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「政治家は明言を避け、決めるのは専門家」日本の政治はナチス化している

プレジデントオンライン / 2021年4月13日 15時15分

専門家会議に代わる新たな有識者会議「新型コロナウイルス感染症対策分科会」の初会合=2020年7月6日、東京都千代田区 - 写真=時事通信フォト

コロナ禍で「専門家」という言葉を耳にすることが増えた。作家の佐藤優氏は「専門家と称する人々が疑問を持たれることなく政治の前面に出てくることに、違和感がある」という。池上彰氏との対談をお届けしよう――。

※本稿は、池上彰・佐藤優『ニッポン未完の民主主義』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

■何度も叫ばれてきた「民主主義の危機」

【佐藤】太平洋戦争後のある時期から、日本では一貫して「民主主義の危機」が叫ばれてきたといっても、過言ではないでしょう。時代によって目の前の課題はさまざまでしたが、国家権力によってこの国の民主主義が奪われつつあるのではないのか、という議論が幾度となく繰り返されてきました。

ただ、今我々に差し迫る民主主義の危機は、これまでとは位相もレベルも違うというか、「いつの間にか、ここまできていたのか」という感が否めないのです。今回池上さんと「民主主義」を語り合いたいと思った背景には、ざっくり言うとそんな問題意識があります。

【池上】今現在、民主主義が危機に直面しているという認識は、私も持っています。佐藤さんは、特にどのようなところにそれを感じるのですか?

【佐藤】端的に言えば、2020年春以降、新型コロナウイルス感染症が拡大する中で、いくつもの対策が講じられました。それらの決定過程などを目の当たりにして、あらためて深刻さを思い知らされたのです。

私が最も違和感を覚えるのは、感染拡大のさ中、「専門家」と称する人たちが、何ら疑問を抱かれることなく、政治の前面に出てくるようになったことです。

■専門家組織内の議論はブラックボックス化しやすい

【池上】確かに、医療関係などの専門家がメディアに登場してこの問題について語るのは、「普通のこと」になりました。政府レベルでは、当初は医療関係者のみで構成される「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」が設置され、7月には経済学者や労組代表、シンクタンクやメディア関係者、県知事なども加わる「分科会」に「改組」され、現在に至ります。佐藤さんは「違和感」とおっしゃいましたが、国民の間には、「もっと専門家の意見を聞くべきだ」という声もあります。

【佐藤】政治家がさまざまな課題に関して専門家のアドバイスを受けること自体、もちろん重要です。しかし、緊急の事態だからといって、本来の民主的な手立て、経路をバイパスして、何でも専門家の言うがまま意思決定が行われるとなると、話は別です。

問題は、専門家組織内の議論は、国会でのオープンなそれと異なり、ブラックボックス化しやすいということです。専門家集団の発言力が高まるほど、政治のブラックボックス化が進み、代議制民主主義が相対的に軽視されていくことになるのです。

【池上】実際、「専門家会議」や「分科会」では、議事録の有無やその公表をめぐって揉めました。メディアが情報公開請求で専門家会議の議事録を入手してみたら、大半が墨で消されたいわゆる「ノリ弁」だった。

■ファシズムが愛した「専門家」

【佐藤】私は、いたずらに危機を煽っているつもりはありません。実は専門家の重用というのは、ファシズムやスターリニズムの特徴でもあるのです。ナチス・ドイツは、専門家を最大限利用して、政策を遂行しました。

【池上】当時のドイツ国民の多くも、そのことにあまり違和感を覚えてはいなかったのでしょう。

【佐藤】一方、民主主義の下で行われるのは、あえて言えば「素人の政治」。だから、トランプ前大統領のような人物が出てくることもあるわけです。その「素人性」と「専門性」の折り合いをどうつけていくのか、どこで線を引くのかというのも、民主主義を考えるうえでは非常に大事なところのはずなのです。しかし、現実には、そんな議論は全部飛び越えて、事が進んでいる。

【池上】確かに、さまざまな情報が飛び交って、ある意味浮足立っている時だからこそ、「まてよ」と立ち位置を確認してみることが大事になりますね。

■社会に増幅する「自由なき福祉」

【池上】オープンな議論が行われるはずの国会でも、コロナ対策については、主として政府側の不十分な答弁のせいであまり論点はかみ合わず、野党が要求した会期延長なども行われませんでした。他方、「官邸主導」で物事が決まり、行動の自粛を呼び掛けながら「Go To」を推進するという、ちょっと首をかしげたくなるような施策も「強行」されました。ちなみに、菅総理がずっと「見直しは考えていない」と言っていた「Go Toトラベル」は、突如2020年の暮れから一時停止となったのですが、この措置は、メディアの調査による内閣支持率の急落を受けたものであることが明らかでした。「民主的な経路」のところで議論を尽くすことはしないでおいて、「人気」が陰ると慌てて手の平を返す。率直に表現すれば、そういうことになるでしょう。

スーツケースを転がす一人旅の女性
写真=iStock.com/inewsistock
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/inewsistock

