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「聞くべきことを聞かない」新聞記者が政治家を詰め切れない根本原因

プレジデントオンライン / 2021年3月1日 9時15分

「桜を見る会」をめぐる問題について記者団の質問に答える安倍晋三前首相(中央)=2020年12月4日、国会内 - 写真=時事通信フォト

政治記者は「権力の監視役」といわれてきた。だが、毎日新聞記者の秋山信一氏は「チーム取材や政治日程の抜き合いなど、政治報道は既存の『特権』にあぐらをかいて、時代に合わせた変化を怠っている。自分で考えて動く力を失っている」という——。

※本稿は、秋山信一『菅義偉とメディア』(毎日新聞出版)の一部を再編集したものです。

■エリート記者か、御用記者か

新聞社の政治部出身者は経営・編集幹部になったり、テレビなどで評論家やコメンテーターとして活躍したりする記者も多い。菅政権では通信社の政治部出身の首相補佐官まで誕生した。

一方で、政治家の懐に入ることに夢中になって、政治家の汚職や不祥事を追及には甘い印象もあるかもしれない。実際に、権力との距離が近いあまりに「御用記者」と呼ばれる政治部出身の記者もいるくらいである。昔からドラマで格好良く権力の腐敗を追及するのは、大抵社会部の記者の役割と決まっている。

良い面も悪い面もあるのは確かだが、権力者に直接取材したり、会見で質問したりするチャンスは、政治部の記者が最も多い。しかも、日本の方向性を決める永田町・霞が関でのマスコミの存在感は、世間一般に比べても格段に大きい。政党や省庁は毎朝のように新聞の切り抜きをまとめたスクラップを作成し、関連する報道は逐一チェックしている。

菅も例外ではなく、どこの報道機関がどういう報道をしたかということをよく覚えていて、「毎日のあの記事だけど……」と菅から直接問い合わせを受けたこともある。

逆にどこの社が報じていないかもよく見ていて、「桜」の質疑が激しかった頃など「こっちはきちんと説明しているのに、朝日にちょろっと記事が出ただけじゃないか」などとぼやいていた。

政治部に在籍していた3年半で、マスコミの政治報道が持つ政治的な影響力の大きさは予想以上だということが分かった。一つ一つの報道が永田町や霞が関にダイレクトに反響を呼ぶのだから、記者にとってもやりがいはある。

しかし、政治報道は既存の「特権」にあぐらをかいて、時代に合わせた変化を怠っていることも実感した。今やマスコミを介さなくても、インターネットを通じて外から永田町・霞が関のムラ社会をのぞき、ムラの住人と直接つながることができる時代だ。従来の型通りの取材をしているだけでは、質・量とも外の世界を満足させることはできない。

まして、相手はマスコミを熟知し、ムラの外の世界とのコミュニケーションに利用しようと考える菅だ。

■チーム取材の功罪

政治部に異動してまず戸惑いを覚えたのは「チーム取材」のあり方だった。

それまで、特定のテーマで取材班を組むことはあっても、記者は基本的には個人で動くものだと思っていたが、政治部は常日頃からチームで動いていた。互いに情報を共有しながら政官界を取材し、その時々の焦点を見定めながら、取りまとめ役を担うキャップらが記事を書いていく複数の記者が集めた情報を合わせて記事にすることも日常的に行われていた。

メモをとる記者
写真=iStock.com/shironosov
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/shironosov

情報が多ければ多いほど、多面的に深掘りできるのはチーム取材のメリットだ。一方で、自己完結しないためにどこか他人任せになってしまう面がある。どんな課題があって、詰めるためにはどこに取材し、どんな情報を集めて、どういうテーマや記事にすればよいか考えるという「基本」がおろそかになりがちだ。

そんな弱点が露呈した出来事があった。

2020年2月27日、首相官邸では政府の「新型コロナウイルス対策本部」の会議が開かれていた。会議の終盤、メディアが入る公開部分で締めくくりのあいさつをした首相の安倍から驚きの発表がなされた。

「全国全ての小学校、中学校、高等学校、特別支援学校に、来週3月2日から春休みまで臨時休業を行うよう要請します」

信頼を置く官房長官の菅や副長官の杉田和博とも「全国一斉」の点は十分すりあわせず、文科大臣である側近の萩生田光一の反対も押し切って、トップ判断で「全国一斉休校」を要請したのだった。

会議室を出た記者たちはスマートフォンで上司に一報を入れながら、官邸の廊下を駆けていた。インターネットやテレビで速報が流れ、社会全体に激震が走った。

■「適切とお考えでしょうか?」

その約10分後だった。SPに先導された安倍が退邸するためにエントランスホールに下りてきた。安倍は一方的に「一斉休校要請」を発信しただけで、判断の根拠や休校中の対応については何一つ説明していなかった。退邸のタイミングは安倍に直接問いただす、この日最後のチャンスだった。ところが、安倍を待ち構えていた各社の総理番の代表からは全く別の質問が飛び出した。

