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東大教授「自己啓発本を読んでも自己肯定感が高まらない根本原因」

プレジデントオンライン / 2021年2月17日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Shoko Shimabukuro

怒り、悲しみ、憎しみ、怖れ、絶望……。ネガティブな感情にとらわれてしまった時に、どうやって「自己肯定感」を取り戻せばよいのか。新刊『世界は善に満ちている トマス・アクィナス哲学講義』(新潮選書)を刊行した東京大学大学院の山本芳久教授は「心に自然に浮かんでくるネガティブな感情を否定せず、むしろそれをありのままに深く受け止めることが大事だ」という――。

■「肯定の哲学」とは何か

——山本さんは、東京大学で「哲学」の講義をするさいに、「肯定の哲学」というテーマでお話をすることがあるそうですね。東大生は自己肯定感が強そうですが、そのようなテーマにあらためて関心を持つ学生さんがいるのでしょうか?

東大生だからと言って、必ずしも自己肯定感が強いとは限りません。たしかに自己肯定感が強い学生もいますが、そうでない学生もたくさんいます。

そもそも「肯定の哲学」は、いわゆる自己啓発やコーチングのような内容ではなく、あくまで哲学の授業です。西洋中世の哲学者トマス・アクィナス(1225頃~1274)の主著『神学大全』を丁寧に読み解きます。

——『神学大全』という名前は、どこかで聞いたことがあるような……?

世界史の教科書では、中世ヨーロッパのスコラ哲学を説明するところで、必ず名前が出てきます。もっとも、高校の授業では知識として名前を暗記するだけで、その内容には触れられない場合がほとんどですが。

——そんな昔の本に、自己肯定感を高める方法が書いてあるのですか?

『神学大全』は日本語訳で全45巻もある大著で、さまざまなテーマを扱っています。その第10巻が、人間の感情の動きを詳しく分析する「感情論」となっています。

私の「肯定の哲学」の授業では、この「感情論」の部分をじっくり精読します。感情というものの特徴をつかむことができれば、より肯定的に人生を送れるようになると考えているからです。

■「自己肯定感」の罠

——それで自己肯定感を高めるにはどうしたらいいのでしょうか?

ここ十年くらい、「自己肯定感」という言葉が使われることがとても増えました。本屋に行くと、そういう感じのタイトルの本があふれていますし、ネットでもこの言葉が使われることが多いですね。

ちょっと気にかかるのは、それらの自己肯定感をテーマにしている本が、文字通り「自己」を肯定することを強調していることです。

——それではダメなのですか?

ダメというわけではありませんが、すべての人間は、この世界と切り離せない関係のなかで生きています。そうである以上、自己を肯定するということは、自己と切り離せないこの世界をも同時に肯定するということになるはずです。

「この世界にはろくなものが存在しないし、ろくな出来事も起こらないし、周りも虫の好かない人ばかりだけども、自分のことだけはとても好きだ」というようなことはありえないと思うのです。

——でも、自己啓発本には、「この世界はあなたの足を引っ張る連中ばかりだから、人に嫌われることを恐れずに、自分の信じる道を突き進もう」と背中を押してくれる本もあります。

もちろん、そのような本に勇気をもらって、幸せに生きていけるならば、それでもいいのかもしれません。ですが、なんだか、そのようなやり方は、少し窮屈でかたくなな感じがしますね。

トマスの哲学の特徴は、単に「自己」を肯定するだけでなく、いっけん憎しみや悲しみに満ちているように見えるこの世界のなかにも、肯定できる要素が埋もれていることに眼を開かせてくれるところにあります。

■人間の感情には「根源的な肯定性」がある

——自己肯定感を扱った本の中には、ネガティブなことを考えてしまう「心のクセ」を矯正しようとするものも多いです。そのためのワークシートが付いている本もあります。

ネガティブなことを考えない訓練をするのも、一つの方法かもしれません。しかし、心に自然に浮かんできてしまう感情を、意志の力によって遮断するということは本当に可能なのでしょうか。

