「葬儀費用は400万円超、貸金庫の中身は卒業証書」森永卓郎が味わった相続地獄
プレジデントオンライン / 2021年2月5日 11時15分
※本稿は、森永卓郎『相続地獄 残った家族が困らない終活入門』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
■現金がなければ、葬儀すら開けなかった時代
体は半身不随ではあるものの、父の頭脳は現役時代と変わらずしっかりしていた。とにかく気持ちが前向きで、死去する直前までNHKラジオでイタリア語の基礎講座を勉強したり、英語の放送を聞いていたものだ。
2011年3月11日、東日本大震災が起きてから父の様子が急変した。介護施設のテレビで津波の生々しい映像を見て、相当なショックを受けたらしい。それまでもあまり話さなくなっていたのだが、震災後は、ずっと黙りこむようになった。そして震災後、しばらくして、とうとう父は亡くなった。
相続の七面倒くさい手続きの前に、何はともあれ通夜と葬儀を営まなければならない。親が死んだ瞬間、当人の預金口座は、即座に凍結される。通夜や葬儀代がかかるからといって、あの世に旅立ってしまった親の銀行口座から、勝手にキャッシュを引き出すことはできないのだ。
民法が改正されたおかげで、2019年7月から葬儀費用を親の銀行口座から引き出せるようになった。私の父が亡くなった当時は、その費用すら自分で準備しなければならなかった。とりあえず手持ちのキャッシュがなければ、葬儀すらまともに開けなかったのだ。
■通夜と葬儀だけで300万~400万円はかかった
父は毎日新聞社を退社してから大学の専任講師を長く務めていたため、通夜の席に卒業生が大勢押しかけてドンチャン騒ぎが始まった。「故人をしのぶ」という名目で、大学のゼミの大同窓会になったのだ。
父を慕ってわざわざ来てくれた教え子に、「そろそろ宴もたけなわですので」なんて野暮なことは言えない。「今日は父の思い出を話しながら、どんどん食べて飲んでいってください」と言って、寿司だのビールだのを次々と運んでもらう。おのずと費用はかさむ。
はっきりとは覚えていないが、通夜と葬儀だけで300万~400万円、あるいはもっとかかったかもしれない。
東日本大震災の直後だったこともあり、参列者からいただいた香典は被災地の復興のために全額寄付した。だから何百万円もかかった葬儀費用は、全部私が支払った(最終的に弟と折半することになったが)。
最近では僧侶を呼ばず、読経(どきょう)や戒名(かいみょう)を省略する簡素な葬儀が市民権を得ている。ごくわずかな身内だけで死者を弔(とむら)う「家族葬」「直葬」も増えているそうだ。この方式であれば、棺桶(かんおけ)代や火葬場に支払う諸経費だけで葬儀費用を20万~30万円まで抑えられる。
私のように、100人単位の参列者を迎えるとなると話は違う。いざ親が亡くなった瞬間、100万円単位の大きな出費が発生する可能性があることを、読者の皆さんは今から知っておいてほしい。
■相続税の申告「期限はたった10カ月」
父が亡くなってから、10カ月にわたって続く「相続地獄」第1章が始まった。遺産分割協議や相続税の申告は、死去から10カ月以内に完了しなければならないと法律で決まっている。10カ月というと「1年近くあるじゃないか」と思うかもしれないが、本当にあっという間だ。皮膚感覚では「一瞬」というくらいあっという間だった。
横着して申告期限の10カ月を超過すると、脱税で立件される可能性がある。私は「経済アナリスト」という肩書きでテレビやラジオに出演し、日本中で講演会をこなし、大学の教員も務めている。立場上、脱税で捕まれば職業生命に関わる。だから正直言って、とても焦った。
相続税を節税しようとは思わなかった。天から降ってきたようなお金だからだ。ただ、とにかく期限内に正確に申告しなければ、自分の身が危うくなる。そこで父の死去直後から、相続税について猛勉強を始めた。そして、なすべき仕事を片っ端からこなしていった。
不幸中の幸いと言おうか、東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故によって、日本中に自粛ムードが漂(ただよ)っていた。講演会やイベントなどの予定は、軒並みキャンセルになった。
「この10年間でこんなにスケジュール表が空いていることはない」というほど暇だったおかげで、奇しくも相続対策に全力を傾注できた。もし父が亡くなったのが2011年でなければ、とてもあの膨大な作業を一人でこなすことは不可能だったと思う。
以下、私が取り組んでいった膨大な作業を、覚えている限り、ご紹介しよう。
■父と貸金庫を開けた、相続地獄前夜の出来事
まず最初に、某銀行の高田馬場支店にある父の貸金庫を開けに行った。
![貸金庫](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/9/6/670/img_96a1b9f5d3d03acf5eda6d0f7a0ce0e2292291.jpg)
