「愛人は12歳の令嬢たち」天下人・豊臣秀吉の教科書には載らない裏の顔
プレジデントオンライン / 2021年4月17日 11時15分
※本稿は、大塚ひかり『毒親の日本史』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
■日本史は「毒親」であふれてる
子供の人生を奪い、ダメにする「毒親」は、近年、盛んに使われだした言葉ですが、もちろん急に親が「毒化」したわけではありません。
古代から日本史をたどっていくと、実はあっちもこっちも、今でいう「毒親」だらけです。日本の主な争乱は、みな身内の争いだったといっても過言ではありません。とはいえ権力者の毒親ぶりは、一般のそれと比べると、あまりにスケールが大きく、また、それに負けない「毒子」も登場します。
今回ご紹介する、秀吉もまさにそんな最強の「毒子」といえます。
皆さんはシェイクスピアの『リア王』をご存知でしょうか。実はこのリア王ほど、あからさまな毒親はいません。まさに毒親の典型例で、秀吉の残酷な行為を考える上で、大きなヒントとなりますので、まずはこちらのあらすじをご紹介しましょう。
ブリテン王であるリア王は、老いたために、3人の娘に領土を分けることにしました。その際、誰が自分を一番大事に思っているかを問題にします。
長女と次女は、表面だけの偽りの愛情を示して、領土を分けてもらいました。ところが、最も可愛がっていた三女が期待通りの返答をしなかったため、三女には何もやらず、フランス王と結婚させて国から追放してしまいました。
■「条件付きの愛」はつきもの
「俺はこの子を誰よりもかわいがっていたのだ。だからその手に余生を委ねて、優しく世話して貰おうと思っていたのに」とリア王は言い、その当てが外れたと見るや怒り狂ったのです。
そして諫めたケント伯爵をも追放。こうしてリア王は、国を譲った長女と次女のもとで、一月ずつ過ごすことになりますが、しだいにどちらの娘にもないがしろにされ、居場所をなくして荒野をさまよう羽目になります。
フランス王妃となった三女は父を助けようと挙兵するものの、二人の姉夫婦との戦いに敗北。とらわれたリア王と三女をケント伯が助け出しましたが、時すでに遅く、三女は息絶え、リア王も絶望のうちに死んでしまいます。
やがて二人の姉も仲間割れし、次女は長女に毒殺され、長女も死んでしまうのでした。
あらすじを書いているだけで、毒々しくてつらいものがあります。
まず、毒親には「条件付きの愛」がつきものですが、その「条件付きの愛」を、リア王は地でいってます。自分を大事にしてくれたら財産を分けるが、さもなければすべて取り上げるというのですから。
■さびしい「毒親」がきょうだい仲を引き裂く
結果、上の子二人に裏切られ、可愛がっていた三女を追放したことを悔やむわけです……。今も、子どもに財産を譲った途端、ないがしろにされるってありがちですよね……。
リア王は子を差別してもいたわけで、そういう子らのきょうだい仲が悪いのも「毒親あるある」です。
きょうだいを比較して、ひとりだけ叱ることで、「親の要求に十分応えていないことを思い知らせようとする」(スーザン・フォワード、玉置悟訳『毒になる親』)のです。
「こういう親の行動は、意識的であれ無意識的であれ、本来なら健康的で正常な兄弟間の競争心を醜い争いへと変えてしまい、兄弟間に嫌悪感や嫉妬心を生じさせてしまう」(同前)といいます。
毒親は、子らを分断することで、自分のコントロール下に置こうとするわけです。そうまでして味方がほしい。毒親って、さびしいんですよ。
言ってみれば『リア王』は、リア王という毒親に育てられた三姉妹の悲劇です。
王と三女だけでなく、気まぐれで激しい性格の父に差別され、三女と戦争する羽目になった長女や次女も被害者なんです。だから、財産だけもらって、さようなら、となる。
