1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

危機の時代を生き残るためには「宗教や哲学や思想を学ぶこと」が不可欠なワケ

プレジデントオンライン / 2021年4月20日 9時15分

2008年9月15日、米証券大手リーマン・ブラザーズの経営破綻から一夜明けたニューヨーク・ウォール街の証券取引所の取引場。ダウ平均は前週末終値比504.48ドル(4.4%)安の1万0917.51ドルと2006年7月以来の安値引け(アメリカ・ニューヨーク) - 写真=AFP/時事通信フォト

読書は何の役に立つのか。日本興業銀行時代にバブル崩壊を経験し、森ビルCFO時代にリーマンショックを経験した堀内勉氏は「読書体験は人生の岐路に立たされた時に、一筋の光明になる。ビジネスリーダーこそ本を読んで、宗教、哲学、思想を真剣に学ぶことが大切だ」という――。

※本稿は、堀内勉『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』(日経BP)の一部を再編集したものです。

■リーマンショックでは資金繰りに奔走した

2008年から始まる世界的な金融危機、世にいう「リーマンショック」が起きた当時、私は都市開発デベロッパーである森ビルの財務担当役員、いわゆるCFO(最高財務責任者)として、メガバンクや社債市場を相手に、1兆円以上に膨れ上がった負債をコントロールしなければならない立場にありました。

森ビルは非上場会社でしたので、主な資金調達ルートは銀行と社債市場しかありませんでした。東京都心に保有する優良不動産に膨大な含み益がありながら、みるみるうちに手元資金が枯渇していくのを目の当たりにして、恐怖と戦いながら資金繰りに奔走する日々でした。

その時に私の脳裏をよぎったのは、かつて自らが銀行員時代に経験した、1997年から1998年にかけての日本の金融危機でした。当時、私は、今はみずほフィナンシャルグループのひとつになった日本興業銀行(興銀)の総合企画部で、自己資本調達、格付け、投資家向けIR(インベスター・リレーションズ)を担当していました。

■たった10年で世界が変わった「バブル崩壊」

1990年の株価大暴落から始まったバブル崩壊は、この頃にはもはや、なんとか騙し騙しやっていける段階を通り過ぎていました。これに加えて、当時の大蔵省(現在の財務省、金融庁)への過剰接待問題をきっかけに東京地検特捜部の捜査が各金融機関に入ったことで、日本の金融システムは雪崩を打ったように崩れ始めました。その過程で、北海道拓殖銀行や山一証券が破綻し、その危機はそれまで絶対的な信用を誇っていた大手銀行にも迫りつつありました。

今では信じられないかもしれませんが、日経平均株価が史上最高値の3万8957円を付けた1989年末のバブルピーク時の興銀の株式時価総額は、NTTに次いで(日本だけではなくて)世界第二位だったのです。少しテクニカルな話になりますが、企業の信用力を示す格付けについても、ムーディーズとS&Pという世界の二大格付け機関からそれぞれAAA(トリプルA)、合わせて6A(シックスA)という格付けを与えられ、世界最高の信用力を認められていました。それが、十年も経たないうちにここまで凋落(ちょうらく)し、追い詰められていくとは、想像さえしていませんでした。

この接待汚職事件は、当時の第一勧業銀行利益供与事件における、大蔵省の検査の甘さが総会屋(株主としての権利行使を濫用することで会社を脅して不当に金品を収受しようとする特殊株主)への焦げ付き融資の拡大につながったとして東京地検特捜部が捜査を開始し、都市銀行、長期信用銀行、大手証券会社などへと連鎖的に拡大していきました。

■これまで信じていたものが壊れてしまった

私自身も、当時の大蔵省との仕事上の関係が深かったため幾度となく東京地検で取り調べを受け、しかもそのかたわらで倒れゆく銀行を支えなければならないという二重苦の中、「これは絶対になにかの間違いに違いない、明日の朝、目覚めたらこれまでのことは全て悪い夢だったとなるに違いない」と信じていました。

しかし、銀行が倒産する、あるいは自分が逮捕される悪夢にうなされて夜中に飛び起きるという日々が続き、最終的には元上司が逮捕されることになります。こうしたことで、私の中でこれまで信じていたものが壊れてしまい、自分のこれまでの生き方や日本の金融のあり方、それから公権力としての検察のあり方に対して根本的な疑念を抱くようになっていきました。

深夜2時の時計と不眠に苦しむ男性
写真=iStock.com/yanyong
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/yanyong

この一連の汚職事件の中で、結果として贈賄側から数多くの逮捕者を出すことになりました。同時に、監督対象である金融業界からの過剰接待やそれに絡む汚職が明らかになり、「省庁の中の省庁」といわれた大蔵省のキャリア官僚が逮捕され、多くの幹部の処分・更迭が行われました。また、「銀行の中の銀行」である日本銀行でも、情報漏えいで現役幹部が逮捕され、その陰で多くの関係者が自死に追い込まれました。

■金融業界から身を引き、デベロッパーに転じた

こうした出来事が、結果として今のメガバンクの誕生など金融再編につながるのですが、本件については、もう二十年以上も前のことであり、もはや覚えている人も多くはないと思います。

当時の私の心境については、今は新生銀行となっている当時の日本長期信用銀行の執行役員だった箭内昇氏の『元役員が見た長銀破綻』にある一節が、最も的確に代弁してくれています。

結局、完全に迷走していた金融業界が政府の介入によって少しずつ落ち着きを取り戻してきたタイミングで、私は興銀を辞めて、グローバル金融の総本山であるゴールドマン・サックス証券への転職を決意しました。金融の本質とはなにかを見極めながら、改めて自分の人生を振り返ってみることにしたのです。

