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「ストレスの配管がすっきり」僧侶が勧めるモーニングルーティンの作り方

プレジデントオンライン / 2021年2月9日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SAND555

モヤモヤやイライラを発散するには、どうしたらいいのか。密蔵院住職の名取芳彦氏は「昨日詰まったストレスの配管をクリーンにする、自分流の朝の過ごし方を見つけられるといい」という――。

※本稿は、名取芳彦『上手に発散する練習 “風通しのいい心”になる考え方』(青春新書プレイブックス)の一部を再編集したものです。

■「家から出られない」=「家にいれば、何をやってもいい」

何かの理由で、家から出られないことがあります。留守番や体調不良、中にはどこにも行くところがないので仕方なく家にいる場合もあるでしょう。

この場合、やらなければならないのは“家にいる”ことだけで、言い換えれば、家の中にさえいれば何をやっても自由です(この項では、仕事や家事など、家でやらなければならないことがあるケースは除外します)。

他にも、病院や人気ラーメン店で、長蛇の列の中で待たなければならないこともあります。

この場合、やるべきことは“待つ”ことだけで、それ以外は何をしても自由です。整理券をもらえたり、順番をスマートフォンなどで教えてくれる場合がありますが、この項では家にいなければならないときと同様に“その場で待たなければならない”場合を前提にして、その状況の中でモヤモヤやイライラを愉快に発散する方法をお伝えしようと思います。

さて、退屈なときどうするか……。

■対処法さえあれば、一生「退屈」することはない

その対処法をいくつか考えておけば、あなたの辞書から「退屈」という言葉がなくなります。生涯にわたって退屈することはなくなります。

「退屈」はもともと仏教語で、サンスクリット語のケーダ(倦怠(けんたい))やヴィシャーダ(落胆、無気力)の訳語として使用されました。

仏教では「仏道修行の困難に屈して、仏道を求める心が退くこと」を表す言葉です。日本語で「退屈」は、物事に飽きていや気がさす、ヒマで困るなどアクビを誘発しそうな状態を表すのはご承知の通りです。

さて、退屈と言いたくなった場合、どんなことに心が屈して退いているのでしょう。きっと、面白い、楽しいことがないことにウンザリしているのでしょう。だとすれば、宝探しのように、クイズに答えるようにそれを探せばいいのです。

人によって面白いこと、楽しいことは異なります。クロスワードパズルやジグソーパズルに興じる人もいれば、DIYにはまる人、ボードゲームに夢中になる人もいます。料理に目覚める人、楽器やアートに熱中する人もいます。

アウトサイダー・アートというジャンルは、専門的な技術を学ばずに、自分が表現したいものを自分のためだけに作った作品を言いますが、モヤモヤやイライラを発散する方法として計り知れない可能性があると思います。

■「楽」ではなくても、「楽しむ」ことはできる

私の場合はもう少し色気があるので、誰かに使ってもらいたくて、お地蔵さまと言葉を手描きした日めくりを作りはじめました(ライフワークになる予感がしています)。

他人が何と言おうと、自分が面白く、楽しければそれでいいのです。

他にも、机の上や本を開いたときにあわてて動きだす極小の虫がどこへ行こうとしているのか見守ったり、自分の前を通る人の男女の数を数えたり、車で移動するときは目に入る文字をすべて滑舌よく発音したりと、私はぼーっとしているヒマがありません。

誰が何を言おうと、自分が面白く楽しければ、それでいいのです。

大切なのは、楽ではなくても、楽しむことはできるという信念を持つことです。

宇宙ステーションに数カ月から数年にわたって狭い空間に長期滞在するクルーたちが、何をして自由時間を使っているか、調べたことがあるそうです。

四十五分ごとにやってくる荘厳な日没と日の出を見るだけでも壮観でしょうが、彼らは自由時間に音楽を聴いたり、本を読んだり、映画を観たり、地球の人とメールしたり、インターネットを見たりして過ごしているそうです。

ごく普通の過ごし方ですが、責任重大で過酷なミッションをこなしている彼らには、“普通の過ごし方”がストレスをためない最も効果的な方法なのかもしれません。

宇宙空間にある国際宇宙ステーション
写真=iStock.com/3DSculptor
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/3DSculptor

■息を吐くときは、イライラを吐き出すつもりで

仏教で瞑想(めいそう)や座禅に入る前には呼吸を整えますが、息を吐くとき(呼)に煩悩を吐き出すイメージをすることがあります。これを応用して、息を吐くたびにモヤモヤやイライラを一緒に吐き出すイメージをするだけでも、心がすっきり、軽くなるものです。

釈迦の弟子の中には「塵(ちり)を払え」とつぶやきながら掃除ばかりしていた人が悟りを開いたという話も残っています。

「塵を払え」は「心の塵を払え」に通じていたのです。

日常の中で、何かモヤモヤがたまっていたり、小さなイライラに気づいたら、何か面白いこと、楽しいことを探して、それをしている間に心の中のわだかまりが解け、発散されるイメージをしてみてください。あなどれない良い効果があるものです。

