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「観客」をつくらなければ、どんな文化も簡単に消滅してしまう

プレジデントオンライン / 2021年2月23日 11時30分

哲学者・批評家の東浩紀さん - 撮影=西田香織

哲学者の東浩紀さんは、この10年、「ゲンロン」という会社での言論活動に主軸を置いている。新著『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)では会社経営の苦労を赤裸々に綴っている。なぜそこまでして言論活動でお金を稼ごうとしているのか。同書を読み、「感動的」と評した経営学者の楠木建さんとの初対談をお届けする――。(後編/全2回)

■「品格、品格」という人にかぎって、品格がない

(前編から続く)

【楠木】「あとがき」も印象的でした。本のなかで「Aさん」「Bさん」とアルファベットで登場するスタッフたちに触れた部分です。

〈ぼくはいまでは彼らに感謝している。彼らはみなぼくを助けてくれた。彼らの過ちはぼくの過ちだ。ぼくはXさんの流用に半年気づかなかった。Aさんの金遣いが荒かったのはぼくの金遣いが荒かったからだし、BさんやEさんが経理を放置していたのはぼくが経理を放置していたからである。〉

自分については甘い人が多い言論の世界にあって、ずいぶん率直な物言いですね。

【東】現実にそう感じたんです。

【楠木】仲間というのは似てくる。たいていリーダーの悪いとこばかり真似して、集団としてダメになっていく。

多様性って、そんなに簡単なことじゃないですね。二言目には「ダイバーシティ」と口にする経営者ほど、多様性への理解は浅い。「品格、品格」という人にかぎって、品格がないのと同じです。

■東さんは哲学者や批評家のなかでも“基礎体温”が高い

【楠木】東さんが、そもそも仲間をつくろうと思ったのはなぜでしょうか。私の感覚では、東さんは哲学者や批評家のなかでも“基礎体温”が高いように思います。ものを考えて文章を書くだけでは飽きたらず、多数の人に影響を与え、ムーブメントを先導しようとするアツさを感じるんですね

私は平熱が低い方なので、そこに大きな違いを感じます。ひとりで考えて、考えを言語化し、自分がターゲットとする読者に届けばそれで十分。仲間をつくろうとか、ムーブメントを起こそうということは自分では考えませんね。

東浩紀『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)
東浩紀『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)

【東】“基礎体温”が高いというのは、自分でも思っています。僕はたぶん、性格と職業がミスマッチを起こしているんですね。だから特異なポジションにいる。同時に効率の悪さや空回りも起こしている。昔からそういう自覚はあるので、楠木さんの話はよくわかります。

【楠木】東さんは2000年代に、インターネットの言論空間にかなり期待していたと書いていますね。特に政治的な面で民主主義が変わるという理想論があって、人々がもつ無意識の意見を情報技術で集約して可視化できるのではないか、それを合意形成の基礎に据えるべきではないか、という新しい民主主義のありかたをお考えになった。東さんがゲンロンを立ち上げた2010年頃ですね。

私は最初からネットの「集合知」などというものは信用できないと思っていました。初めからネットへの期待がないから、裏切られた感覚もない。これも“基礎体温”の違いだと思います。

■哲学や批評の世界にいるのは、平熱が低いひとばかり

【東】僕はたまたま哲学や批評の世界に流れ着いたわけで、あまりその世界の常識を知りませんでした。だから、哲学や批評ももっといろんな人に届いていいはずだと思っていました。ところが、現実に哲学や批評の世界にいるのは、平熱が低く、抽象的なことばかり言っているひとばかりで、世間からも世の中のことをちゃんと考えていない連中だと思われていました。この状況を変えなければいけないと思いました。

そのためには、僕自身がおもしろいものを書くだけではダメです。たとえいい本が書けても、その本を求める読者がいないからです。そうなるともう、読者ごと創らなくてはいけません。業界のイメージを変え、読者の期待を変えていく。このミッションは、20年ぐらい前から僕のなかにあります。だから、ガラにもなく若い人を集めたり、出版社を起業したりしたんですね。

