「メルケル首相、賢母の諭し方」個人情報の意識が高いドイツで、コロナアプリが成功したワケ
プレジデントオンライン / 2021年2月17日 11時15分
※本稿は栗田路子・プラド夏樹・田口理穂ほか4名による『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
■合言葉は「間隔・衛生・マスク・換気・アプリ」
日本では新型コロナウイルス対策として「3密を避ける」が挙げられるが、ドイツで標語となっているのは「AHA+L+A」である。間隔(Abstand)、衛生(Hygiene)、日常マスク(Alltagsmaske)、換気(Lüften)、アプリ(App)のそれぞれの頭文字を取ったもので、1.5メートル以上の間隔を開け、手洗いをし、マスクをつけ、頻繁に換気し、コロナアプリを利用しようと促している。
ドイツでは規則を破ると罰金があり、小売店では店側もマスクをしない客に着用を促したり、間隔をとるよう注意するなど防衛策が義務付けられている。メルケル首相も繰り返し「AHA+L+A」を紹介しながら、ウイルスを軽くみないよう訴えていた。
「規制を緩めるのは早すぎる」(4月3日)
「パンデミックはせき止められているが、去ったわけではない」(5月27日)
「ほかの人のために注意、理性、責任を持った行動を」(5月30日)
ドイツはPCR検査体制を早急に整えるなど新型コロナウイルスへの対応が早かったが、それはパンデミックに備えた国家計画がすでに存在したからである。
■2005年に公開された国家パンデミック対策
1999年にWHOがインフルエンザパンデミック計画を策定したのを受け、独自の国家パンデミック計画を策定、2005年初頭に公開した。世界的な感染拡大を想定した対策計画であり、新種のインフルエンザウイルスの拡大を遅らせること、感染による病人や死者を減らすこと、感染者の医療体制を整備すること、の3つを目的とした。2009年の新型インフルエンザの世界的流行後には改定もされるなど、現実に即したものとなっており、ロベルト・コッホ研究所が実際の対策に対する科学的根拠を示した。
医療体制も整っており、集中治療室の病床は人口10万当たり38.2床と欧州最多であり、フランスの16.3床、イタリアの8.6床とは段違い。そのためコロナ禍初期の3月にイタリアやフランスなど他国から重篤者の受け入れを始めたほか、イタリアやスイス、ルーマニアなどにも医療用物資を提供しており、ドイツはコロナ禍において他国と連帯してEUの感染者の治療にも努めた。
こうしたEU間における連帯をメルケル首相は以前から呼びかけており、EU議長国就任についての6月27日のビデオメッセージでは、「コロナパンデミックは、健康、経済、社会的に途方もない影響があります。すでに欧州で1万人以上もの人が犠牲になりました。ヨーロッパの中心的業績である移動の自由や国境開放が一部制限されています。そのためEU議長国のモットーを『ともに』としました。ヨーロッパを再び強くする、そのために全力を尽くします」と話している。
■成功したコロナアプリ
感染拡大対策ではコロナアプリも目玉の一つとなった。メルケル首相は6月20日のビデオメッセージで、6月16日から始まったコロナアプリについて紹介した。
「透明性があり、包括的なデータ保護、高レベルのIT安全性に注意して開発されました。アプリは信頼できます。(中略)ワクチンができない限り、ウイルスと共存していくことを学ばなければなりません。プライベートでも仕事場でも再び自由に動き回れるように、学び、そして同時に注意深く理性的でなければなりません。コロナアプリは、感染のつながりを知り、断ち切るための重要な助けとなります」
ドイツではフェイスブックに反対運動が起こるなど個人情報の取り扱いに慎重な人が多い。コロナ禍でレストランやカフェ、催し物会場では名前と連絡先を明記することになっているが、個人情報の利用が許されているのはコロナ対策にのみで、3週間後に破棄することが義務付けられている。
こうした個人情報に意識の高いドイツで、メルケル首相はアプリの使用は強制ではなく自由意志に基づくものであり、位置情報や個人名などは記録されないことを強調しながら、個人情報保護と民主主義、感染症撲滅の微妙なバランスをとってアプリの必要性を訴えた。
結果、アプリは国民に受け入れられ、11月には人口の4分の1以上にあたる約2200万人が利用。累計280万人がPCR検査の結果を共有し、また11月には毎日2000人以上がアプリを通じて感染を伝えた。
![感染を知らせるスマートフォン](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/3/9/670/img_39c0486bca15812da3aff729e73d392b319677.jpg)
■「世代を超えて連帯を」
7月4日には、メルケル首相は年配者に向けたビデオメッセージも寄せた。一人暮らしや老人ホームの年配者は、コロナ禍により家族の訪問が制限されて寂しい思いをしたり、介護者が来られないために外出できない人が出て問題となっていた。
「お年寄りに感謝の念を表すための、簡単で効果的な方法があります。それはコロナの規則を守ることです。間隔をとり、衛生に気を配り、マスクをすること。(中略)例えばスーパーの通路でお年寄りに道を空けることです。マスクを顎でなく、きちんと着用すること。それによりコロナ禍でもお年寄りが、社会生活をともに営むことができます」
メルケル首相は、お年寄りも若者も一人ひとりが社会の一員だと説き、若者と年配者がともにあり、互いに必要としていること、また世代を超えてともにいることがすべての人にとってよい生活なのだと話した。そして、実際にドイツでは、運動できなくなったスポーツクラブの若者たちがお年寄りの買い物を代行するネットワークを作ったり、電話などで声かけをする活動が街のあちこちで見られた。
■「コロナは嘘だ」噴出する不満
