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東浩紀著『ゲンロン戦記』が売れているのはうれしい驚き

プレジデントオンライン / 2021年2月19日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/freedom007

■批評家による会社経営の記録

東浩紀さんの『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)を読んだ。まるで菊池寛の文藝春秋創業を思わせるような会社の滑り出しの手作り感や最先端感と、会社が実体を持ち始めていったときの大変さ。経営実務を任せていた人の使い込みあり、勤務の懈怠あり、トラブルずくめの奮闘記である。

カリスマ的人物の実力の上に乗っかって、当たり前のように自分の食い扶持があると考えるスタッフに対する違和感。一方で、自分と似た匂いがする人に対して、志を同じくしてくれると思って期待する東さんの甘さ。でも、それゆえに生まれる貴重な出会いもある。学びとしては、会社はみんなのものというのは欺瞞であるし、実際にみんなのものにはなっていないことだろう。オーナー経営者は孤独であり、そうでなければならないということかもしれない。

本書は事業を拡大していくときの教訓にも満ちている。手を広げることの問題点と、その間違いを含めた偶然性(誤配)によって生まれる新しい可能性。それによって得た貴重な教訓などなど。無駄にしたもの、間違った判断というものは、ある意味でふつうの成功よりもよほど学びに満ちている。

■SNSの対極にある「考える」ことの身体性

この本が話題を呼んで売れに売れていることはうれしい驚きだが、その根底には東浩紀という人のすごさがある。一言で言うと「考える」ということの身体性を獲得していることだ。それは、SNSで見られるような脊髄反射的な意見表明の対極にあるものだ。

東さんが本書で述懐している通り、ゲンロンにホモソーシャルな部分があった、というのは本当だろう。ゲンロンカフェに初めてお邪魔したときには(東さんは不在だった)、観客や放送中に流れるコメントの圧倒的多数が男性のものであることに圧を感じたのを覚えている。ある意味で、「朝まで生テレビ!」にもあるプロレス的なものがあった。論壇的なもの、文壇的なものに権威主義的要素やプロレス的要素があることは否定できないし、ゲンロンカフェもまたそうした特徴をまとっている。

しかし、それでいてそこには明確に違うものがある。東さんの持つプロレス性や熱量が、派閥や敵味方感情ではなく「知」そのものに向けられたものであるということだ。東さんが話し手としてだけでなく、聞き手として優れている、ということも重要な観点だ。これほど多様な人を呼べる場はないし、論壇や文壇と違って実体としての「観客」がそこにいる。

東さんの幅広いつながりと、同時代性、それに東さん個人の強いこだわりや主観性がなければ、ゲンロンは今日のような存在にはならなかっただろう。同書で聞き手と構成を担当した石戸諭さんの高い能力が発揮された結果、本書にそれがよく表現されている。

動画配信システム「シラス」もキックオフしたところ。これからのゲンロンの活動が楽しみだ。

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三浦 瑠麗(みうら・るり)
国際政治学者
1980年、神奈川県生まれ。神奈川県立湘南高校、東京大学農学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。著書に『21世紀の戦争と平和』(新潮社)、『日本の分断』(文春新書)など。

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(国際政治学者 三浦 瑠麗)

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