「なぜここぞとばかりに騒ぐのか」クラブハウスにみる"意識高い系"という病
プレジデントオンライン / 2021年2月22日 11時15分
■新しいSNSは概念を説明しにくい
新しいSNS「クラブハウス」が、いま何かと話題だ。音声限定、完全招待制、当面iPhone限定、テキストメッセージの送信不可、音声の録音不可、スピーカーに指定された人のみ発言可能など、何かと「制約」「限定」が多いSNSである。サーバーの負荷が増し、動作が不安定になることもよくある。多くの表記は英語で、完全日本語版になっているともいえない。セキュリティー上での不安を指摘する声や、会話の録音をNGとする規程に関する疑問の声なども散見される。
とはいえ、この約1カ月間、クラブハウスは日々、盛り上がっているかのように見える。さまざまな専門家がこのSNSについて語ってきたが、私は意識高い系ウォッチャーや働き方評論家としての視点からこの現象を読み解いてみたい。「また、常見が構ってほしいと言わんばかりに意識高い系たたきをするのか」「若き老害というが、もう若くないのに。痛い中年だな」「意識高い系よりも、意識低い系のお前が問題だ」と思う人もいるかもしれないが、違う。くれぐれも言うが、この現象を嘲笑するわけでも、意識高い系を揶揄(やゆ)するわけでもない。ややひいた視点で、なぜ、「意識高い系」は新しいSNSに熱くなってしまうのかについて考えたい。
そもそもクラブハウスとは何だろうか? 当初は「音声版Twitter」「音声SNS」という紹介文が散見された。思えば、Twitterも日本版がリリースされ、はやり始めた当初は「簡易ブログ」「ミニブログ」などいう紹介のされ方だった。今なら首をかしげてしまう紹介文である。もっとも、言わんとしていることはよく分かる。新しいSNS(に限らずリアルなビジネスも含め、新しいサービス)は、概念を説明しにくいものなのである。
■「クラブハウスにハマっている」にはさまざまな意味がある
誰かが部屋を開き、スピーカーとして指定された人が話をするという仕組み自体はシンプルだ。ただ、シンプルであるがゆえに奥が深い。使い方は無限に広がる。セミナー、公開討論会、同窓会、飲み会、テレビやラジオの視聴パーティー、さらには合コン、なりきりパーティー、生演奏、ヒップホップのバトルなど、活用の仕方も、そこでのテーマ設定も多様だ。話題も政治・経済、メディアの未来、SDGsから、作品の感想戦、他愛もない話など多様だ。先日、お邪魔した部屋では私の友人・知人が数名で「くまモン」がいかにかわいらしいか、ひたすら語りあっていた。
イベントを企画したり、スピーカーになったりする人もいる一方で、ひたすら会話を聴き続ける人もいる。その聴き方も、家事をしながら、移動しながら、風呂に入りながら、読書やネットサーフィンなどをしながら、ベッドに横たわりながらなど多様だ。車移動の際も、スマホの操作をせずに聴きっぱなしにする前提ならBluetoothでカーオーディオに音を飛ばし、楽しむことができる。
![スマートフォンを使用する若い女性](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/e/e/670/img_eef36f8f3c2d4118ff02b4b305ec0ae9244303.jpg)
思えば、リモートワークが広がり、何かを聴きながら仕事をする機会がふえた。そういえばウェビナーに登壇するたびに「聴いていたよ」と声をかけられることが増えた。そうか、見るのではなく、聴くのか。そんな「ながら時代」にクラブハウスは合っている。
前提として確認しておきたいのは、「クラブハウスにハマっている」という言葉自体、意味が多様であるということだ。クラブハウスの何にどうハマっているのかを確認するべきである。自身で積極的にオンラインイベントを開催し、モデレーターや発言者になることを指すのか、そこでの刺激的な議論を観客として楽しむのか、つながりが広がることにワクワクするのか、旧友との再会を少人数で楽しむのか、ひたすらゆるく聴いているのか、楽しみ方には違いがあるのである。
■クラブハウスの面白さとは何だろう?