学校は5月から順次再開したが、夏休み前まではクラスを半分に分け、1日置きまたは週替わりに学校に通うのが一般的だった。ただ、夏休み明けに新学年が始まり、コロナ以前と同じような通常授業になると、他者にウイルスがうつりやすい状況となり、私の周りでも夏休み明けから、感染者が出たという話をぽつぽつと聞くようになった。
知り合いの中には担任教諭の感染が発覚し、クラス全員を検査したら息子の感染が発覚。家族全員で2週間の自宅隔離となり、買い物も犬の散歩も禁止された人もいる。
9月から10月にかけてはまた感染者が増え始め、9月初めの感染者は約25万人だったが、10月初めには30万人に迫り、死者も約9500人となった。夏休みには国内はもちろん、フランスやスペインなど隣国に旅行に出かけた人も少なからずいた。
また、コロナ対策が長引くにつれ、これらの厳しい措置を不服として各地で反対運動も起こるようになった。
極右政党「ドイツのための選択肢」など現政権政策全般に反対する政党や、「店の経営が苦しい」「失業した」などコロナ政策のために実際的な不利益を被った人をはじめ、副作用があるとワクチン接種に反対するグループ、「コロナは嘘だ」とコロナウイルスの存在そのものを否定するグループ、「ビル・ゲイツがワクチンとともに、チップを皮膚に埋め込もうとしている」などの陰謀説を唱える人たち、「マスク着用義務は基本的人権の侵害」と訴える人など、さまざまな人たちの集合体により、各地で数千人から数万人規模でコロナ対策反対デモが開かれている。
私もハノーファーで見たが、親子でのんびりと散歩するように参加している人もいれば、接触制限措置を「自由を侵害し、民主主義に反する」「旧東ドイツと同じだ」と過激な主張も散見された。
デモの中で衝撃的だったのは8月29日、ベルリンでコロナ対策についての反対デモをする人たちが、連邦議会議事堂の正面玄関を占拠し、極右勢力が黒白赤の3色からなる「帝国旗」と呼ばれるナチス時代に使われていた旗を翻したことである。
■賢母は国民を静かに諭す
そんな中メルケル首相は9月12日、同月15日の「国際民主主義デー」に合わせてビデオメッセージを寄せ、最初にドイツが民主主義国家であり、民主主義が機能し、コロナ対策がうまくいっているのは市民のおかげであると称えた。
![栗田路子・プラド夏樹・田口里穂ほか『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/a/f/200/img_affb3631b324e1a374cf09ebb3542afd130216.jpg)
「ドイツでは民主主義と自由、法治国家と政治的共同責任が根付いていることは幸運です。(中略)」
「市民の大多数が(コロナへの対策)を支持しているということは、社会の弱者を気遣う共同体意識が顕著であることを示しています。そのことを私たちは誇りに思うことができます」
そしてコロナ対策により、大変な思いをしている国民がいることを認識しているとした上で、コロナに反対する人たちを示唆する発言をした。
「誰でも自由に、政府の決定を公の場で批判することができます。誰でも平和的なデモにおいて自分の意見を表現できます。これが法治国家の最高の資産です」
「表現の自由や公開討論、(デモヘの)参加を抑圧しない国家、それどころか保証する国家であることに、世界中の多くの人が私たちをうらやましく思っています。『国際民主主義デー』は、一人ひとりが、私たちの国の民主主義をさらに強固にすることに貢献できることを思い出すよい機会です」
続けて民主主義国家であることを強調し、政府は国民の意見を聞く用意があることを示すとともに、極右勢力を牽制した。政党「ドイツのための選択肢」は連邦議会で「コロナ対策は不適切である」「パニックを焚きつけるな」と発言していたのだ。
■ロックダウンを避けるためには「何でもする用意がある」
極右勢力は外国人排除を訴えるなど、社会の分断を促し、民主主義を歪めようとする傾向がある。政府のコロナ対策についても反対デモにお墨付きを与えるような発言や行動をしており、民主主義のもと一丸となって団結を呼びかけるメルケル首相とは相反する。
コロナ禍当初からずっとコロナ対策の順守を呼びかけているメルケル首相の警告を、ドイツでは何度も耳にしており、聞き飽きている人もいるだろう。しかし9月30日、メルケル首相は議会演説で語気を強めて警告し、その声は緩みかけていた意識を引き締めるのには十分だった。
「新たな全国一斉シャットダウンを避けるために、何でもする用意があります」
メルケル首相は淡々としていることが多いが、珍しく力のこもった口調だった。「私たちは話し、説明しなければなりません。(ことの重要さを対策に反対する人に)伝えなければなりません」と、暗に反対者がいることを示唆し、コロナ対策に否定的な人たちが増えていることも認識している様子。説得を通して理解と協力を得ることで、室内で人と会う機会が増える秋と冬を乗り越えられるとした。
実際、レストランやコンサート会場などでは名前と連絡先を明記しなければならないが、この頃は偽の情報を書く人が後を絶たず問題となっていて、演説では偽情報を明記した人には50ユーロ(約6000円)の罰金を科すことも提案。強い口調と合わせてこれまでの努力がすべて無に帰さないようにという危機感が漂っていた。
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在独ジャーナリスト、独日法廷通訳
日本で新聞記者を経て、1996年よりドイツ在住。ドイツの政治経済、環境、教育についてさまざまな媒体で執筆。 著書に『なぜドイツではエネルギーシフトが進むのか』『市民がつくった電力会社 ドイツ・シェーナウの草の根エネルギー革命』、共著に『『お手本の国』のウソ』など。
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(在独ジャーナリスト、独日法廷通訳 田口 理穂)
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