育休中に後輩が昇格、アポの日に子どもが発熱…あせる私に"怖い上司"がかけたひと言

プレジデントオンライン / 2021年2月26日 17時15分

プランニング事業グループ グループリーダー 杉浦景子さん - 撮影=プレジデントオンライン編集部

杉浦景子さんは、賃貸住宅情報誌「CHINTAI」の編集職を夢見てCHINTAI(旧:賃貸住宅ニュース社)に新卒で入社。しかし同期の中で唯一子会社に出向となり、本社に戻ってきたあともなかなか昇格できなかった。「結果を出さなければ」と焦り、孤軍奮闘しては空回ることを繰り返していた杉浦さんの働き方を変えた、ある上司の、今も心に残る一言とは——。

■同期でひとりだけ子会社に出向。独自のスタートを切るが…

東京で一人暮らしをスタートするとき、初めて手にしたのが「CHINTAI」だった。分厚い冊子にびっしり物件情報が満載され、わくわくしながら部屋探しをしたという。その編集を目指して、2003年に賃貸住宅ニュース社(現:CHINTAI)へ入社。

だが、最初の配属先は海外のアパートメントホテルを手配する子会社だった。30歳前後の、洗練された都会的な女性の先輩たちに囲まれ萎縮しつつ、英語が飛び交う職場で厳しく鍛えられた、と杉浦さんは懐かしむ。

「私は英語も苦手だったけれど、精神力が強いと見られていたようで(笑)。同期の中で、ひとりだけ子会社に配属されました。当時は泣きながら、付いていくのが精一杯でしたね」

その後、配属先の子会社が旅行会社(CHINTAIトラベルサービス)になり、旅行サイトの制作に携わるが、その仕事が楽しかった。出向社員として、周囲との壁を感じた杉浦さんは思いきって転籍を決意。晴れてCHINTAIトラベルサービスの社員になったことで、より職場に馴染んでいくが、7年目に「CHINTAI」からの辞令で、再び本社へ戻ることになった。

■スピード昇進したいと孤軍奮闘するも空回った30代はじめ

配属先は、「情報審査室」。入居条件や物件情報を細かくチェックする業務に携わることに。希望とは全く異なる部署への異動に当時はショックを受けたそうだ。しかし、そこで挫けることはなく、思いがけずスイッチが入ったらしい。

「なぜか急に負けたくないという気持ちが湧いてきたんです。上司に認められたい、このメンバーの中で抜きん出て、誰よりも早く昇進していきたいと……」

入社以来、出向先で頑張ってきたけれど、本社にいた同期の仲間はすでに昇格していて、自分も追いつかなければと気負いがあったという杉浦さん。そんな思いもあり苦労もいとわず必死で仕事をこなしたが、なかなか昇格はできなかった。

「今となれば、当時の自分に何が足りなかったのかがわかるけれど、あの頃は何でダメなんだろうと焦るばかり。自分の目標を達成することだけに邁進してしまい、視野が狭かったなと思います」

孤軍奮闘しながらも、空回りしていた30代はじめのころ。杉浦さんは33歳で一子を出産し、育休明けに復帰したが、ますます気落ちしてしまう。育休中に後輩も昇格し、すっかり遅れをとっていた。ただ、そのような中でも上司から「ブランクなんて気にしなくていい」と言ってもらえたことで、仕事に奮起できたという。

■周囲に支えられた育休明け。復帰の翌年、35歳で管理職に

それでも育休明けの時短勤務では時間調整が難しく、子どもが病気になる度に早退や欠勤が重なっていく。子育てとの両立に追われるなか、同僚との関わり方が変わっていった。

「それまでは絶対に頼らない、自分がいちばん量をこなすんだと思っていたけれど、頼らなければやっていけなくなって。そんな私を同僚たちもすごくサポートしてくれたのです。負けたくないという気負いがなくなり、チームへの愛着を感じるようになりました」

