「日本人なら中国人の3分の1で済む」アニメ制作で進む"日中逆転"の深刻さ
プレジデントオンライン / 2021年4月6日 15時15分
※本稿は、中藤玲『安いニッポン』(日経プレミアシリーズ)の一部を再編集したものです。
■町田市の雑居ビルで若い日本人アニメーターが描いているのは…
東京都町田市の住宅街にある雑居ビル。エレベーターで5階にのぼって一室に入ると、数人の若い男女が液晶ペンを使い、大きなタブレット画面に神社のような絵を描いていた。
ここはカラード・ペンシル・アニメーション・ジャパンというアニメ制作スタジオだ。
実は彼らが描いているのは、中国のヒット作品「マスターオブスキル」などの作画。そう、カラード社は中国重慶市のアニメスタジオ・彩色鉛筆動漫の日本拠点であり、中国アニメの制作をサポートするために2018年に設けられた。
最近では彩色鉛筆動漫のように、日本に拠点を作って日本人アニメーターを抱え込もうとする中国企業の動きが増えている。
中国ではアニメ人気が高まる一方で、海外ネットコンテンツの流通規制が強化されており、2018年ごろから日本アニメの買い控えが始まった。そこで、自社の配信コンテンツを拡充させたい動画配信企業が採った策が、自前制作、とりわけ「日本品質の内製化」だった。
彩色鉛筆動漫には、中国ネット大手プラットフォーマーである騰訊控股(テンセント)傘下の閲文集団(チャイナ・リテラチャー)が出資している。
テンセントはLINEのような対話アプリ「ウィーチャット」の運営企業として日本でも有名だが、ゲームで世界最大級の企業でもあり、世界の時価総額ランキングではGAFAと並びトップ10位に入る。動画配信サービスも手掛けて「テンセントビデオ」など独自のプラットフォーム(配信網)も展開しており、そこでマスターオブスキルなどのアニメ作品を配信している。
その作画を担うのがカラード社だ。
つまりこういった中国の巨大企業が、日本の制作会社を傘下に持つことで、豊富な資金力を活用してクオリティーの高いアニメを自前で制作し、自社のプラットフォームで独占配信できるというわけだ。
■中国は日本の年収の3倍でも軽く出せる
中国企業が日本人アニメーターを採用できるのは、市場の拡大を背景に待遇が良いからに他ならない。
調査会社帝国データバンクでアニメ業界の動向を調べる飯島大介氏は「市場が拡大する中国にとって、日本のアニメーターは喉から手が出るほどほしい。日本の年収の3倍でも軽く出せるので、今後も中国勢からの人材引き抜きは激しくなるだろう」とみる。
実際に、カラード社と日本の制作会社では、従業員の扱いに大きな違いがある。カラード社はアニメーターを社員として雇用し、新卒給与は業界平均より高い約17万5000円。通常時はフレックス勤務で、業務が集中する時期は残業もあるが、その分ちゃんと代休を取れるなど働きやすい環境にした。住宅手当や交通費も支給する。
カラード社の江口文治郎最高経営責任者(CEO)は「優秀な人材を囲い込むためにも、アニメーターの待遇や環境を整えることが最優先だ」と語る。
その背景には、日本人アニメーターの給与が安すぎるという現実がある。
アニメ産業は「日本のお家芸」と言われるが、その労働実態は長時間・低賃金がはびこる。
一般社団法人日本アニメーター・演出協会(東京・千代田)の2019年の調査では、日本で正社員として働くアニメーターは14%。大規模な一部の制作会社を除き、半数以上が委託契約のフリーランスだ。
アニメーターの平均年収は440万円で、1カ月の休日は5.4日。新人は年収が約110万円という調査もある。
現在の収入に満足するアニメーターは3割弱で、8割が老後の心配や精神的疲労を訴えた。
■薄給の背景の一つ? 「製作委員会」方式
アニメ業界に詳しい広告会社日宣の中山隆央氏は「時給換算で100円を切り、生活のためにアルバイトを掛け持つ人も多い。夢を餌にしたやりがい搾取だ」と批判する。日本のアニメーターの給与が安いのには、構造的な問題がある。
例えば、制作時に出版社や放送局など複数から資金を募る「製作委員会」方式。今や日本のアニメ産業の約半分が海外の売り上げだが、こういった海外分やグッズ販売などのライセンス利益は、広告代理店やテレビ局が出資する製作委員会のものになるケースが多い。作品がヒットしても、製作委員会に出資していない制作会社には還元されない仕組みとなっている。