「秋葉(賢也首相)補佐官が昨日、政治資金パーティーを行っていたことに対して受け止めをお願いします」

立ち止まりもせず、「ご苦労様」とだけ言い残して安倍は官邸を去っていく。

「適切とお考えでしょうか?」

総理番の第2の問いが官邸のホールにむなしく響いた。

菅が執務室から出てくるのを待ちながら、横目で安倍と総理番のやりとりを見ていた。ぶら下がり取材の準備をしていたのだから、当然、一斉休校要請について聞くのだと思っていただけに、誰も聞かなかったことに拍子抜けしてしまった。

■自分で考えて動く力を失っている

新型コロナ対応に追われている中、首相補佐官が感染拡大の懸念が強い立食形式で政治資金パーティーを開催した妥当性は問われてしかるべき問題だ。事前に秘書官を通じて、このパーティーについて取材を要請していた事情もあった。それでも、まず聞くべきテーマは休校要請だったはずだ。

なぜ要請の理由や判断に至る経緯を問わなかったのか。端的に言えば、一斉休校がどれほどのニュースなのか、自分たちで考えていなかったからだろう。そして、事前に要請していた質問以外の質問をいきなり投げかければ、秘書官に文句でも言われると恐れたのではないだろうか。さらに言えば、「上から指示がなかったから」ということもあるかもしない。

チーム取材の中で、総理番には安倍に質問する役割が割り振られている。他の記者が自民党や野党の幹部からもコメントを拾い、秋葉がパーティーを開いていた問題の記事は出来上がっていく。秋葉の進退問題にまで発展するのか、野党はどこまで追及するのかなど、政局的な意味では多角的な原稿になる。

しかし、こうした仕事のやり方に慣れるあまり、突発的なニュースに対して自分で考えて動く力を失っている。そんな現状を表す場面だった。

■「いつ」がどれほど大事なのか

政治部への違和感は2017年春、外信部から異動してきた初日から感じていた。

正確には、担務の説明を受け、「トランプがいつ来日するかが抜き合いになるから、よろしく」と言われた時のことである。

他の記者が報じていない特ダネやスクープをものにすることを「抜き」、他の記者に先んじられることを「抜かれ」と呼ぶ。「抜き合い」とは同じテーマについて同業他社と「特ダネ」争いをすることを意味している。

スマホニュース
写真=iStock.com/rclassenlayouts
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/rclassenlayouts

「ああ、またこの世界に戻ってきてしまったのか」と苦い思いを抱いた。駆け出しのころから「抜き合い」には弱く、他紙に抜かれて未明に電話でたたき起こされ、本社から他紙が報じた記事のコピーを自宅にファクスで送られた苦い思い出は数知れない。抜かれた内容の裏付けを取るために早朝から奔走する時ほど、みじめなものはない。

政治部に異動する直前に駐在したエジプトのカイロ支局では、「抜き合い」にわずらわされることはなかった。カイロには日本の主要マスコミの記者が駐在し、中東のニュースを追いかけていたが、それぞれの記者が好きなテーマを取材していた。他社の特派員との競争意識はなく、むしろ同志のような存在だった。米国や中国、韓国など日本との関わりが深い国に比べると、中東のニュースへの関心は基本的に低いため、会社側からも「競争」を求められることはまずなかった。

■大事なのは“中身”のはずだ

もちろん「要人との単独インタビュー」や紛争地・テロ現場などでの「日本メディア初の現地ルポ」など、中東でも多少の「抜き合い」はある。日本人が巻き込まれたテロ事件や大規模な紛争などで現場入りのスピードが競争になる局面もあった。しかし、個人的には「世界初」ならともかく「日本初」には価値を感じないし、追いかけようがない「単独インタビュー」には拍手を送るしかないと思っていた。

こうして外国の自由な環境で取材していた反動もあり、日本に戻って聞かされた「抜き合い」という言葉にはうんざりした。しかも、そのテーマは「トランプがいつ来日するか」、つまり来日時期を巡る争いだというのだ。

既存の日本のマスコミに対する批判の中で、この「いつ」を抜き合う慣習がやり玉に挙げられることは多い。事件報道なら「きょう捜索」「月内に立件へ」、政治報道なら「年内にも策定へ」「○日に初会合」といった見出しが立つような原稿だ。ニュースを受け取る側からすれば、いずれ分かることを先んじて報じることに「どれだけ意味があるのか疑問だ」という指摘はもっともだ。

もちろん、代替わりのタイミング、元号の発表日、衆院解散の時期、五輪の開幕日など、「いつ」が関心を集める例もあると思う。しかし、ネットに随時、情報が流れる時代に他社が数時間後には追いついてくる報道にどれだけの意味があるのだろうか。

