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「3000頭を発見、成功率は7割」ホームレス中学生が凄腕ペット探偵になるまで

プレジデントオンライン / 2021年2月22日 9時15分

撮影=©新潮社

迷子になったペットを捜し出す「ペット探偵」がいる。1997年の創業以来、約3000頭のペットを見つけ出し、成功率は約7割というペット探偵の藤原博史さんは「中学時代、家を飛び出してホームレスのように野宿していた。だから、ペットたちがどこに身を隠しているかが分かる」という――。

※本稿は、藤原博史『210日ぶりに帰ってきた奇跡のネコ ペット探偵の奮闘記』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

■家族5人と虫たちが暮らした6畳2間

私がどうして「ペット探偵」になったのか。その原点はやはり子ども時代にあったような気がします。1969年、兵庫県の神戸で生まれ育ち、もの心ついたときからずっと虫や動物に興味がありました。地面を這いずり回るようにして虫を探し、追いかけ、すっかり同化してしまうのです。

たとえば冬には木の皮をめくると、テントウムシなどが冬眠しています。すると自分もテントウムシになりきって、夜寝るときも毛布をかぶり「僕はテントウムシだ」と思い込んで眠る。地中で冬眠しているトカゲも掘り起こしては観察し、自分もその姿になりきってしまうような子どもでした。

家でもいろんな生き物を飼っていました。アリやチョウ、クモ、カブトムシなどあらゆる虫を捕まえると、お菓子の空き箱などを使って飼育するのです。

ただし、うちは公団住宅です。共働きの父と母、兄と妹の5人家族で6畳2間ほどの狭い団地暮らしでしたから、生き物を飼える場所はうんと限られます。子ども部屋の隅にこたつのテーブルを縦に立てかけて、斜めにできたすき間が私のスペースでした。その中はいつも虫だらけの状態だったのです。

■路上生活をする中学生

小学校を卒業するとき、文集には将来の夢として、「なにか動物にかかわる仕事につきたい」と綴っていたことを憶えています。しかし、その道は中学へ入ったころから、遠く離れていくことになりました。

ちょうど反抗期にさしかかったこともあり、小学校高学年には母親の財布に手をつけたり、夜中に神社に忍び込んで賽銭を盗んだり、悪ガキぶりを発揮していました。それが中学時代にはさらにエスカレートし、いわゆる不良少年に染まっていったのです。

授業をさぼって煙草を吸ったり、バイクで学校へ乗り付けたり。仲間うちで窃盗や喝上げをしたり、暴力沙汰になることもありました。当然ながら学校では問題児扱いされ、あるとき担任の先生が家庭訪問にやってきたのです。

先生は両親と私に向かって、「もう学校には来ないでくれ」ときっぱり言い、それから卒業式まで一度も登校することはありませんでした。家にも居づらくなりやがて家を出ると、ヤクザになった先輩のもとへ転がり込みました。そこにも居づらくなると、外で野宿するようになったのです。

夜は車の下で寝たり、屋根がある駐車場など雨風を避けられる場所を見つけます。閉店後のショッピングセンターに潜り込み、ペットコーナーの大型犬の小屋の中で寝泊まりすることもありました。冬場はそこで何とか寒さをしのげたのです。

■ある晩の不思議な夢

結局、ほとんど野宿していたような生活は1年ほど続きました。中学三年生の終わりが近づくと、なぜか先生に「卒業式にはちゃんと出てくれないか」と頼まれ、卒業式だけは出席することになりました。そして、その当日、きっぱり気持ちを入れ替えたのです。

ペット探偵の藤原博史氏
撮影=©新潮社

もうこんなバカな生活はやめて、ちゃんと普通に生きようと。自分でも好き勝手なことはやり尽くしてしまって、そろそろ飽きていたのでしょう。私はすっかり外見も変えて、きちんと仕事に就こうと心に決めました。

中学を卒業後、私は仕事を転々としていました。神戸ではお寿司屋、喫茶店、ホテル。その後、東京でしばらく働き、長野では住み込み寮がある部品工場や、宅配便の作業所で荷分けの仕事に就き、夜勤をつとめました。沖縄では近海でクルマエビを養殖する仕事に就きました。その時です。思いがけない人生の転機が訪れたのです。

ある晩のこと、私は不思議な夢を見ました。いつのまにか自分は「ペット探偵」となり、行方不明になったペットたちを捜索していました。そして大活躍をしている──。まだ「ペット探偵」などという言葉も知られておらず、そんな仕事があるとは思ってもみません。それでもなぜか、ものすごくリアルな夢なのです。

■「これこそ自分の仕事だ」

パッと夢から覚めた瞬間、私はひらめきました。

「世界中でこんな仕事をしている人はいないだろうから、僕がこれをやろう!」

私自身はもともと夢や占いなど全然信じないタイプです。けれど、あの瞬間には何の疑いもなく、「これこそ自分の仕事だ」と感じられたのです。

今思えば、あれはただの不思議な夢でもないのでしょう。それまでの自分を振り返ると、いろんな体験がずっとつながっているのですから。もの心ついたころから虫や動物たちと関わり合ってきました。

中学時代、ホームレスのように野宿していたときも、野良猫や野良犬が私に寄ってきたものです。どんな場所なら雨風をしのげるか、安全に身を隠すのには最適かも、イヌやネコに教わりました。つまり、野放しにされた動物に学びつつ、彼らになりきる体験をしていたのです。

