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「不倫に陰口、いばる妻たち」年収1000万超の裁判官たちのオンボロ官舎生活

プレジデントオンライン / 2021年3月18日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/BCFC

法の番人である裁判官は、どんな生活を送っているのだろうか。明治大学法科大学院教授の瀬木比呂志氏は「法と良心に従う人物像をイメージするかもしれないが、実情は官舎と裁判所を往復する人生で、暮らしぶりは意外と小市民的だ」という——。

※本稿は、瀬木比呂志『檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか』(角川新書)の一部を再編集したものです。

■裁判官の世界は「官僚型ムラ社会」

裁判官といえば、普通の人々にはまずは黒い法服を着た姿しか思い浮かばないし、それは諸外国の裁判官と同じことなので、日本の裁判官も、「法と良心に従って裁きを下す独立の判断官」なのだろうと考えている人々が多い。

しかし、実際には、日本の裁判官は、その精神のあり方からみても、果たしている機能からみても、「閉じられた世界の役人」という部分が非常に大きい。つまり、一枚岩の性格の強い「司法官僚」であり、「裁判所という組織、機構、権力の(重要な)一部」なのである。

もちろん、個々の裁判官の中には、公的には独立心をもって職務を行い、私生活では普通の市民であるような裁判官のかたちをめざしたいと考えている人々もおり、私もその1人だった。しかし、現実には、司法エリートによって構成される強固なムラ社会、しかも裁判所当局の厳重なコントロール下にある官僚型ムラ社会の中でそのような志向を不断にもち続けるのはきわめて難しい。それが、日本の裁判官の「リアル」なのである。

■官舎と裁判所を往復するだけの人生

私の知っている80年代以降の裁判官の生活といえば、それは、驚くほど変化や起伏の少ない、かつ小市民的なものであった。

日本の訴訟の進め方は、多数事件の同時並行審理方式であり、個々の事件については1カ月ごとぐらいに期日が入ることもあって、審理裁判は、いきおい訴訟記録に頼ることになる。つまり、書面重視の傾向が強い。だから、裁判官は、法廷のない日には、裁判所で記録を読んでいる。家にも記録を持ち帰って読み、審理のためのメモ(手控え)を作ったり、判決を書いたりする。

法廷、和解(民事の場合)、記録読み、判決起案、民事執行・民事保全・破産等の民事訴訟以外の民事事件、令状処理。裁判所で仕事が終わらなければ、家へ帰ってまた記録読み、判決書作成。だから、職場からの帰りにどこかに寄ることも少ない。官舎と裁判所、後には自宅と裁判所の往復でほぼ人生が終わる。それが日本の裁判官である。

■昇進を待ち望むような精神状態におちいっていく

記録を家に持ち帰る場合には、なくすと大変なことになるから、電車の中でも気が抜けない。大きな記録を風呂敷等に包んで網棚に載せていて貴重品と思われ盗まれる例があるためだ。

こうして何年も単調な生活を続けるうちに、多くの人々は、次第に、地家裁所長や高裁長官になって、記録から解放されてほっと一息つけ、同時に居並ぶ裁判官や職員たちから頭を下げられる時期を楽しみに待つような精神状態におちいってゆく。

しかし、そうした管理者裁判官としての期間も、確かに昼間は楽だが、夜はあちこちと会合に引っ張りまわされ、あいさつと宴会の連続なのである。また、最高裁や上位の裁判所からは、管理者として有能かどうか、裁判官や職員をきちんとコントロールできているかを監視され続けている。だから、権力をもつことを好む人間以外にとっては、それほど楽しいわけではない。

法廷と小槌
写真=iStock.com/imaginima
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/imaginima

■転勤がとにかく多い裁判官の異動

日本の裁判官の特異な精神構造の形成に大きく影響しているのが、官舎生活だろう。人間は要するに意識をもった動物にすぎないのだから、その精神生活も、身近な環境から大きな影響をこうむることは否定できない。

日本の裁判官生活になぜ官舎がつきものかといえば、日本の裁判官には異動、転勤がつきものだからである。そして、実はこうした裁判官の異動、転勤は、日本特有のものなのだ。少なくとも欧米では、裁判官は「空きができる裁判所の裁判官」として任用されるのであって、原則として異動はしない。

