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「香港デモはなぜ失敗したか」その本質は"太平天国の乱"で示されている

プレジデントオンライン / 2021年2月11日 9時0分

菊池秀明『太平天国 皇帝なき中国の挫折』(岩波新書)

1850年末に蜂起して理想国家を作り上げたはずの太平天国は、その後の中国共産党政権のプロトタイプだった──。中国の権力がどうしても陥りがちな個人独裁や個人崇拝の宿痾から抜け出そうとあがくものの、結局は抜け出せなかった点でも、太平天国と中国共産党の共通点はすくなくない。
一方で、2019年に発生した香港デモと太平天国にも共通点がある。昨年12月に『太平天国 皇帝なき中国の挫折』(岩波新書)を 刊行した菊池秀明氏(国際基督教大学教養学部教授)に 対して、近著に『現代中国の秘密結社 マフィア、政党、カルトの興亡史』(中公新書ラクレ)がある中国ルポライターの安田峰俊氏が聞いた——。(後編/全2回)

■中国の歴史研究は、政治の事情にすぐ翻弄されてしまう

(前編から続く)

——ところで、実は私(=安田)、かつて立命館大学文学部の東洋史専攻の卒論で太平天国を扱おうとしたことがあるんです。もっとも、中国で史料集を買い込んできてヤル気満々でいたところ、当時の指導教官から「太平天国は中国国内に膨大な先行研究があるが、イデオロギー色が強いぞ」と止められました。判断力が未熟な学生は触ってはいけないという、現在から考えると大変ありがたい指導です。

【菊池】なるほど(笑)。確かに学部生や修士では、太平天国の研究は大変です。中国ではある時期まで、太平天国が中国共産党のイデオロギーに合致する「農民起義」であるからと非常に持ち上げられ、その方向性のもとで膨大な研究がなされたものでした。

ただ、今世紀に入ってからの研究は非常に低調です。1999年に気功集団法輪功による中南海包囲事件が起きて、「邪教」の取り締まりが厳しくなったことも大きく影響しています。中国の歴史研究は、政治の事情にすぐ翻弄されてしまうのですよね。

 

■80年代には外国人禁止の「未開放地区」が大量にあった

——いっぽう、菊池先生の研究は、そうした中国側の政治的事情から距離を置いておられるのはもちろん、上帝会が発達した広西省の地域文化に密着した視点が大きな特徴です。

【菊池】かつて1987年から2年間、広西に留学して史料調査と研究をおこなった影響が大きいででしょう。当時、日本の中国史研究者の中国留学は、大量の史料を保存している档案館(とうあんかん)がある北京や上海・南京、広東省の中山あたりに行くのが普通だったのですが、私はあえてそのパターンから外れて広西に行ったんです。

金田村の蜂起地点から紫荊山をのぞむ。菊池先生撮影。
撮影=菊池秀明
金田村の蜂起地点から紫荊山をのぞむ。 - 撮影=菊池秀明

——広西は現在でもかなりの辺境です。中越戦争から間もない当時、フィールドワークは並ならぬ苦労があったのではありませんか?

安田峰俊『現代中国の秘密結社 マフィア、政党、カルトの興亡史』(中公新書ラクレ)
安田峰俊『現代中国の秘密結社 マフィア、政党、カルトの興亡史』(中公新書ラクレ)

【菊池】当時は外国人が立ち入れない「未開放地区」が大量にあり、大変でした。たとえば少数民族について知りたくてベトナムやラオスの国境地帯へ行こうとすると、広東省の広州に行って広州軍区の許可を得なくてはいけませんから、おいそれとは行けない。

現在であれば、フィールドワーカーが事前の許可なしに農村地帯にフラッと入り込んで情報を得るようなこともできるのですが、外国人の姿も珍しかった1980年代当時、それも難しい。調査対象者の身の安全にもかかわる問題になってしまいます。地味に長い時間をかけて、信頼関係を作っていくしかありませんでした。

——中国南部の場合、宗族(父系の血族関係が発達して形成された大規模な相互扶助組織)が発達しているので、宗族の歴史を記した「族譜」が残っていることがあります。こういった史料の発掘にあたられたわけですか。

