「東京五輪に中国製ワクチンを」IOC会長の暴走のウラにある"中国の恩"
プレジデントオンライン / 2021年3月22日 17時15分
■突如浮上した「東京五輪に中国製ワクチン」
今夏に迫る東京オリンピック・パラリンピックの催行可否が議論されている中、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は、中国製ワクチンを大会に導入する考えを突如ぶちあげた。予想外の展開に日本側は困惑、組織委員会の武藤敏郎事務総長は「事前に話は全く聞いていない。ワクチン接種は国による決定事項だ」とコメントするのが精いっぱいだった。
のちに触れるが、五輪参加にワクチン接種は義務付けられていない。選手や関係者にとっては強制接種に迫られるとの誤解を招きかねない会長発言の背景には何があるのか。公式資料と関係者への取材をもとに現状を探ってみることにしたい。
バッハ会長の発言は3月11日、IOCの定例総会の席上で飛び出した。東京五輪実施に向けたオンラインでの5者会談で、事前打ち合わせが全くない中、「中国オリンピック委員会から、今夏開催予定の東京五輪・パラリンピックと2022年冬季北京五輪・パラリンピックの参加者にワクチンを提供するとの申し出があった」と述べた。
これを受け、「ワクチン未接種の選手・役員は、中国製ワクチンを打つよう求められる」と受け取った報道が世界を駆け巡った。中国とIOCの癒着を疑う意見も重なり、日本のみならず、世界各国のメディアが会長発言の真相を追う記事を一斉に報じた。
■ワクチン接種は「推奨および支援します」
まず、IOCはワクチンへの対応をどう考えているのだろうか。先に刊行された「東京五輪出場選手向けの参加マニュアル」に当たる「公式プレイブック アスリート/チーム役員」を読むと次のような記述がある。
「IOCはオリンピックチームとパラリンピックチームにワクチン接種を呼びかけます」「日本入国前に自国のワクチン接種ガイドラインに従って自国でワクチン接種を受けることを推奨および支援します」
さらには、「日本の皆さんには、(東京五輪が=編集部注)大会参加者だけでなく日本人自身をも保護するためにあらゆる措置が施されていると確信をもってもらうべきと考えています」と、東京五輪が日本国内でのコロナウイルス拡散の原因にならないよう配慮を重ねているという姿勢もみられる。
結論として「大会参加に際しワクチン接種は義務ではありません」と明示している。
IOCはプレイブックについて、アスリート/選手向けのほか、国際競技連盟向け、各国のプレス(取材者、カメラマン等)向け、そしてスポンサーであるマーケティングパートナー向けの計4バージョンを編纂している。
目下、アスリート/選手向けのみ日本語版が用意されており、制限なく誰でも読めるようになっている。これを読むと、大会関係者が守るべき日本滞在中のコロナ感染(拡散予防)対策は細かく明示されており、ちまたで叫ばれている「選手の隔離対策は本当に万全なのか?」といった疑問への回答に当たる記述もまとめられている。
■IOCが無視できない「中国の恩」
バッハ会長は今回の発言に先立ち行われた会長選挙で、94票のうち93票の信任票を得て、会長に再任された。2期目を磐石とするため、是が非でも東京開催を諦めないことを訴え続ける必要があったとみられる。
この再選の裏には、2022年に北京で冬季五輪を控えている中国の存在が大きい。
バッハ氏は2013年、ジャック・ロゲ前会長から会長職を引き継いだ。2022年冬季五輪の開催地を決めた2015年は、立候補を目指すとされていた有力都市が次々と脱落。結果的に北京の立候補を受けることができ、一息つける格好となった。巨額な費用負担を理由に五輪招致を断念する都市が増える中、「困っているIOCを中国が救った」ともいえる。
■騒ぎの幕引きを図るが…
中国の大手企業は次々と五輪事業のスポンサーとなっており、事実上、中国が金銭面でもIOCを支えている。こうした背景もあり、ビジネス面で中国と太いパイプを持つバッハ氏が会長選挙で無投票再選するのは当然の結果だったかもしれない。
中国への配慮とはいえ、会長の発言はいかにも舌足らずだった。「選手の日本上陸後、中国製ワクチンを全員に打つ」と受けとられても仕方なく、報道もこれをそのまま伝えざるを得なかった。
その後の補足説明で、「中国製ワクチンは承認済みの国に対してのみ供与する」と明確に方針を述べた。丸川珠代五輪担当相も「承認された国で判断することだろうと思う」と足並みをそろえ、騒ぎの幕引きを図った。
ひとまず「日本に持ち込んで打つ」との誤解はいったん解けたが、中国の協力を受けながらワクチン接種を進めるとの発表もあり、引き続き会長と中国との間に「強固な関係」がある疑念は残る。
■来冬の北京五輪は義務付けになるか
