EUを離脱したイギリスが生き残るには、日本主導のTPPに加盟するしかない
プレジデントオンライン / 2021年2月5日 11時15分
※本稿は、茂木誠『世界の今を読み解く「政治思想マトリックス」』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
■社会主義路線の挫折から「サッチャリズム」へ
1979年、ついに労働党の社会主義路線に終止符が打たれます。新自由主義経済を掲げるサッチャー保守党政権が誕生したのです。
「鉄の女」の異名をとるマーガレット・サッチャー首相は、国営事業の民営化をはじめとする数々の経済政策を断行し、イギリス経済の立て直しに乗り出します。日本で言えば、1980年代後半、自民党の中曽根政権が国鉄、専売公社、電電公社を民営化したのと同じようなことをやったわけです。
さらに規制緩和によって外資の参入を認め、市場原理による自由競争をイギリスに持ち込みました。これら一連の経済政策を「サッチャリズム」と呼びます。
■方針を大転換した「ニュー労働党」
サッチャリズムによってイギリス経済は回復したものの、経済の自由化に大きく舵を切ったことで、失業率の上昇と経済格差を招き、国民の不満は高まりました。サッチャリズムは次のメージャー政権に受け継がれましたが、格差を広げた保守党政権への国民の不満が募り、1997年、政権はブレア党首が率いる労働党に移りました。
しかし、ソ連が崩壊して冷戦が終結すると、拠り所を失ったイギリス労働党の勢いに陰りが見え始めました。そこで労働党のブレア政権は、生き残りをかけた方針の大転換を図ります。アメリカ的自由主義経済やグローバリズムも認めることにしたのです。
■保守党との違いを打ち出せなくなった労働党
ブレア政権は、1997年から2007年まで10年間続きました。これはアメリカのブッシュJr.大統領の任期(2001~09年)と重なります。
ブッシュJr.大統領がネオコンにそそのかされてイラク戦争(2003年)を始めた時、アメリカと一緒になってイラク攻撃に参加したのがブレア首相でした。結局、イラク戦争開戦の前提となった大量破壊兵器は見つからず、ブッシュ大統領に追随したブレア首相は、「ブッシュJr.のプードル犬」という不名誉なあだ名で呼ばれる羽目になりました。
グローバリズム路線に転向した結果、保守党との違いを明確に打ち出せなくなった労働党は、2010年にはキャメロン率いる保守党に政権を明け渡してしまいます。その後、テリーザ・メイ首相、ボリス・ジョンソン首相が率いる保守党政権が長く続きます。
■ブレグジットの発端は移民問題だった
2016年6月、イギリスで国民投票が実施されると、欧州連合(EU)からの離脱派が残留派をわずかに上回り、EUからの離脱(ブレグジット)が決まりました。
前回の記事(「日本より小さい島国のイギリスが『世界帝国』になれた世界史の新常識」)を思い出していただきたいのですが、イギリスは欧州共同体(EC)に加盟する際、自国通貨ポンドを手放さない、移民は受け入れない、という自国に有利な条件を引き出していました。つまり、市場拡大による経済的メリットを享受しながら、移民流入というデメリットだけを排除した「おいしいとこ取り」でした。そんな独自のスタンスを維持してきたイギリスが、なぜEUを離脱する必要があったのでしょうか。
それはキャメロン政権に対して、ドイツがEUへの予算増とシリア難民の受け入れを要求してきたからです。ヨーロッパで移民問題が深刻化した2010年以降、「欧州各国と歩調を揃えてイギリスも移民を受け入れてほしい。そうでなければ、費用を負担して」とドイツのメルケル首相が圧力をかけました。
移民流入を許せば、自国民の雇用が奪われ、高失業率や経済低迷、社会不安などの問題が生じるのは必至です。「だったらEUに留まるメリットは少ない。むしろデメリットのほうが大きいじゃないか」という考えから、「EUから抜けよう」という気運がイギリス国内で高まっていったのです。
■国民投票実施というキャメロンの判断ミス
EU離脱の是非を問う国民投票を行ったのはキャメロン首相ですが、彼は本気でEU離脱を望んでいたわけではありません。「離脱派は4割くらい」と高をくくって、国民投票の結果をドイツとの交渉の道具にするつもりでした。彼が思い描いていた戦略はこうです。「国民投票の結果、EU離脱は免れたけれども、離脱派が4割もいます。イギリス国民が嫌がっているから、移民は受け入れられません」と、移民の受け入れを断る口実をつくることだったのです。
しかし、蓋を開けてみれば、離脱派が過半数を超えていました。この結果は、キャメロンだけでなく、イギリス国民にも衝撃を与えました。思いがけずパンドラの箱を開けてしまったことに対して、「もっとよく考えるべきだった」と動揺したイギリス国民も多かったはずです。
ここから、EU離脱に向けたイギリスのドタバタ劇が始まります。責任者のキャメロンは辞任し、後任のメイ首相が離脱交渉を引き継ぎましたが、彼女も本音ではEUから抜けたくないので、離脱交渉は一向にまとまりませんでした。
ブレグジットが混迷した要因は、保守党内の分裂です。メイ首相が目指したのは、EUとの関係を維持しながら緩やかに離脱する「ソフトブレグジット」でした。EUとの関係を完全に切るのではなく、統一市場へのフリーアクセスは残しておきたいとする穏健派の立場です。それに対して、ソフトブレグジットを「生ぬるい」と批判し、EUからの即時完全離脱を唱えたのが、「ハードブレグジット」派です。
イギリス世論の分裂を背景に、政権与党の保守党内部で噴出した親EU派と反EU派の対立。これはつまり、グローバリズムとナショナリズムの対立です。ブレグジットがすったもんだしたのは、これが理由でした。
