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「携帯は禁止、銀行口座もダメ」行き場のない元ヤクザは、犯罪者になるしかない

プレジデントオンライン / 2021年3月26日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Motortion

暴力団を離脱した人のうち、再就職できた人の割合は3%にすぎない。それでは残りの97%はどうしているのか。龍谷大学嘱託研究員の廣末登さんは「暴力団離脱者は、携帯電話や銀行口座などの契約を断られやすい。どこにも居場所がないため、犯罪に手を染めてしまうケースが多い」という――。

※本稿は、廣末登『だからヤクザを辞められない 裏社会メルトダウン』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

■97%の離脱者はどこに行ったのか

就職率約3%……この数字は、2010年度から18年度にかけて、暴力団離脱者のうち就職できた人の割合です。暴力団排除条例(以下、暴排条例)が全国で施行された2011年度からの2年間は、1%未満でしたから、若干、改善しつつありますが、依然として低い数字であることは否めません。

2010年度 暴力団離脱者 630人 就職者7人
2011年度 暴力団離脱者 690人 就職者3人
2012年度 暴力団離脱者 600人 就職者5人
2013年度 暴力団離脱者 520人 就職者9人
2014年度 暴力団離脱者 490人 就職者21人
2015年度 暴力団離脱者 600人 就職者18人
2016年度 暴力団離脱者 640人 就職者27人
2017年度 暴力団離脱者 640人 就職者37人
2018年度 暴力団離脱者 643人 就職者38人

以上の通り、暴排条例が施行されてから9年間、全国の警察や暴力追放運動推進センターの支援による暴力団離脱者は合計5453人、そのうち就職者は約3%のわずか165人なのです。残りの約97%の離脱者はどこに行ったのでしょうか。さらにいうと、ここで就職したとされる離脱者のうち、その職場に定着して、継続的に仕事をしている人はどれほどいるのでしょうか。残念ながら、追跡調査のデータはありません。

就職率約3%という数字を見ても、2003年から暴力団研究を行ってきた筆者は、昨今の暴力団排除、反社排除の世相と自身の経験に照らして違和感はありませんが、やはり、この165人の方が、現在も仕事を続けているかどうかという点については、一抹の不安があります。

■元暴5年条項という社会権の制約

暴力団離脱者の社会復帰が進まない理由のひとつに、暴排条例が内包する「元暴5年条項による障壁」が指摘されます。暴排条例においては、暴力団を離脱しても、一定期間(おおむね5年間、あるいは5年超)は、暴力団関係者(暴力団員等)とみなされ、銀行口座を開設することも、自分の名義で家を借りることも、携帯電話の契約も、保険などへの加入もままなりません。教習所に通ってバイクの免許を取ろうとしたら断られたと、知り合いの離脱者(10年以上前に離脱)は言います。

要するに、契約という行為が一切できないのが現状です。口座がない、携帯がないと、昨今では就職先もありません。筆者が法務省保護観察所の更生保護就労支援を行う際、難儀したのは、こうした人たちの支援です。

一方、2019年、永田町を騒がせた内閣総理大臣主催の「桜を見る会」の招待客問題──「反社を招待していた」とマスコミが取り上げました──で話題になった一人で、暴力団を離脱して郷里に戻り一から信用を積み上げ、奈良県高取町議になった新澤良文氏のケースは、我が国の不寛容性を如実に表しています。「反社というラベル」を一度貼られたら、反省し、カタギで頑張ろうが、そのことを忘れさせてくれない日本社会の厳しさを再確認する代表例と思います。

この問題は、『FRIDAY』2019年12月6日号(11月22日発売)にて、「安倍晋三総理主催『桜を見る会』元山口組組員まで招待されていた」という見出しの記事で掲載されました。掲載後の12月4日、新澤議員から筆者に届いたメッセンジャーには、やるせなさが滲んでいます。

「今度は文春が来ました。日陰者が表舞台で滅私奉公することの難しさを実感しました」

■離脱から20年以上の歳月が経っているのに…

平成9年頃に山健組の枝組織である臥龍会からきれいさっぱり足を洗って以来、郷里で頑張ってきた町議が、令和に改元する年の「桜を見る会」に参加したばかりに、「反社会的人物を招待していた」とマスコミ各社が大騒ぎするのが、日本社会の悲しい現実です。新澤議員は、各自治体の暴排条例が定める「元暴5年条項」の縛りを十二分にクリアしており、もはや反社ではありません。このタイミングで記事になる理由が筆者には理解できませんでした。