もともと要領が悪く、一つ一つ積み重ねていくのが自分のスタイルだったという杉浦さん。だからこそ周りと比べて焦った時期もあったが、仕事に対する自信がついていくなかで心に余裕ができた。そんな変化を見守ってくれた上司の応援もあり、復帰の翌年にはグループリーダーに昇格。35歳のときだった。

「まだまだ頑張らなきゃという気持ちが強くあったと思います。こんな私でも上司として認めてもらえるだろうかと不安があったので……」

チームをまとめる難しさを特に痛感したのは、対照的な考えをもつ社員の関係性をうまく取り持つことができなかったときだ。最終的には当人どうしが歩み寄って自然に和解したものの、自分の力不足を思い知らされる経験になった。

■まったく未経験の部署で、10個下の部下に学ぶ日々

杉浦さんにとってさらなる試練はまるで未経験の部署への異動だった。二人目の子どもを出産後、育休明けで着任したのはライフスタイルメディアを手がける部署。メディアの運営と法人営業の二つのチームを率いるグループリーダーになったが……。

「私はメディアの運営も法人営業も初めてだったので、すぐに全体を把握することが難しかったですね。それまでは自分が積み上げてきたところでリーダーになったので、その部署のことならなんでもわかったし、自信をもって指示できていたけれど、新しい部署では何もわからない。これはもう無理だなと。ならば考え方を変え、わからないことは教えてもらおうと気持ちを切り替えました」

杉浦さんは10歳ほど年下の部下たちに1から学び始めた。営業のやり方もわからなかったので、部下がクライアント企業へ行くときに「同行させて」と頼み込む。部下に学ぶ日々を辛いと感じることはなく、むしろ楽しかったと振り返る。

「情報審査は入居条件や物件情報などデータで入力ミスを見つけては修正を依頼する仕事だったので、疎まれたり、怒られたりすることも多くて。メディア運営に移動してからは『記事を見て来店してくれた人がいました!』と喜ばれたり、『ありがとう!』と感謝されたりするのが、とにかく嬉しくて。営業先で知らない会社の人と話すことも楽しく、仕事って、なんて面白いんだ! と思いました」

■怖い上司との距離はあえて詰め、話しかけてもらえるように

翌年には新規事業の開発に携わり、そこでは上司から学ぶことが多かった。上司は厳しい人だったが、事業とはなにかを一から叩き込んでくれた。

「私は根ほり葉ほり聞くので、しつこかったと思います(笑)。上司はすごく怖かったけれど、距離を置くとよけいに緊張するので、少しでも溝をつくったら駄目だと思っていたんですよね。こちらから聞くだけではなく、上司に話しかけてもらえる関係づくりを意識して、話しかけられたらいつでも応えられるように、質問もため込んでいました」

■エキスパートになれなくてもいい。胸に響いた上司の一言

新規事業開発のチームは人数が少なく、自分も即戦力にならなければと思い、結果を残さなければという焦りから、一人でどんどんアポイントをとって営業に出るようになった。

そんなある日、杉浦さんは子どもの発熱で休まざるを得なくなり、急きょ当日にクライアントとのアポイントをキャンセルすることに。そこで上司に指摘されたことが胸に重く響いたという。

「先方も忙しい中で調整してくださった時間を無駄にしてしまったのは申し訳ないこと。誰かサポートをつけるなり、フォロー体制を作っておかなかったことを反省しました。私は子どもも小さくて休みがちな人間だということを自覚していなければいけなかったのに、自分が動くことを最優先に考えていたのです。その時に上司から言われたのは『組織を作れる人材になりなさい』ということでした」

この経験から本来のマネジメントとは何か、とあらためて考えるようになった。それまでは知識も行動も率先しなければ部下に認められないのではと不安だったが、自分に求められていたのはエキスパートになることではなく、「組織を作ること」。それが向いているのではないかと、上司に背を押されたという。

