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「野球を取るのか、女を取るのか」そう問われた野村克也は迷わず不倫相手を選んだ

プレジデントオンライン / 2021年1月31日 11時15分

握手会でファンに色紙を渡す楽天の野村克也監督(中央)と沙知代夫人(左)=2009年1月29日、宮城・仙台市内のホテル

2020年2月に亡くなった野球評論家の野村克也さんは、1977年に南海ホークスの監督をクビになっている。原因は「愛人問題」だった。球団のオーナーに「野球を取るのか、女を取るのか」と問われた野村さんは「女を取ります」と答え、不倫相手だった沙知代さんとの結婚を選んだ——。(第2回/全2回)

※本稿は、野村克也『弱い男』(星海社新書)の一部を再編集したものです。

■妻である沙知代の口癖

沙知代にはいかなることにも動じない強さがあった。

人前で弱気な一面を見せることもなかったし、弱音を吐くようなことも絶対になかった。一方の私は、つい弱気になり、ネガティブになり、ボヤキばかりを口にする人間で、沙知代とは何もかもが正反対だった。

「あなたは牛若丸で、私は弁慶。いつも私が前に立ちはだかって、“矢でも、鉄砲でも持ってこい!”って、あなたを守り通してきたのよ」

生前の沙知代の口癖だ。まさに、その通りだったと私も思う。

もう一つ、彼女の口癖だったのが「なんとかなるわよ」という言葉だった。これまでの人生で、私はこの言葉に何度も勇気づけられてきた。彼女は「地球は私を中心に回っている」と本気で考えていたんじゃないかというほど、常に堂々としていた。

対する私は、とうていそんな思いを抱くことなどできず、常に不安とともに生きてきた。野球においても、常々私は「投手はプラス思考、捕手はマイナス思考がうまくいく」と考えていた。だからこそ、ピッチャーとキャッチャーのコンビのことをプラスマイナスを併せ持った「バッテリー」と言うのだと思っている。

そういう意味では、私は仕事でもプライベートでもキャッチャーだったのだろう。沙知代の「なんとかなるわよ」にもっとも勇気づけられた日のことを話したい。

■「野球を取るのか、女を取るのか」

あれは1977年のことだった。

この年、私はプレイングマネージャー8年目を迎えていた。この年のペナントレース最終盤において、私は南海ホークスからクビを告げられた。チーム成績は2位だった。決して成績不振の責任を取らされたわけではなかった。原因は沙知代だった。

当時、私はまだ前妻との離婚が成立していなかった。結婚生活は完全に破綻していたものの、それでも世間から見れば「不倫」とみなされるのも仕方のないことだった。このときにはすでに克則も生まれていた。

当時、沙知代と暮らしていた大阪の自宅マンションに泥棒が入ったことにより、彼女との関係が明るみに出てしまったのだ。スポーツ新聞には連日、「野村克也愛人問題」が報じられた。人気商売であるプロ野球監督のスキャンダルは日に日に大きくなっていく。

中には「愛人がコーチ会議に出席して我が物顔をしている」とか、「愛人が南海打線を決定している」とか、事実無根の報道も多かったが、事態は収拾できないほど混乱の一途をたどっていた。球団としても、この騒動をそのまま放置しておくわけにもいかず、オーナー、球団代表、後援会長、後援者らが集まったトップ会議の末、私の監督解任が決定した。

南海の名物オーナー、川勝傳さんは最後まで私をかばってくれたようだった。しかし「野球を取るのか、女を取るのか」と問われ、「私は女を取ります。仕事は他にいくらでもありますが、伊東沙知代という女性は世界に一人しかいません」と答えた結果、解任となった。

■「大阪なんて、大嫌い。みんなで東京に行こう!」

母を亡くしていた私にとって、頼れる者は沙知代しかいなかった。

実直な兄も沙知代との交際には反対だった。それによって、その後も長く確執が続くこととなってしまった。このとき、すでに克則は4歳になっていた。小さな子を抱えて、仕事も失い、誰も頼りにできない八方ふさがりの状況下で、沙知代は言った。

「大阪なんて、大嫌い。みんなで東京に行こう!」

辛いことばかり続いていた大阪生活に見切りをつけ、彼女は慣れ親しんだ東京での暮らしを選んだのだ。こうして、私たち親子は東京で暮らすことを決めた。

南海を退団するとき、私は球団関係者に「私がいなくなったら、南海はダメになりますよ」と捨て台詞を残したのはせめてもの意地だった。実際に、その後南海は下降線をたどっていく。意地の悪い言い方になるが、それはとても気分のいいものだった。