【菊池】はい。広西の農村部における宗族組織は、広東あたりと比較するとずっと小規模なのですが、それでも存在していて、族譜をたくさん見せてもらいました。ただ、広東などの大宗族では、族譜は印刷されているのが普通なのですが、広西の奥地だと印刷して刊行するほどの資力がない場合が多く「手書き」なんです。世界にこれ一冊しかない族譜を、なんとか信頼関係を築いてコピーさせてもらいました。

古程村の黄姓の宗族の、手書きの族譜。
写真提供=菊池秀明
古程村の黄姓の宗族の、手書きの族譜。 - 写真提供=菊池秀明

——不十分な史料から再現していく作業になりますね。地元の言い伝え(オーラル・ヒストリー)の収集もおこなわれたのでしょうか?

【菊池】現地の人では、ついオーラル・ヒストリーも聞きたくなるのですが、実は1950~60年代に調査記録が出版されていて、すでにエピソードがかなり収集されているんです。もっとも、この手の調査記録は中国国内で刊行されているので、現代の政治の影響を受けてしまい作り話も多い。

——「太平天国の乱は農民起義だった」「太平天国軍は正義の革命の軍隊だった」みたいな話に、無理やりにねじ曲げられてしまうわけですね。

【菊池】地主じゃなかった人間が「地主階級」だとされていたり、太平天国にたてついた人間が、「アヘンで不当に儲けた大悪人」ってことにされていたり。こうした「証言」に振り回されないためには、やはり過去の文献に当たることが大事です。歴史学者はあくまでも、文献にもとづいて研究をおこなうスタンスですね。

■「きれいな中国語」は嫌がられる

——香港や広東省中西部、広西チワン族自治区の東部などは広東語文化圏で、北京や上海とは言葉も文化も違います。また、香港や広州に代表される広東語圏の人(台湾や福建省などの語圏や、潮州語圏の人も)は、北方の北京に対して、同じ中国であるはずなのに、恐れと軽蔑感が混じったような複雑な感情を抱きがちです。中国の南方人のこの手の肌感覚は、日本ではあまり理解されていないように感じます。

【菊池】そうですね。まず、南方の人から見た北京なまりの普通話(標準中国語)をはじめとした北京の文化は、お役人の文化なんです。北京の政府が作った簡体字もこれに含まれるでしょう。南方の人たちはこれらに対して、自分たちに何か命令して搾取してくる相手の文化だ、という潜在的な忌避感が根強く存在しています。

たとえば、私たちが広西の農村でフィールドワークをする際も、日本の中国語教室で習うような「きれいな普通話」をしゃべると、現地の人が心を開いてくれません。もちろん、広東語を話せるのがベストなのですが、普通話を話す場合でも、すくなくとも南方なまりの発音のほうがいいですし、私自身も意識的にそうしています。そうしなくては信頼関係が築けず、史料を見せてもらえない(笑)。

金田一帯の宗族が村のなかに建てた祖先の霊廟(祠堂)。1980年代後半に菊池先生撮影。
撮影=菊池秀明
金田一帯の宗族が村のなかに建てた祖先の霊廟(祠堂)。1980年代後半に菊池先生撮影。 - 撮影=菊池秀明

■華南の広東語圏から北京に造反する人が出るのは必然的

——南方っぽい発音は、中華圏でいろんな人と仲良くなるうえで戦略的にも重要だと思います。北京で南方なまりの言葉を話しても「ああ、遠くから来た人だな」で済みますが、広東省の下町や農村部で北京なまりでしゃべれると距離を置かれてしまいますし、海外の華僑社会や香港・台湾では露骨に冷たい対応を取られるケースさえあります。

【菊池】同じ漢族が住む地域だとは言っても、北京を中心とした管理された世界とは異なる世界があるわけです。さらに言えば、広東語は文法的には漢語(中国語)なのですが、音としては東南アジア的な特徴も強いですよね。

こうした、片足が外にはみ出しているような感覚が随所に見られるのが、華南という地域の面白い部分です。華南の広東語圏から、太平天国しかり孫文率いる革命派しかり、北京の体制に造反する人たちが立て続けに出たのは、ある意味で必然的なことなのかもしれません。

——洪秀全と孫文は同じ広東人で、香港や広州を通じて西洋世界に接し、キリスト教を受容した革命家、というように複数の共通点を持っています。辛亥革命当時、革命派の面々は、「反乱の先輩」としての太平天国を意識していた面はあったのでしょうか。