楠木建氏
撮影=西田香織
経営学者の楠木建さん - 撮影=西田香織

【楠木】いまのお話は、半分は私と同じで、半分は違うという気がします。川のメタファーでよく説明しているのですが、周りの研究者を見ていると、仕事の満足というか手ごたえのツボの在り処が、川の上流、中流、下流の3タイプに分かれるように思うんですね。

■純粋なアカデミックな人は「奥多摩」にいる人が多い

【楠木】多摩川でいえば、第1のタイプは奥多摩の水が澄んだところにいる人たち。このタイプは、何か「わかる」ことに一義的な喜びを感じる。「わかった! そういうことか!」で8~9割が満たされる。このタイプにとって、そのあと分かったことを論文にしたり、発表したりというのはいわば「おまけ」です。純粋なアカデミックな人は奥多摩にいる人が多いように思います。

そこから川を下って、多摩川でいえば中流の登戸あたりになると、自分がわかるだけじゃ満足できなくて、他人にも自分の考えが伝わり、わかってもらうことに喜びのツボがある人たちがいます。私は完全にこのタイプで、経営学者として最終的には経営者や商売をする人々の役に立ちたいと思っている。ですから、あるときから研究者のコミュニティで評価されることよりも、エンドユーザーであるビジネスパーソンに向けて本を書くようになりました。

東浩紀『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)
撮影=西田香織
東浩紀『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ) - 撮影=西田香織

【東】一般向けの本を書くのは、多くの人に読んでもらって世の中に影響を与えたい、役に立ちたいと思うからですよね。

【楠木】さらに川下に行かないと満足しない人たちもいます。考えを売るだけにとどまらず、世の中を自ら動かすことに手ごたえを感じる。こう言う人は多摩川も東京湾の近く、羽田あたりにいる。東さんはわりと下流のほうにお住まいのようにお見受けします。

■自分でも「なんで、こんなことやってるんだ」と常に思っている

【東】僕としても、水が澄んでいる上流に住んでいたかった。しかし言論という川は、下流のほうが枯れてしまうと、そのうち上流も枯れていくものなんです。川がどこからはじまっているかといえば、実は下流だった。哲学や批評の将来を考えると、「このままでは下流から消滅していくぞ」という危機感があって、上流から中流、下流へと居場所を移していったわけです。自分でも「なんで、こんなことやってるんだ」と常に思っています。

【楠木】それは意外ですね。

【東】本にも書きましたけど、僕は学者の家庭で育っていないせいか上流のコミュニティが肌に合わないところがあります。上流で静かに暮らしたい一方で、それだけでは満足できない。「哲学をやっていたら、自分の考えがみんなに届くのがふつうだよな」という思いはベースの部分にあります。

でも、それがなくても、やはり川は下ったと思います。そもそも読者がいなければ、哲学や批評は成り立ちません。「業界の構造が間違っているんじゃないか」と気づいた結果、自分で川を下っていくしかなかった。もし僕らより前の世代が、下流域をちゃんと守ってくれたら、その必要はなかったでしょう。前の世代が枯らしてしまった下流域を自分で整備している感じはあります。

撮影=西田香織

【楠木】なるほど、一般読者とのつながりを軽んじた時期がつづいたから、枯れてしまったと。その見方が当てはまる分野は、ほかにもありそうです。

■文系の学問はこのまま滅びても不思議じゃない

【東】昨年秋にメディアを騒がせた日本学術会議の任命問題でも、似たようなことを感じました。学者にとっては大問題でも、一般の生活者にすれば「ほとんど世の中の役に立ってないから当然」となる。いま文系の学者は、ものすごく評判が悪い。ネットでは「文系の学者いらなくね?」などとバンバン書かれて、世論調査でも「日本学術会議の組織見直しについて賛成」が7割という結果でした(※)。