銃を持つ男性の手元
写真=iStock.com/Image Source
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Image Source

この記事に対して、新澤議員の地元の有権者は、「Ⅹちゃん(=新澤議員 筆者注)のことを、過去も含めて知らん町民はおらんのです。元ヤクザっていうのも誰でも知っとる。それでもⅩちゃんが町議になれたんは、人徳があってこそ」と記者に語っています(NEWSポストセブン2019年12月3日)。

ちなみに、前回、前々回と、選挙ではトップ当選しているそうです。筆者が見るところ、これは政治的な意図に基づいた、公職に就いている暴力団離脱者への糾弾であり、反社への不寛容な世論を味方に政権叩きに利用した事例であるといえます。新澤町議は当時52歳、30歳の頃に離脱したと言いますから、20年以上の歳月が経っています。反社という負のラベルは、いつになったら剝がしてもらえるのでしょうか。

■離脱後10年経っても口座開設を断られた

2019年9月11日の西日本新聞紙面に「離脱10年、開設断られる諦めて内定辞退も」という見出しで、離脱後10年経っても口座が作れなかった元暴の声が掲載されました。

「お客さまの口座はつくれません。この部分に該当してないでしょうか」──2018年5月、10年前に刑務所で服役中に暴力団を離脱した男性は、勤務先の振り込み口座開設のために赴いた銀行で、その銀行が有する「反社」リストに掲載されていたため、窓口で口座開設を謝絶されました。結果的に、男性が勤務する福祉関連の会社が銀行と交渉し、なんとか口座開設が叶い、仕事を失わずに済みました。この時、もし、会社が男性のために骨を折らなかったとしたら、彼は仕事を失っていたかもしれません。

また、別の指定暴力団を離脱して3年半たった40代男性は、知人が経営する会社への入社が内定していましたが、口座開設を求められて辞退しています。「知人は『過去』を理解してくれたが、ほかの社員は知らない。『元暴5年条項』も頭をよぎった。元組員と分かり、(会社に)迷惑を掛けるかもしれない」と思って身を引き、自ら会社を営む道を選びました。

報酬が振り込まれる口座は、幼少時代につくっていた「休眠口座」を活用しているとのこと。しかし、男性は、家や車、携帯電話の契約にも苦労していると言います。

「『生きるな』と言われているよう。偽装離脱の懸念から条項は必要だが、更生した人には柔軟に対応してほしい」と、その心中を吐露しています。

■生きるために元暴アウトローとして犯罪に従事せざるを得なくなる

このような真正離脱者(更生の意思をもって離脱した者)としての元暴が社会復帰しづらいケースは、現代社会で散見されます。暴力団離脱者(と、その家族)は「反社」と社会からカテゴライズされ、社会権すら極端に制限されている現状があります。だからと言って、暴力団員歴を隠して、履歴書や申請書に記載しないと、虚偽記載となる可能性があるのです。暴力団組員の宿泊を断るホテルに黙って泊まっただけで、詐欺扱いで逮捕された現役組員のケースもあります。

こうした極端な社会権の制限は、暴力団や暴力団の枠から外れて犯罪活動に従事する偽装離脱者を念頭に置いた対策であることは理解できます。しかし、真正離脱者には柔軟な対応が求められます。なぜなら、折角、更生しようと思って離脱した真正離脱者が、カタギとして生き直しができず、生活困窮の挙句、生きるために元暴アウトローとして犯罪に従事せざるを得なくなる可能性があるからです。

個々のケースを見ずに、もともと暴力団に在籍していたのだから、更生なんかできない、再犯の可能性が高いだろうという偏見の下で、「反社」とすべてを一括りに扱うことに対して、筆者は違和感を覚えます。

■暴排の動きは2008年から始まった

暴排の狼煙が上がったのは2008年です。経済界からの暴排は、銀行の「金融暴排」に代表されます。これには、2007年、暴排条例制定以前に公表された政府指針「企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針」が寄与しました。2010年以降、全国で暴排条例が施行されてからは、銀行口座開設をはじめとする諸契約には、反社会的勢力に属していないかどうかのチェック項目「暴排条項」が設けられるようになりました。

現在、金融暴排は更に徹底され、暴力団や半グレ(詳細は後編「『NHKも誤解している』本当の半グレは“ケンカの強いアウトロー”なんかではない」参照)など反社会的勢力との関係を確認する企業コンプライアンスは常識となっています。

