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幕末明治を旅した"縄文仲間"の肖像

プレジデントオンライン / 2021年2月12日 9時15分

ニルソンデザイン事務所代表 望月昭秀氏

■幕末明治を旅した“縄文仲間”の肖像

蓑虫山人(みのむしさんじん)。今にわかに注目を集めている人物だ。鉄道がようやく整備されようという時代に、仮設テントにもなる竹製の笈(おい)を背負って日本全国を旅した画人である。

1836年、現在の岐阜県に生まれ、14歳から全国を放浪、1900年に没した。世は幕末から明治への転換期。この時代を生きた偉人の姿は様々に語られてきたが、蓑虫山人の特異性はどこまでも庶民であることだと望月氏は語る。

「そんなに知られている人物じゃないし、日本の歴史にすごく関与したとか、坂本龍馬みたいに明治維新に功労があったとか、そういうわけでは全然ない。知らなくても当然です。でも、歴史って、その時々の有名人やスターみたいな人たちだけがつくっていったわけじゃなく、本来だったら庶民が、普通の人たちが歴史の主役でもあると思うんです。庶民がそのときに思っていた興味を純化させたような存在として、蓑虫山人って考えてもいいのかなって」

■彼の足跡は「インスタ映え」を求めて旅をする現代人と重なる

本書では、蓑虫山人が日本全国を放浪する過程を明らかにしていく。様々な地域の庶民たちと交流する中で、蓑虫山人は常に筆を執り、絵を描いた。寄る辺なき旅人は、居場所を獲得する手段として、相手の懐に入り込む人間力と絵を用いた。現代に残る彼の描いた絵には、自ら赴いた各地の名勝や人々との宴会の模様が描き出されている。絵を写真に置き換えれば、彼の足跡は「インスタ映え」を求めて旅をする現代人と重なる。

望月昭秀『蓑虫放浪』(国書刊行会)
望月昭秀『蓑虫放浪』(国書刊行会)

「仙人とか言って気取ってますけど、超庶民なんですよ。みんなが好きなことが好き。だから、滝が大好きだし、良い風景があれば必ず見に行く。親近感が湧くんじゃないかな。時代としては全然違うんですけど、現代人と繋がっているところがあると思います」

蓑虫山人が描き、好んだものの1つが縄文土器だ。本書によると、1878年、青森県の下北半島で石器の最初のスケッチを描いたという。「縄文」という名称の由来になった、モースによる大森貝塚の発掘調査は77年。当時まだ、発掘された土器は「神代品」と呼ばれていた。蓑虫山人が「神代品」に夢中になったことが120年を経て望月氏との縁になる。というのも、望月氏は縄文時代をテーマにしたフリーペーパー『縄文ZINE』を主宰しているからだ。

「最初は縄文時代の造形物から入りました。長野県茅野市にある尖石縄文考古館がちょうどいいドライブコースにあって。もともとデザインが仕事なので、興味を持ちました。すごく新鮮なのに、こんなに古い、そういう面白さ。蓑虫山人も東北に行って、驚いたんだと思います」

望月氏は「1人の縄文おじさん」として、蓑虫山人にシンパシーを感じたという。120年以上前の日本で、縄文土器を描いた絵は珍しい。そんな背景もあり、蓑虫山人は現代の縄文時代好きにはちょっとした有名人なのだ。

「と言っても僕も詳しくは知らなかった。調べ始めたのは写真家の田附勝さんとの出会いがきっかけでした。そのときに『蓑虫山人って知ってる?』と、田附さんは蓑虫が描いた土偶の絵のタトゥーが入った腕を見せてくれたんです。思わず笑ってしまったのですが、この人をここまで本気にさせた蓑虫山人のことが俄然気になったのです」

そこで望月氏は田附氏と共に取材を開始。本書には田附氏の手による写真が多数収められている。

生きた時代も職業も違う彼らが、縄文というテーマに心引かれ、繋がっていく。このことに、望月氏は現代のような分断の時代を解決するヒントがあるのではないかと考えている。