『リア王』が凄いのは、子どもの悲劇だけではなく、毒親自身のさびしさ、悲しさをも浮き彫りにしているところでしょう。『リア王』を読むと、毒親育ちの子どもたちも可哀想なら、毒親自身も哀れだなぁと痛感させられます。
■秀吉のきょうだい殺し
さて、成り上がりの代名詞ともなった太閤・豊臣秀吉のきょうだい殺しです。
秀吉と同時代に生きた竹中半兵衛の子・竹中重門の『豊鑑』(1631年)によれば、秀吉は父母の名も定かに分からぬ貧民の生まれといいます。
秀吉の母の結婚歴も「三度以上」(服部英雄『河原ノ者・非人・秀吉』)あったため、秀吉には異父きょうだいがおり、ポルトガル人宣教師のフロイスによれば、秀吉の出世後、彼の「実の兄弟と自称」する若者が「二、三十名の身分の高い武士を従えて大坂の政庁に現われるという出来事があった」(『フロイス日本史』)といいます。
その若者が秀吉のきょうだいであることは「多くの人がそれを確言していた」ものの、秀吉は母に対し、「かの人物を息子として知っているかどうか、(そして)息子として認めるかどうかと問い質した」ところ、「彼女はその男を息子として認知することを恥じたので」「苛酷にも彼の申し立てを否定し」「そのような者を生んだ覚えはないと言い渡した」(同)。
すると、「その言葉をまだ言い(終えるか)終えないうちに、件の若者は従者ともども捕縛され、関白の面前で斬首され、それらの首(こうべ)は棒に刺され、都への街道(筋)に曝された」(同)のです。
■都に呼び寄せ、斬首
のみならず、この一件から3、4カ月後、尾張に自分の姉妹がいて、貧しい農民であると知った秀吉は、わざわざ彼女を「姉妹として認め(それ相応の)待遇をするからと言い、当人が望みもせぬのに彼女を都へ召喚するように命じた」(同)。
姉妹が何人かの身内の婦人たちに伴われて都に出向くと、秀吉は彼女らを入京するなり捕縛、「他の婦人たちもことごとく無惨にも斬首されてしまった」(同)。
フロイスは「彼は己れの血統が賤しいことを打ち消そうとし」(同)たと分析しますが、顔を見たこともないタネ違いのきょうだいに、身内と称されるのがいやだったのかもしれません。渡邊大門によれば、
「秀吉が認める兄弟姉妹とは秀長ら三人だけ」(『秀吉の出自と出世伝説』)
つまり、秀吉の右腕となった秀長、秀吉の養子となって関白となった秀次の母・日秀、徳川家康に嫁がされた朝日姫の3人で、「秀吉の知らぬところで育った者は、どうしても許容できない考えがあったと推測される。ましてや秀吉に身分的な保証を求めたとしたら、もっとも許しがたかった」(同)といいます。
■継父からの虐待、母親への愛憎
プラス、母に対する当てつけもあったのではないでしょうか。
現在、秀吉の父として知られているのは弥右衛門と筑阿弥という人物です。このうち弥右衛門が秀吉の実父とされ、筑阿弥のほうは母の再婚相手とされますが、彼は病に冒されており、小和田哲男は、「生活がぎりぎりという状況では、なにか些細なことでも衝突の原因となり、秀吉はしょっちゅう継父筑阿弥に折檻される状態だったことが予想される」(『豊臣秀吉』)としています。
そんなことから秀吉は父のみならず、そういう父と結婚した母に対しても恨みの気持ちがあったのではないか。
一般的には秀吉は母思いと言われており、母の訃報を聞くと、「気絶してしまった」(“たえ入給ひてけり”)(『太閤記』)と伝えられるほどです。
が、母への愛と憎しみは必ずしも矛盾するものではありません。タネ違いの若者を、母にわざわざ子であるか問うた上、即座に処刑してしまうというようなことは、秀吉の母への思いが愛憎相半ばするものであればこそ、でしょう。
秀吉が兄弟姉妹と認める3人にしても、妹の朝日姫は44歳で夫と離縁させられ、家康に輿入れさせられているし、姉・日秀は、子の秀次を、その妻子に至るまで処刑されています。