この基準をもっと簡単に言うと、警察庁や銀行のデータベースに登録されている者はもちろんアウト。あとは、パソコンで検索した結果、過去に暴力団組員としての逮捕歴があったり、特殊詐欺などの前歴がある、あるいは、暴力団と「もちつもたれつの関係がある」と当局が認定している者などは、銀行口座の開設が危うくなるということです。

■暴排強化の問題は、国会でどう取り上げられてきたか

2019年12月10日、政府は「反社会的勢力」の定義について「その時々の社会情勢に応じて変化し得るものであり、限定的・統一的な定義は困難だ」とする答弁書を閣議決定しました。政府による「反社会的勢力」の過去の使用例と意味については「政府の国会答弁、説明資料などでのすべての実例や意味について、網羅的な確認は困難」としました。さらに、菅義偉官房長官(当時)が記者会見で「定義が一義的に定まっているわけではない」とも述べました。

ただし、政府の答弁書は「現在、企業は指針を踏まえて取り組みを着実に進めている」とも述べています。ここで言う「指針」が、2007年7月に開かれた第9回犯罪対策閣僚会議で取りまとめられた「企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針」のことです。

暴排強化の問題については、過去にも国会でも取り上げられたことがあります。暴排条例が全国で施行された直後の2012年5月18日参議院において、又市征治議員が、平田健二議長に対し、「暴力団員による不当な行為の防止等の対策の在り方に関する質問主意書」を提出しました。

その中では、「『暴力団排除条例』による取締りに加えて、本改正法案(暴力団対策法改正案)が重罰をもって様々な社会生活場面からの暴力団及び暴力団員の事実上の排除を進めることは、かえってこれらの団体や者たちを追い込み、暴力犯罪をエスカレートさせかねないのではないか(傍線筆者)。暴力団を脱退した者が社会復帰して正常な市民生活を送ることができるよう受け皿を形成するため、相談や雇用対策等、きめ細かな対策を講じるべきと考える」(第180回国会〈常会〉質問主意書第116号)として、又市議員は、暴力団離脱者の社会復帰における社会的「受け皿」の形成の必要性に言及しています。

しかしながら、その社会的受け皿は、暴排条例施行後10年経った現在も、十分に形成されていないという現実があります。

■暴力団のマフィア化や元暴アウトローの犯罪増加の懸念も

そうすると、離脱者には社会的居場所がありません。人間は社会的動物ですから、一人では生きられません。「居場所」や「受け皿」は、暴力団離脱者に限らず、我々人間には誰しも不可欠なのです。

さらに悪いことに、「かえってこれらの団体や者たちを追い込み、暴力犯罪をエスカレートさせかねないのではないか」という又市議員の指摘通り、組員を偽装離脱させてシノギを模索する暴力団のマフィア化や、暴力団を自らの意思で真正離脱したものの、社会復帰に失敗し、犯罪のプロティアン化を実践する元暴アウトローの犯罪増加が懸念される事態が生じています。

犯罪のプロティアン化とは、「プロティアンキャリア」というキャリア学用語の応用です。本稿においては、犯罪の既存スキルを応用し活用することを指します。つまり、暴力団在籍時に覚えた手練手管を、暴力団離脱後も、様々な犯罪に応用し、活用することです。

■暴力団離脱者も依然として犯罪性向が高い

元暴の検挙率について警察庁の資料を見てみましょう。

警察庁によると、「破門状を受けるなどして暴力団員でなくなった者について、平成23(2011)年に暴力団を離脱した2634人のうち、その後2年間で検挙された者は681人(1年当たりの1千人当たりの検挙人員は129.3人)となっているほか、平成23年から平成27(2015)年に離脱した者のうちその後2年間で検挙されたものは2660人で、1年当たりの1千人当たりの検挙人員は144.6人となっている。これは、平成28(2016)年における暴力団構成員の1千人当たりの検挙人員(254.8人)より低いものの、同年における人口1千人当たりの検挙人員(2.3人)よりもはるかに高い水準である。
……暴力団構成員は減少傾向にあるものの、暴力団を離脱した者についても依然として犯罪性向が高い状況が見受けられる(傍線筆者)ことから、就労支援等の社会復帰対策を一層推進するなど、総合的な治安対策が必要であるといえる」と結論しています(警察庁組織犯罪対策部「平成28年における組織犯罪の情勢」)。