ワクチン接種は目下、先進国を中心に進んでいるのみで、発展途上国の中には1本もワクチンが届いていない国もある。先進国の中にも、「高齢者など高リスク者への接種を進めるべきだ」との流れからアスリートの接種は後回しにしている例もみられる。現状、接種を前提に東京五輪参加を打ち出すのは不可能だ。
だが、中国オリンピック委員会がIOCに持ちかけた提案が本当なら、来冬の北京五輪では、中国製ワクチンの接種が義務となるかもしれない。それは次のような例から感じられる。
中国は3月15日、日本を含む各国駐在の中国大使館を通じて、同国で就労するビジネスパーソンらに対し、入国に対する新たなガイドラインを発表した。
中国への再入国を希望する就労者はこれまで、現地自治体や関係当局から特別な許可証を得た上で、ビザを再申請。許可が出たのちにようやく渡航できるという煩雑な手続きが必要だった。ところが、ここへきて「中国製ワクチン接種済みの申請者に対しては、提出書類の簡略化を認める」と公言した。
言うまでもなく、日本は中国製ワクチンに対する使用承認を与えていない。一方で「中国に一日も早く戻って仕事をしたい」という要望を持つ企業関係者も少なくない。経済界から中国製ワクチンの国内承認を進めろという動きが沸き起こる可能性もあり、ワクチン外交を推し進める中国の動向は引き続き注視する必要があるだろう。
■「北京ボイコット」を阻止したい事情
これほどまでに中国が五輪のワクチン導入にこだわる理由は、一部の国で北京五輪をボイコットしようとする動きがあり、ワクチン供与をチラつかせながら各国がボイコットに傾くのを阻止したい思惑があるからだ。
新疆ウイグル自治区で少数民族ウイグル族への弾圧が繰り返し行われているとする疑念をめぐっては、これまでに米国、カナダ、オランダの議会が中国政府による同自治区での所業を「ジェノサイド(大量虐殺)」とみなす段階にまでエスカレートしている。
中国当局がウイグルだけでなく、香港でも民主派勢力の完全追放にかかる中、人権を踏みにじるといったさまざまな行いに対する批判は、中国自らが相応な自制をしない限り、批判は高まることはあっても下火になる可能性は低い。
中国政府は何としても北京五輪を成功させたい。史上初の夏冬両大会を催行した都市として歴史に残すという目的はともかく、国威向上のためには是が非でも米国をはじめとする各国からの参加を得たい。そして、それはボイコットによる参加国の大幅減少という惨状を見たくないIOCも同じだ。
■会長発言でバレてしまった
ニューヨークタイムズは、「バッハ会長は、中国によるワクチン提供について、実際の接種に向けたプログラム、調達されるワクチンの量、そしてかかる費用についての詳細はほとんど述べていない」とした上で、「ワクチン購入代金は、バッハ政権下で中国との緊密な関係を保ってきたIOCにとって、大した支出にはならないだろう」と報じている。
IOCと中国双方の最大課題である「参加辞退国の続出を避ける」という点で目的が合致した結果、「拙速なワクチン提供方針の発表」につながったと見ることもできる。これまで述べたように、IOCに対し中国の「強大な力」が働いていることは間違いなく、バッハ会長が「中国によるワクチン提供」を口にしたことで、中国のワクチン外交推進にIOCが積極的に参加していることがバレてしまう格好となった。
■日本は振り回されてはいけない
中国はこれまでに、北京五輪へのボイコットを検討する国々に釘を刺すため、中国共産党系のメディアは「どこかの国がボイコットすれば北京は必ず報復する」と警告している。
一部の国では中国にとやかく言われるのが厄介なので、東京五輪に参加する関係者全員にワクチンを打つことを検討している動きもある。加えてIOCが「中国製ワクチン」に対するお墨付きを与えたことで、中国政府は自国の活動への後押しになると感じているはずだ。そして、北京五輪が最終的に開催されたならば、中国に「巨大なプロパガンダの勝利」をもたらすことになるだろう。
来年の北京大会を実施する中国をひいきする一方、目前の課題である東京大会を潰すわけにもいかないIOC。これがバッハ会長の暴走発言につながったのか。中国当局とIOCの巧妙な仕掛けによる「ワクチン浸透策」に日本は安易に振り回されないようにすべきだ。
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ジャーナリスト
1965年名古屋生まれ。日大国際関係学部卒。香港で15年余り暮らしたのち、2008年8月からロンドン在住、日本人の妻と2人暮らし。在英ジャーナリストとして、日本国内の媒体向けに記事を執筆。旅行業にも従事し、英国訪問の日本人らのアテンド役も担う。■Facebook ■Twitter
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(ジャーナリスト さかい もとみ)
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