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「王さんとパパ、どっちが偉いの?」息子にこう聞かれて野村克也はどう答えたか

プレジデントオンライン / 2021年1月30日 11時15分

開幕戦開始前のメンバー表交換時、談笑するソフトバンク・王貞治監督(右)と楽天・野村克也監督=2008年3月20日、福岡県 - 写真=時事通信フォト

2020年2月に亡くなった野球評論家の野村克也さんは、息子の克則さんが小さかったとき、「王さんとパパと、どっちが偉いの?」と質問されたことがある。そのとき野村さんはどう答えたか。自身が当時を振り返って解説する——。(第1回/全2回)

※本稿は、野村克也『弱い男』(星海社新書)の一部を再編集したものです。

■子育ては沙知代に任せっきりだった

克則が生まれた当時、私はまだ現役のプロ野球選手だった。

南海時代は監督も兼務していたし、南海からロッテ、そして西武に移籍したときは、現役最晩年ということもあって、「もうひと花咲かせてやる」の思いで、がむしゃらに野球に取り組んでいた。そんな時期にあったから、子育てについては沙知代に任せっきりだった。

一見すると「放任主義」のように見えるかもしれないが、要は仕事にかまけて「ほったらかし」というのが実情だった。プロ野球の世界では、私のような一部の例外を除けば、たいていはアマチュア時代に輝かしい実績を引っ提げてプロ入りする逸材ばかりである。

だから、入団当初からあれこれと口出しをせずに、まずは基礎体力作りを中心に据えて、「投げる」「打つ」という基本的なことは、本人の好きなようにやらせた方がいい。この時期にヘンに口出しをして萎縮させてしまうよりはずっといいからだ。

しかし、だからと言って何もアドバイスもせずに、ただ黙って見ているだけではその選手は伸びない。入団直後の初々しい時期だからこそ、基本の大切さ、ルールの重要性、集団生活のあり方などは徹底的に教え込む必要がある。それがきちんとなされていないと、最低限のルールやマナーを身につけられない選手となってしまうのだ。

■「王さんとパパと、どっちが偉いの?」

私が南海、ヤクルト、阪神、楽天の監督だった頃、選手たちに茶髪や無精ひげを禁止したのも、そんな理由からだ。古い考えだと思われるかもしれないが、「髪型の乱れは心の乱れ」だと私は信じている。身だしなみや「時間厳守」の考え方は、社会生活における最低限のルールだと考えている。

だから、どの球団でも、いつの時代であっても、私はこの点に関しては口うるさく言い続けたのだ。ところが、こと子育てに関して言えば、私はそんなことすら徹底できていなかった。放任主義とほったらかしはまったく似て非なるものだということすら、思い至っていなかったのである。

「王さんとパパと、どっちが偉いの?」

子どもの頃の克則にこんな質問を受けたことがある。説明するまでもないだろうが、「王さん」とはもちろん、「世界の王」こと王貞治のことだ。当時はワンちゃんもまだ現役選手だった。いや、現役引退直後のことだったかな?

記憶は定かではないが、いずれにしてもまだ小学生たちのヒーローとして「世界の王」の記憶が生き生きと息づいていた頃のことである。自分で言うのも照れるけれど、克則は父である私のことを尊敬していた。しかし、どうやら世間の評価は「野村より王」であるらしいことに気がついた。

しかも、王は生涯で868本ものホームランを放っているのに対して、私は現役通算657本。200本以上も彼の方が多い。「パパの方が偉いんだ」と信じたいけれど、「どうもパパの方が分が悪い」ということに、子どもながらに気がついていたようだった。

■「もちろんパパの方が偉いんだよ」とは答えられず…

ひょっとしたら、学校で「お前のお父さんよりも王さんの方が偉いんだ」と言われたのかもしれない。記録を振り返ってみれば、私が王に勝っているのは通算打席だ。2位の王が11866打席に対して、私は11970打席で史上1位だ。私自身は「長く第一線で活躍した証だ」とこの記録を誇りに思っている。

しかし、小学生の子どもにとって、ホームランや打率の方が華やかでわかりやすい。だから、克則は「パパの方が偉いんだよ」と言ってほしくて、「どっちが偉いの?」と尋ねたのだろう。このとき私は、「さて、どう答えればいいのだろう?」と思案に暮れた。

