大金をつかんでも幸せになれない人が、根本的に誤解していること
プレジデントオンライン / 2021年3月5日 9時15分
■不安な時代、本棚にズラリと並ぶ自己啓発本
電車に乗ると、車内広告を見るようにしています。
落語家だからでしょうか、やはり市井の空気感からネタを作ろうという心がけからではありますが、時節柄受験シーズンが佳境ということもあり、予備校の広告が目につきます。
でも「なんで私が東大に?」と聞かれても、「あなたが受けたからでしょう」としか答えようはありません。
あとは美人女優がにこやかに無利息でお金を貸しますという広告を見ると「返せなかったらこの笑顔はどうなるんだろうな」と思いますが、おおむね車内吊りの広告が「男性は増毛」で「女性は脱毛」という図式を見るにつけ、このコロナ禍でもやはり悩ましいのは毛なのかとほほ笑ましく思えます。
要するに、電車の中から「不安」をあおるのがこの国の実情なのかもしれません。気晴らしに駅ビルの書店に入りますと、さらにその思いが強くなります。所狭しと並べられているのが、自己啓発書やビジネス書の類いです。タイトルも似通っていれば、書かれている内容も同じような気がします。
「9割」とか「話し方」とか、「売り上げの伸ばし方」「ハーバード大学」などのキーワードが目立ちます。しかも一様に白い表紙ばかりがずらりと並んでいます。これがいわゆる「売れ線」なのでしょうか。
そのうちに、「人生は9割が90パーセント」「人の見かけは外見で決まる」「ハーバード大学で学んだ『しゃべり方を変えるだけで話がうまくなる』」などという本が出てくるかもしれません(笑)。
私もこの8年間で17冊もの本を出し、今年も5月に初小説が文庫化されるなど、数冊出版する予定ですが、常に心掛けていることは、「売れ筋の本の後を決して追わないこと」です。このあたりは必ず編集者やライターさんとも共有している点です。そのせいか先日とある優秀な編集者さんから、「談慶さんの本は売れたビジネス書ばかり読み続けて疲れ果てた人が、最後にたどり着くようにして安心して読める本ですね」と言われ、非常にうれしく感じました。
そこが落語をベースにしている私の強みであり、特徴なのでしょう。
■想定外のお金に翻弄される「水屋の富」
それにしても、自己啓発書や成功法則本などがこれだけたくさん出ているのに、人々が救われていないのはなぜなんでしょう。
いや、そんなふうに思っているのは、そういう本ばかり読んでいる読者だけではありません。
もしかしたら日本全体がこの不況の最中、「一生懸命にやっているのになぜうまくいかないのか」という気持ちになってしまっているとも言えるのかもしれません。
一体どうしてなのでしょう?
ここで、「水屋の富」という落語をご案内します。
上水道が完備されていない頃の江戸時代の話です。水屋という商売がありました。毎日玉川や神田上水あたりから汲まれた水を天秤棒で担いでは売る仕事です。
ある一人暮らしの水屋は、「日々の貧乏暮らしはもう嫌だ。金持ちになりたい」とずっと考えていました。そんなある日、たまたま買った富くじで千両を当てます。
税金で二割引かれて残りの八百両をもらって、家に持ち帰り大喜びします。
![江戸時代の商人の再現](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/b/7/670/img_b747531f3b2d0a52e93970a6eddf4544267855.jpg)
「これで安心して寝られる。商売も辞めて楽ができる!」と幸せをかみしめるのですが、はてさてその置き場所に頭を痛めることになります。
「泥棒が入ったらどうしよう。どこに隠そうか」と、頭をひねります。「押し入れも神棚も戸棚もみんなすぐに見つかってしまいそうだ。よし」と、悩んだ揚げ句、畳を一畳上げて根太板をはがし、縁の下の丸太に五寸釘を打ち込んで先を曲げ、袋に入れた八百両を引っかけることを思いつきます。
以降毎日仕事から帰ってきては竿を縁の下に伸ばし、その先端がカネの袋に当たるコツコツ音が無上の楽しみになってゆきます。
が、しばらくすると今度は、周囲を疑う日が始まるのです。
「今すれ違った奴は泥棒かもしれない。よくない目つきをしていた。俺が寝ている時にあいつが強盗に入ってきたらどうしよう。もし殺されたりなぞしたら」などというマイナスな思いばかりが強くなり、夜も眠れない日が続くようになります。
やがて、仕事上でもミスが続くようになるのですが、それでもくたくたになって戻って来ては竿を突っ込み、「コツコツ音」を楽しむのがルーティンになってゆきます。
コツコツコツコツ。
「ああ、よかった。今日もある」
ある日、水屋のそんな行為を目にした者がいました。前に住むやくざ者です。
「あの野郎、あそこに何か隠しているな」と踏んだその男は水屋の留守中に忍び込み、根太板をはがしてカネの袋を見つけ、喜び勇んで盗んで逃げてしまいます。
そうとは知らない水屋が、帰宅後いつものように竿で縁の下をかき回すのですが、コツコツしません。
「ま、まさか……」
根太をはがして調べてみると、カネの袋は盗まれていました。
「ああ、金が無い‼ ……よかった。今晩からゆっくり寝られるな」
いかがですか? すごいオチですよね。吟味して捉えてみましょう。
■「他人軸」で生きていると幸せにはなれない
この落語は、「お金は人を幸せにしない」という短絡的なことを言っているのではないのです。聖書ならばきっと戒めの一例としてそのような解釈に持ってゆくのでしょうが、やはりそこが落語のすごいところなのです。
より冷静になって分析してみますと、八百両というのは、日銭家業の水屋の生活水準からすると、「想定外の金額」に相当するはずです。持ちつけないものを手に入れてしまった際の「不安感」のほうが、「想定外の金額」を手に入れた喜びを凌駕するものだよ、と、この落語は訴えているのではないでしょうか?