裁判官のこうした異動システムは、これも後に論じるが、裁判所当局にとって、裁判官たちを地域社会から隔離し、かつ、いつどこへ転勤させられるかわからない根無し草の不安な状態に常時置いておけるという意味で、きわめて都合のよいものなのである。

裁判官は、3、4年程度で転勤を繰り返す(なお、検察官は、より異動の頻度が高い)。東京中心に勤務する裁判官でも、事務総局等の勤務が特別に長い人でない限り、裁判長になるまでに、3回ぐらいは地方に出る。これでも往復で6回の転勤になる。多くの裁判官ではそれ以上であり、8つある高裁管内のうち6つ、7つまでまわったという人も少なくない。「自分はずっと特定の地方勤務でいいからなるべく遠方には動かさないでほしい」といった希望すら、若いころには絶対に聞き入れられない。

■大型官舎での生活はすごく息苦しい

今はもうさすがにそこまでのことはないと思うが、昔は、裁判官が自宅をもって官舎を出ると遠くの裁判所に異動させられるといった意地悪人事が多かった。これは、「まだ若いくせに家なんかもつとこうなるよ」という見せしめだ。そして、周囲の裁判官も、その多くは、陰で、「それみたことか」と面白がっている。実に日本的な、抑圧された感情の発露である。

以上のような理由で、多数の裁判官は、40代後半ぐらいまでは自宅をもちにくく、官舎生活が長くなる。

この官舎生活は、外の世界から完全に隔離されていて、近隣との付き合いは一切ない。精神的な壁で周囲から隔てられた集合住宅なのである。そうはいっても、地方であれば、官舎の規模もしれているから、その中での付き合いもまずまず常識的なもので、それほど特異なものはない。

しかし、東京の大型官舎は別である。4棟、5棟のアパート群となり、住んでいるのは裁判官とその家族だけだから、右のような官舎の特質が、何倍にも濃密になる。個々の裁判官やその妻の抱えている精神的なひずみも、同様に増幅される。もちろん本当に問題のある人々の割合はそれほど大きくないはずだが、何というか、総体としての閉塞感、息苦しさが非常に強くなるのだ。

■いばる妻、高級車に傷、子どもの陰口…

まず、夫が事務総局の課長や調査官(最高裁判所調査官。最高裁における裁判について補佐的な調査をする人々。以下、「調査官」という)でえらいのだからといって自分もいばり、判事補の妻たちに命令口調で接するようなエリートの妻たちがいる。

一方、判事補でも、夫婦とも裁判官で官舎に入っている人々には、自分たちはほかの夫婦より一段上だという奇妙な思い込みをもったカップルもいて、家の前に停めてある高級車に傷が付けられたのは自転車の子どもたちの仕業だなどと言って大騒ぎしたりする。

夜の繁華街で手をつないでいる男女
写真=iStock.com/west
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/west

傷のかたちを確認してみると、釘(くぎ)状のものによる横に長いひっかき傷で、明らかに、高級車が時々される悪意あるいたずらによるものであり、子どもの自転車運転の過失で付けられるような傷ではないのだが、本人たちはそう言い張って聞かないのだ。仕方なく、彼らの先輩まで含めた裁判官の妻たち(子どものいる人)が、集団で謝りにゆくことになる。

裁判官の妻にはお金持ちのお嬢さんもいて、そういう人が高級な服を着、高そうな犬を連れて優雅にあたりを散歩したりすると、陰でいろいろ言う人が出てくる。子どもの成績がそれほどよくなければ「あの子はできないのよ」と言われるし、逆に、特別よくできたりすれば、「あの子はできるけど性格が悪いのよね」と言われる。

■年収1000万円を超える人々が住んでいると思えない

右陪席クラスの判事補(非常に温和な人だった)が婚約者を官舎に連れてくると、「あの人は官舎に女の子を連れ込んでいる」などと中傷する人がいる。大型官舎では、こんなばかげた中傷がより上位の裁判官の耳に入った末にその人の評価にまで影響しかねない場合があるから、「好きなように言っていれば」と一笑に付することもできないのだ。

