1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

東大教授「授業がオンラインで済むなら、多くの大学教授は不要になる」

プレジデントオンライン / 2021年3月23日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/skynesher

コロナ禍で多くの大学が授業をオンラインに切り替えた。授業を聞くには、時間と場所を選ばないオンラインのほうが便利だという声も多い。東京大学大学院の吉見俊哉教授は、「そうすると、かなりの大学の先生は要らなくなる。絶対に面白い授業だけを配信すればいいからだ。ただ、そうした大教室を前提とした大学の設計が、そもそも間違っている」という。ジャーナリストの堀和世さんが聞いた――。

※本稿は、堀和世『オンライン授業で大学が変わる』(大空出版)の一部を再編集したものです。

■学生は「オンライン化するなら大教室授業」と言うが…

——少人数授業であれば、オンラインが対面よりも効果的でありえるというのは、意外な気もします。学生アンケートなどを見ると、オンライン授業がなじむのは大教室形式であり、ゼミ形式などは対面授業が望ましいという声が一般的です。

学生から見れば、その方が楽なんだと思います。200~300人の授業で同時双方向型は考えられない。大教室のオンライン授業はオンデマンド配信型で、これは学生にとっては楽です。いつでもアクセスできる。バイトの合間にアクセスして、必要な情報をチェックすればいい。ただ、それでいいのかということです。

大教室の授業は実空間であろうが、オンラインであろうが大差ないんですね。実際に対面で授業をしても、ほとんどの学生は出席を取られて座っているだけで、こそっとスマホを見てたり。真剣に聞いている学生はごく一部ですから。

■少人数のオンライン授業は要求水準が高い

そう考えると、消費者としての学生のニーズにより合っているのは、大教室のオンデマンド配信型の授業です。実空間の授業は学生を来させて、一定時間そこに座らせる。その義務を外すのがオンデマンド配信です。授業を購買する、ショッピングするという意味では、大教室・オンデマンド配信型の方が、お手頃の商品であることは間違いない。学生たちが大教室の授業はオンデマンドの方がいいと言うのは当然だと思います。

一方、少人数・同時双方向型の授業では、学生は授業に集中しなくてはならないので疲れます。アクティブにやろうとする先生はどんどん学生を当てて、発言させていく。学生はボーっとしてられなくて、負担が大きいと思います。なおかつ、オンラインの方が学生に対するリクワイアメント(要求される基準)は大きくなるんです。

■一年生の授業の全面オンライン化は望ましくない

少人数授業で対面が求められていることについて、確かに一つ、当然ながら考えられるのは、学生間の横のコミュニケーションが取りにくいことです。先生とそれぞれの学生は一対一というか、非常に関係が密になる。半面、学生同士はオンラインだとどうしても関係が疎になります。一緒にご飯を食べに行けないとか、一緒にワイワイできないとかですね。大学に来て、ゼミなどの授業で集まっていれば友達ができますから。そういう面がオンラインで非常に阻害されているのは事実だと思います。

そういう意味で、特に1年生の授業を全面オンライン化することは、非常にマイナスだと思います。授業の中で生まれてくるさまざまなコミュニケーションの可能性をオンラインは育てないですから。教室という場、実空間を共有している方がコミュニケーションは育つわけです。空間を共有し、時間も共有する、つまり一つの教室にみんな集まってワイワイガヤガヤやる授業があるというのは、確かに大学の基本だと思います。

■学生間のコミュニケーションが全部ダメになるわけではない

ただ、空間の共有ができないからといって、全部駄目になってしまうわけではなくて、オンラインによって時間の共有はできるわけですから、そこでコミュニケーションをする可能性というのは、我々はもっと探求していいはずだと思います。

——学生をはじめとして、そういう「可能性」にはなかなか目が向きにくいということでしょうか。

学生は何をしに大学に来ているのか。目的が卒業証書をもらうためだけだとすると、一番楽に単位を取ることが重要になる。大学は友達や恋人、あるいはコネクションを作るところだとすれば、オンラインは最悪なわけですよ。

