「40歳で惑わず、50歳で天命を知る」では、60歳ですべきこととは?
プレジデントオンライン / 2021年2月17日 15時15分
※本稿は、髙橋秀実『定年入門 イキイキしなくちゃダメですか』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。
■定年のない私が「定年」を感じるワケ
このたび新書版に改訂すべく、ほぼ3年ぶりに『定年入門』を読み返しました。
表記のチェックだけをするつもりだったのですが、思いがけず読み耽(ふけ)ってしまいました。自分で書いたはずなのに、登場する皆さんにあらためて出会ったようで、「そうだったんですか」「なるほど」などと感じ入ったのです。
なぜなのかと考えるに、私も59歳になりました。書いたことを忘れてしまうという側面もあるかもしれませんが、おそらく私自身がいよいよ定年を迎えるからでしょう。
もっとも自営業の私に定年はありません。仕事としての定年はないのに、なぜか定年があるような気がする。言ってみれば「定年」というイデアの実在を感じるのです。
そういえば近年、「定年延長」という言葉をよく耳にします。
これまで60歳だった定年を65歳に引き上げる。令和3年に施行される改正高年齢者雇用安定法では、これを70歳まで引き上げるという努力義務が事業者に課せられます。
もともと「定年」を義務づける法律などないのに、引き上げが法制化される。そこまで引き上げるなら、いっそ「定年」を禁止すればよいのに、わざわざ延長する。
そもそも定年とは定まった年のことで、それを延長するというのは矛盾しています。たとえ矛盾していても維持しようとするのは、やはり「超法規的な風習」のゆえんでしょう。
ともあれ、定年のない私でさえ「定年」を感じるわけで、この感覚は果たしてどこからくるのでしょうか。
■身は父母の遺體なり
私事ですが、この2年間に私は両親を見送りました。平成30年の12月に母が急逝し、その約1年後に父が世を去りました。
立て続けにふたりの葬儀を営んだのですが、終わった後に私は言い知れぬ虚脱感に襲われました。仕事などとはまったく異なる、人生の一大事というか、大きな区切り、節目を経たような気がしたのです。
ウチは仏教寺院の檀家(だんか)なので、住職をお招きしての仏教式葬儀です。いわゆる葬式仏教では「成仏」や「極楽浄土での往生」などを祈ります。死後の裁きに備えて初七日などの追善供養をするわけで、私も亡骸に手を合わせました。
しかしながら「成仏」「往生」「冥福」などの仏教用語はそぐわない感じがしたのです。不謹慎かもしれませんが、ふたりが輪廻転生するとは思えないし、解脱して涅槃(ねはん)に入るというイメージもまったく思い描けません。
私の母と父は、たとえ死んでもそういうウソみたいな話は信じないような気がしてならない。喪主としては般若心経にいう「五蘊皆空(ごうんかいくう)」、すべては「空」だとあきらめるしかないと思ったのですが、亡骸を見つめているうちに、ひとつの言葉を思い出しました
身は父母の遺體(ゐたい)なり(『礼記 中 新釈漢文大系28』明治書院 昭和52年)
私の体は両親が遺した体、つまり形見だということです。通常、形見というと時計や着物など身につけていたものを想像しますが、自分の体が形見。こうして生きていることがふたりの形見なのです。
そう考えると、ふたりの魂が私の中にストンと入ってきたような気がしました。まさに腑に落ちたのです。仏教は両親を外へ外へと追い出していくようでしたが、『礼記』は内に取り込む。悲しみの中でエネルギーがチャージされるような感覚を覚えました。
![家族三世代が手をつなぐ後ろ姿](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/a/f/670/img_af48cc3e77a315f9789ff3e0fe56fcfe304265.jpg)
■問いには答えるが、みずから問うことはしない
この『礼記』は儒教の教典のひとつとされています。儒教というと上下関係を重視する封建的な道徳に思われがちですが、よくよく読んでみると、その大半は葬儀の指南なのです。「死の宗教」と呼ばれるくらいで、席順なども含めた葬儀の式次第を事細かに定めています。
特に親の葬儀は重要とされ、親を手厚く葬ることが「孝」。親もまたその親の「遺體」ですから生命はつながっている。儒教とは生命の連続性を自覚する道ではないでしょうか。
儒教では、親を亡くすと3年間の喪に服すべし、と定められています。その間は「言ひて語らず、對(こた)へて問はず」(前出『礼記 中』)。つまり口はきくが、語らない。問いには答えるが、みずから問うことはしない、という決まりです。
両親に似た人を見れば目が驚き、名前を聞けば心が驚く。他人の父母が亡くなれば弔い、顔には悲しみ悼む心が表われる。自分の死は自覚できないので、「死」とはすなわち親の死。それを少なくとも3年間は嚙みしめよという教えなのです。
中国の喪は3年でしたが、日本の養老律令(757年)では1年とされました。なんでも中国では「死者に対する礼が古くから極めて重要視され、葬送の方式が非常に丁重で複雑化していた」(『日本思想大系3 律令』岩波書店 1976年 以下同)らしく、日本では「唐令の規定をかなり簡素化」したそうなのです。
■「定年」のルーツ
遅ればせながら、私ははたと気がつきました。『定年入門』の第1章に記したように、日本で最初に定年制を規定したのも、この養老律令でした。
凡(およ)そ官人年七十以上にして、致仕(ちじ)聴(ゆる)す。
