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「ANAとJAL統合は有害無益」経営破綻を招いた"JASの悲劇"をお忘れか

プレジデントオンライン / 2021年4月7日 9時15分

2011年ごろJAL経営破綻後伊丹空港のANA機とJAL機 - 筆者撮影

コロナ禍の長期化でANAとJALの「出血」が止まらない。通期業績見通しは好転せず、赤字幅は過去最大規模となる。航空ジャーナリストの北島幸司氏は「業績が厳しくなると必ずANAとJALの統合論が浮上する。しかし、組織再編にはもう1社エアラインを作るほどの費用がかかる。機材を見ても統合にメリットはない」という――。

■ANAとJALの決定的に異なる体質

1月29日にANAホールディングス、2月1日にJALが2020年4~12月期決算を発表した。ANAは売上高が前年同期比66.7%減の5276億円、営業損益は3624億円の赤字。JALは売上高が前年同期比68%減の3565億円で、EBITは2941億円の赤字となった。

21年3月期の業績見通しも、両社とも厳しい。ANAは3月末まで国内線需要はコロナ禍前の7割、国際線は5割まで回復を前提に、営業赤字が5050億円に上ると想定。前提は崩れつつあるが、通期業績見通しを維持した。

対するJALの業績見通しは、売上高が従来予想比700億~1400億円減の4600億円となるなど、下方修正に追い込まれた。コロナ禍の第3波や、緊急事態宣言の再発出。頼みの綱だった国の「Go Toトラベル」事業の停止がこの要因という。

業績見通しの修正。小さな事象に見えるが私には、ここにANAとJALの体質の決定的な違いがあるのではないかと思えてならない。

コロナによる業績悪化で、ANAとJALの合併論がメディアに飛び交ったが、両者の体質を考えると非現実的な言説であると言える。JALの経営破綻を招いた“JASの悲劇”をぜひ思い出してほしい。

■国際線で急拡大したANA

赤字額はANAが勝っている。これは収益の要である国際線の路線数に比例する。創業当初より国際線を運航していたJALと違い、ANAが安定して国際線の収益を上げていったのは2000年以降のことである。

理由はふたつある。ひとつは1998年の日米航空交渉で、JAL、NCA(日本貨物航空)とともにインカンバントキャリア(日米間および以遠区間の路線便数を、制限を受けることなく自由に設定できる航空会社)になったこと。もうひとつは、1999年にスターアライアンスに加盟し、欧米の名だたるエアラインとの共同運航などで多くの新たな目的地を手に入れることができたことだ。この躍進のキーワードが国際線なのだ。

IR統合報告書を基に、2000年以降の両社の規模を示す有償旅客キロ(RPK)で比べた。国際線の輸送量を見てほしい。

ANAとJALの有償旅客規模(2000年以降)

米国同時多発テロ(2001年)、SARS流行(2002年)、鳥インフルエンザとイラク戦争(2003年)、リーマンショック(2007年)、新型インフルエンザ(2009年)の逆風でJALは輸送量を半分以下に減らした。ANAは国際線が限定的だったこともあり影響は大きくなかった。

ANAが国際線のシェアを拡大させたのは、JAL経営破綻(2010年)と羽田空港の再国際化(2011年)以降だ。発着枠の優先配分を受けて路線を増やし、2015年に国際線輸送力の首位の座をJALから奪った。ANAの目標は、アジアのリーディングエアラインから「世界のリーディングエアライングループ」に上方修正したのは2014年のことだった。

ANA機
筆者撮影
離陸するANAの国内線、ボーイング777-200型機 - 筆者撮影

経営破綻したJALは政府の投資抑制策(8.10ペーパー)で内部留保を増やした。積極的投資ができない分、機材リースを自社保有に変え、借金を減らすことができた。一方のANAはJALに差をつけようと積極的な投資拡大策で高コスト体質になり内部留保は減った。業績は上がり続けるとの錯覚から社内の誰もが過剰投資の警告を発しなかった。ANAの近年の経営方針で後悔があるのであれば、まさにこの部分のことである。

■今によみがえる「現在窮乏、将来有望」

コロナ禍となりANAの積極投資は結果的に「過剰投資」になった。これが経営危機を誘発し、JALとの「統合論」が一時メディアを賑(にぎ)わせた。しかし、歴史的な背景を踏まえれば、現実的なものではない。

その理由を探るため、創業時に時計を戻してみたい。今によみがえるのはANAの初代社長の美土路昌一が唱えた「現在窮乏、将来有望」の言葉だ。

ANAの超大型機A380
筆者撮影
ANAのフラッグシップ機A380 - 筆者撮影

ANAは1952年師走、「日本ヘリコプター輸送株式会社」として誕生した。役員と社員30名、ヘリコプター2機を持つだけの小さな会社だった。滑走路を必要としないヘリコプターであれば、薬剤散布や宣伝飛行などで素早く事業を開始できるからだ。

ジャーナリストの早房長治氏は、当時のANAを「中小のタクシー会社並み」と評した。創業以来5年間は赤字が続き、単年度で黒字化したのは1957年3月期。株主配当は10年間無配が続いた。宣伝費を持たないANAが始めたのが、1日機長や1日スチュワーデス。この頃スタートした日赤病院への慰問ですずらんの花を届ける行事は、2020年で65回目を迎え、今でもTVと新聞紙上を賑(にぎ)わしている。

■JALとの圧倒的な差

ANAの「窮乏」は、当時のJALと比べるとより鮮明になる。JALは純民間会社のANAとは異なる出自を持つ。半官半民の会社として1951年にスタート。政府の支援で潤沢な資金をもとに、創業当初から収益性の高い国際線事業を柱に据えた。

