員をほったらかしにしない"トヨタ式"在宅勤務
プレジデントオンライン / 2021年1月27日 11時15分
※本稿は、野地秩嘉『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■工場以外の事務職は在宅勤務に
トヨタの生産現場では危機管理人が毎朝、大部屋で会議を開き、サプライチェーンをつなげる努力をした。一方、事技系と呼ばれる工場以外で働く、技術、経理、人事、調達、営業、情報システム、広報、宣伝といった職場は職場での密を避けるために在宅勤務を増やした。
具体的には次のような施策を行っている。
B 職場での3密を防ぐために、時差出勤と部分的在宅勤務の推奨。なお、4月のある時期、名古屋地区、豊田本社の従業員の一部に関しては日進にある研修センターのなかにサテライトオフィスを設けた。これはパソコンがない、通信環境が不安定な従業員のためのものだったが、現在は閉鎖された。
C 職場によっては事前に出社率を把握し、一定の目標値を定めて在宅や勤務場所の変更を指示する。
■海外出張は「上司からも家族に丁寧に説明」
次に国内外への出張、海外赴任、帰任の考え方はかなり厳しいと言える。
B 日本からの海外赴任については2020年10月までは慎重に判断し、ほぼやめていた。これは海外出張も同じである。
海外間の出張については各地域の判断だけれど、不要不急の出張は禁止。要するに、世界のどこでも在宅勤務が進み、会議アプリを利用して仕事をしていることになる。
C 日本から海外工場の支援に行った従業員は休日もホテルから出ないようにする。渡航前には現地の状況、生活環境を会社側上司からも家族に丁寧に説明して、従業員だけでなく、家族の不安も払拭する。
ここで大切なことは「家族に対しての説明」だ。新型コロナ危機にある現在、海外出張、海外赴任をする時、不安なのは本人だけでなく家族も同様だ。まして、小さな子どもがいる場合、残る人たちは心細いだろう。危機管理とは、そこまで細かい心遣いをすることでもある。
最後に付け加えると、食事会、親睦会といったものはほぼ行われていない。行われる場合でも多人数のそれはありえない。せいぜい、4人までではないか。
■思えば通勤生活はリーンでスリリングだった
どこの会社でも変わらないが、新型コロナ危機以前、公共交通機関を利用する通勤は日常の風景だった。事務系の仕事に関する限り、フレックスタイムは導入されていても、誰もが毎日、自宅とオフィスを行き来していた。
小さな子供がいるママワーカーは朝早く起きて、子どもを保育園に預けて、混雑した電車、バスに乗って会社へ行く。帰りはまた混雑した電車、バスに揺られて、駅からは自転車に乗って子どもを迎えに行く。子どもと一緒にスーパーで買い物をする。
うちに帰ったら家族の食事の用意をして、食べ終わったら洗濯と掃除もする。そんな毎日を送って、しかも通勤時間が一時間以上という人が平均的だというのだから……。子どもの送迎やスーパーの買いものは時には夫がやってくれることもある。しかし、これまでの勤務体制で負担が大きかったのは小さな子供がいるママワーカーだった。
都市でなければ自動車で子どもの送り迎えをする。それであっても負担の大きさは変わらない。新型コロナ危機以前の通勤生活はリーンな生活で、スリルとサスペンスにあふれていた。
■「生活の質」は向上している
それが一転して、在宅勤務になった。
レノボ・グループはコロナ禍の最中、世界10か国で在宅勤務について調査をしている。その結果が朝日新聞に載っていた。
「日本では在宅勤務の生産性がオフィスより下がるという回答が40パーセントとなり、各国平均の13パーセントを上回った」
![自宅で働く若い女性](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/2/0/670/img_20201d4542755f05fd4af354b062cbaf555504.jpg)
おそらく、日本の場合、どこの会社が調査をしても、「オフィスで仕事をする方が在宅勤務よりも生産性は高い」という答えが多いのではないか。そして、ビジネスパーソンのうち、男性はオフィス勤務の方が性に合うと思っているのではないか。みんなとワイワイガヤガヤ話ができるし、帰りに居酒屋で一杯飲むことができる。在宅勤務となると、そういった楽しみがなくなってしまう……。
ただし、よく考えてみてほしい。それまでの通勤実態と生活を考えれば、人間にとっては在宅勤務の方が「生活の質」は向上しているのではないか。
なるほどオフィスで仕事をする方が家で働くよりも生産性は高いかもしれない。しかし、多少、仕事の生産性が下がったとしても、企業も働く人間もできるかぎり在宅勤務を受け入れるべきなのではないか。
さて、調査に答えた人が「生産性が下がったと感じている」原因は次の3つだと思われる。
慣れていないこと、オフィスに比べれば整っていない通信環境、そして、仕事をする環境そのもの。
3つのうち、後者ふたつを改善していけば在宅勤務の生産性は間違いなく上がっていく。
■5万人分の通信環境を整備しなければ
トヨタでは当初、事技系の在宅勤務は思うように進まなかった。それは通信環境の整備が遅れたこと、会議アプリの使い方に慣れていなかったことからきたものだった。
同社では社員数に見合った台数のパソコンがあればそれで済むわけではなかった。派遣されて常駐している人たちにもパソコンと社内情報にアクセスする権利を与えていたから、およそ5万人分のパソコンと情報に接する権利を一度に調達しなければならなかったのである。
一方、新型コロナ危機の前まで、同社が所有していた情報アクセス権付きパソコンは5000台に過ぎなかった。ほとんどは出張者が使うものだったのである。
在宅勤務へシフトするとなると、とたんにそれを5万人分に増やさなくてはならない。
しかし、それだけのパソコンやアクセス権を買うことはコスト、設置までの時間を考えると不可能だ。そのため自宅にパソコンを持っている人にはVPN(仮想プライベートネットワーク)に接続する設備、セキュリティの認証権を用意することにしたのである。
