「悩み苦しむ中間管理職芸人」ビビる大木が心に沁みた渋沢栄一の金言
プレジデントオンライン / 2021年2月12日 9時15分
※本稿は、ビビる大木・著『ビビる大木、渋沢栄一を語る 僕が学んだ「45の教え」』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■番組で与えられた役割に全力をつくす
僕は、巨人軍の亀井善行選手なんです。いろいろな監督に僕は呼ばれて顔を出して、オンエアの仕方で、「今日、大木は8番で打ってくれな」「今日珍しく1番な」と言われると、「わかりました」みたいな、本当に日々打順が変わるわけです。
ときには、「とりあえずスタートはベンチにいてくれ」という場合もあります。途中で、「大木いくぞ」ということもありますから、言われたとおりに対応します。ですから、いろいろな打順、ポジショニングを経験することは、46歳の僕にとって、これからどんどん大人になっていくうえでは、プラスになることが大きいと思っています。
ただ、見る人によっては、器用貧乏と言ってくるわけです。こちらは器用貧乏ではなく、監督が望まれることに不器用なりに対応しているだけです。言われたら、とりあえず「やらなきゃな」と思うわけです。そのために、スタジオに行っているわけですから。それで、器用貧乏みたいなことを言われると、「うーん」と唸り声を上げて、難しい表情の僕になっているはずです。
そこで、監督に言われたから今日は6番というときには、「じゃあ、プラスアルファで何をするか」ということなんです。そのプラスアルファが見つからないときもあるので、「ビビる大木、苦しむ46歳」になります。これは、僕に限らず同世代のお笑い芸人たち共通の思いです。
■「大木さん、器用だよね」と言われるけど…
「大木さんは、器用なんですか?」と雑誌の取材でも質問されることがあります。「僕、器用じゃないですよ、不器用な人間なんです」と答えます。仕事をしていても、「大木さん、器用だよね」と言われます。
たぶん、相手は好意的に言ってくれているのでしょう。そして、「ああ、器用に見えてるんだ。そうか、僕の裏の気持ちを知らないからそう見えているのかな」と思っています。
しかし、問題は「器用か、不器用かの問題ではなく、どちらにせよ、生きていかなきゃならん!」ということです。
そうなんですよ、結局は。「器用であろうがなかろうが、生きていくしかない」という前提で、生きていく。そうなれば、努力するでしょう。ここに、お笑い芸人ビビる大木46歳の矜持があると思っています。
■「命とられるわけじゃないんだから」
たとえ、今日の収録時にミスしようが何しようが、どっちにしろ、「生きていかなきゃならん」。ここで、日本中の「中間管理職」の方たちもそんな気持ちで生きているんだと思うと、勇気がふつふつと湧いてくるんです。
それから、「もう一つうまくいかないな」というときに、僕の友達のお母さんに昔、言われたことがあります。「失敗したって命とられるわけじゃないんだからいいじゃん、失敗ぐらいなんじゃ」と言われて、本当に気が楽になりました。
その意味と同じで、渋沢さんの「やれるところまで、妥協せずにとことんやれ。あとは天命に任せて悔やむな」という言葉も温かいなと思いました。
![空のテレビスタジオ](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/4/d/670/img_4d232ef4bcded39ad65a33007ba038e6371262.jpg)
「生きていかなきゃならん!」という僕の内側から生まれる声なき声に、とことん努力して、あとは「天命に任せる」。ありがとうございます、渋沢さん!
■これがビビる大木の座右の銘だ
僕がすごく好きなのは、幕末もそうですが、プロレスもまた好きなのです。ジャイアント馬場さんが全日本プロレスのモットーとしていたのが、「明るく・楽しく・激しく」です。僕はこの言葉が好きで、座右の銘にしました。
全日本プロレスも見ていましたが、僕は新日本プロレスをよく見ていました。見ながら、「明るく楽しい戦いとは何だろうな」と考えていました。プロレスファンの方たちは、「もっとヘビーで、殺伐とした試合を求めているのではないか」と思っていたからです。
■40歳を過ぎて分かった「激しさ」の意味
大人になり、40歳を過ぎたあたりから、「猪木さんと馬場さん、僕は両方好きですが、馬場さんの存在はやはりすごかった」と思うようになりました。ですから、「明るく・楽しく・激しく」という意味合いも、「明るく楽しくして、そこに激しさがあるといいよな」と、40歳を過ぎてからしっくりしてきました。その激しさの中に、馬場さんは強さとか、ときにははみ出す意味も含んでいたのではないかと思います。
馬場さんは、ルールを破った人間をあまり好きではなかったようです。ギャンブルばかりしていた選手をクビにするなど、「レスラーである前に、人であれ」と語っていました。もともと巨人の投手でしたから、そのようなことをおっしゃるのだと思います。
猪木さんはモハメド・アリや柔道家と試合をすることで、プロレス界に異種格闘技を持ち込みました。
馬場さんも異種格闘技を1試合だけやりましたが、基本、馬場さんは猪木さんが異種格闘技に走ったので、プロレス道に突き進みました。「向こうが格闘技的なことをやるなら、こちらは純プロレスでいこう」と思ったに違いありません。途中から、一切、格闘技を入れなかったのです。