「ペット探偵」の夢を見たことはやはり偶然ではなくて、ちゃんと理由があったのだと思います。私は27歳になっていました。私は「ペットレスキュー」開業のため再び上京することに決めたのです。

■ペットレスキュー始動

捜索の現場に出ると、不思議とどんな状況も辛くはありませんでした。炎天下や冬の厳しい寒さの中、黙々と外を歩き続けることも苦になりませんし、飼い主さんとのやりとりがしんどいと感じることもありません。それは今も変わらないのです。

依頼は全国各地から舞い込むので、ひとつの仕事が終われば、またすぐ別の場所へ向かうことになります。いわば旅をしながら“狩り”をしているような仕事の仕方、生き方が性に合っているのでしょう。

ママ犬にすり寄る子猫
写真=iStock.com/petesphotography
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/petesphotography

そしてペット専門捜索会社「ペットレスキュー」を1997年に立ち上げました。一般には「ペット探偵」という仕事がほとんど知られていなかったので、依頼も月1件あるかどうかという苦しいスタートでした。

いざ依頼があればすぐ駆けつけられるように待機しますので、他にアルバイトをするわけにはいきません。それでも、これまでの経験から逆境には強く、何とかなるだろうと楽観的に思えるところがありました。そしてもちろん、この仕事を辞めたいと思うことなど一度もなかったのです。

当時はまだSNSなどネットによる情報拡散は存在せず、ポケットベルを持ち歩きながらチラシとポスターを頼りに足で情報を集めるしかありませんでした。ただし若さゆえの体力には自信がありました。やがてネットの普及とともに口コミが広がり、どんどん仕事が増えていきました。

■川に落ちてしまったネコ

この数年はありがたいことにテレビや雑誌などメディアで取りあげられる機会が多くなってきました。けれど、私自身はこの仕事を始めたころと何も変わっていません。

いちばん最初に受けた仕事のことは今も鮮明によみがえります。それは誰かが川に投げこんだネコを救出してほしいという依頼でした。東京・江戸川区の新小岩を流れる川で、近所に住む女性から電話があったのです。

「ネコが川に落ちてしまったんです。私はとても助けに行けないので、どうか代わりに保護してください!」

切羽詰まった声で頼まれ、急いで車で駆けつけると、すでにネコの姿は見えなくなっていました。川辺をあちこち捜し回ると、水際にネコがいました。何とか自力で川からあがったのでしょう。でも川沿いのコンクリートの歩道へはかなりの高さがあるため、そこから登りきれないでいました。

私は捕獲器を持って水際へ近づいていきました。ネコは警戒した目で私を見ていますが、抵抗することなく両手におさまってくれました。ネコを捕獲器に入れ、片手で持ちながら歩道へあがるためのハシゴを登ります。何とか片手でハシゴを登りきると、ほっとする気持ちが湧き上がってきました。

歩道では、はらはらした様子で、依頼者が待ちかまえていました。ネコと私を見ると、彼女はもう泣き出さんばかりに喜んでくれました。

「こんなに喜んでくれるのか」

あの瞬間の感動は、今でも忘れられません。

■この仕事をするには冷たい人間

このように書くとまるで順風満帆に聞こえるかもしれませんが、捜索においては日々、迷ったり反省したりの繰り返しです。「あのすき間をもっと奥まで見ればよかった」「最初からあっち方面を捜せばよかった」──現場を見ながらの判断も、後になればもっとこうすればよかったのではとの考えが湧いてきます。

藤原博史『210日ぶりに帰ってきた奇跡のネコ ペット探偵の奮闘記』(新潮新書)
藤原博史『210日ぶりに帰ってきた奇跡のネコ ペット探偵の奮闘記』(新潮新書)

それでも時間切れになることは多々ありますし、悲しい結末に終わることもありますが、私はひとつの現場が終わると次の捜索に持ち込まないようにしています。100件依頼があれば100通りの失踪パターンがあります。生い立ち、性格、地形、天候などそれぞれ状況が異なります。一度リセットして取りかからないと次に進む事が出来ないのです。これは私自身にどこか、冷たい部分があるせいかもしれません。

それでもいちばん最初に川で救助したネコのことだけはとてもよく覚えているのです。自分の中でも忘れてはならないという思いがあり、おそらく私がこの仕事に取り組む姿勢の原点になっているのでしょう。

ペット捜索という仕事の最終地点は、そこを目指すことです。そのときに味わえる感動、飼い主さんとの再会の瞬間が醍醐味でもあります。思えば飽き性の私が、この仕事を20年以上続けられているのはすごいことです。まさに天職というか、自分の性に合っているのでしょう。

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藤原 博史(ふじわら・ひろし)
ペット探偵
1969(昭和44)年兵庫県生まれ。迷子になったペットを探す動物専門の探偵。97年にペットレスキュー(神奈川県藤沢市)設立、受けた依頼は3000件以上。ドキュメンタリードラマ「猫探偵の事件簿」(NHK BS)のモデルに。著書に『ペット探偵は見た!』『210日ぶりに帰ってきた奇跡のネコ――ペット探偵の奮闘記』がある。

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(ペット探偵 藤原 博史)

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