1967年にはDC-8ジェット機で羽田空港から東西両方向への世界一周路線を開設。同時期、ANAは新規路線として小松―札幌線にバイカウント828型機、羽田―鳥取線にフォッカーF-27フレンドシップとターボプロップのプロペラ機を就航させた程度だった。

JALはフラッグ・キャリアとして世界のエアラインの仲間入りをした頃、ANAは日本のローカル線に傾注していた。国際路線を持たないANAとの収益構造の違いは際立っていた。

JAL創立20周年(1971年)時の両社の経営規模の比較JAL 括弧内収入は国際線

■国際線を飛ばしたくても飛ばせなかった

エアラインの収益の要となるのが国際線だ。しかし、ANAが国際定期路線に参入したのは1986年。JALに遅れること32年が経っていた。「45・47体制」(航空憲法)による分業を強いられ、ANAは国内幹線と一部の国内ローカル線と近距離国際線チャーターの営業しか許されていなかったからだ。

その国際線チャーター便でさえ、設立19年後の1971年にようやくスタートした。輸送人数は初年度1万2000人、一方のJALは記録のある1970年で163万人、両者の差は大人と赤ん坊以上だった。

JALのボーイング767-300型機
筆者撮影
JALのボーイング767-300型機 - 筆者撮影

1985年に航空憲法が廃止され、ANAは1986年3月に初の国際定期路線として成田―グアム線を就航させた。使用機材は、317人乗りのロッキードL-1011トライスター。週4便からのスタートだった。

国際線に遅れて参入したANAは、就航地での知名度の低さも大きな課題だった。

1991年3月の成田―ニューヨーク線の初就航目前。ニューヨークタイムズの紙面広告に踊った文字は「OUR NAME IS ANA!」だった。運航管理業務を担った当時のANA社員は、次のように振り返る。

「当時はまだまだ小さな航空会社で、だれもANAなんて知らなかったんです。“OUR NAME IS ANA!”……。本当に恥ずかしいけれど、最初は名前を名乗ることから始めました」

これが国際線就航初期のANAの実態だった。

■統合には「もう1社エアラインを作るほどの費用がかかる」

「現在窮乏、将来有望」の言葉以上に、社員たちに定着した言葉がある。社史『大空へ二十年』によると、それは「追いつけ、追いこせ」。もちろんその対象はJALだ。「いい空は青い」(2002年)、「きたえた翼は、強い」(2010年)のように、皮肉を込めた近年のキャッチコピーにもその姿勢がうかがえる。

2020年は東京オリンピック・パラリンピックと、インバウンド4000万人計画の波に乗り、ANAは一気にJALを突き放す戦略だった。それがコロナ禍の影響で2020年第3四半期の国際旅客数は、前年同期770万人から32万人(96%減)になった。ANAは「将来有望」を勝ち取った状況から、創業当時の「現在窮乏」に逆戻りした。

しかし同時に、復活の芽もある。世界で名だたる欧米の大手エアラインがリストラを敢行する中、ANAは雇用を守り続ける選択をしたことだ。ANA本体の社員は1万4830人であり、新卒の採用抑制、定年での自然減、早期退職を行うことで社員の雇用は守られている。

ANAとJALの危機的な状況の中で両社の統合論も浮上した。しかし、これは愚策だ。たとえ両社の事業規模が半減したとしても、政府や金融機関が個別に救済し、切磋琢磨してともに這(は)い上がるべきだ。なぜなら統合した場合にはシステム、機材、整備、人材教育などすべてを平準化せねばならず、組織再編にはもう1社エアラインを作るほどの費用が必要となるからだ。

エアラインで一番コストのかかるのは航空機材だ。ANA、JALともに最大機数を保有する米ボーイング787のシリーズを例にとって説明する。両社ともに機体は同じでもエンジンが違う。ANAは74機にロールスロイスのエンジンを搭載しており、JALは46機にGE社製を使う。エンジンメーカーが違うということは、部品も全く違い、別の航空機と言っていいほどである。統合して混在することになれば、部品を2倍持たなくてはならなくなる。

経済的な視点で無駄が多くなるだけでなく、マニュアルの違いからくる乗務員の動作や手順の違いから矛盾が生じ、安全面を毀損(きそん)する可能性は大きい。

■JALとJASの統合が招いた経営破綻

大が小を飲み込む合併であれば大側が主導を取れば済む話であるが、ANAとJALでは2019年度の売り上げでANAが14%高いだけの差しかない。この両社の統合となると軋轢(あつれき)が大きくなるのは目に見えている。

過去の事例を振り返るならば、JALと統合したJAS日本エアシステムの事例がふさわしい。統合前年となる2001年度の両社の売り上げはJALで1兆6000億に対しJASは4200億でしかない。JALはJASの4倍の売り上げがあり、それだけの規模の差があっても大不協和音が続き、その後、JALの破綻へと進んだきっかけの一つともなった。

JAS日本エアシステムのボーイング777-200型機
筆者撮影
JAS日本エアシステムのボーイング777-200型機 - 筆者撮影

両社統合の合理性はどこにも見付からない。ANAの業績を伸ばした国際線が、今のANAを苦しめている。しかし、時間とともに築き上げられた思想や価値観を共有した社員がいる。それはコロナ収束後、ANA大復活の何よりの起爆剤になるだろう。

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北島 幸司(きたじま・こうじ)
航空ジャーナリスト
大阪府出身。幼いころからの航空機ファンで、乗り鉄ならぬ「乗りヒコ」として、空旅の楽しさを発信している。海外旅行情報サイト「Risvel」で連載コラム「空旅のススメ」や機内誌の執筆、月刊航空雑誌を手がけるほか、「あびあんうぃんぐ」の名前でブログも更新中。航空ジャーナリスト協会所属。

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(航空ジャーナリスト 北島 幸司)

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