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ミャンマーの「クーデター」を頑として認めない中国の腹黒い野心

プレジデントオンライン / 2021年2月25日 9時15分

2021年2月21日、ミャンマーの最大都市ヤンゴンでクーデターに抗議するデモ隊 - 写真=時事通信フォト

■全国で職場を放棄するようSNS上での呼びかけが拡散

クーデターで国軍が権力を握ったミャンマーで、市民の大規模なデモが続いている。2月22日には全国で職場を放棄するようSNS上での呼びかけが広がり、多くの店舗が連帯して休業。地元メディアは、参加者が100万人を超えたと報じている。

こうしたデモが続いているため、ミャンマーの経済と社会には大きな影響が出ている。市民らは今後も運動を続け、国軍による統治機能をまひさせることを狙っている。

今後、どのような展開が予想されるのか。注目すべきは、中国の動きだ。

■「民衆の基本的権利」を説く中国の駐ミャンマー大使にはあきれる

2月16日、中国の陳海(チェン・ハイ)駐ミャンマー大使が地元ミャンマーの報道機関に対し、次のように語った。

「中国は軍事クーデターの計画について何も知らなかった。情勢の混乱は望まない。対話による問題解決が重要だ」
「スー・チー氏らの即時解放を要求した4日の国連安全保障理事会の声明は、中国を含む国際社会の共通の考えで、もちろん中国も解放を求める」
「中国はスー・チー氏との関係も国軍との関係も、良好だ。双方の和解のために建設的な役割を発揮したい」

陳大使は最大都市のヤンゴンの中国大使館前で、中国への抗議デモが起きていることにも触れ、「抗議デモの訴えは理解できる。民衆の基本的権利は保護されるべきだ」とも語った。

こうした陳大使の言葉は中国の本心なのだろうか。鵜呑みにしていいのか。沙鴎一歩は「国軍寄りだ」との批判をかわしたいがための方便だと思う。香港の民主派にあれだけの弾圧を繰り返しておきながら、「対話による問題解決」や「民衆の基本的権利」を口にするとはあきれる。

■ミャンマー「建国の父」がスー・チー氏の父親

ミャンマーはかつてビルマという国名だった。小説『ビルマの竪琴』でも知られている。1989年に当時の軍事政権が「ビルマは英語読みだ」と主張して国名をミャンマーに変え、同時に首都ラングーンも現地読みのヤンゴンに改められた。2006年には首都が内陸部のネピードーに移されている。

ミャンマーは日本との交流が深い。太平洋戦争中には日本軍が独立を目指すアウン・サン氏らビルマ独立義勇軍とともにイギリス軍と戦って英領ビルマを攻略した。

しかし、日本軍による軍政が敷かれ、ビルマは独立できなかった。そこでアウン・サン氏らはイギリス軍に協力を求めて日本軍と戦い、1948年に独立を果たす。その後、「建国の父」と尊敬されたアウン・サン氏は暗殺される。このアウン・サン氏がスー・チー氏の父親なのである。

■軍事政権と民主化運動との対立がミャンマーの歴史

その後、スー・チー氏はインド大使に任命された母親に連れられてインドに渡り、ガンジーの非暴力運動に感銘を受ける。後年の反軍事政権の民主化運動では非暴力主義を貫き、1991年にノーベル平和賞を受賞する。

スー・チー氏はイギリスのオックスフォード大に留学した後、客員研究員として日本に渡って京大で父親と日本の関係について研究している。日本語もできる。

ビルマは国内での民族対立と中国やカンボジア、ベトナムの共産主義の影響を受けて政権が安定せず、1962年には軍事クーデターによって軍事政権が誕生する。この軍事政権に対し、1988年に民主化運動が起こり、スー・チー氏が運動のシンボル的存在になる。

民主化運動は軍事政権を倒すが、再び軍事クーデターが起こり、軍事政権はNLD(国民民主連盟)を組織していたスー・チー氏を拘束する。それ以来、スー・チー氏は20年以上も断続的に自宅に軟禁されてしまう。ミャンマーは軍事政権と民主化運動との対立を何度も繰り返してきた国なのである。

スー・チー氏のNLDが2015年の総選挙で勝って政権を掌握するようになると、国軍側も民主化を認めるようになる。しかし、昨年11月の総選挙で、NLDが再び圧勝すると、ミャンマー国軍は勢力を巻き返そうと、今年2月1日にクーデターを起こして政権を奪取し、現在に至っている。

■「国民の大半がクーデターを支持していないことは明らか」

2月18日付の産経新聞の社説(主張)は「スー・チー氏を解放せよ」との見出しを掲げ、冒頭部分で「国民の大半がクーデターを支持していないことは明らかだ。軍はスー・チー氏や他の拘束者を解放し、権力を民主体制に戻さなければならない」と訴える。クーデター後の2回目の社説である。