クラブハウスが盛り上がる理由はよく分かる。導入から普及期のこの1カ月は、完全招待制ということもあり、レア感、特別感というものもある。
著名人の話を直接聴くことができるし、ひょっとすると会話をすることができるかもしれない。別に登壇者と会話ができなくても、刺激的、魅力的な座組みで、しかも旬なテーマのイベントが連発される。例えば、森首相の失言・辞任問題の際には、多数のroomが立ち上がり、男女平等に関する議論が巻き起こった。テレビに出演している著名人同士が突然、この場だけのトークを始める。気鋭のベンチャー経営者や投資家が座談会を始める。これが突発的に起こり、無料で楽しむことができるのは魅力的である。
■コロナ禍で味わいにくくなった「バル的開放感」がある
各業界関係者の生の声を聴くこともできる。先日、新聞関係者がメディアのこれからについて議論するroomをのぞいていたら、突然、スピーカーになってしまった。友人・知人に声をかけたところ、業界内のディープな話がダダ漏れになっていることに興味をもっていた。
コロナ禍で会食が減っているなか、マスクをはずして思い切り話すことができる。お酒を飲みながらでも、お風呂に入りながらでもばれない(たまに、湯船のお湯がはねる音が聴こえるが)。実はこのバル的開放感に皆、飢えていたのではないか。
部屋の開示範囲を選ぶことができるので、限られたメンバーで内緒の話をすることができる。現状のTwitterは、荒野に近い。政治的スタンスの対立が起こる。趣味に関するものですらそうだ。無邪気なツイートやリツイートについて絡まれることもある(もちろん、ツイート、リツイートは友人、知人だけが見ているわけではなく、どう解釈されるかわからないことなどを理解しておくべきではある)。タイムラインを見ているだけで気持ちが落ちることすらある。音声による会話という温かみのあるコミュニケーションで本音の議論をすることは貴重である。
■既存のSNSに感じていたモヤモヤを見事に解決
Twitter上でのコミュニケーションに顕著であるが「SNSで下手なことを言えない」という萎縮の空気がないか。この件は、やや丁寧に説明しなくてはならない。何か言ったらセクハラ、パワハラと言われるのではないか、今の規範に合致していないとたたかれるのではないかという話をしているわけではない。前提として、どの時代であれ、公共の場で何かを言う際には、ルールとマナーがあるし、その発言が誰かを傷つけないかは意識するべきである。「これくらいは当たり前だ」「昔はそういう話をしていた」という話は言い訳にならないし、容認するべきではない。
とはいえ、世の中の規範と、自身の想いはイコールではない。例えば、新型コロナウイルスショックに関して、緊急事態宣言やそれによる行動の制限や自粛について社会のルールを守っていたとしても、個人的な感情は必ずしもイコールではない。「守らざるを得ないけれど、困っている。でも人前では言えない」という意見にしろ、逆に「自分はこうあるべきだと思う。守っていない人はおかしいのではないか」という意見にしろ、人前では言いにくいが、気心知れた、価値観が合う仲間と想いを共有する場にはなる。
というわけで、クラブハウスはそのレア感、制限・限定などのルールと相まって、絶妙に今の時代とあっていた。コロナによる影響も大きいが、既存のSNSに感じていたモヤモヤを見事に解決しているとも言える。
■意識高い系はなぜ新しいSNSに力を入れるのか?