VPNとはインターネット上の拠点間を仮想的な専用線でつなぐ通信技術のことで、日本では多くの企業が使っている。イギリスの情報サイト「TOP10VPN」によれば世界のネットユーザーのうち、3割はVPNを利用するとされるほど、ポピュラーなものだ。ただし、不正接続のターゲットともなるので、万全なセキュリティ対策が必要となる。
そして、トヨタが何万人分もの認証権を入手するには時間が必要だ。
■情報システム本部長の苦心
新型コロナ危機の当初、情報システム本部長の北明健一は設備と機器の増強にかかりきりだった。
「VPN接続の認証権は数千の単位までならすぐに入手できたのですが、5万となるとシステム会社もサーバーを増強したり、さまざまな用意が必要になります。全員にいきわたるまでに2カ月弱かかり、会社のみなさんには迷惑をかけました。
それまで社外から社内システムに接続する人数は認証を持っているうちのせいぜい1000人程度だったのが、たちまち5万人に接続させなくてはならないのが今回のオペレーションでした。日本中が、サーバーが欲しい、ネットワークの線が欲しい、セキュリティで保証された認証が欲しいという状態でしたから、こちらも少しずつ調達して、少しずつ在宅の比率を増やしていったわけです。すべての準備が整ったのは5月の連休明けでした」
北明はパソコンの調達も担当した。
「持ち運びできるパソコンを買いました。情報システム部がまとめて購入したものです。そこにVPNの認証をつけて、セキュリティをしっかりと管理しています。同時に社内ネットワークも増強しました。容量を増やして、かつ、サーバーも増やしていって……。これも増強が一段落したのが5月の連休明けでした」
■より重要なのは自宅の環境
こうしてパソコンとVPNは整備した。しかし、それで終わりとはならない。次の課題は各従業員の自宅の通信環境を整えることだ。
パソコンは従業員の個室にあるのか?
それとも学校に行って留守にしている子ども部屋で執務するのか?
はたまた食卓で仕事するのか、それとも台所の片隅なのか?
在宅勤務の生産性向上に大きくかかわってくる通信環境とは、通信そのものと仕事をする環境のふたつであり、前者は改善できる。しかし、後者はなかなか改善できない。それでも、後者の占める位置は大きい。
高速、大容量、低遅延の通信設備であっても、頭上に洗濯物が干してあっては生産性の向上は望めないからだ。この部分の解決法については、基本的には環境を快適にするしかない。
■社内コールセンターを充実させる
トヨタの場合、通信機器、通信設備に関しては手厚い。パソコンについてもほぼ5年に一度は買い替えるようにしてきたし、部署によってはさらに頻繁に買い替えてきている。また、自動車開発のエンジニアが自宅で仕事をする際、大型モニターが必要になる。そのような部署には、会社のモニターの持ち帰りを許可した。
加えて、大切なことがある。
在宅勤務の生産性向上に大きくかかわるのは通信サポート体制だ。
トヨタはパソコンや通信操作に詳しくない従業員についてサポート体制(社内コールセンター)を充実させている。この部分は在宅勤務を始めた企業は見習うべきだろう。サポートを充実させると、生産性はもちろん、モチベーションも上がる。
![コールセンター](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/2/c/670/img_2c3117a753b20a85b7524fa52e680bf3590741.jpg)
北明はサポート体制についてはこう説明する。
「現在(2020年10月)、事技系の6割が在宅で仕事をしています。うちにパソコンがない人もいましたし、奥さんと共用だから仕事には使えない人もいました。そういう人には会社がパソコンを貸与します。
そして、私たちはサポートします。故障したとか、扱い方がわからない人のためにコールセンターを持っているのですが、今は160人体制です。30数カ所のコールセンターがあるのですが、日々、大忙しで、増員も考えているところです。また、パソコンを貸す前に、うちの社員が使えるようVPN認証などのセッティングもしています」
■すぐに・必ず・つながること
社員に貸与するパソコンはサーバー側で処理のほとんどを行うシンクライアントのものになっている。仮にパソコンが盗まれたり、なくした場合でもリモートでデータを消すことができる。単にパソコンを買って、それを「持って帰れ」では在宅勤務はできない。
![野地秩嘉『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/6/6/200/img_66e777281d1facf7db07ba449477be2b208926.jpg)
いずれにせよ、パソコンや通信環境に対するストレスは大きい。しかも、設置、操作が不得手な人ほど強烈なストレスを感じている。サポートを充実させるのは重要だ。
なお、もうひとつ重要なのはコールセンターに電話した時、「すぐに」「必ず」「つながる」ようにすることだ。連絡してからオペレーターと話すまでに15分もかかったら、それだけでやる気がなくなってしまう。オペレーターとすぐに話すことができる通信サポート体制を整備しなくてはならない。
また、そもそも設置や操作がわからない人にはサポートスタッフが自宅まで出張することだろう。そういったかゆいところに手が届くようなサービス体制を作って初めてデジタル機器に対するストレスや不満は消えていく。
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ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。noteで「トヨタ物語―ウーブンシティへの道」を連載中(2020年の11月連載分まで無料)
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)
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