もちろん作品が多数にのぼるなかでヒットするのは一握りであり、製作委員会が負うリスクは大きいため分散できるメリットもある。それでも「製作委員会方式だと予算ありきの作品作りしかできない。キャラクターグッズや音楽など各社の立場が違うため、合意形成に時間もかかる」(日宣の中山氏)。
その一方で、アメリカや中国の作品を作る場合は、制作会社の交渉相手は1社だけだ。
クオリティー(質)やプロダクト(作品)ありきの進め方をするため予算も潤沢。実際にカラード社は、アメリカや中国から、日本アニメの2倍の料金で作画を請け負っている。
■赤字のアニメ制作会社の割合は2018年に3割を超えた
一般社団法人の日本動画協会(東京・文京)によると、日本のアニメ産業市場規模は10年連続で増えており、2019年は09年比で約2倍の2兆5112億円だった。
「鬼滅の刃」が幅広くヒットし、劇場版でも新海誠監督の最新作「天気の子」が興行収入140億円を突破するなど明るい話題があった。一方で、同じ2019年のアニメ制作会社(273社)の売上高合計は2427億円と市場規模の約1割にすぎない。
取り分が増えず、制作会社の疲弊は進む。日本には270社以上の制作会社があるとされるが、帝国データバンクによると、赤字のアニメ制作会社の割合は2018年に3割を超えた。過去10年で最高で、倒産や解散も過去最多だった。
2019年には改善したものの、ある制作会社の幹部は「請負単価は下がり続け、人手不足で業況を拡大できない悪循環。1人でも抜けると仕事を受注できず赤字になる会社が多い」と話す。
乏しい経営環境は業界の成長力をそいでしまう。
日本でアニメーターとして原画を担当する都内の40歳男性。オフィスが無いので自宅で作画をして、社員の人が車で回収に来る。ほとんど誰とも会わない、話さない孤独な生活だ。
「性格が暗くなるだけでなく、生活できずに辞める人も多い。昔より精緻な絵が求められて手間がかかるのに、1枚数百円なのは変わらない。スケジュールに追われてデジタル作画の勉強をする時間も無い」
こうして人材育成もままならない中、技能の空洞化が進む。
■日本が中国の下請けに
カラード社の江口CEOには苦い思い出がある。
「このクオリティーだと配信できない」
ある時、カラード社の人手が足りずに日本の制作会社に作画を外注したところ、中国本社から厳しく突き返されたのだ。江口CEOは「中国は豊富な資金力でデジタル作画の設備がそろい、アニメの質が格段に向上している。日本の待遇の悪さは質の低下、最終的には業界の停滞につながりかねない」と指摘する。
既に「日本のトップ級以外のスタジオは、単価が安いけど質が悪いので発注できない」(中国の配信大手)という声も出始めている。中国の求人サイトによると、アニメーターの平均月収は杭州が3万4062元(約52万円)で、北京では約3万元(約45万円)だった。けん引しているのはスマホなどのゲーム動画だ。高収入のため、中国ではデッサンなどの基礎技術を4年ほど美術大学で学んだ人がアニメーターになる例が多い。
「ニコニコ動画」の中国版とも呼ばれる動画配信大手の「Bilibili(ビリビリ)」。日本のアニメ製作委員会に投資し、日本アニメを作る現場のノウハウを蓄積した。そして専門学校などでアニメ制作を学ぶ中国人学生の支援を手厚くし、中国の国産アニメを底上げしている。
「これまでは中国が日本アニメの下請けだったが、もはや逆転している」(江口CEO)
スキルの継承が進まなければ、やがては海外からの発注も無くなっていく。つまり「買われるアニメ」は業界が抱える問題の裏返しでもある。
自社での人材育成や設備投資による生産性の向上には、安定した利益確保が必要だ。製作委員会方式はリスク分散の利点もあるが、今後はグローバル競争を見据えた利益還元の仕組みも不可欠だろう。
※登場する人物やデータは取材時のままとなります。
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新聞記者
1987年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒、米ポートランド州立大学留学。2010年、愛媛新聞社入社、編集局社会部(当時)。2013年、日本経済新聞社入社。編集局企業報道部などで食品、電機、自動車、通信業界やM&A、働き方などを担当。
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(新聞記者 中藤 玲)
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