なぜ「捜索」に踏み切るのか、どんな内容を「策定」するか、何を「会合」で話し合うかといった点がニュースであるはずで、中身も言わず、トランプ初来日の「いつ」を探れという指示にはがっかりした。

■時代遅れの取材スタイル

時代の変化と共に、記者に求められる仕事も多様化している。私が入社した2004年には、新聞記者は原稿を書き、写真を撮るのが仕事で、取材相手から「写真も撮るんじゃ大変ですね」と言われることもあった。しかし、政治部に移った2017年には、他社も含めて新聞記者が写真だけではなく動画も撮影し、紙面に載らなくてもウェブサイト向けに原稿を出すようになっていた。ところが、政治部ではこうした新たな取り組みが周回遅れになっていた。

それは、韓国との慰安婦問題を巡って一時帰国していた駐韓大使を韓国に戻す件について、当時外務大臣だった岸田のぶら下がり会見がセットされた時のことだった。

発言の取材は「大臣番」の同僚に任せ、会見の動画を撮影することにした。特派員時代にもルポの取材時など動画をよく撮っていたので、せっかく2人も会見に出るなら動画を撮ろうと思ったのだ。

しかし、記者クラブに戻って「動画を出します」と報告すると、「何それ?」という奇妙な反応が返ってきた。

動画の素材をどういう方法でどの部署に送り、どこに連絡して編集してもらうのかといったノウハウが、官邸などの取材現場にしろ、取りまとめをする本社にしろ、政治部では全く知られていなかったのだ。実際、政治部の記者は、写真さえ自ら撮ることはほとんどなく、「デジカメは自宅に置きっぱなし」などという記者がいるほどだった。

新聞の束
写真=iStock.com/patho1ogy
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/patho1ogy

もっとも、首相官邸や国会の内部では撮影の場所やルールが定められており、主に専任の写真部の記者が撮影を担当するという事情はある。しかし、写真部がカバーできるのはほんの一部であり、取材相手が外に出たり、省庁担当になったりすれば、自分で撮影する機会はいくらでもある。例えば、首相が各界の関係者と食事する「夜会合」、地方の視察、パーティーでの講演などだ。

政治部の記者でも、地方支局にいた頃は、事件やイベント、スポーツの取材などで、誰もがカメラを構えていたはずなのだ。

■麻生太郎と米国紙記者との珍妙なやりとり

ウェブサイトへの出稿についても、時代遅れを感じたことがあった。米副大統領のマイク・ペンスが2017年4月に来日した際、カウンターパート(交渉相手)の麻生太郎と共同記者会見に臨んだことがあった。ここで麻生と米国紙の記者の間で珍妙なやりとりが展開された。

秋山信一『菅義偉とメディア』(毎日新聞出版)
秋山信一『菅義偉とメディア』(毎日新聞出版)

ワシントン・ポストの記者は、トランプが大統領選で在日米軍の駐留経費の負担増を日本に求めていたことに触れ、「要求に応えるためにどのような準備があるか」と質問した。麻生は「私が英語を聞き取れているといいのだけど」と英語で断った上で、「日米経済対話においてTPP(環太平洋パートナーシップ協定)が枠組みの議論の基本になるかという話をしたんだね?」と見当外れの内容を日本語で記者に問い返した。

同時通訳を聞いた記者は大きく首を振った。麻生は「違う? 私の聞き取り能力がよくないようだ」と英語で述べ、再質問を促した。記者はゆっくりと英語で再質問し、麻生もマティス国防長官が来日時に日本の経費負担を評価したことに言及するなどして質問に答えた。

英語に自信を持っている麻生が同時通訳を聞かなかったために恥をかいたのだが、この場面を書いて出そうと思ったら、政治部内では「紙面がきつい」とボツにされた。他に優先すべきニュースがあるなら仕方がないと思い、「それならネットだけでも載せてください」と言うと、「ネットに出すのはよほどのニュースだけだ」という答えが返ってきた。

■色濃かった「ネットより紙面を重視する文化」

読者が紙からネットにシフトしていく中、紙面の枠にとらわれずにネットにもどんどん原稿を出していくのは当時からすでに当たり前になっていた。ところが、政治部にはベテラン記者が紙面を前提に出稿計画を決める文化が色濃く残っていた。

さすがに3年半たった今は、若手を中心に「ネットへの積極出稿」「写真や動画の撮影」といった意識が高い記者も出てきてはいる。組織としても従来のやり方に固執せず、時代に合わせて、意識や手法を柔軟に変化させていく必要がある。

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秋山 信一(あきやま・しんいち)
毎日新聞記者
1980年、京都市生まれ。2004年、毎日新聞社入社。岐阜支局、中部本社(愛知県)、外信部、カイロ支局長を経て、2017年に政治部へ。外務省、防衛省を計2年半担当した後、2019年10月から約1年間、菅義偉内閣官房長官の番記者を務めた。2020年10月に外信部に配属。

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(毎日新聞記者 秋山 信一)

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