※編註:JNN世論調査(2020年11月7日、8日)では、日本学術会議の組織見直しについて「賛成」が66%、「反対」が14%、「答えない・わからない」が20%だった。

文系全体に対する社会的な信用が地に落ちているのに、学者自身は大学のシステムに守られているから事態を真剣に受け止めていない。政府や世論の批判をして満足している。僕からすると、このまま滅びても不思議じゃないほど、日本には文系の学問の居場所がなくなっています。この状況から脱するのにはどうすればいいかと深く考えている人はほとんどいない。

撮影=西田香織

■政権批判や運動にコミットしないと「冷笑的」といわれる

【楠木】私も大学にいる学者の1人ですけど、究極的には、大学がどうなろうと自分がやりたいことをできればいいというスタンスです。芸者と置屋みたいな関係。自分の芸を自由にやらせてもらえるような居心地のいい置屋にいたい。この意味で利己的ですね。得意な芸を披露して、お客さんが「いいね」と言ってくれたらそれでOK。だから、日本学術会議といった社会制度にも関心がない。もちろん先方から誘われたこともない。

まったく知らなかったので、ニュースになったときに「誰がいるんだ?」と名簿を確認しました。主観的な基準でいえば、優れた学者も一部にいますが、そうでもない人たちもけっこういる。あまりピリッとした団体じゃないな、という印象があります。

東浩紀氏
撮影=西田香織

【東】僕も似た距離感はあります。もともと僕は、政権批判や運動にコミットしないので、ネットでは冷笑的といわれているんです。

ただ、文系の学問が世の中から遠ざかってしまうのは残念に思います。僕は子どもの頃から本を読むのが好きで、いま自分がやっていることもその延長にある。だから、読者として素朴に哲学っていいものだなと思うんです。2000年以上もまえにソクラテスやプラトンが書いたことが、年齢を重ねてやっとわかってくるようなことがある。そういうのっていいことだと思うんですよね。同じような刺激的な体験を次の世代にもぜひしてほしい。

■ハッシュタグデモは複雑なはずの政治を単純化してしまう

【東】ところが、そういう経験の大切さを伝えるまえに、Twitterでハッシュタグを打つことが使命だと思っている大学人がじつに多い。ハッシュタグデモは複雑なはずの政治を単純化してしまう。

むしろ知識人であれば、数百年前から読み継がれてきた古典を引くことで、目の前の政治を歴史的に相対化したり、単純に見える現実の複雑な面を明らかにする役割を果たすべきです。それなのに目の前の政治の話ばかりするから、社会からかえって冷たい目で見られるようになった。「だれでも言えること言っているだけだよね?」と。そういうなかで、文系学問の価値を次の世代に伝えていくみたいなミッションも感じています。

【楠木】なるほど。でも、本当に力量がある人は自然と出てくるものではないですか?

【東】そう簡単にはいえないと思います。文系の学問は歴史のつながりのうえで成立しているものですから、一人の力で何とかできるものではありません。人間社会とはあまり関係がない学問、たとえば物理法則などは一度失われても、誰かが再発見できます。しかし文化は、一度滅びたら復活はとてもむずかしい。だから、残したいんです。一種の教養主義ですけど、そのプラットフォームをどう現実的に構築するか。公的機関には期待できないので、民間ビジネスで立ち上げるしかない。そう考えたところに、僕の特異性があるのかもしれません。

■でっかい話に落とさないと落ち着かないという職業病

【楠木】わかりました。文化の存続には、私もぜひ力になりたいと思いますけれど、その方法が、自分なりの考えを発表するとか、本を書くところで終わってしまう。東さんは、責任感が強いというか、器が大きいですね。

【東】いや、器が大きいというわけじゃ……いま言われて思ったんですが、これは職業病かもしれません。僕は20代の頃からメディアに出ていたんで、新聞記者などが訪ねてきて、「これからITと文化ってどうなると思います?」みたいな抽象的なことを質問されるのに慣れている。だから、なんかそれっぽく答えちゃう。