その意味ではオンラインには限界がある。友達を作るのは大学の重要な要素だと思います。これを失わないためにはキャンパスは必要だし、教室も必要で、全部オンライン化しちゃいけないっていうのはとてもよくわかるし、僕もそう思う。

■問題は大教室授業そのものにある

そういう学生にとって、大教室のオンライン授業が楽だというのは、そもそも大教室授業そのものが間違っているのです。大教室でできる授業とは、決まった知識を教えるとか、例えばコンピューターの使い方のような基礎技術習得型、あるいは極めてベーシックな授業であれば、大教室でもいいのかもしれない。

むしろそれだったら、非常に教え方のうまい先生が、優れた教育コンテンツを作ってオンデマンド配信し、わからないことがあれば、TA(ティーチングアシスタント=授業をサポートするスタッフで、主に大学院生)が少人数の補習授業を行うという体制が一番効率的なんです。

そうすると、かなりの大学の先生は要らなくなるんですよ。一人一人がバラバラに80人とか100人単位で教えなくてよくなる。オンラインを徹底するんだったら、ちゃんとお金を投資して、この先生の授業は絶対面白い、学生のためになるっていう完璧なコンテンツを作って、5000人や1万人に対してオンデマンド配信をすればいいし、大学がそっちに行く可能性は十分あると思います。

ところが今は、一つの大学に何百人かの先生がいて、それぞれバラバラに基礎的な科目を担当する。いい先生もいるだろうが、そうじゃない先生もいて、授業に出来不出来があるような中で、学生は試験対策としてとりあえず勉強するが、それ以上のことは何も学ばない。そういう典型的な大教室授業の現状がすでにあるのではないか。そこまで劣化しているのならば、学生が「オンラインになっても同じだよね」と諦めていても不思議ではない。そうすると、労力が少なくて、単位が取れるオンデマンド配信型がいいとなってしまい、それは必ずしも教育のクオリティーの向上とは結びついていない。

■履修科目数を今の半分以下に減らすべき

——オンライン中心の授業に対して、少なくない先生や学生から疑問の声が上がっています。それはオンライン化そのものよりも、大教室形式の授業など、従来の大学のあり方自体に問題が埋め込まれていたということでしょうか。

僕はそう思いますよ。大教室で授業を受ける形が一部残ってもいいけれど、大学の授業のほとんどを、少人数型で先生と学生がインタラクティブに議論をし合う形に変えていく必要があると思います。そうした時に、日本の大学が一番、根本的に変えなくちゃいけないポイントがあるんですね。それは、1人の学生が一つの学期に履修する科目の数を、今の半分以下に減らすことです。これを変えない限り、もう大学といえないと思います。

■大学教育の「スーパーマーケット化」

日本の学部生は大体10から12の科目を履修していると思います。こんなことは国際的にありえない話ですね。アメリカであれば4とか5とか半分以下です。ということは、そのくらい日本の大学は科目を細切れにしてしまった。1科目の単位数が大体1.5とか2です。1学期(半年)に10~12の科目を取り、1科目が2単位とすると、大体40単位ぐらいを1年に取っちゃう。4年間では70ぐらいの科目の授業に出ているわけです。そんなに出たら、1年生の時に何をやったかなんて忘れちゃいますよ。

しかも、一つ一つの科目はたかだか2単位ですから、リクワイアメントが大きい科目は簡単に捨てられる。面倒くさかったら取るのをやめればいい。「ラクタン科目」っていって“楽に単位が取れる科目”だけ残せばいいわけですから。これを私は「大学教育のスーパーマーケット化」と言っています。スーパーでとりあえずいろんな商品をかごの中に入れて、レジの近くに来たら、自分の財布にいくらあるかチェックして、これは要らない、これも要らないと返してしまえばいい。そういう形になっているのが、今の大学なのです。