私はすでに42歳になっていた。南海を追い出され、その後も野球を続けられるのかどうかは未知数だった。これからどうやって生きていけばいいのか。予定されていた日本シリーズのゲスト解説もキャンセルされていた。(オレはもう、野球で食っていくことはできないのか……)私は目の前が真っ暗な気持ちのままで、東名高速を走っていた。

このとき、意気消沈している私を前に、沙知代が大きな声で言った。「なんとかなるわよ」さらに、沙知代は続けた。「あなた、今年は42歳の本厄なんだから、これも厄払いだと思えばいいじゃないの」この言葉は本当に力強かった。勇気づけられた。

(そうだな、なんとかなるよな。もう一度、できるだけのことはしよう……)

あの日、愛車の中で感じた思いは一生忘れることはないだろう。そして、実際になんとかなったのだ。

■1日2回以上の講演活動で全国各地を飛び回る

金田正一監督に請われる形でロッテオリオンズへの入団が決まったのだ。ロッテにはわずか1年だけの在籍となったが、79年からは誕生したばかりの西武ライオンズに移籍し、翌80年まで現役生活を続けることができた。

沙知代の言う通り、本当に「なんとかなった」のだった。こうして振り返ってみると、「私が弱い」のは疑いようのない事実ではあるけれど、それ以上に「沙知代が強い」と言った方がいいのかもしれない。第一章で触れたように、味方の失敗を願ってしまった自分の身勝手さを痛感し、現役引退を決め、まずは沙知代に「ユニフォームを脱ごうと思う」と伝えたときも、彼女は何も動じることなく平然としていた。

「ふーん、そうなの」と何の感慨もない反応を示し、続けて、「なんとかなるわよ」このときも、このセリフを口にしたのだ。現役引退後、沙知代と過ごす時間が増えた。当時の私の主な仕事は、テレビやスポーツ新聞の野球解説、評論に加えて、意外なことに講演活動がたくさん舞い込んできた。そのスケジュール管理はすべて沙知代に任せていた。

マネージャーとしての彼女はもうメチャクチャだった。舞い込んだ依頼はほぼすべて受けていたため、1日に2回、ひどいときには3回も講演した。休日もほとんどなかった。沙知代に命じられるまま、全国各地を飛び回る日々が9年間も続いた。

「オレを殺す気か!」と沙知代に言ったことは一度や二度ではない。それでも、身体は大変だったけれど、多くの人に必要とされていることが嬉しかった。貧乏だった少年時代のことを考えれば、こうして仕事に恵まれ、それなりの報酬を得られることも幸せだった。人は他人から必要とされたり、求められたりしたときに幸せを感じるのだろう。

■沙知代はベストパートナーだった

こうした評論、講演活動が認められて、1990(平成2)年からはヤクルトスワローズの監督を務めることとなった。92年には14年ぶりのセ・リーグ制覇を実現し、翌93年には当時黄金時代の真っ只中にあった西武ライオンズを破り、悲願の日本一に輝いた。ヤクルトでは、本当にいい思いをさせてもらった。

野村克也『弱い男』(星海社新書)
野村克也『弱い男』(星海社新書)

95年、97年と、在任9年間でリーグ優勝は4回、日本一には3回も輝いた。その後も、阪神タイガース、社会人野球のシダックス、そして東北楽天ゴールデンイーグルスでも監督を任された。

現役時代、評論家時代、そして監督時代――。改めて振り返ってみても、なかなか充実した野球人生だったと思える。監督として結果を残せたことも、残せなかったこともあったが、大好きな野球と関わり続けることができたのは本当に幸せだった。

かつて南海をクビになり、暗澹たる思いで東京に向かっていたあの日の東名高速のことを思えば、こんなに充実した人生を送れるとは思ってもいなかった。しかし、沙知代にとっては「そんなことは当たり前よ」という心境なのだろう。

彼女の言う通り、本当に「なんとかなった」のだ。根っからのマイナス思考の私にはとても真似のできない考え方だが、人生を生きる上での大切な処世術だ。いろいろ言われることの多い妻だったけれど、私にはベストパートナーだった。沙知代が亡くなった今、改めてそんなことを感じているのである。

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野村 克也(のむら・かつや)
野球評論家
1935年、京都府生まれ。54年、京都府立峰山高校卒業。南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)へテスト生として入団。MVP5回、首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回、ベストナイン19回などの成績を残す。65年には戦後初の三冠王にも輝いた。70年、捕手兼任で監督に就任。73年のパ・リーグ優勝に導く。後にロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)、西武ライオンズでプレー。80年に現役引退。通算成績は、2901安打、657本塁打、1988打点、打率.277。90~98年、ヤクルトスワローズ監督、4回優勝。99~2001年、阪神タイガース監督。06~09年、東北楽天ゴールデンイーグルス監督を務めた。

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(野球評論家 野村 克也)

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