■上と下に挟まれた「中間管理職」芸人として
たぶん猪木さんが考えたプロレスを実践しなかったならば、馬場さんはどんなプロレスをしていたか、わからなかったのではないかという気がします。お互いが影響し合うことで、あのようになったのでしょう。猪木さんの異種格闘技があったから、馬場さんは純粋にプロレス道に進むことができたとも言えます。
![ビビる大木さん(撮影=大沢尚芳)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/d/b/250/img_dbf762435fc14dcf744191b69e6f7a4c210289.jpg)
僕の想像ですが、「明るく・楽しく」の中には「正しく」という意味も入っていたのかもしれません。
僕もネタでたまに使うのですが、「たかがビビる、されど大木」というのも、座右の銘になりそうな気がしています。自分の芸能生活はその一言に尽きるかなと思うからです。
巨人軍のエースだった投手の江川卓さんの書籍に、似たようなタイトルの書籍がありました。『たかが江川されど江川』。その書名が僕の頭に残っていました。
名球会入りの条件である200勝投手ではありませんが、江川さんは高校時代から「怪物」でした。全盛期の日米野球では、大リーガーの打者から、三振をガンガン奪っていました。
「ビビるだけど、されど大木だな」とは、その上と下の芸人に挟まれた人間の哀愁が世に伝わればと思い、使い始めました。まさに、「お笑い中間管理職」の独白です。
■激動の時代を生き抜いた渋沢氏の金言
新しい価値観ががんがん日本に入ってきた時代が、明治時代でした。
渋沢さんは新しい価値観が入ってきた明治という時代を、よく理解されていたのだろうと思います。求められるのは、切り替えだと思います。渋沢さんは新しい価値観への順応力がとても高かった方だったと言えます。
時代が変わり、徳川幕府はなくなってしまいました。暮らしている僕たちの生活は変わらないけれど、何か世の中が変わったと察して、渋沢さんは考えて行動されていたと思います。
渋沢さんのすごいところは、多少不愉快なこと、思い通りにいかないことがあっても、耐えること、我慢することを知っていたということです。だから、渋沢さんは適材適所ができたとも言えます。
ジョン万次郎さんもそうでした。明治時代を先取りした彼は、時至るまで、その場でできることを120%努力しました。
アメリカでは航海士になるために、寝る間も惜しんで勉強しました。望郷の念を押し殺し、目先の現実と向き合いました。その姿勢があったので、アメリカにおいても彼は人から信頼されたと思います。
■「反省はするが、後悔はしない」
実は、ビビる大木の座右の銘はいくつかありますが、その一つに「反省はするけれど、後悔はしない」というのがあります。
![ビビる大木・著『ビビる大木、渋沢栄一を語る 僕が学んだ「45の教え」』(プレジデント社)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/9/b/200/img_9bb95fddc47df7c9f9f7c78e24bc54ed179617.jpg)
僕もまた当然ですが、失敗をしたり、悪いことをしたら反省というよりも猛省するタイプです。ただし、後悔ばかりしていると、その出来事を引きずったまま前に進むことができなくなりますので、後悔の念に蓋をして我慢して、抱え込んで前に進んでいきます。
僕は昭和49年生まれですが、その前後に生まれた方たちは、学生時代にバブルが崩壊し、社会に出る頃には景気がだんだん、だんだん下降気味になっていた時期でした。
給料は上がらずに、キャリアだけ重ねてきたわけで、あとから入って来た社員たちのほうが、給料がよかったりしませんか。そんな経験を、みなさんもされているはずです。
つまり、恵まれていない社会環境の中で、僕たちは社会人になりました。僕はたまたま自由業を選択しましたが、会社に勤めていらっしゃる方は本当に大変だろうと思います。
その意味で、僕たちの世代は、同世代の方とお会いすると、「今踏ん張って行こうじゃないか。僕たちの世代、いい思いをしたことはないけれど、僕たちだって、何もしてないわけはない」という気持ちで、耐えながら生きています。
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芸人
1974年9月29日生まれ。埼玉県春日部市出身。1995年、渡辺プロダクションに所属し、コンビ「ビビる」を結成。2002年にコンビ解散、以後ピン芸人としてマルチに活躍中。 現在、テレビ東京「追跡LIVE! SPORTSウォッチャー」、テレビ東京「家、ついて行ってイイですか?」、中京テレビ「前略、大とくさん」でMCを務める。 趣味は幕末史跡めぐり。ジョン万次郎資料館名誉館長、春日部親善大使、埼玉応援団、萩ふるさと大使、高知県観光特使など、さまざまな観光・親善大使を務める。 主な著書に、『覚えておきたい幕末・維新の100人+1』本間康司、ビビる大木著(清水書院)、『知る見るビビる』ビビる大木著(角川マガジンズ)などがある。
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(芸人 ビビる 大木)
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