これは地方のことだが、一棟の官舎内で不倫が発生し、当事者たちが相手の家に入ってゆくのをほかの住人たちが見とがめ、やめるように忠告していたが、結局一方が引っ越すまで終わらなかったなどという話も、その住人たちの1人だった判事補から聞いたことがある。狭い閉鎖空間では、普通では考えられないようなことが起こりうるものだが、その一例といえる。

また、官舎の建物自体についても、建築時期が新しいものを除けば、大変みすぼらしく、外見は古い都営・市営住宅等と変わらない。内部も、たとえば浴槽は浴室と一体型ではなく打ちはなしのコンクリート床に設置されていることが多いし、壁もしばしば汚れていてわずかな凹凸があり、大雨が降ると天井や壁の亀裂から漏水が発生することさえある有様だ。

環境調査にやってきた市の職員が、私の先輩裁判官の妻が答えた年収に対し、建物の中をぐるっと見回した上で、「奥さん。これは公的な調査ですから、ご冗談は抜きにして、本当のところを教えてくださいな」と応じたという話を聞いたことがある。実際、そういう印象の建物なのであり、とても、年収1000万円を超える人々が住んでいるとは思えない。

東京都新宿区にある最高裁判所長官公邸
東京都新宿区にある最高裁判所長官公邸(撮影=江戸村のとくぞう)

■今では賃貸住宅を借りる裁判官も

私は、日本の上級公務員の精神性が貧しくなり、既得権確保に血道を上げるようになる理由の一つが、こうした貧しい住環境、官舎生活にあるのではないかという気がしている。肩書きと現実の落差ということだ。

もっとも、こうした官舎生活が楽しいという夫婦も中にはいる。しかし、そのような人々はおおむね「当局に期待される裁判官とその妻」的な人間であって、まともな人々、特に妻のほうは、「本当にいやだ。いつになったら家をもって、ここから出られるの?」と思っているのが普通だ。

ただし、上のような官舎事情については、近年、変化している。まず、公務員全体の官舎整理統合の動きが大きく、裁判官だけの官舎で大規模なものはあまりなくなったという。東京でも、地方でも、公務員一般の合同宿舎に入ることが多くなっているのだ。

また、官舎に入らないで民間の賃貸住宅を借りる裁判官も増えている。これについては、昔と違って官舎の利用料が高くなった、一般賃貸住宅並みになったという事情も大きいだろう。なお、地方の裁判所官舎は、簡裁判事や幹部職員も利用するようになっているらしい。

以上のようなところが、日本の裁判官生活の実像、その概観である。

■「法の番人」、憧れを感じますか?

いかがでしょうか? 憧れを感じますか? 想像していたものとはかなり異なっていませんか?

瀬木比呂志『檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか』(角川新書)
瀬木比呂志『檻の中の裁判官 なぜ正義を全うできないのか』(角川新書)

欧米との大きな違いとしては、書面読みの時間が長いこと、全体として画一的な仕事・生活という印象が強いこと、外の世界との隔離、そして、このことと関連するが、一般市民としての普通の生活や楽しみには乏しいことなどが挙げられるだろう。

たとえば、アメリカの裁判官などは、法曹一元制度(前記のとおり、相当の期間弁護士等の在野の法律家を務めた者の中から裁判官を選任する制度)がとられているため、法廷を出れば、友人知人である弁護士たちと気軽にあいさつし、同輩として交わる。また、「一般市民としての普通の生活や楽しみがない」などというのはアメリカ人には到底耐えがたいことだから、普通の市民が楽しめることは大いに楽しむ。

実際、「裁判官も法廷を出れば一市民」というのは、今ではもうアメリカに限らない世界標準になっている考え方だと思う。また、そうでなければ、一般市民と同じ視線を共有しながら彼らの紛争を裁くことも、できにくいのである。

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瀬木 比呂志(せぎ・ひろし)
明治大学法科大学院専任教授
1954年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。79年以降、裁判官として東京地裁、最高裁等に勤務。2012年より現職。14年上梓の『絶望の裁判所』が大反響を呼ぶ。続編『ニッポンの裁判』、『檻の中の裁判官』ほか著書多数。

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(明治大学法科大学院専任教授 瀬木 比呂志)

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