「面白いことを見つける」「楽しいことを見つける」、それ自体が知的な遊びのようなものです。

■お線香の香りに包まれて、静かに手を合わせる朝

晴れた日の早朝、私が住職をしているお寺の境内のベンチに座り、缶コーヒーを飲みながら菓子パンの朝食を食べるサラリーマンが一人います。

境内の木々の緑に囲まれて、空を見上げながらもぐもぐと頬張っている姿を見かけると、「今日も一日、がんばってください」と応援したくなります。

朝、お寺の前の歩道を軽快に歩く檀家(だんか)のお年寄りに、散歩ですかと問うと、「神社の境内でやっているラジオ体操に参加した帰りです」という答え。颯爽と手を振りながら去っていく後ろ姿に、こちらの心もすがすがしくなります。

同じころ、ビニール袋と火バサミを持って、町内の植え込みの中のゴミを掃除する檀家のご婦人がいます。毎日、袋の中はそこそこゴミが一杯になるのですから、街のクリーン隊長に頭が下がります。

いずれも朝のルーティーン。それぞれが、気持ちの良い朝の過ごし方を自分流に楽しんでいらっしゃるのです。

私はといえば、本堂で香りの良いお線香に火を点けて、静かに手を合わせる時間を持ちます。時間がないときでも、鐘をゴーンと叩いて、その響きが完全になくなるまで目を閉じてじっとしています。合掌する自分の手の温かさ、冷たさを確認できるのも、このときです。

■一日を気分良く始める、朝の習慣

その日一日のスタートをスムースにする「これが私の朝の過ごし方」のようなものが、あなたにもあることでしょう。

シャワーを浴びる、お気に入りのBGMを流す、香り豊かな紅茶、緑茶、コーヒーを味わう(お気に入りの飲み物ならば飲んでいるのではなく、味わっていることでしょう)など。

白い浴室にある放水中のシャワーヘッド
写真=iStock.com/igoriss
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/igoriss

他にも、

・朝一番で、窓を全開にして空気を入れ換える
・帰宅してからやろうとしていることを、朝のうちに少しでもやってしまう(私なら、出す予定の手紙の宛て名だけでも書いてしまうなど)

など。

朝を気持ちよく過ごすことで、その日を順調にスタートさせられる。その実感から、何かしらの方法を試している人は少なくないのです。慌ただしく朝をスタートさせれば、その日一日に良い影響を与えないのを、経験として知っているからです。

■「三日坊主」になってしまってもいい

しかし、疲れていて少しでも長く寝ていたい、寝起きはしばらく体が動かないなど、わかっちゃいるけどできないという人も少なくありません。

名取芳彦『上手に発散する練習 “風通しのいい心”になる考え方』(青春新書プレイブックス)
名取芳彦『上手に発散する練習 “風通しのいい心”になる考え方』(青春新書プレイブックス)

それでいいと思います。「こうしないといけない」と思ってやればそれがストレスとなり、できなければまたそれがストレスになります。

やってもやらなくてもストレスになるなら、無理にやるには及びません。

今日やろうと思ったけどできなかった、でいいでしょう。明日やればいいのです。明日できなかったら、明後日に笑顔で再挑戦すればいいのです。

あるいは、なんとなく気分が良くなるだろうとラジオ体操をやってみたり、ベランダや公園で朝食をとったり、シャワーを浴びたりすればいいのです。

やってみたら、かえって慌ただしくなったり、思っていたほど気分が良くならなければ、別の方法を考えてみればいいでしょう。友人や同僚からアイデアをもらう手もあります。

坊主の私が申しあげるのも変ですが「三日坊主」でいいと思うのです。

試してみてダメだったら、季節を変えてまたやってみることもできます。冬や早春に早起きするのが辛くても、春真っ盛りになれば気持ちよく起きられるかもしれません。

年齢によっても、朝の時間を気持ちよく過ごす方法は異なります。気分を高揚させるためのポップな曲を聴いていた人が、静かなクラシックの流れる朝に魅力を感じるようになることもあります。

昨日詰まったストレスの配管をクリーンにする、自分流の朝の過ごし方があります。

いろいろ試してみてはいかがですか。

何十種類か試す時間がないほど、人生は短くないと思うのです。

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名取 芳彦(なとり・ほうげん)
元結不動密蔵院住職
1958年、東京都江戸川区小岩生まれ。真言宗豊山派布教研究所研究員。豊山流大師講(ご詠歌)詠匠。大正大学を卒業後、英語教師を経て、25歳で明治以来住職不在だった密蔵院に入る。仏教を日常の中でどう活かすのかを模索し続け、写仏の会、読経の会、法話の会など、さまざまな活動をしている。著書に『気にしない練習』(知的生きかた文庫)、『いちいち不機嫌にならない生き方』(青春新書プレイブックス)などがある。

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(元結不動密蔵院住職 名取 芳彦)

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