■甥・秀次は切腹、妻子はことごとく処刑…
秀次は、実の叔父である秀吉に家督を譲られ、関白になりますが、秀吉の側室となった浅井茶々(淀殿)が秀頼を生むと、謀叛の疑いによって切腹させられました。しかも秀次の首と妻子は「手厚く葬られることなく、そのまま三条河原に埋められ」、その埋葬場所は「畜生塚」(渡邊氏前掲書)と呼ばれたのです……。
秀次は、秀吉の家督を継いで以来、“御行跡みだりがはしく、万(よろづ)あさはかにならせられ”(『太閤記』)とも伝えられますが、フロイスによれば「万人から愛される性格の持主」(『フロイス日本史』)、「弱年ながら深く道理と分別をわきまえた人で、謙虚であり、短慮性急でなく、物事に慎重で思慮深かった」(同前)ともいい、いずれにしても、妻子に至るまでまともに埋葬もされぬとは尋常ではありません。
我が子や孫たちを殺されたあげく、夫も連座して流罪になった秀吉の姉・日秀は、翌年、出家しています。
極端な没落や成り上がりといった階級移動が、時に家族殺人に至るほど大きなストレスとなることを思うと、継父に虐待的に扱われ、乞食生活までしていた(服部氏前掲書)秀吉の肉親たちが、のちに前代未聞な出世を遂げた秀吉によって人生を振り回されたのも、ゆえなしというわけではなさそうです。
■養女たちへの性虐待
また、先のポルトガル人宣教師フロイスによれば、秀吉は、「重立った貴人たちの大勢の娘たちを養女として召し上げ、彼女らが十二歳になると己れの情婦」(『フロイス日本史』)にしたといいます。つまりは12歳の養女たちを大勢犯していた、と言うのです。
しかも、そうした秀吉の、「色事の取持ち役を務めたのは徳運(施薬院全宗)と称する、すでに七十歳に近い老人で、当初は比叡山の仏僧であり、(現今)我らの大敵であります」とフロイスは記しています。
フロイスはキリスト教を弾圧した秀吉にいい印象を抱いてはいなかった上、仏僧は「大敵」と言っているので、話を割り引いて受け止める必要はあるでしょう。
が、秀吉は6本指だったという彼の指摘(同前)など、かつては荒唐無稽とされていたものが、別の資料により事実と分かるなど(渡邊氏前掲書)、実際に秀吉に接した外国人の証言として重視されています。
『フロイス日本史』には、秀吉がキリスト教会関係者に、海外に奴隷として連行された日本人を日本に連れ戻すよう計らってくれと訴え、そのための対価も支払うと言ったことも記されており、必ずしも悪いエピソードばかりを伝えていたわけではありません。
フロイスの記事はかなり正確で、養女を情婦としたという指摘も、現実を反映していた可能性があります。
甥一族を皆殺しにしてまで、秀頼に天下を譲ろうとしたものの、その前に死んでしまった秀吉でしたが、もしもうんと長生きすれば、リア王よろしく、秀頼やその母・茶々にないがしろにされる晩年が待っていたのかもしれません。
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古典エッセイスト
1961(昭和36)年生まれ。早稲田大学第一文学部日本史学専攻卒。個人全訳『源氏物語』、『ブス論』『本当はひどかった昔の日本』『本当はエロかった昔の日本』『女系図でみる驚きの日本史』『エロスでよみとく万葉集 えろまん』『女系図でみる日本争乱史』『くそじじいとくそばばあの日本史』など著書多数。最新刊が『毒親の日本史』。4月28日に『うん古典』が発売予定。
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(古典エッセイスト 大塚 ひかり)
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