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沿岸部の遺体捜索から帰ってきた消防士が、デリヘル嬢だけに漏らした言葉

プレジデントオンライン / 2021年3月16日 9時15分

©小野一光

東日本大震災の被災地で、性風俗で働く女性たちの声を聞き続けたフリーライターがいる。なぜ10年間も被災地に通い続けたのか。取材の記録を『震災風俗嬢』(集英社文庫)としてまとめた小野一光氏は「性風俗の現場でなければ出てこない被災者の本音がある」という——。(後編/全2回)

■風俗嬢は社会を映し出す鏡のような存在

(前編から続く)

——小野さんが「戦場から風俗まで」を取材のテーマに掲げたのは、いつ頃からなのですか?

スポーツ紙で風俗で働く女性たちのインタビューを毎週書いてきました。一昨年に連載が終わるまで20年以上は続けたので、1000人以上に取材したことになりますね。

なぜ、風俗で働こうと思ったのか。どんな経験をしたのか。働き続けるなかで、心境にどんな変化があったのか……。そうした話を聞くうちに、いつしか性風俗で働く女性たちは、私にとって社会を映し出す鏡のような存在になっていました。

たとえば、子どもを育てるために風俗を選んだ若い女性を通して、シングルマザーが置かれた状況を知り、有名大学を卒業した風俗嬢から就職がいかに厳しい時代かを教えてもらいました。妊娠したにもかかわらず風俗店で働く女性には、出産費用もままならないほど夫の稼ぎが少ない、若者の貧困について気づかされました。私は、彼女たちの体験談を聞くことで、社会の移ろいの手触りを感じてきたんです。

同時に、私はこれまでアフガニスタンやイラクなどの戦場にも足を運んできました。戦時下の町にも売春婦がいる。戦争や紛争という非常時にも、日本の日常にも、性を売って生きる女性たちがいた。それは、自然災害でも同じです。いや、非常時だからこそ、経済的に困窮して、風俗の世界に足を踏み入れる女性が増えるのは紛れもない事実です。

『震災風俗嬢』(集英社文庫)は台湾で翻訳出版される予定です。非常時に身体を売らざるをえない女性がいるという現実が、国や文化を越えた普遍性を持つ証左なのかもしれません。

一方で、自然災害と風俗を結びつける取材に対して、不謹慎だという反応があるのも、震災と性風俗というギャップに戸惑いを覚える人がいるのも、理解できます。けれども、私は震災風俗嬢の存在を不謹慎の一言で片付けるべきではないと思いました。彼女たちが体験した3・11をきちんと記録しなければ、と。

■一口に「震災風俗嬢」と言っても事情は様々

——「震災風俗嬢」と言っても、それぞれの女性がさまざまな事情を持っているわけですよね。

小野一光『震災風俗嬢』(集英社文庫)
小野一光『震災風俗嬢』(集英社文庫)

そうなんです。災害で受けた被害も、風俗店で働く動機も、背景もさまざまです。

せっかく家が流されずに済んだのに、その後、放火されて実家を失ってしまった女性は、家を建て直すために内陸部の風俗店に籍を置きました。別の女性は震災前から夫との関係が悪かった。震災で両親を亡くし、一時的に家族の絆が復活したのですが、やがてまた夫婦関係が悪化し、離婚に備えてお金を蓄えるために風俗で働きはじめた。

仙台で被災した女子高生は、3・11を経験し、人の役に立つ仕事がしたいと看護学校に入学しますが、学費を稼ぐために風俗を選んだ。福島の風俗嬢は原発事故の賠償金をもらっていないにもかかわらず、客に「お金もらえていいね」と嫌みを言われ、傷ついたと語っていました。旦那さんの了解をえて働く人もいれば、身元がバレることを恐れて取材後に記事にするのを断る女性もいた。

2011年3月17日の大船渡市
©小野一光
2011年3月17日の大船渡市 - ©小野一光

私がインタビューした女性たちの共通点は、切羽詰まって四の五の言っていられない状況だったこと。大変な状況にもかかわらず、前向きに将来を語る女性が多かったのが印象的でした。

自分の弱い部分を見せたくないと思っていたのかもしれません。ただ、つらい記憶を他者に打ち明けることで、心が楽になることもあります。だから、私もしっかり聞かせていただきました。他人に話すことで、自分が置かれた境遇や考えを整理できる場合もありますから。

あれから10年がたちます。まだ多くの人が3・11を引きずっています。インタビュー中、あの日の話題になると、いまだに泣き出してしまう女性もいます。

■3・11を経験して、男性たちは感謝の言葉を口にするようになった

——小野さんが継続して取材している女性たちは、10年の変化をどう受け止めていますか?