ミャンマー国軍は中国の習近平政権との関係が深く、財政援助も受けているらしく、いったん政権を握ると、なかなか離そうとはしない。それゆえ、断固として日本や欧米の国際社会が解放と政権返還を強く求めなけなければならない。

東南アジアの地図の上に人民元
写真=iStock.com/Oleg Elkov
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Oleg Elkov

産経社説は指摘する。

「スー・チー氏には無線機を違法に輸入し使用した疑いがあるとされる。勾留期限切れを前に別の容疑でも訴追されたという」
「あくまで法に則った拘束だと言いたいのだろうが、これで国民や国際社会が納得すると考えているのなら滑稽である。『でっち上げ』(ジョンソン英首相)と一蹴されて仕方あるまい」

当初、スー・チー氏は小型ラジオを不法に輸入して無許可で使ったとして輸出入に関する法律違反の罪で訴追された。今度は自然災害管理に関する法律に反したとの容疑をかけられた。新型コロナの流行下で多くの人々が参加する選挙活動を行ったことがこの法律に違反するというのだ。

なんという茶番だ。形だけの些細な容疑を積み重ねることによってスー・チー氏の拘束を長引かせ、民主化運動に圧力を加えたいのだ。しかし、時間を稼いでもミャンマー国民の軍事政権に対する反発心は消えない。消えるどころか、ますます強くなるはずだ。

■中国との交流を止めない限り、ミャンマーの真の独立はない

産経社説は書く。

「不可解なのは中国やロシアがこの出来事を『クーデター』と呼ばないことだ」
「中露がメンバーの国連安全保障理事会は報道声明を出しただけで、そこには『クーデター』も『非難』もなく、人権理事会の決議にも盛り込まれなかった」

中国やロシアはしたたかだ。顔で笑って腹の底では相手国を蹴落とすことを考えていることがある。ずる賢く立ち回ることもある。それだけに国際社会は中露の言動に注意を払うべきだ。

産経社説は「中国と国境を接し、インド洋への出口にあたるミャンマーは、膨張の圧力を肌で知っているはずだ。近年、中国と距離を取ろうと試みたのは、過度の依存の危うさを警戒したからではないのか」と書いたうえで、最後にこう指摘する。

「それでも、中国の擁護を期待するなら、これは国民に対する許しがたい裏切りである」

中国はミャンマー国軍だけでなく、スー・チー氏率いるNLD(国民民主連盟)にも触手を伸ばしている。中国との深い交流を止めない限り、ミャンマーの真の独立はない。

■「街頭に繰り出す市民の声に耳を傾けろ」と朝日社説

朝日新聞もクーデター後、2回目の社説を2月11日付で掲載し、こう主張する。

「民意が決めた選挙の結果を受け入れたくない国軍が、力ずくで政権を奪ったのが事実である。市民の憤りは当然だ」
「平和的に街頭に繰り出す市民の声に耳を傾け、ただちにスーチー氏らを解放すべきだ」

ミャンマーの国民と国際社会は、スー・チー氏らの解放と民主政権の復帰を強く求めている。この求めにミャンマー国軍は耳を傾けるべきである。そうせずに反軍事政権デモの弾圧を続ければ、取り返しのつかない事態に追い込まれる。

かつて国軍は無差別に市民に発砲したことがあった。2007年のデモだ。当時の被害について、国連人権理事会の報告書は、31人が死亡し、74人が行方不明としている。さらにこのときには、APF通信社の契約ビデオジャーナリスト・長井健司さんが、ヤンゴンでの抗議デモ鎮圧を撮影中に、ミャンマー軍兵士に至近距離から銃撃され死亡している。決して許されない蛮行だ。

■なぜ「対話」ではなく「説得」に変わったのか

最後に朝日社説は菅義偉政権にこう注文を付ける。

「加藤官房長官は、ミャンマー当局に民間人への暴力をただちに停止するよう強く求める、と述べた。肝心なのは、国軍に国内外の懸念を伝え、政変の撤回を促すことだ」
「軍政期から日本は圧力より対話を重んじてきたとされる。だが、今回の政変に懐柔的な姿勢で臨むようでは、日本の価値観外交の真意が問われる」
「国軍に対し、民主主義の原則を壊さぬよう、厳格な態度で説得に乗り出す時である」

「対話」ではなく、重要なのは「説得だ」と主張しているように読み取れるが、これは朝日社説のこれまでのスタンスとは異なる。なぜ対話ではなく説得なのか。「厳格な態度で説得」とは、具体的にどのようなものなのか。その点に踏み込む必要があるのではないだろうか。

(ジャーナリスト 沙鴎 一歩)

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