![孔子の石像](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/4/5/250/img_45ee81927b83308fbf2e60d4a6ec2c59305668.jpg)
70歳で辞職できるという規定。人生を年齢で区切るというのは、古来儒教の考えだったのです。『礼記』(前出)などを読んでも、「五十は郷(きやう)に養ひ、六十は國に養ひ、七十は學に養ふ」とか「六十の者は三豆(とう)、七十の者は四豆、八十の者は五豆(豆とは料理の品数)」(『礼記 下 新釈漢文大系29』明治書院 昭和54年)などと随所で年齢差別をしています。生命の連続性という観点からすると、こうした区切りは必須なのかもしれません。
ちなみに日本語では「年齢」といいますが、「年(歳)」と「齢」は意味が違います。
「年(歳)」とは「一毛作収穫の穀物」(白川静著『新訂 字訓』平凡社 2007年)のことで、年に1回という周期性を意味します。ところが「齢」のほうはもともと「齒(歯)」であり、「歯のように並んだもの」「同列に立つ」(『角川大字源』角川書店 1992年 以下同)ことを意味しています。
「齒」は「よはひ」と訓じますが、「よ」とは世のことで、世を「はふ」、つまり「這うように少しずつ進んでいくこと」(『古典基礎語辞典』角川学芸出版 2011年)だそうです。
イメージとしては、同級生が列をなしてずんずんと行進していく様子。それぞれの年の同級生が並んで前進していくのですから、これこそが「定年」のルーツではないでしょうか。
■六十にして耳順ふ
儒教ではこの「齒」を重要視します。なぜなら「齒」を尊重することで、「老窮(ろうきゅう)遺(わす)れず、强は弱を犯さず、衆は寡を暴(あら)さず」(前出『礼記 中』)。老いて困窮する者を見捨てることもなく、強者が弱者をいじめることもなく、多数派が少数派を苦しめることもなくなるとのことです。
要するに「齒」とは隊列による秩序。たとえ死んでも「齒」の列には並んでいるわけで、まさに生命の連続性であり、先祖供養にも通じる。そのことに気づくことが定年入門だったのかもしれません。
![髙橋秀実『定年入門 イキイキしなくちゃダメですか』(ポプラ新書)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/1/b/200/img_1b85aa6df508aa75c88547ebee7be801306663.jpg)
コロナ禍ということもあり、『定年入門』を読み返しながら人に会ってお話をうかがうということがいかに貴重な体験なのかと痛感しております。取材にご協力いただいた先輩たちの言葉はかけがえのない宝物です。そういえば儒教の大家である孔子はこう言っておりました。
五十にして天命を知る。六十にして耳(みみ)順(したが)ふ。七十にして心の欲する所に從(したが)へども、矩(のり)を踰(こ)えず。(『論語 新釈漢文大系1』明治書院 昭和35年 以下同)
60歳になったら「耳順」。目ではなく耳なのです。
確かに人生を振り返ると、目で見たものより、耳で聞いたことのほうが深く刻まれているような気がします。見たものは月日とともに変容しますが、聞いたことは「あの一言だけは許せない」「あの一言で救われた」というように記憶に残りますから。
■定年は終わりではなく、あらたなスタート
孔子のいう「耳順」とは、「何を聞いてもあらゆることが皆すらすら分かる」ようになること。素直に人の話を聞くことができるということでもあり、「其の言を聞いて微旨(びし)を解す」、つまり一言を耳にするだけで、微旨(奥深い考え)を読み取れるようになるらしい。
どういうことなのかよくわからなかったのですが、儒教では「礼楽」、つまり音楽を尊重します。音楽とは音を楽しむことで、音とは声であり、それは心の動きから生まれるとされています。
人の話を聞くというのも内容を理解するより、声の調子や口ぶりでその人を感じ取る。音楽として聴くということではないでしょうか。
まるでインタビューの極意を教えられたようで、60歳にしてますます精進すべし、と孔子に背中を押されたようです。やはり定年は終わりではなく、あらたなスタートと考えるしかありません。
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ノンフィクション作家
1961年横浜市生まれ。東京外国語大学モンゴル語学科卒業。テレビ番組制作会社を経て、ノンフィクション作家に。『ご先祖様はどちら様』で第10回小林秀雄賞、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』で第23回ミズノ スポーツライター賞優秀賞を受賞。その他の著書に『TOKYO外国人裁判』『ゴングまであと30秒』『にせニッポン人探訪記』『素晴らしきラジオ体操』『からくり民主主義』『トラウマの国 ニッポン』『はい、泳げません』『趣味は何ですか?』『おすもうさん』『結論はまた来週』『男は邪魔! 「性差」をめぐる探究』『損したくないニッポン人』『不明解日本語辞典』『やせれば美人』『人生はマナーでできている』『日本男子♂余れるところ』『定年入門 イキイキしなくちゃダメですか』『悩む人 人生相談のフィロソフィー』『パワースポットはここですね』『一生勝負 マスターズ・オブ・ライフ』など。
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(ノンフィクション作家 髙橋 秀実)
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