■教授と学生の対話を授業の中核に

1科目につき週1回、90分授業をやって、それが15週ほど続く。週1回しか先生と会わないわけですから、次の週までに一体何をやってたか忘れちゃうんです。風邪で休んだり、1回休講となると、2週間空く。そうしたら普通の人間はまず忘れますね。

オンライン授業を受ける学生
写真=iStock.com/Ridofranz
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Ridofranz

でも、1学期に取るのが4科目か5科目だったら、単位数は1科目4とか6となり、学生は週2~3回、先生と顔を合わせる。一つ一つの科目に対するコミットメント(関わり合い)が全然違うんですね。そうなると、先生と学生の対話が決定的に重要になってくる。教室の中でただ座っていればいいってことではない。それが大学なんです。大学の授業ってそうであるべきだと私は思います。その条件が整っていれば、オンラインには可能性がある。

■日本の学生が「不まじめ」なわけではない

日本の学生は授業の予習も復習もしないと批判されますよね。でも日本の学生たちが不まじめだからじゃない。週に10~12科目という、すごい数の授業に出ているから、一つ一つの科目に予習・復習をしていられない。アメリカではもっと勉強しているというけど、彼らが日本の学生よりまじめなわけではない。4~5科目しか取っていなくて、一つ一つの科目が週2回も3回もあるから、予習・復習をせざるをえない。予習・復習しなければならない科目数が日本よりはるかに少ないわけです。

そういう構造改革をしたうえで、オンラインにできるところはしていく。リーディングアサインメント(予習しておくべき文献)としての文献も、いちいち図書館まで行って探さなくても、すぐにPDFでダウンロードできる。それを読んでおいて、感想をアップロードしておけば、LMS(ラーニング・マネジメント・システム=教材配信、受講状況、成績などを共有・管理する学内プラットフォーム)でちゃんと管理される。その中でオンラインの授業もやっていくシステムが成り立っていくなら、必ずしも昔の対面授業の形に戻ることが、僕はベストだと思わない。

■起きるべくして起きた「課題地獄」

——オンライン授業では各科目で毎回、課題が出されるので、学生が「課題地獄」に陥ったという話が、どこの大学でもあるようです。

堀和世『オンライン授業で大学が変わる』(大空出版)
堀和世『オンライン授業で大学が変わる』(大空出版)

そうです、ばかげているんです。各先生が自分の科目のことしか考えずに課題を出すから、学生はアップアップで何もできなくなっちゃう。まずは科目数を半分に減らす、逆にいえば1科目の単位数を倍にしていく。この転換をやったうえで、リクワイアメントを重くする作業をしない限り、過大な要求によって学生たちを潰してしまいます。

構造改革をしないで、ただオンラインに移行した。大学はカリキュラム全体のマネジメントを何もしていないんですよ。先生たちに任せているから、結果的に悲劇が起こる。オンライン化が悪いのではなく、教育とは何かというきちんとした理念に基づいた構造改革をしていないというか、できないというか、そこに日本の大学の根本問題があります。

----------

吉見 俊哉(よしみ・しゅんや)
東京大学大学院 情報学環 教授
1957年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。東京大学新聞研究所助教授、同社会情報研究所教授等を経て現職。東京大学副学長、情報学環学環長、大学総合教育研究センター長などを歴任。『大学とは何か』(岩波新書)『東京裏返し 社会学的街歩きガイド』(集英社新書)など、著書多数。

----------

----------

堀 和世(ほり・かずよ)
ジャーナリスト
1964年、鳥取県生まれ。東京大学教育学部卒業。89年、毎日新聞社に入社。週刊誌『サンデー毎日』に在籍し、取材、記事執筆、編集業務に携わる。2020年に退職してフリー。

----------

(東京大学大学院 情報学環 教授 吉見 俊哉、ジャーナリスト 堀 和世)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください