安楽死を選んだ人が「立派」と褒められる社会で生きたいか
プレジデントオンライン / 2021年4月8日 15時15分
※本稿は、池田清彦『「現代優生学」の脅威』(インターナショナル新書)の一部を再編集したものです。
■「役に立つ」という言葉が切り捨てるもの
2019年1月、ある文芸誌に掲載された対談記事が、大きな反響を呼びました。安楽死をテーマにした小説『平成くん、さようなら』(文藝春秋)で芥川賞候補となった社会学者の古市憲寿氏と、メディアアーティストで筑波大学准教授でもある落合陽一氏が行った「シリーズ『平成考』1 『平成』が終わり、『魔法元年』が始まる」という対談です。
〈このままだと社会保障制度が崩壊しかねないから、後期高齢者の医療費を二割負担にしようという政策もある〉と落合氏が述べたところ、古市氏が〈財務省の友だち〉と検討した話として、〈特にお金がかかっている終末期医療の最後の一カ月を削ればいい〉と切り出したのです。
■死亡1カ月前にかかる医療費は国民医療費の3.5%
【古市】財務省の友だちと、社会保障費について細かく検討したことがあるんだけど、別に高齢者の医療費を全部削る必要はないらしい。お金がかかっているのは終末期医療、特に最後の一カ月。だから、高齢者に「十年早く死んでくれ」と言うわけじゃなくて、「最後の一カ月間の延命治療はやめませんか?」と提案すればいい。胃ろうを作ったり、ベッドでただ眠ったり、その一カ月は必要ないんじゃないですか、と。
(落合陽一×古市憲寿「『平成』が終わり、『魔法元年』が始まる」『文學界』2019年1月号)
古市氏が「必要ないんじゃないですか」と言う終末期医療ですが、実際に死亡前1カ月にかかる費用は、医療経済研究機構が2000年に発表した報告書では、国民医療費の3.5%程度です。胃ろうやその他の延命治療をするかどうかは、本人や家族の自己決定権に属しているので、他人がとやかく言うべきことではありません。
![重症患者に寄り添う家族](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/a/a/670/img_aad45159a47b2f18ed0c13f73f5b91f4245211.jpg)
■人は経済合理性を最大化するために生きているわけではない
そもそも「死ぬ1カ月前」というのは死んだ後で初めてわかる結果論であって、死ぬ前にはわかりません。終末期医療の自己決定権はなるべく認めたくないにもかかわらず、「死の自己決定権」は認めようというのは、経済合理性だけを考えているからです。人は経済合理性を最大化するために、生きているわけではありません。
「議員さんや官僚の方々とよく話している」「財務省の友だち」などという、彼らの言葉の端々から感じられるのはエリート意識です。もっといえば「選民意識」すら感じられます。社会の中枢に近い場所にいる自分たちが、凡百の市民の「本音」をすくい取って政策として実現させようとしているのだという優越感が、社会保障費や終末期医療への雑な現状認識を招いているのかもしれません。
■社会に蔓延している「本音」
のちに落合氏は「介護にまつわるコスト課題(職員のサポート)と、終末期医療にまつわるコスト課題を、対談形式なので同列に語ってしまった」ことや、「終末期医療に関してコストや医療費負担の知識が不足していたため、校正でも気が付かなかった」ことを訂正し、反省の言葉をウェブサイトに投稿しています。
![池田清彦『「現代優生学」の脅威』(インターナショナル新書)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/e/b/200/img_eb6fd4dd23409cd39493a4d1ef6d4eac261842.jpg)
落合氏に「命の選別をする意図はなかった」というのは、おそらくその通りなのでしょう。ここで本当に問題なのは、彼らの思想よりも社会に蔓延している「本音」のほうです。
近年、政治家や知識人、識者とみなされる人たちから、以前なら退けられていたような極論が、さも「合理的で現実的な解」であるかのような言葉で言い換えられる状況が見受けられます。たとえば、麻生太郎副総理兼財務相は2013年1月に行われた社会保障制度改革国民会議で、終末期医療について、「私は少なくともそういう必要はないと遺書を書いている」とし、「いいかげんに死にたいと思っても『生きられますから』と生かされたらかなわない。さっさと死ねるようにしてもらわないと」などと語りました。
麻生副総理はさらに、「政府の金で(高額医療を)やってもらっていると思うとますます寝覚めが悪い」とも述べています。その後、記者会見で「私見で、一般論ではない」と釈明し、「適当でない面もあった」と文書で発言を撤回しました。
こうした発言は、かつてであれば社会的に大バッシングされてもおかしくはありませんでした。しかし、このような極端な主張に対しても、「よくぞ言ってくれた」と言わんばかりに、擁護や賛同の声が上がるといった風潮が、社会全体に広がっています。
確かに現在の日本の医療費は年間40兆円を超えていて、持続可能性が危ぶまれているのは確かです。社会保障給付費の9割を占める年金・医療費・介護費が、現役世代の負担になっているのも間違いありません。しかし、財源を根拠に「安楽死」を制度化することは、確実に優生学的な思想へつながっていくでしょう。
■「死」は自分で決められるのか
死を選ぶには相応の理由があり、本人に十分な判断能力があって死を希望するのであれば、「死ぬ権利」を奪うべきではないという考え方は、今や多くの人が消極的であれ賛同しているのかもしれません。これはつまり、「人間には死の自己決定権がある」という考え方です。
しかし、私は以下の理由から、「死の自己決定権」という考え方には同意できません。この点については『脳死臓器移植は正しいか』(角川ソフィア文庫)で詳細に論じていますので、ここでは要点だけ説明します。
■身体や命は自分の所有物ではない
理由1 自分の身体や自分の命は、自分の所有物ではない
誰かが何かを「所有する」というのは、「特定の人以外は、誰も恣意的に使用したり処分したりすることができない」ことを意味します。自分の身体や命は、他人が勝手に処分することができません。したがって、本人以外の誰かの所有物でないことは自明です。
それでは自分の所有物かと言えば、そういうわけでもありません。身体や命は労働の成果として、あるいは労働の対価として、または自由な取引によって得たものでもなければ、相続や贈与や何らかの社会的な行為によって得たものでもない。そのようなものを自己の所有物と言うことはできず、我々は「自己の身体の管理権」を持っているだけなのです。だから、「自分の所有物でないもの(自分の身体・命)を、自己決定で処分(死)しようとする」考えは間違っていると思います。
理由2 生と死を特定の時点で分けることはできない
かつては心肺停止をもって判断されていた「死」という線引きが、「脳死」という概念が登場したことで揺らいでいます。これは裏返して考えると、「人間の死を生物学的に判断する唯一の基準は存在しない」ということです。死とは「完全な生から完全な死に移行する自然現象」であり、このプロセスの途中のある時点を「自己決定」により死と決定することには、原理的な危うさを感じさせます。
■生きているうちに「死の瞬間」を決めるのは問題がある
理由3 死は生物学的なものであるだけでなく、社会的なものでもある
「人の死」は自然現象であると同時に、社会的な出来事でもあるので、「死の基準」は統一されるべきだと思います。死んだ人は社会的なネットワークから除外されるので、死の基準や死の瞬間を個人が恣意的に決定するとややこしいことになってしまうからです。公的な死亡基準はなるべく一般の人たちのナイーブな感覚と矛盾しない方がいいでしょう。まだ生きているうちに自己決定で「死の瞬間」を決めるのは、この観点から見て大いに問題があると思います。
以上の三つの理由から、私は「人間には死の自己決定権がない」と考えます。この考えを敷衍(ふえん)すると、人から人への「臓器移植」も否定しなければなりません。「理由1」で説明したように、自分の身体や命は誰かに売買したり譲渡したりすることができるといった性格のものではないからです。
■安楽死は同調圧力社会と相性が悪い
実際に安楽死や尊厳死が法制化され、日常的に行われるようになった場合、難病や障害を抱えた特別な配慮を必要とする立場の人たちが家族や社会の負担とされ、安楽死を自ら選択させられるという可能性が大いにあります。
同調圧力が強い日本では、たとえ本人が死ぬのを嫌がっていても、「周囲の圧力によって無理やり同意させられる」可能性が高いですし、「自ら死を選択した人を、立派だと褒め称える」ような世論が醸成されていくかもしれません。
今後、日本は驚くほどの速さで、高齢化社会を迎えます。今は若く健康で、バリバリ働いている人でも、いずれ病気になったり、年老いたり、あるいは失業して無職になるなど弱い立場に置かれるかもしれないということを、もっと自覚するべきです。
■「生きる権利」がないがしろにされる社会
そうしたまっとうな想像力をもたなくては、財政難や労働力不足といった民衆の不安に訴えかけるような「ポピュリズム医療政策」へと簡単に流されてしまうでしょう。そうなると、社会的な弱者は自己責任の名の下に、ますます医療から遠ざかってしまいます。「死ぬ権利」ばかりに注目が集まり、「生きる権利」がないがしろにされる社会ほど、生きづらいものはありません。自己決定などしなくとも、すべての人はいずれ死んでいきます。
AIが大部分の労働を代替するような時代になれば、ほとんどの労働者は資本主義的な観点から見て「役立たずの人間」になるでしょう。繰り返しになりますが、人は「何かの役に立つ」ためや、「何らかの目的を達成する」ために生きているわけではないのです。
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生物学者、評論家
1947年、東京都生まれ。東京教育大学理学部生物学科卒。東京都立大学大学院理学研究科博士課程単位取得満期退学。専門は、理論生物学と構造主義生物学。早稲田大学名誉教授、山梨大学名誉教授。フジテレビ系「ホンマでっか!?TV」への出演など、メディアでも活躍。『進化論の最前線』(集英社インターナショナル)、『本当のことを言ってはいけない』(角川新書)、『自粛バカ』(宝島社)など著書多数。
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(生物学者、評論家 池田 清彦)
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