もし可能だとしても、それは自らの自然な感情を否定することですから、結局それでは自己肯定感は得られないのではないかと思います。

——では、どうすればいいのですか。

心に自然に浮かんでくるネガティブな感情を否定せず、むしろそれをありのままに深く受け止めることが、最初の一歩として大事です。トマスの「感情論」によれば、すべての感情には人間をおのずと肯定的な方向へと向かわせる力が潜んでいるからです。

たとえば「喜び」を感じたときは、それを抑制せず、笑ったり、「喜び」を他者と共有したりなど自然な反応をすると、ますます喜びが増幅されます。

——ポジティブな感情ならそれで良いかもしれませんが、ネガティブな感情をありのまま受け止めてはダメなのでは?

一概にそうとは言えないというのがトマスの考え方です。たとえば、「悲しみ」を感じたときは、それを無理に否定せずありのままに受け止めて、思いっきり泣いたり嘆いたりした方が、むしろ悲しみが和らぎますよね。

つまり、ポジティブな感情である「喜び」の場合にも、ネガティブな感情である「悲しみ」の場合にも、生まれてくる感情をありのままに受け止めて自然な反応をすると、おのずと心がより肯定的な方向に向かうようになっているのです。トマスの「感情論」の特徴は、人間の自然な感情を否定せず、むしろそこに「根源的な肯定性」を見いだしているところにあるのです。

■「ネガティブな感情」の受け止め方

——「怒り」や「絶望」などのネガティブな感情も、肯定して良いのですか?

トマスの「感情論」では、人間の基本的な感情は全部で11種類あるとされ、そのすべての感情の根源に「愛」というポジティブな感情があると考えられています。すなわち、「怒り」や「絶望」といったネガティブな感情も、丁寧に解きほぐしていくと、その根源には「愛」というポジティブな感情が見いだせるということです(図表1参照)。

「愛」の根源性(『世界は善に満ちている:トマス・アクィナス哲学講義』66ページより)
「愛」の根源性(『世界は善に満ちている:トマス・アクィナス哲学講義』66ページより)

したがって、「怒り」や「憎しみ」、「恐れ」や「絶望」などのネガティブな感情も否定せず、その根源にある「愛」に注目し、それを育んでいけば良いのです。

——えっ、どういうことですか?

具体的な例で考えてみましょう。たとえば、上司に対する「怒り」や「憎しみ」が溢れて、会社に行くのが難しくなってしまう。もしそんなことになったら困るので、何とかその状態を脱しようとして、「怒り」や「憎しみ」が心に浮かんでこないように、感情を必死に抑圧しようとする。しかし、それはなかなかうまくいかないし、無理して感情を抑圧すると、身体に症状が出てしまう場合もあります。

——でも、「怒り」や「憎しみ」をありのままに受け止めても、ますます苦しくなるだけです。

そもそも、なぜ上司に対する「怒り」や「憎しみ」という感情が浮かんでくるのか考えてみましょう。たとえば、あなたの大事な取引先をぞんざいに扱うからかもしれませんし、あるいはあなた自身の気持ちをないがしろにするような言動をするからかもしれません。すると、「怒り」や「憎しみ」という感情の根源には、「取引先への愛」「自分への愛」というポジティブな感情があるということになります。

「怒り」や「憎しみ」という感情を、ただネガティブなものとして受け止めるのではなく、それらの感情の根源にある「愛」の存在を確認し、それを大切に育むことが重要です。その「愛」を足場にして、はじめて現実世界に立ち向かう勇気や自己肯定感を得られるのです。

■4つの「徳」

——「怒り」や「絶望」などネガティブな感情にも、人間を肯定的な方向へ向かわせる力があるというのは驚きです。

もちろん、「怒り」にわれを忘れて上司に暴力を振るってしまったり、「絶望」が強すぎて鬱状態になってしまったりしたら、肯定的なものとは言えません。あくまでも「しかるべき程度」で感情を抱くことが大切です。

——自然に浮かんでくる感情を「しかるべき程度」にコントロールすることなどできないのでは?