さて、意識高い系ウオッチャーとしてたまらないのは、新しいSNSなどが登場した際の騒ぎぶりである。今回も、傍観し、その香ばしさを堪能した。早期に招待されるかどうか、フォロワー獲得合戦、room運営の仕切り屋登場、盛りに盛ったプロフィールの記述、あおりにあおったroomの企画名、広がってまだ時間がたっていないサービスなのにもかかわらず「達人」「名人」を名乗り始める者など、まぁ、いつもの展開である。意識高い系しぐさの一つである「キチョハナカンシャ」も炸裂する。手をあげて、なんとか質問する機会などを得て、「本日は貴重なお話、ありがとうございました」と言いつつ、自己PRを始めるやからである。
フォロワー数が1000をどれだけ超えているかの競争まで起きている。運営ルールに抵触しているとみられるフォロワー数を増やすための無音部屋まで存在する。
もっとも、ここで立ち止まって考えたい。この手の意識高い系しぐさはなぜ起こるのか? それは、意識高い系の人々にとって、このムーブは極めて合理的なのだ。早めに始めてフォロワー数を増やした方が影響力を持ちやすい(少なくとも、力があるように見えやすい)。ノウハウもたまる。自分のことを大きく見せることができる。自分にとって利害関係のあるものに誘導するなど、ビジネスなどにもつながるかもしれない。
■実は意識高い系にとって、極めて残酷なツールかもしれない
新しいプラットフォームはヒーロー、ヒロインを生み出す。思えば、ブログ、Twitter、YouTubeなど新たなプラットフォームはいつも、新しいスターや、再ブレークする人を生み出してきた。本業でのもともとの実力や知名度以上にブレークする可能性を秘めている。
なんせ、人はアクティブなプラットフォームに集まる。感度の高い人から広がり、アクティブに常に何かが起こっている状態は2009〜10年ごろのTwitterを思い出す。停滞していたり、すでに勝者が決まっているプラットフォームよりも、ブレークしやすいのである。
モデレーター、スピーカー、フォロワー数など格差を可視化しやすいツールでもある。意識高い系たちも、今が勝負のしどきなのである。そもそも、新しいツールに積極的に取り組むか否かは、意識高い系としてのレゾンデートルに関わる問題だ。意識がライジングせざるを得ないのである。
もっとも、クラブハウスは実は意識高い系にとって、極めて残酷なツールではないか。これまでのSNSは「盛る」ことが可能だった。今回もプロフィールやイベント名などは盛ることができる。ただ、トークは必ずしも盛ることができない。トークの中身、盛り上げ方、仕切り方などでオーディエンスから評価されてしまう。「ファシリテーションこそ意識高い系の真骨頂」と思う人もいるかもしれない。ただ、これこそ、実は意識だけでなく知識が必要なのだ。一見、素人のスタンスをとっていたとしても、人の話を引き出し、まとめるためには意識の高さや技術だけでなく、知識が必要である。毎日、イベントを主催したり、参加し続けるのには心技体を総動員しなくてはならない。YouTubeにしろ、ブログにしろ、始めることは簡単だが、影響力を与えること、続けることは簡単ではない。
さらに、Twitterなどのときよりも早く著名人が参入している。人前で話すことをなりわいとしている人たちを相手に、意識高い系はどう立ち向かうのか。まあ、こういう人たちはうまく絡んでいくのだけれども。
■大ブレークの場であるようで、公開処刑の場でもある
クラブハウスで、意識高い系イベントを続けるには体力も必要だ。企画力、さらには喋(しゃべ)り続け、仕切り続け、話すネタも増やさなくてはならない。実は意識高い系の大ブレークの場であるようで、公開処刑の場となる。「意識高い系の限界」が可視化される。
このようにクラブハウスの盛り上がりは意識高い系ウオッチャーとしてたまらず、ここ数日、私の食欲も増していて体重も体脂肪率も上がってしまった。ただ、彼ら彼女たちを揶揄するのではなく、なぜ意識が高まってしまうのかという点を直視しなくてはならない。人は意識高い系に生まれるのではなく、意識高い系になるのだ。意識高い系は流行にのっているようで、踊らされている。しかも、その「踊り」も存亡をかけたデスダンスだ。ルビコン川を渡るほどの覚悟があるのか否かが問われるのだ。
■珍しく明るい未来について語ってみる