この2月にインタビューした2人に関して、10年目だから、という変化はさほど感じませんでした。彼女たちにとっても、変化を感じる間もない、あっという間の10年だったのかもしれません。風俗をはじめたときに、40代の女性がいまや50代ですからね。1人は孫ができておばあちゃんになっていました。でも、人に見られる仕事を続けている影響なのか、見た目はほとんど変わらない。

2011年3月17日の陸前高田市
©小野一光
2011年3月17日の陸前高田市 - ©小野一光

震災風俗嬢の10年を改めて振り返り、印象に残っているのが震災の前後での男性客の変化です。震災前は、ガツガツして女性に対してまったく気を遣わない男性客が、3・11を経験して優しく穏やかになったという話をよく聞きました。男性たちが、女性に対して感謝の言葉を口にするようになったそうなのです。

10年前、被災地の人たちは、発生直後からたくさんの支援に支えられ、未曾有の大災害を生き抜いた。人の善意や、支援のありがたさを実感したのだと思います。そんな経験を経て、男性客は女性に対して感謝の気持ちを抱くようになったのではないでしょうか。

■風俗嬢たちから語られる「男性の苦悩や弱音」

震災直後から2年ほどまでは、家族を亡くした男性や、遺体捜索の悲惨な現場で働いた消防士や、警察官、復興関係者などが、性的なサービスを受けながら、苦しい胸のうちを女性に打ち明けていました。岩手県沿岸部で働く40代のデリヘル嬢によると、30代の消防士だというお客さんは、「バラバラになっていたり、黒焦げになっていたり、むごいご遺体をいっぱい見た。すっかり麻痺してしまって、涙すら出てこない。今回の仕事で人生が変わった」とこぼしていたそうです。

フリーライターの小野一光氏
フリーライターの小野一光氏

女性たちは、男性たちの剥き出しの本心を受け止めていた。普通にインタビューをしても絶対に表に出てこないであろう男性たちの言葉を、私は風俗嬢たちから教えてもらいました。ふだん身にまとった鎧を脱ぎ去ったからこそ、男性客は苦悩や弱音を素直に口にできたのかもしれません。

しかし10年が過ぎようとしているいま、そうした客はほとんどいなくなったようです。

2011年3月17日の陸前高田市
©小野一光
2011年3月17日の陸前高田市 - ©小野一光

——長期間にわたって取材した原動力はなんだったのですか?

小野一光『冷酷』(幻冬舎)
小野一光『冷酷』(幻冬舎)

一言で言えば、好奇心です。人が行けない場所や、見られない世界、聞けない言葉を集めて、文章や写真にし、たくさんの人に紹介するのが、私の仕事です。取材を続けるもっとも大きな原動力が、知りたいという気持ち。私にとって、それは災害も国際紛争も性風俗も、そして殺人事件も変わりません。

——小野さんは今年2月、座間9人殺害事件の白石隆浩と獄中面会を重ねた『冷酷』(幻冬舎)を上梓されたばかりです。

白石との面会は11回に上りました。もちろん内容はまったく異なりますが、白石も、震災風俗嬢も私の知らない事実を知っているという点では非常に興味深い存在です。これからも、普通の生活では決して踏み込まない現場に出向き、知られていない事実を掘り起こし続けたいと考えているのです。

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小野 一光(おの・いっこう)
フリーライター
1966年生まれ。福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーライターに。「戦場から風俗まで」をテーマに北九州監禁殺人事件、アフガニスタン内戦、東日本大震災などを取材し、週刊誌や月刊誌を中心に執筆。著作に『完全犯罪捜査マニュアル』『東京二重生活』『風俗ライター、戦場へ行く』などがある。

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(フリーライター 小野 一光 聞き手・構成=山川徹)

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