謝らないメルケル首相が「イースター休暇の旅行禁止」を即撤回したワケ
プレジデントオンライン / 2021年4月5日 11時15分
■イースターはクリスマスと並ぶ最大の祝祭
3月24日、メルケル首相(CDU・キリスト教民主同盟)は、わずか30時間ほど前に決定したばかりのイースター(復活祭)の5連休案を電撃撤回した。全ては自分の誤りだったと認め、混乱をきたしたことを国民に謝罪したため、ドイツ人は驚愕した。
本来なら、よほどのことでない限り謝罪などしないのがドイツ人だ。だが、国民の間では、これを誠実さの表れと見て、花丸をつけた人も多かった。さらに、メディアはこぞって、「ついにメルケルが弱みを曝け出した」などと書いたが、それは甘い見方だろう。
今回いったい何が起こり、なぜ、メルケル首相が謝罪する事態となったのか? イースターの5連休案とは何か?
イースターは、キリスト教ではクリスマスと並ぶ最大の祝祭だ。日付は毎年変わるが、ちょうど春が訪れる季節であるため、大人も子供も楽しみにしている。今年は4月2日が「イースターの金曜日」(祝日)で、これが十字架に掛けられたイエスを悼む日。その後の日曜と月曜(祝日)はイエスの復活を祝う。公式の休日の前後に有給休暇をくっつけて旅行に出たり、家族が集まったりと、移動が多くなる時期でもある。
■息抜きさえできないのか…国民が猛反発
ところが、今回、撤回された当初決定の内容は、イースター休暇中、旅行はたとえ自分の州内でも禁止。人々の交流も厳しく制限され、会えるのは2世帯、計5人まで(14歳以下の子供は対象外)。さらに驚くべきことに、1日木曜と3日土曜を休日扱いで5連休にし(土曜は食料品店のみ開店可)、教会のミサはオンラインに切り替え、国民は静かに家でイースターを祝えというものだった。
そして、夜が明けてこの報が知られるや否や、世間は大騒ぎになった。
ドイツの子供たちは、去年3月のロックダウン以来、ろくに学校に行っていない。春は規制が解除される前に夏休みに入り、秋になってから徐々に秩序を回復しようと思っているうちに、またロックダウンが始まった。
ここまで長期間になると、親がホームオフィスの傍ら複数の子供を見るのもすでに限界で、イースター休暇の小旅行が心待ちにされていた。他人と接触しなくて済むようにとキャンピングカーやキャラバンが売れ、イースター休暇中のオートキャンプ場はすでに予約が満杯だったというから、その息抜きさえ不可とされようとしていることに、国民が激しく反発した。
■スーパー、教会、生活保護の受給まで問題だらけ
一方、すでに青息吐息の観光業、飲食店、小売店も不満を爆発させた。去年は稼ぎ時のイースターとクリスマスがロックダウンで水泡に帰した。だからこそ今年のイースターに望みをつないでいたというのに、それも潰れかけた。
また、産業界は、木曜と土曜を祝日にするという話に憤慨した。工場を1日止めれば、莫大な損害が出る。いったい誰がそれを保証してくれるのか? 大型スーパーも戸惑った。土曜だけ店を開けと言われても、生鮮食料品のサプライチェーンはどうなるのか? 祝休日の大型トラックの走行には特別許可が要る。
しかも、5日間の連休で水曜と土曜に買い物客が殺到すれば、その防疫対策には誰が責任を持つのか? 果ては、イースターの真髄であるミサをオンラインでやれと言われた教会関係者までが、強烈に反発した。
さらに大きな問題は、4月1日木曜が、本来なら生活保護費の振り込み日であることだった。それが祝日に切り替われば、振り込みは連休後になる。多くの貧困家庭は5日も待てず、死活問題となる。では、全国の役所が、振り込み日を1日前倒しにできるかと言えば、それも無理だった。
そんな理由が重なって、結局、メルケル首相はこれらの撤回を余儀なくされた。
■専門家、各省庁不在の政策決定に批判
この謝罪発表の直後に行われた国会での質疑応答では、メルケル首相は野党の集中砲火に晒された。
普段は穏やかなFDP(自民党)のブッシュマン氏は、「あなたは密室で、ごくわずかな出席者だけで、真夜中に、実務者や専門家や各省庁の役人の意見を聞く機会を全く排除したまま、何百万もの人々の命に関わることを決定するという試みを、いったいいつになったらやめるつもりですか!」と声を荒らげた。
実は、このさまざまな問題含みの決定がなされた会議も、深夜に及んでいた。3月22日の午後2時ごろから延々と11時間半も続き、メルケル首相がようやく記者会見場に現れたのは、すでに日付の変わった深夜2時前。
真夜中の会議はメルケル首相の得意技で、未明の記者会見も珍しいことではない。これは、持久戦に強いメルケル首相が、自分の主張を通すための作戦だとも言われている。
ただし、このブッシュマン氏の質問は、単に、今回のイースター5連休うんぬんや、深夜に及ぶ会議のやり方などではなく、もっと本質的なことを意味していた。つまり、メルケル首相がこの1年間ずっと、議会の抗議も司法からの警告も無視して、首相と州首相の合議という、本来は立法機関として存在しない機能を使ってコロナ対策を決定してきたことへの抗議なのだ。
■国会が感染症対策を政府に一任してしまっている
そもそもドイツは連邦制なので、首相には仏大統領のような大きな権限はないし、感染症対策は州の管轄だ。2020年春のロックダウン時は緊急ということもあり、全土統一の対策が望まれたので、従来の「感染症防止法」を加工して保健相に権限を持たせ、法的辻褄を合わせた。ところが、11月に再度ロックダウンが実施された時には、政治家からも国民からも、そして法律家からも異議が出た。理由は基本的人権の侵害、および三権分立の侵食である。
ドイツで基本的人権の侵害が例外的に許されるのは、それが何らかの合法的な目的を達成するためにどうしても必要であり、かつ、その効果が明確な場合に限られる。しかし、ロックダウンは、職業の自由や集会の自由、自宅での私的会合までが制限されたにもかかわらず、防疫効果との相関性は極めて曖昧だった。つまり、ロックダウンは違憲であるという声が高くなった。