【佐藤】そうした状況が、常態化している。平時ではないということを割り引いても、私には健全な姿には見えません。

ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマスが、『後期資本主義における正統化の問題』で、こう言っています。

デモクラシーはもはや、あらゆる個人の普遍化可能な利益を認めさせようとする生活形式の内容によって規定されてはいない。それは、もっぱらたんに指導者と指導部を選抜するための方法とみなされている。デモクラシーはもはや、あらゆる正統な利益が自己決定と参加への基本的な関心の実現という道を通って満たされうるための条件という意味では理解されていない。それはいまやシステム適合的な補償のための分配率、すなわち私的利益を充足するための調節器ということでしかない。このデモクラシーによって自由なき福祉が可能になる。(『後期資本主義における正統化の問題』岩波文庫、2018年、223ページ)

日本の状況に照らせば、こういうことです。

国民のみなさんは、いろんな欲求をお持ちでしょう。我々権力者は、時に専門家の知恵も借りながら、それを叶えて差し上げます。それで文句はないでしょうから、どうぞ信じて任せてください——。

そういう「自由なき福祉」が社会に増殖して、逆に政治的な回路を通して民意を実現するということが、できにくくなっている。そのことを、コロナ禍が図らずも白日の下にさらしたように思うのです。

■「やりたいことをやって当然」を貫いた安倍前首相

【池上】今の話ですぐ連想されるのは、安倍晋三前首相です。安倍さんは、デモクラシーを「指導者と指導部を選抜するための方法」とみなして、私は国民から選ばれた総理大臣なのだから、やりたいことをやって当然、という姿勢を貫いていました。その裏返しとして、国会の場で木で鼻を括ったような答弁を繰り返し、それを批判されても、意に介すことがなかったわけです。まさに、「自由なき福祉」を実践したと言っていいでしょう。

【佐藤】コロナ禍の中、2020年7月5日に行われた東京都知事選挙では、現職だった小池百合子さんが6割近い得票率で圧勝しました。その日の夜のテレビ番組での池上彰インタビューが、例によって秀逸でした。国政復帰に意欲をみせていると噂される小池さんに、池上さんが「4年間の任期を全うしますか?」と尋ねると、「しっかりと都知事としての仕事を重ねていきたい」と明言を避けたわけです。池上さんが「約束しますか?」と念を押したら、「自分自身の健康をしっかりと守っていきたい」と。結局、知事の任期を全うするという確約はしませんでした。

【池上】その通りです。

■争点にならなかった、小池都知事の「疑惑」

【佐藤】「小池さんは、都知事を踏み台にして国政のしかるべきポストを狙っているのではないか」という「疑惑」は、選挙前からいろんなところで取りざたされていました。

【池上】仮に小池さんが国政に返り咲くステップとして知事に立候補したとしたら、これほど都民を馬鹿にした、非民主的な振る舞いはないのだけれど、実際の選挙戦では、まったく争点になりませんでした。

池上彰・佐藤優『ニッポン未完の民主主義』(中公新書ラクレ)
池上彰・佐藤優『ニッポン未完の民主主義』(中公新書ラクレ)

【佐藤】小池さんにケチをつけるというより、そういう都政の民主主義の根幹に関わるような問題がほとんど一顧だにされず、当然のように6割もの信任を受けてしまう、という現象に大きな疑問を感じるわけです。有権者としては、コロナでこんなに大変な状況なのだから、とにかくお金を出してくれればいい。政治が混乱するよりも、「私的利益を充足」させてもらうほうがいい。そういうところに安住してしまっているのではないか、と。

【池上】気持ちは分かりますが、そうやって一度民主主義の基盤を棄損するようなことがあると、修復するのは大変です。

【佐藤】構造としては、自分が働く会社の株式を持つ労働者に似ているかもしれません。彼らは、理論的には資本家なのですが、実際には経営に影響力を持つことはありません。一方で、出資を行うことにより、もしかすると自分からがっぽり搾取しているのかもしれない本物の資本家に、力を貸しているのです。

【池上】「私的利益の充足」の対価としては失うものがあまりにも大きすぎると感じます。

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池上 彰(いけがみ・あきら)
ジャーナリスト
1950年長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、NHK入局。報道記者として事件、災害、教育問題を担当し、94年から「週刊こどもニュース」で活躍。2005年からフリーになり、テレビ出演や書籍執筆など幅広く活躍。現在、名城大学教授・東京工業大学特命教授など。計9大学で教える。『池上彰のやさしい経済学』『池上彰の18歳からの教養講座』など著書多数。

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佐藤 優(さとう・まさる)
作家・元外務省主任分析官
1960年、東京都生まれ。85年同志社大学大学院神学研究科修了。2005年に発表した『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大矢壮一ノンフィクション賞受賞。『獄中記』(岩波書店)、『交渉術』(文藝春秋)など著書多数。

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(ジャーナリスト 池上 彰、作家・元外務省主任分析官 佐藤 優)

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