さて、最後に私が注目している使い方などについてまとめることにする。画像・動画なし、テキストメッセージなし、タイムフリー機能なしというこのサービスはシンプルだが、奥が深い。
個人的には、企業の採用活動でどのように利用されるかに注目している。採用活動の歴史は、新しいITツールを利活用する試行錯誤の歴史だからだ。特に新しいツールは感度が高い層、尖(とが)った層から使い始める傾向がある。思えば、いまや大衆化し、大量応募型就活が広まる一因となったと批判される就職ナビも当初は早期からインターネットを使っている尖った層にアプローチできるツールでもあった。mixi、Twitter、Facebook、YouTubeなどの各種ツールはこれまでも採用活動に活用されてきた。一時はソーシャルリクルーティング、ソー活という言葉がはやり、「ユーキャン新語・流行語大賞」にノミネートされたこともあった。
クラブハウスは前述したような機能上の制限はあるし、なんせ求職者のアカウントを特定するのに手間暇がかかるものの、企業説明会、社員との交流会、さらには人と人とのつながりにより採用するリファラル採用への活用などが考えられる。経営者や社員が発信することは、就職先・転職先として認知されることにつながるし、理解も深まる。
もっとも、採用活動においては、どれだけ求職者と対等な(もしくは、対等に近い)関係で接することができるか。これがリクナビ誕生以来、問われ続けていた問題である。
一方、メディア関係者は、どのように既存メディアと連動するか、ここから有識者や読者の声をいかに吸い上げるか、さらには新たなスターをどう発掘するかに注目している。思えば、この20年間、ネットの数々のプラットフォームから新しい論者、表現者が発掘されてきた。どのようなスターが登場するのか、あるいはすでに世に出ている人がこれでどう化けるのかに注目したい。
■コロナ時代に忘れていた何かを思い出した
正直なところ、すでにクラブハウスではいい思いも、嫌な思いもした。なかなか招待されず、「あぁ、私はもうオワコンなんだ」と思った次第だ。小中高校生時代の、恋人がいるわけでもないのに、バレンタインデーでソワソワする気持ちを思い出した。クラブハウス鬱(うつ)も経験した。どんどんと立ち上がる企画、登壇者として声がかかることもなく、画面を見るだけで鬱(うつ)になった。
![常見 陽平『「意識高い系」という病~ソーシャル時代にはびこるバカヤロー』(ベスト新書)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/6/c/200/img_6c89f75c0d01a6ba4ef894b2814465e2131569.jpg)
一方、のぞいていた部屋でスピーカーになったときや、もう自分で企画を立ててしまえと30分間演説をする企画に数十名の人がやってきてくれたとき、さらにクローズドな部屋で友人たちと語り合ったときは楽しい時間だった。
部屋をあける勇気、声をかけられることにオープンであること。コロナ時代に忘れていた何かを思い出した。中学の男子更衣室、高校や大学の部室で語り合った日々も。
思えば、会社員時代は相談・雑談・漫談の「3談」を大切にしていた。すっかり忘れていた。
頑張りすぎると疲れるので、今後このサービスがどうなっていくのかを想いつつ、激しく傍観しよう。
@yoheitsunemiをフォローしてほしい。ウサギは寂しすぎると死んでしまうのだ。
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千葉商科大学国際教養学部准教授、働き方評論家
1974年札幌市出身。一橋大学商学部卒業、同大学院社会学研究科修士課程修了。リクルート、バンダイ、クオリティ・オブ・ライフ、フリーランス活動を経て2015年4月より千葉商科大学専任講師。2020年4月より准教授。著書に『僕たちはガンダムのジムである』『「就活」と日本社会』『なぜ、残業はなくならないのか』『僕たちは育児のモヤモヤをもっと語っていいと思う』ほか。1児の父。
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(千葉商科大学国際教養学部准教授、働き方評論家 常見 陽平)
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