ところがメルケル首相はひるまず、11月16日、またもや州首相を集め、ロックダウンのさらなる強化を求めた。不思議なのはこの後だ。2日後、政府は「全国規模の感染症流行時における国民防御法」の一部改正法案を提出し、それが、その日のうちに下院、上院を通過した。しかも深夜に大統領の署名を得て、翌日施行された。
これにより、国民主権の象徴である国会は政府に感染防止の対策を一任し、政府が決めたことが基本的人権を制限しても、それは合法となった。そして、以後、何度も国会の頭越しでロックダウンは延長された。つまりドイツでは、その11月3日からのロックダウンが今も続いている。
■批判的だった大手メディアも手のひら返し
さて、メルケル首相の謝罪の翌日、世論調査では、そうでなくても低迷していた与党CDUの支持率が7ポイント減で28%にまで下落した。もちろん結党以来の最低記録だ。ただ、CDUの支持率は下がったが、メルケル首相の人気だけはそれほど落ちない。
国民の間では、コロナをめぐる国民の意見は真っ二つに割れている。これまでは、規制が強すぎると感じている人と緩すぎると感じている人の数が拮抗(きっこう)していたが、今回の謝罪事件のあと、規制をもっと強くすべきだという意見が4割に迫った。
これは、メルケル首相が国民の安寧を願って厳しい制限を講じようとしたのに、それを妨害されたと考えた人が多かったからだろう。
一時はメルケルの終焉のように書いた大手メディアもすぐに態度を翻し、「メルケルは自らの失敗といかに力強く対峙したか」などという肯定的な書き方に変わってきた。それどころか、イースター後に感染が増えれば、世論は「やっぱりメルケルの言う通りにしておけばよかった」に急変する可能性もある。
■謝罪騒動で最もダメージを受けたのはだれか
謝罪によってダメージを受けたのは、メルケルではなく、実は、深夜の会議に参加していた16人の州首相だ。つまり、メルケル首相は1人で責任を被って謝罪し、潔い印象を残したが、州首相たちのメンツは丸潰れになった。しかも、これらは元々、メルケル首相が強引に押し通したことだったというから、彼らの不満は想像に難くない。
ヘッセン州のボイフィエ州首相(CDU)は、「これは、われわれが決めたことが間違っていたという証明。全員間抜けとは非常に気分が悪い」といら立ちを隠さなかった。
折しも今年は9月の全国総選挙と、多くの州議会選挙が重なるスーパー選挙イヤー。このままでは与野党が入れ替わる可能性もあり、CDUの政治家にとっては、すでに危機状態と言える。
3月のドイツ南部の2州、バーデン=ヴュルテンベルクとラインラント=プファルツの州議会選挙では、すでにCDUが大敗しており、4月は中部ドイツのチューリンゲン州、6月にはザクセン=アンハルト州、9月にはベルリン、メクレンブルク=フォアポメルン州、そして前述の通り総選挙と続く。しかも、唯一人気の落ちないメルケル首相は今期で政界から完全に引退すると言っており、CDU/CSU(キリスト教社会同盟)会派はいまだに、誰を首相候補として戦うかさえ決まっていない。
■“ポストメルケル”を決める総選挙の行方
そして、CDUに鼻の差で迫っているのが、環境政党と言われる緑の党だ。近年、CO2削減を前面に打ち出たことで躍進し、25日の世論調査では、支持率は23%に跳ね上がった。このままいけば、総選挙後、現在のCDU/CSU会派と、得票率が10%を切るとも言われるSPDの連立は、もはや維持できない。
その代わりに、緑の党がSPD、FDP(自民党)と連立を組めば、左派リベラル連合が成立する。それどころか、緑の党とCDUが連立するというオプションさえある。そして、どちらに転んでも、緑の党が首相を出す可能性が高い。緑の党とCDUの連立の可能性など、10年前のドイツでは誰も想像しなかったことだろう。
すでにかなり以前から、メルケル首相の1番の希望は緑の党との連立であるという不思議な話が公然の秘密のように語られていた。実際、今になって、16年のメルケル政権の遺産が、CDUの没落と緑の党の台頭となる可能性は高くなってきた。
今、ドイツは問題が山積みだ。ワクチン接種は進まず、補助金の給付は滞り、困窮している人たちも確実に増え、ドイツの防疫対策は失敗したという不名誉な評価がEU内に広がり始めている。そんな暗闇の中で1人異彩を放つメルケル首相だが、その腹の底は今も見えない。
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作家
日本大学芸術学部音楽学科卒業。1985年、ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。ライプツィヒ在住。1990年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。2013年『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、2014年『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)がベストセラーに。『ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)が、2016年、第36回エネルギーフォーラム賞の普及啓発賞、2018年、『復興の日本人論』(グッドブックス)が同賞特別賞を受賞。その他、『そして、ドイツは理想を見失った』(角川新書)、『移民・難民』(グッドブックス)、『世界「新」経済戦争 なぜ自動車の覇権争いを知れば未来がわかるのか』(KADOKAWA)など著書多数。新著に『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)がある。
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(作家 川口 マーン 惠美)
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