東浩紀氏
撮影=西田香織

【楠木】なるほど。私の場合は40歳過ぎまでメディアに出ることはそれほど多くありませんでしたから。

【東】でっかい話に落とさないと、オチがつかないみたいで落ち着かない。たぶん職業病です。でも『ゲンロン戦記』に書いたとおり、最近ではそれもむなしいと感じている。会社経営は雑務だらけですから、いまや頭の8割ぐらいそっちに使って、実際は残り2割ででかい話や未来について考えているだけです。でかい話ばかりじゃ、根っこがなくてふわふわしてくるんですよ。

僕は中高一貫の進学校から東大に入って、そのまま博士号を取って、最初の本でサントリー学芸賞をもらって論壇にデビューして……と本当に狭い世界しか知らなかったんですね。生活者とちゃんと接してないというのが弱点でした。

■「社会は業者で成り立っている」と実感できた

【楠木】それは、特殊な才能をもつ人に固有の問題じゃないですかね。いずれにせよ、具体と抽象の往復を繰り返さなければ、迫力ある思考は生まれないと思っています。ゲンロンの経営で社会との接点ができたときに、空調設備の人やセキュリティ会社、食材配達、印刷業者、旅行業者……と、いろんな業者さんと接して感心する。こういう具体の次元にある経験が、抽象次元にある東さんの哲学をドライブしていく。この成り行きがすごくいいなと思いました。

【東】たとえばトークイベントでは、登壇者は「これは自分のイベントだ」と思っている。でも実際は、部屋の空調が効いていたり、観葉植物が置いてあったり、たくさんの人がそのイベントにかかわっている。観葉植物がなければ、何かもの足りない気分になるものなんですよ。

ゲンロンでも観葉植物を買おうとしたんですけど、そのときはじめてレンタルがあると知りました。「観葉植物をレンタルする業者があるんだ!」って。そうやって、いろいろ調べていくと、いろんな業種があって「社会は業者で成り立っている」と実感できるわけです。イベントに登壇したことしかないひとは、そういう想像を働かせることができない。

■「東さんは明らかに経営者に向いてないですね」

【楠木】で、いろいろあって、自分が育ててきた会社をもう畳もうかと考えたとき、ちゃんと後継者が現れる。

【東】現社長の上田洋子と取締役の徳久倫康ですね。上田は僕と全然違うタイプなので、どうなるかと思ったら、社長交代のあと業績がずっといいんです。スタッフはほとんど同じなのに。もう苦笑いしかないですよ。

あらためて僕は、会社経営や部下を使うことに向いてなかったんだと理解しました。『ゲンロン戦記』が好評なのはうれしいですけど、「俺の悪戦苦闘は何だったんだろう」という思いはありますね。

楠木建氏
撮影=西田香織

【楠木】まるで向いてない私が言うのもなんですが、東さんは明らかに経営者に向いてないですね。大回りで一周まわって、やっぱり一人でやっていこうという悟りに到達する。『ゲンロン戦記』を読んでもっとも感動したのは、そこのところです。

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東 浩紀(あずま・ひろき)
批評家・哲学者
1971年東京生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。株式会社ゲンロン創業者。同社発行『ゲンロン』編集長。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(1998年、第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(2001年)、『クォンタム・ファミリーズ』(2009年、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志 2.0』(2011年)、『弱いつながり』(2014年、紀伊國屋じんぶん大賞2015「大賞」)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(2017年、第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『哲学の誤配』(2020年)ほか多数。対談集に『新対話篇』(2020年)がある。

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楠木 建(くすのき・けん)
一橋大学大学院 国際企業戦略研究科教授
1964年生まれ。89年、一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。一橋大学商学部助教授、同イノベーション研究センター助教授などを経て現職。『ストーリーとしての競争戦略』『すべては「好き嫌い」から始まる』『逆・タイムマシン経営論』など著書多数。

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(批評家・哲学者 東 浩紀、一橋大学大学院 国際企業戦略研究科教授 楠木 建)

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