彼の気持ちを考えれば、「もちろんパパの方が偉いんだよ」と答えてあげた方がいいのかもしれない。しかし、私と王とでは打者としてのタイプが違うし、育ってきた環境も大きく異なるため、一概に「パパの方が偉い」とも、「王選手の方が偉い」とも言うことができない。

子ども相手に気休めを言いたくはなかった。

結局、いい答えが見つからず、「さぁ、どうかな? それは難しい問題だな」と、曖昧な返事をするのが精一杯だった。しかし、すぐに私は後悔した。たとえ、事情が複雑であったとしても、私の本当の気持ちを丁寧に説明すべきだと思ったのだ。

■父の代わりの王選手の記録を抜くことを夢見た克則少年

小学2年生になった克則は、こんな作文を書いた。

おとうさんとおかあさんのゆめは、ぼくが、ピッチャーマウンドにたってなげるんです。おとうさんのゆめは、ぼくが、おおせんしゅのホームランをぬくゆめです。ぼくは、ゆうしょうカップがもらいたい。ぼくは、野球がやりたいし、ピッチャーマウンドにたっておもいきりなげたい。ぼくは、いまリトルリーグにはいって、ピッチャーもやっている。

面白いのは「野球」だけ漢字で書かれていることだ。特に漢字の勉強に熱心だったわけではないので、他の漢字は書けないのに、「野球」だけは自然に覚えたのだろう。この頃、彼とはこんなやり取りも交わしている。

「パパは甲子園に出たことはあるの?」
「いや、ないよ」
「どうしてパパは甲子園に出られなかったの?」
「パパの高校はあんまり強くなかったからね」
「甲子園に出たかった?」
「もちろん出たかったよ。甲子園に出られたら一生の思い出になるからね」

プロ野球の選手の中には、高校時代に甲子園出場経験のある者と、そうでない者との間に明確な違いがある。毎年、春と夏の高校野球のシーズンが訪れると、甲子園出場経験のある者はにわかに活気づき、出場経験のない者は何となく肩身の狭い思いをするのだ。

■やっぱり父は弱い

さて、このやり取りは、以下のように続く。小学校入学直後、克則の成績は「ABC三段階」で、ほとんどが「C」だった。しかし、2年生になる頃には、少しずつ「B」が増え始めていた。そこで、私はつい嬉しくなって、「勉強を頑張っているから、ごほうびに腕時計を買ってやろうか」と言ってしまった。

野村克也『弱い男』(星海社新書)
野村克也『弱い男』(星海社新書)

内心では「さすがに小学2年生で腕時計は早すぎるかな?」という思いもあった。すぐに「なんてことを口走ってしまったのか」と後悔したものの、克則はすでに大喜び。仕方なく私は「条件」を出すことにした。

「お小遣いを貯金して5000円貯まったら、足りない分をパパが出してあげる」

こうすれば、貯金の習慣も身につくし、お金のありがたさも理解できるし、何よりも算数の勉強に役に立つ。そんな大義名分を自分に与えることで、私は克則との約束を正当化しようとしたのだった。それ以降、克則は一生懸命貯金に励んだ。

そして半年が経過した頃、ついに目標額の5000円が貯まった。すると克則は言った。「せっかく貯めたんだから、もっともっと貯めたい。このお金はこのままにしておいてもいいでしょう?」私は内心ではホッとしていた。ところが、そうは問屋が卸さなかった。

「貯金は続けたいけど、腕時計もほしいな。お願いだから、買ってよ!」

こうなると、父親というのは弱いものだ。彼に言われるがままに、私は全額払って新品の腕時計を買う羽目になった。小学校低学年の子どもにはまだ早かったかなという思いもあったが、喜ぶ克則の姿を見ていると、そんな迷いもすぐになくなってしまった。やっぱり、父は弱い――。そんなことを痛感しつつも、その後も何度も同じことが繰り返されることとなった。

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野村 克也(のむら・かつや)
野球評論家
1935年、京都府生まれ。54年、京都府立峰山高校卒業。南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)へテスト生として入団。MVP5回、首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回、ベストナイン19回などの成績を残す。65年には戦後初の三冠王にも輝いた。70年、捕手兼任で監督に就任。73年のパ・リーグ優勝に導く。後にロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)、西武ライオンズでプレー。80年に現役引退。通算成績は、2901安打、657本塁打、1988打点、打率.277。90~98年、ヤクルトスワローズ監督、4回優勝。99~2001年、阪神タイガース監督。06~09年、東北楽天ゴールデンイーグルス監督を務めた。

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(野球評論家 野村 克也)

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