「それでいいんだと思えたら、少し肩の力が抜けました。現時点で何もできない、何も詳しくないことを後ろ向きに考えるのではなく、組織を作ることを得意とするキャリアもあるのかなと思えるようになったのです」

■オンラインマネジメントを試行錯誤する日々

現在、杉浦さんが率いるのは、雑誌「CHINTAI」やオウンドメディア「CHINTAI情報局」の制作から営業までを一手に担うプランニング事業グループ。2020年2月に新設され、18人の新しい顔ぶれでスタートした。携わりたいと願って入社した「CHINTAI」の編集にやっとかかわれるようになったものの、コロナ禍で状況が一転。在宅勤務に切り替わったことで、部下の仕事を把握するのも厳しくなったのだ。オンラインでつながるメンバーと、いかにコミュニケーションを取るか。杉浦さんは一人一人と面談する時間をこまめにとって、フィードバックすることを心がけはじめた。

「社内で席にいれば、部下の様子も見えるし、何か困っていたらすぐに声をかけられます。でも、テレワークでは、いつどこで何が起こっているのかわからないので、ちょっとでも困ったときには迷わず連絡をもらえるように声がけしていこうと。私はすぐに電話しちゃうタイプだったけれど、LINE派、チャット派など、その人にとってハードルの低そうな連絡法でコミュニケーションを取るようにしています」

在宅勤務でも皆の声を集められるよう、日報、週報、朝礼や夕礼などの形も工夫した。

■「ずっと反省している」彼女が頑張れるワケ

在宅勤務が長引くと、それぞれ一人で仕事していることへの不安も出てくる。他のメンバーの様子が見えないから、誤解が生じ不満の声が出ることも。20代の若い世代との感覚の違いもあり、試行錯誤の日々が続いているという。

「かつては部下と仲良くしたいとか、嫌われたくないという思いもありました。でも年齢が離れたせいか、今はそんなことはかまわないなと。メンバー一人ひとりにとって、いかに仕事しやすい環境にしてあげられるかということだけを考えるようになりました」

家庭では4歳と7歳の男の子たちの親として、子育てにも奮闘している杉浦さんだが、就業時間外にも仕事のことが頭から離れず、寝ても覚めても考えてしまうのだそうだ。あのときこう言えば良かった、もっとこうすれば良かったなどと「ずっと反省しているかも」と苦笑する。

実は子育ても反省ばかりと振り返ると杉浦さん。一人目のときはまるで余裕が無く、保育園任せで寂しい思いをさせていたのではと悔やむ。そこで下の子は幼稚園へ通わせることに決めた。毎日のお弁当作りや行事の準備などやるべきことは増えたが、子どもと向き合う時間を大切にできているように思うという。今では子どもの成長をじっくりと見守ることが、仕事を頑張る糧にもなっているようだ。

■引っ越した先の未来も明るく

コロナ禍の影響で、組織づくりをはじめとするいくつかの課題を抱えている。それでも、杉浦さんは媒体「CHINTAI」のさらなる可能性を感じているそうだ。

「賃貸物件の探し方から引越しまでのサポートだけでなく、引っ越した先での未来も明るく、より豊かにできるような情報やサービスを提供できればと思っています」

在宅時間が増えたことで、家での暮らし方が見直されている今、杉浦さんは「CHINTAI」を通じてみんなの暮らしをより自分らしく豊かにしたいと願っていた。

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歌代 幸子(うたしろ・ゆきこ)
1964年新潟県生まれ。学習院大学卒業後、出版社の編集者を経て、ノンフィクションライターに。スポーツ、人物ルポルタ―ジュ、事件取材など幅広く執筆活動を行っている。著書に、『音羽「お受験」殺人』、『精子提供―父親を知らない子どもたち』、『一冊の本をあなたに―3・11絵本プロジェクトいわての物語』、『慶應幼稚舎の流儀』、『100歳の秘訣』、『鏡の中のいわさきちひろ』など。

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(歌代 幸子)

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