「好きなことってすごく大切だなと思うんですよね。例えば、反トランプの人たちと支持者とは、思想信条の面からは絶対に分かり合えない。でも、好きなことであったら、そういう人たち同士でも繋がれるんじゃないかなって」

秋田での西瓜屋の図。このように、蓑虫山人は当時の庶民の生活をモチーフに多くの日記を残している。しかし、めちゃくちゃリラックスしている(秋田県立博物館所蔵、撮影・田附勝)。
秋田での西瓜屋の図。このように、蓑虫山人は当時の庶民の生活をモチーフに多くの日記を残している。しかし、めちゃくちゃリラックスしている(秋田県立博物館所蔵、撮影・田附勝)。

蓑虫山人が旅した幕末の時代も、分断の時代だった。本書では、勤王派の志士として振る舞った若き日の蓑虫山人の姿も紹介されている。しかし、そんな時代でも、好きなもののためであれば、相手が佐幕派の名士であっても構わず会いに行ったという。この姿勢は彼の生涯の気質だったようだ。明治に入ってからは、朝鮮王朝から亡命していた金玉均の暗殺を狙う刺客たちとも邂逅し、書を共に楽しんだというから驚きだ。思想信条の分断を越えていく蓑虫山人の姿は、本書のタイトルでもある「放浪」することの価値を高めている。

しかし、たとえ「好き」の共通項があったとしても、最後にその場を共にできるかはその人間の器に左右される。蓑虫山人の凄みは、その人間力にあるのだと望月氏は考えている。

岩手県から国見峠を越えて秋田県に入る蓑虫山人。背中に背負った笈は庵に変形する(秋田県立博物館所蔵、撮影・田附勝)。
岩手県から国見峠を越えて秋田県に入る蓑虫山人。背中に背負った笈は庵に変形する(秋田県立博物館所蔵、撮影・田附勝)。

■蓑虫山人の人間力、コミュニティの中に入っていく力は、ビジネスの世界でも絶対役に立つ能力

「庶民の中をちゃんと歩けるのって、決して簡単にできるような話じゃないですよね。なんの地盤も所縁もない東北で人間関係をつくれていた蓑虫山人の人間力、コミュニティの中に入っていく力は、ビジネスの世界でも絶対役に立つ能力だと思うんです。例えば地方に行って仕事をしたり、会社同士で新しいプロジェクトチームをつくる場合、文化が違う人たちとちゃんと仲良くならないとうまくいかないことって多い。仕事も人付き合いなので、いろんな人とのコミュニケーションはビジネスの現場でも必要なこと。でも、蓑虫山人は自分がやりたいことの手段としてだけじゃなく、相手と仲良くなること自体を楽しんでいるから、相手からも慕われる。人付き合いの達人ですね」

歴史上の人物に取材した本書だが、蓑虫山人をインフルエンサーと捉える現代的な筆致で、時代を超えて蓑虫山人への親しみを持たせる。決して偉人ではなく、好感の持てる“友人”として、蓑虫山人が見えてくる。

「蓑虫山人は映画『男はつらいよ』シリーズの寅さんみたいな人だと思っています。もちろんすごい部分もちゃんとあるんですけど、この本の中では、ドジなところとか情けないところを書こうと思ったんです。どうしようもない人なんだけど、大きな夢もあって、魅力的な人物で。社会に弾力が失われつつある今、こういう人がいたら世の中が楽しいよ、って」

時には喧嘩に巻き込まれ、警察の厄介にもなった蓑虫山人。それでも慕われる人付き合いの達人から、学びを得るか、友の姿を見るか。本書を手に取って確かめてほしい。

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望月昭秀(もちづき・あきひで)
ニルソンデザイン事務所代表
1972年、静岡県生まれ。主に書籍や雑誌のデザインを手がける。2015年にフリーペーパー『縄文ZINE』の発行を開始、編集長を務める。著書に『縄文人に相談だ』『縄文力で生き残れ』など。

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(プレジデント編集部 撮影=石橋素幸(望月氏))

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