父が生きている間に一緒に銀行に出かけておいたおかげで、息子の私でも代理で貸金庫を開けられるように手続きは済んでいた。話は前後するが、この手続きの段階ですでに「相続地獄」の前夜は始まっていた。今思い返しても腹が立つ事件があったのだ。
半身不随になった父が、万が一のときのために、自分の貸金庫を私も開けられるようにしてくれると言った。「それも必要かな」と思って、銀行に聞くと、父と私と二人揃(そろ)って銀行に出向いての手続きが必要だという。
仕方がないので、「要介護4」の父を自家用車に乗せ、銀行まで出かけた。車イスのまま乗せられる車ではないので、自動車への乗り降りだけで大わらわだ。
■これは「障碍者差別」ではないのか
ようやく銀行にたどり着くと、「貸金庫の窓口は2階にあります」と言う。「じゃあエレベーターで上がります」と言うと「ウチの銀行にエレベーターはありません」と言うではないか。
![森永卓郎『相続地獄 残った家族が困らない終活入門』(光文社新書)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/4/8/200/img_4845015621faa62fa01de43891087ea0174804.jpg)
「じゃあ、悪いんですけど貸金庫の担当の人が1階に下りてきてくださいよ」
「すみませんが、それはできません」
「えっ、どういう意味ですか」
「契約者であるお父さん本人が2階に来ていただかないことには、手続きはできません」
こんなものは嫌がらせにほかならないし、もっと言うと障碍者(しょうがいしゃ)差別だとすら思う。目の前に車イスに乗った高齢の身体障碍者がいるというのに、「臨機応変」の「り」の字も見当たらない。いくら事情を説明しても言うことを聞いてもらえず、「とにかく2階に来てください」の一点張りだ。
仕方がないので、銀行員に手伝ってもらいながら私が父をおんぶして、妻が横から支えながら銀行の2階に連れていった。こうしてようやく私もカギをもらい、貸金庫を開けられるようになったのだ。
実はこれが、父の生前に私がやっておいた唯一の相続対策だった。この秘策によって起死回生を図るはずだったのだが、状況は暗転する。
■卒業証書に思い出のパンフレット…金目のものはほぼなかった
今でも悔やまれる。なぜあのとき、父と一緒に貸金庫の中身を確認しておかなかったのだろう。人生最大のミスに近い、あまりにも致命的なミスだった。
貸金庫というからには、キャッシュカードや通帳、印鑑や貴金属、保険証券や証書が入っていると誰もが想像する。ところが父の死後、高田馬場の銀行へ出かけて貸金庫を開けてみると、そこには金目のものはほとんど入っていなかったのだ。
貸金庫の中には、大学の卒業証書や思い出のパンフレットなど、金銭的価値がまったくないシロモノがぎっしり詰まっていた。唯一金目のものといえば、軍人国債が出てきたのは意外だった。私は現行の金融商品はだいたい知っているものの、軍人国債の現物はあのとき初めて見た。
![卒業証書の入った筒](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/8/8/670/img_8826724f5fbde426d6e167c8e1a289b3303312.jpg)
■特攻隊員の父が大切にしていた「軍人国債」
特攻隊員だった父は、一度国のために命を捨てた身だ。だから自分が軍人だったことに強い誇りをもっていた。軍人国債には切符のような紙がついていて、それを切り取るとお金と交換してくれる。誇り高き軍人である父は、もったいないことにそれを切り取らずにずっと大事にもっていた。
軍人国債には有効期限がある。有効期限が切れたものもあったのだが、何十万円分か、まだ権利が残っているものがあった。
ちなみに、相続を申告するとき税理士に「この軍人国債も申告しなければ駄目なんですかね」と訊いたところ「とにかく金目のものは全部出してください」と言われた。だから、まだ引き換え期間の到来していない切符も含めて、すべて申告した。
貸金庫に預金通帳や不動産の権利書、証券会社の口座の残高明細書といったものが入っていれば、相続対策はほとんど一件落着の予定だった。ところが、貸金庫を開けた瞬間、「まずい。これは全然手がかりがないということだぞ……」と、明日から押し寄せる膨大な作業量を覚悟した。
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経済アナリスト、獨協大学経済学部教授
1957年生まれ。東京大学経済学部経済学科卒業。専門は労働経済学と計量経済学。著書に『年収300万円時代を生き抜く経済学』『グリコのおもちゃ図鑑』『グローバル資本主義の終わりとガンディーの経済学』『なぜ日本経済は後手に回るのか』などがある。
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(経済アナリスト、獨協大学経済学部教授 森永 卓郎)
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