もちろん、思いどおりにはなりません。ただ、ここで注意しなければならないのは、ゼロか百かの極端な思考に陥らないことです。「完全に思いどおりになる」と「全く思いどおりにならない」という両極のあいだには、その中間的な状態が何段階もあります。

思いどおりにはならない感情の動きが極端なものにならないように、ある程度適切にコントロールしていく力を人間は身につけていくことができるとトマスは考えているのです。

——どうすればそのような力が身につくのですか?

それは「徳」を身につけることです。トマスは、古代ギリシアの哲学者アリストテレスの『ニコマコス倫理学』を参照しながら、4つの枢要徳について論じています(図表2参照)。

枢要徳(『世界は善に満ちている:トマス・アクィナス哲学講義』121ページより)
枢要徳(『世界は善に満ちている:トマス・アクィナス哲学講義』121ページより)

■世界を肯定できるか

——先ほど、「自己」だけでなく「世界」も肯定できないと自己肯定感は得られないという話がありましたが、この困難に満ちた世界をどうすれば肯定できるのですか。

私の新刊のタイトルは『世界は善に満ちている』です。このタイトルを見ると、この世界に満ちている「悪」や「悲惨」、人生と不可分とも言える「苦しみ」「悲しみ」「虚しさ」、そうしたものに目をつぶった脳天気なタイトルだと反発する人もいるでしょう。

しかし、ネガティブな感情の根源にも「愛」があると説明したように、この世にさまざまな「悪」が満ち溢れているように見えても、そこには必ずそれに先立つ「善」があります。「善」を損なうものが「悪」なのですから、言い換えれば「悪」は「善」なしでは存在できないのです。

——たしかに理屈の上ではそうなるかもしれませんが、とても「世界は善に満ちている」とは思えません。

そういう方にこそ、ぜひ「肯定の哲学」を学ぶことをお勧めしたいと考えています。

山本 芳久『世界は善に満ちている:トマス・アクィナス哲学講義』(新潮選書)
山本 芳久『世界は善に満ちている:トマス・アクィナス哲学講義』(新潮選書)

たとえば、最初は退屈にしか思えなかったクラシック音楽でも、何度も聴いているうちに耳が肥えてきて、その豊かな世界を楽しめるようになります。最初はまずい飲み物でしかなかったワインも、何度も飲んでいるうちに舌が肥えてきて、ソムリエのようにその素晴らしい風味を味わえるようになります。

それと同じように、この世界の素晴らしさというものも、外界からの刺激を受けて生じる11種類の感情の揺れ動きを通じて、この世界に存在するさまざまな事物や人物、出来事を深く味わうことによって、徐々にわかってくるものだと思います。

トマスの「感情論」は、世界の「善」を存分に味わえるようになるためのマニュアルとして、言い換えれば「人生のソムリエ」になるための教科書として読んでみることのできる、極めて実践的なテキストなのです。

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山本 芳久(やまもと・よしひさ)
東京大学大学院総合文化研究科教授、哲学者
1973年、神奈川県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。千葉大学文学部准教授、アメリカ・カトリック大学客員研究員などを経て、現職。専門は哲学・倫理学(西洋中世哲学・イスラーム哲学)、キリスト教学。主な著書に『トマス・アクィナスにおける人格の存在論』(知泉書館)、『トマス・アクィナス 肯定の哲学』(慶應義塾大学出版会)、『トマス・アクィナス 理性と神秘』(岩波新書、サントリー学芸賞受賞)、『キリスト教講義』(若松英輔との共著、文藝春秋)など。

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(東京大学大学院総合文化研究科教授、哲学者 山本 芳久)

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