2011年から15年に離脱した暴力団員のうち、その後2年間で検挙された者の比率は、全体の約60倍という高率であることが見て取れます。

■暴排条例という薬の「作用と副作用」

筆者らが、日工組社会安全研究財団の助成金を受け、2014年から15年にかけて、西日本の都市部で調査した対象者は、暴力団幹部1名と離脱者10名でした。現在、これら11名のうち、当時現役だった被調査者1名はそのまま現役に留まり、離脱者中2名は、山口組の分裂後に、幹部として暴力団に戻りました。

調査時から、キリトリ(債権回収)、賭博開帳、みかじめ料徴収などを主なシノギとしながら今も現役に留まり続けている被調査者が筆者に語った一言は、今でも筆者の心に残っています。

「ワシだけちゃう思うけどな、いま、(暴力団対策法、暴排条例で)ヤクザ厳しいねん。辞めるきっかけ(親分の代替わりや兄貴分のカタギ転向や離脱等)探してる人多いと思うで。親分も代わったし、ワシ自身も、迷子になってるんちゃう? ……しゃかて、こん年のワシらが組辞めて何ができる。たどり着くところは生保(生活保護)やろ、みじめや。この地元には13歳から住んどるんやで、離れたないしな。もう、この年や、いまさら辞めても一般人が受け入れてくれるとは思われんな。みじめな終わり方するんなら、最後はヤクザで死にたいかな」

この現役幹部は、もし離脱しても、長年生活してきた地元の地域社会にすら、暴排の高まりから受け入れてもらえず、社会的な居場所が持てないのではという懸念を滲ませています。たとえ、過去の生き方を悔い改め、せっかく犯罪とは無縁な生活で生きなおし、更生しようと決意しても、それを認めない社会──再チャレンジの機会が与えられない不寛容な社会が、いまの日本社会の現実なのです。反社、そして元暴というラベルを一度貼られたら、それはポストイットのようには簡単に剝がすことができません。

■暴力団のマフィア化、元暴アウトロー、半グレにつながる

そもそも論ですが、更生とはなにか、社会復帰とはどういうものか、なにをもって社会復帰したといえるのかという議論が、我が国で十分に尽くされてきたのかと疑問に思います。「暴力団を離脱して、犯罪的な生活を改めて就職したのなら更生しているし、社会復帰しているんじゃないの」というような簡単なものではないと筆者は考えます。

廣末登『だからヤクザを辞められない 裏社会メルトダウン』(新潮新書)
廣末登『だからヤクザを辞められない 裏社会メルトダウン』(新潮新書)

就職した段階で更生・社会復帰したといえるのなら、これまでに筆者の調査に協力してくれた被調査者の多くは該当するからです。問題は、離脱者に社会的な居場所があるか、定着就労しているか、社会的排除による「生きづらさ」を知覚していないかどうかという点です。

筆者が知る限り、現在、追跡調査による暴力団離脱者の職業社会への定着の有無は調べられていません。暴排政策の施行という薬剤を投入したら、暴力団員の減少という作用が明らかになりました。しかし、薬には作用だけでなく、時として副作用が生じます。

犯罪を生業とする暴力団が社会悪として排除され、減少したことは政策の作用として評価できるでしょう。しかし、一方で、裏の社会でマフィア化する暴力団や、「生きづらさ」を知覚して行き場を無くした離脱者が元暴アウトロー化する問題、暴力団の弱体化で暗躍し始めた半グレと呼ばれる青少年グレン隊の増加などは、政策の副作用といえるのではないでしょうか。

(後編に続く)

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廣末 登(ひろすえ・のぼる)
龍谷大学嘱託研究員、久留米大学非常勤講師(社会病理学)
博士(学術)。1970年福岡市生まれ。北九州市立大学社会システム研究科博士後期課程修了。専門は犯罪社会学。青少年の健全な社会化をサポートする家族社会や地域社会の整備が中心テーマ。現在、大学非常勤講師、日本キャリア開発協会のキャリアカウンセラーなどを務める傍ら、「人々の経験を書き残す者」として執筆活動を続けている。著書に『若者はなぜヤクザになったのか』(ハーベスト社)、『ヤクザになる理由』(新潮新書)、『組長の娘 ヤクザの家に生まれて』(新潮文庫)『ヤクザと介護――暴力団離脱者たちの研究』(角川新書)など。

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(龍谷大学嘱託研究員、久留米大学非常勤講師(社会病理学) 廣末 登)

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