【菊池】すくなくとも、孫文のような広東系の人たちについては、あったでしょうね。彼らは民国期になって太平天国の再評価を呼びかけたりしています。もっとも、国民政府の首都である南京をはじめ、江蘇・浙江・安徽あたりでの太平天国の評判は最悪でした。再評価の声は届きにくかったでしょう。

清軍の包囲攻撃を受ける太平天国の北伐軍(ハーバード大学イェンチェン図書館蔵)。
写真提供=菊池秀明
清軍の包囲攻撃を受ける太平天国の北伐軍(ハーバード大学イェンチェン図書館蔵)。 - 写真提供=菊池秀明

——実際に太平天国に支配されたり攻め込まれたりした土地では、評判が悪い(笑)。同じ革命派でも、浙江省出身の蒋介石あたりは、内心ではきっと太平天国が嫌いだったことでしょう。

【菊池】さきほどの地域間の肌感覚の違いや、前編で言及した格差の問題がここで出てきます。都会的な江南地域を統治したのは、彼らとはまったく感覚が違う、広西の山奥から出てきた政権。しかも、鎮圧側の湘軍と泥沼の戦いが起きて、すくなく見積もっても2000万人以上が亡くなっています。江南地域では1930年代になっても、太平天国について負のイメージが残っていたといいます。

■太平天国の延長上にある香港デモ

——2019年6月から本格化した香港デモも、南方の人たちが北京の異民族や異分子の統治に不満を持って立ちあがったという構図において、洪秀全・孫文以来の反乱の系譜に連なっていると感じます。香港デモの合言葉「光復香港」は、孫文の「恢復中華」とそっくりです。デモ現場でよく落書きされていた「駆逐共党」(共産党を駆逐せよ)も、太平天国軍の「滅満興漢」や、孫文の「駆除韃虜」(韃虜を駆除せよ)と非常に近いニュアンスを感じます。

【菊池】デモ期間中は、香港大学にある孫文像にヘルメットとガスマスクがかぶせられていましたね。南方人の造反という意味で、「恢復中華」や「駆除韃虜」のテクストを継承した面はあると感じます。デモをおこなった人たちが「香港の独立」という範囲にとどまらず、広東語圏の全体を視野に入れて「両広(広東・広西)の独立」くらいを主張していれば、事態の推移も違ったものになったかもしれませんね。

2019年9月15日夜、デモが大荒れした後で香港島のトラム駅に残されていた「駆逐共党。
撮影=安田峰俊
2019年9月15日夜、デモが大荒れした後で香港島のトラム駅に残されていた「駆逐共党」。 - 撮影=安田峰俊

——香港人を含めた南方の華人たちが持つ伝統的な北京嫌いの心理や、過去の太平天国や辛亥革命の例から考えると、広東語圏全体を味方につける戦略を取っていれば、面白い展開があったかもしれません。ただ、デモ隊の若い子たちは香港返還後に生まれ育っているためか、こうした歴史文化的な連続性よりも、香港特別行政区と中国本土との行政的な境界線を基準にして「敵」と自分たちを区切ってしまいました。

【菊池】とはいえ、香港をこえた範囲まで運動を広げていこうという努力もゼロではありませんでしたよ。2019年9月、私が香港のいくつか大学を訪問した際に、キャンパス内で学生たちが簡体字のビラを作っているのを目にしています。中国大陸からの旅行者たちに、自分たちは君たちを拒絶しているのではなくいっしょに民主化を考えたいのだというアピールです。ただ、こうした動きは残念ながら主流になりませんでした。

——デモ最初期の2019年6月の時点では、私も簡体字のビラを見ました。事実、この段階では中国大陸の民主運動勢力が香港デモに加わったりもしていたのですが、デモが過激化した同年8~9月ごろからこうした泛中華圏的な性質が急速に消えた印象です。運動がどんどん、香港内部のネット文化をわかる人だけが理解できるハイコンテクストなものになり、中国人に対するヘイトスピーチや、都市施設などに対する破壊・暴力行動も目立つようになりました。