■ボリス・ジョンソンとは何者か
反EU派の急先鋒に立ったのが、保守強硬派のボリス・ジョンソンです。
保守系メディア出身の彼は、一貫して反EUの立場を取り続けてきました。ジャーナリストとして活動していた1990年代から、ジョンソンはEU離脱を主張していましたが、当時は彼のような考え方は極めて異端でした。ちょうどユーロが世界に流通し始めた頃で、多くのイギリス国民はEUに対してバラ色の未来を思い描いていたからです。
その後ジョンソンは政治家に転身し、下院議員、ロンドン市長を歴任します。2010年代に入ってEUで移民問題が深刻になり、イギリスにも波及してくると、イギリスの世論がようやくジョンソン側になびいてきます。EU離脱派が勝利した2016年の国民投票では、ジョンソンは旗振り役を務めました。
■「イギリス・ファースト」を掲げるジョンソン
離脱派の勝利を受けて、当時のキャメロン首相が辞任を発表すると、次期首相にジョンソンを推す声が高まります。ところが、国を二分した国民投票でイギリスが大混乱に陥る中、ジョンソンは保守党党首選に名乗りをあげず、逃げるのです。ジョンソン側についた離脱派の人たちを裏切る行為でした。
尻拭いをさせられる形となったテリーザ・メイが政権を引き継ぎ、ジョンソンは外務大臣に起用されます。そして2019年7月、ソフトブレグジットに行き詰まったメイ首相が辞任すると、ようやくジョンソンが後任に就いたというわけです。
ジョンソン首相は、個性的な金髪や荒っぽい口調、「自国ファースト」の主張までもトランプ氏にそっくりです。イギリスはイギリスの国益を追求すべきであって、国益につながらないことにこれ以上お金を費やすべきではない。これが「イギリス・ファースト」を掲げるジョンソン首相の主張です。
ハードブレグジットを主張するジョンソン首相の強硬姿勢は、保守党内で大きな反発を招きました。強硬離脱を阻止しようとする反対派との攻防の末、2020年1月31日、イギリスはついにブレグジットを果たすのです。
■保守党も労働党も「自国第一主義」に傾く
移民問題に端を発したイギリス国内におけるナショナリズムとグローバリズムの対立は、ナショナリズム側に軍配が挙がりました。ドイツの「ドイツのための選択肢(AfD)」やフランスの「国民連合(RN)」のような第三極が生まれるのではなく、二大政党の一つがナショナリズムにぐっと傾いたのがイギリスの特徴です。
一方の労働党は、2010年にキャメロン保守党に政権を奪われて以降、原点回帰しつつあります。ブレア政権期にはアメリカにすり寄ってグローバリズムを標榜しましたが、保守党との対立軸が不明確となり、政権を失った以上、「もう一度、労働者政党という本来の姿に戻るべきだ」と、自国第一主義に傾き始めたのです。
この結果、労組出身の叩き上げ、最左派ジェレミー・コービンが党首に選ばれました。彼は移民受け入れが賃金を引き下げることを理解し、EUには懐疑的でした。
しかし、自由貿易を盲信する党内の多数派を説得できず、ブレグジットに対して労働党はふにゃふにゃした態度を取り続けたため、国民の支持を集めることができませんでした。
この点、うつろいゆく世論の機を見るに敏な保守党のジョンソン政権がハードブレグジットに完全に振り切ったのとは対照的でした。
■孤立したイギリスの活路はどこにあるのか
EUを離れたイギリスは今後、どのような道を歩むのでしょうか。
キャメロン政権は一時期、EUに代わる巨大市場として中国に期待を寄せ、すり寄ろうとしました。習近平を国賓として招き、バッキンガム宮殿に泊まらせたほどです。しかし、今後ますます悪化していく米中関係を考慮すると、中国に肩入れしてアメリカに睨まれるのは得策ではありません。
イギリスが生き残る道は、アメリカとの自由貿易協定で北米市場と結びつくこと。もう一つは日本主導のTPPへ加盟し、環太平洋地域に市場を求めることです。
ただ、ヨーロッパの国であるイギリスがTPPに参加できるのか? まったく問題ありません。南太平洋にピトケアン諸島という海外領土を持つイギリスは、「太平洋沿岸国」であり、TPP加盟が可能なのです。
また、中国封じ込めを目的とした日・米・豪・印の軍事協力体制にイギリスが加われば、これは21世紀の日英同盟であり、太平洋版のNATOが誕生する可能性もあります。
すでにイギリス軍と自衛隊の共同訓練も始まっています。米・英・カナダ・豪州・ニュージーランドの英語圏5カ国が機密情報を共有する「ファイブ・アイズ」という組織がありますが、2020年に河野太郎防衛大臣(当時)に対し、イギリスの防衛大臣が「ファイブ・アイズへの日本の参加を歓迎する」と呼びかけています。日本にとっても、日米同盟に代わる多国間での安全保障パートナーシップを構築することは望ましいのです。
世界は、EU(ドイツ)・中国のユーラシア大陸枢軸陣営と、米・日・英・インドなどの海洋国家陣営とに分かれつつある。私には、そう見えます。
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駿台予備学校・N予備校世界史講師
歴史系YouTuber、著述家。YouTube「もぎせかチャンネル」では時事問題について世界史の観点から発信中。近著に『「米中激突」の地政学』(ワック)ほか、『パンデミックの世界史(仮)』(KADOKAWA)を2020年秋刊行予定。
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(駿台予備学校・N予備校世界史講師 茂木 誠)
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