談志はよくサインを頼まれると、「幸福の基準を決めよ」と書きましたっけ。「幸福の基準が自分にある奴は幸せだ。夏場疲れて帰ってきても『一杯の冷えたビール』に喜びを感じられる奴こそが幸せなんだ。それは他人と比べるべきものではない。一日中こうやって茶碗のフタを見つめているだけで幸せな奴がいたら、かなわねえわな」とよく高座で言っていたものでした。
![冷えた一杯のビール](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/d/0/670/img_d0cdb9a52f7b1479769055a927af61cf209089.jpg)
おそらくこの水屋は、重たい天秤棒を担ぎながら、金持ちの家をまわり、「いいなあ、金持ちは楽ができて。俺も金持ちになりたいな」ときっと思ったはずです。
つまり、彼は恐らく幸福の基準を「他人」に置いていたのでしょう。価値基準が他人と比べてのカネにあったからこその不幸がこの落語の中心テーマなのでしょう。だからこそ大金を得た彼は、今度は「その金を失う不安」に襲われることになるのです。そして、そんな不安感や恐怖感の解消が「カネを盗まれること」だったという実に痛烈な皮肉がオチと共に鮮やかに描かれているからこの落語は令和の今でも輝きを失わないのではないでしょうか? 時代は変わっても人間は変わらないのです。
■あなたの幸せは何ですか?
改めて「なぜ自己啓発書やビジネス書を読んでも幸せにならないのか」を問いただしてみます。
そうなのです。
それは、そのような本の類いが「幸せの基準を他人に求めているから」なのです。
![立川談慶『安政五年、江戸パンデミック。 江戸っ子流コロナ撃退法』(エムオン・エンタテインメント)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/9/6/200/img_96bf0bd831dd1c8d7f385e5ccdd272e7292295.jpg)
「話がうまくなりたい」「ビジネスで成功したい」「リーダーシップを発揮したい」「夢をかなえたい」などなどの評価基準が他人にある限り、目指すべき幸せは得られないのかもしれません。評価基準が他人にあるからこそ常に不安になるのは当たり前なのです。他人に比べて話がうまくなったり、他人に比べて出世したとしたら、今度はその他人が自分より話がうまくなったり、さらに自分より出世してゆく」なんて成功というよりむしろ無間地獄なのかもしれません。
幸福の基準を自分に置いてみましょう。
「近所の公園で仲良くなった猫にエサを与える」のに幸せを感じられるとしたら、それは誰とも比べようもない分じゅうぶん幸せなはずです。「一人で食べる『すきやばし次郎』よりも家族みんなで食べる『すき家』」のほうが大勢で分かち合える分幸せかもしれません。
幸せは見つけたり探したりするものではなく、感じるものなのですもの。
![桜を見上げる女性](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/7/a/670/img_7ac070f882b75e4eeb5d36d41caf2e64490265.jpg)
まだまだ続くこのコロナ不況で、ますます人の心はカサカサしがちですが、この「水屋の富」をはじめとして、やはり落語は裏切りません。相も変わらずドジでダメな人間ばかりが出てくるおなじみの笑いでぜひ癒やされてみてください。お客さんを多数招いての通常開催がまだなかなか開催できない日々が続きますが、私も含めてどの落語家もオンライン無観客配信など、過酷な環境の中涙ぐましく活路を見いだそうと頑張っています。
「幸せの基準を決めるのは他人ではなく、自分」。かみしめてみたいと思います。「他人の芝生は青く見える」のだとしたら、きっと「他人から見れば自分の家の芝生は青く見えている」はずですよ。
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立川流真打・落語家
1965年、長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。ワコール勤務を経て、91年立川談志に入門。2000年二つ目昇進。05年真打昇進。著書に『大事なことはすべて立川談志に教わった』など。
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(立川流真打・落語家 立川 談慶)
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