香港デモの最初期、2019年6月17日にデモ現場に貼られていた「中国大陸人は香港を支持する」「中国内地に変わってしまわないで」というメモ。しかし、こうした声はデモのなかで香港ナショナリズムの色が強まった同年8月ごろから、急速にかき消えてしまった。
撮影=安田峰俊
香港デモの最初期、2019年6月17日にデモ現場に貼られていた「中国大陸人は香港を支持する」「中国内地に変わってしまわないで」というメモ。しかし、こうした声はデモのなかで香港ナショナリズムの色が強まった同年8月ごろから、急速にかき消えてしまった。 - 撮影=安田峰俊

【菊池】2019年9月、星条旗を大量に掲げてアメリカ総領事館への陳情をおこなう様子も目にしましたが、あれはまずかった気がしました。外圧でしか香港は救われない、というのは香港側の言い分としては確かにそうですが、中国大陸からは強い拒否感を持って見られてしまう。「暗い近代史」を想起させてしまえば、中国大陸との対話は困難になります。

■「暗い近代史」が香港・ウイグルの抑圧にも影響か

——日本にとっての近代は「坂の上の雲」的なポジティブなイメージでとらえられがちなのですが、中国では異なります。中国にとっての近代は、欧米や日本といった列強諸国に侵略され、太平天国や義和団のような社会混乱が頻発した、暗く忌まわしき時代です。アヘン戦争の結果としてイギリスの植民地に組み込まれた香港は、中国の近代を象徴する街でもあります。

【菊池】そうですね。中国大陸の人たちにとって、欧米諸国はあこがれの対象である反面、アヘン戦争以来中国を徹底的にいじめてきたという、被害者感情を刺激される憎い相手でもある。いっぽうで香港は、中国大陸よりもずっと軽やかに欧米を受け入れているイメージがあり、中国本土の被害者感情からすれば「敵の回し者」のように見えてしまいかねない。

香港デモの発生後、中国大陸の人たちから拒絶反応に近い反応が湧き上がったのも、ひとつにはこうした過去の感情的なしこりや、不信感が関係していたように感じます。もちろん、香港デモの中心となっていた10~20代の若者とは直線関係がないことなのですが、バックグラウンドとしては否定できないと感じます。

2019年9月8日の香港デモの現場で登場した星条旗。一時期はデモ現場で大量に見られた。
撮影=安田峰俊
2019年9月8日の香港デモの現場で登場した星条旗。一時期はデモ現場で大量に見られた。 - 撮影=安田峰俊

——現在、私たち外国人の目から見た中国は覇権主義国家としてのイメージが非常に強いのですが、中国自身はそう考えていません。あくまでも、「暗い近代史」のなかで失ったものを「取り戻す」行為をしているだけだと考えています。

【菊池】なぜ中国は、ウイグルなどの少数民族地域や香港に対して、あんなに抑圧的になれるのか。その抑圧性を自覚する感性をなぜ持たないのか? こうした疑問の答えも、中国が暗い近代史のなかで育んでしまった被害者意識にあります。現在は「先進国」と呼ばれている列強諸国から、かつてアヘン戦争以来150年にわたって叩かれ続けたトラウマは、容易に消えるものではありません。

——習近平政権の「中華民族の偉大なる復興」というスローガンも、実は根底にあるのは被害者意識、いじめられっ子意識です。

いわゆる反日問題についても、政治的なプロパガンダや反日教育といったレベルの話ではないでしょう。根底にはこの「暗い近代」のトラウマが横たわっていると思いますね。これらは外国人の目線からは理解しにくいだけに、中国側の自己認識としての自国の姿と、他国から見た中国の姿は今後もどんどん乖離していきかねません。誤解の果てに、いったいどんな場所へ行き着いてしまうのか。大変心配なところです。

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菊池 秀明(きくち・ひであき)
国際基督教大学教授
1961年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。専攻、中国近代史。

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安田 峰俊(やすだ・みねとし)
ルポライター
1982年滋賀県生まれ。中国ルポライター。立命館大学人文科学研究所客員協力研究員。著書『八九六四 「天安門事件」は再び起きるか』が第50回大宅壮一ノンフィクション賞、第5回城山三郎賞を受賞。近著に『現代中国の秘密結社 マフィア、政党、カルトの興亡史』(中公新書ラクレ)、『「低度」外国人材 移民焼き畑国家、日本』(KADOKAWA)など。

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(国際基督教大学教授 菊池 秀明、ルポライター 安田 峰俊)

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