そこで考えに考え抜いた上で、もう一度人生を一からやり直そうと考え、金融業界から身を引くことを決意しました。そして、実体がなく掴みどころのない金融業から、実体があり仕事の成果が最もよく目に見えるデベロッパーに転じることにしました。

これで少しは落ち着いて、長期的なビジョンに基づいた仕事ができると安心したのも束の間で、結局、ちょうど前回の金融危機から十年後に、森ビルの財務責任者として再び金融危機に直撃されることになったのです。

■生まれて初めて、本当の意味で本を「読んだ」

最初の金融危機の時に、私は生まれて初めて、本当の意味で本を「読んだ」と言えるかもしれません。それまでも、学生の頃はそれなりに多くの本を読んでいたとは思います。しかし社会人になってからは金融の資格試験や海外留学など、ひたすら知識を詰め込むための読書、試験を通るための読書しかしていませんでした。それが、その時には、ある意味で自分の存在をかけて、必死に読書をしたように思います。読書で「必死に」という形容はおかしいかもしれませんが、それほど真剣だった、短く言えば、「溺れる者は藁(わら)をも掴む」という切羽詰まった状況だったということです。

堀内勉『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』(日経BP)
堀内勉『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』(日経BP)

最初に私が必死に読んだのが、瀬島龍三の回想録『幾山河:瀬島龍三回想録』でした。瀬島龍三は、山崎豊子の小説『不毛地帯』のモデルにもなった日本のフィクサー的存在です。もともと、陸軍士官学校に在校していた私の父親からその名前をよく聞いていたこともあり、陸軍大学首席、陸軍大本営からシベリア抑留、そして伊藤忠商事に転じ、最後は土光敏夫会長の下で臨時行政調査会を切り盛りしたという波乱万丈の人生に興味を持っていました。

もちろん、瀬島龍三が当時から毀誉褒貶(きよほうへん)のある人物なのはよく分っていましたし、この本は彼自身が書いた自伝ですから、自分に都合の悪いことを書いてあるとは思えません。ただ、私が何度も読み返したのは、彼の成功物語ではなく、シベリア抑留時代の部分でした。

それまで銀行でサラリーマン根性を徹底的に叩き込まれてきた自分にとって、心底考えさせられる内容でした。自分もこうした人間の真実に気づかないまま、「会社内の階級イコール人間の価値と信じ込んできた」のではなかったか。人間は本当に追い詰められたときに、なにを心の支えにするのか、自分の内面というのは実はなにもない空洞に過ぎなかったのではないかと。

■『夜と霧』を自分事として読むことができた

ナチスの強制収容所経験をもとに書かれたヴィクトール・フランクルの『夜と霧』も読み直してみました。この本は学生時代に読んだことがありましたが、その内容のあまりの壮絶さに、どのように消化したら良いか分からずにいました。しかし、私が体験したことはそれにはほど遠いレベルではあるにせよ、自分が厳しい状況に追い込まれると、絶望のふちに立たされてもなお人間性や希望を失わなかったフランクルがなにをどのように考えていたのか、この時初めて自分事として読むことができました。

■厳しい人生経験が、ひとかどの人間をつくる

フランクルは、「わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない」といっています。つまり、我々人間は、常に「生きる」という問いの前に立たされており、それに対して実際にどう答えるかが我々に課された責務なのだということです。

そして、後日ではありますが、フランクルが強制収容所の中で、自らに降りかかる運命をいかに克服してゆくかを説くストア哲学(ストア派)の教えを心の支えとしていたと言われていることを知りました。

戦時体制で国有化された電力事業を今の九電力体制に組み替えて、「電力の鬼」と呼ばれた松永安左エ門は、実業家がひとかどの人物に成長するには、「闘病、浪人、投獄」のどれかを体験しなければならないと言っています。このどれもが、自らの存在意義を問われるような大きな出来事です。つまり、自分の存在が脅かされるような過酷な状況に立たされたとき、人には生きようという不思議な本能が働き、五感が研ぎ澄まされて、一皮むけた人物になるということなのです。そして、そうした深く厳しい人生経験と良書が時空を超えて、胸襟を開いて互いに出会える瞬間に備えることこそが、まさに本を読む意味なのだと思います。

鍵穴がいくつも開いた本と鍵を持った小人
写真=iStock.com/francescoch
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/francescoch

■「金融というものの正体はなんなのか」

それから十年が経ち、こうした苦しみからやっと抜け出すことができ、森ビルの森稔会長と一緒に都市開発の大きな夢を見て、心身ともに充実した仕事ができていた中でリーマンショックに直撃されたときには、さすがにこれはなにか一過性ではない、根本的な問題に突き当たったと考えざるを得ませんでした。

それは、私を取り巻く経済環境の問題なのか、あるいは自分自身が抱える業なのかは分かりません。

いずれにしても、ただ自らの不運を嘆くだけでなく、もっと本質的な問題に能動的に取り組まなければならないし、こうした二度の大きな危機を経験した以上、自分なりにこの問題に正面から立ち向かうことで、なんらかの決着をつけなければ、これ以上、ビジネスマンとして前に進めない、そう強く感じたのです。

我々に執拗(しつよう)にまとわりついて離れない金融というものの正体はなんなのか。そしてその前提にある資本主義とはなにか。資本主義は人間存在にとってどのような意味があるのか。なぜ企業は成長し収益をあげなければならないのか。金融というのは本当に世の中の役に立っているのか。そもそも自分はなぜ新卒で金融業界に就職したのか……そうした根源的な疑念が次から次へと湧いてきたのです。

■宗教、哲学、思想を学ばなければならない

これが、「日本資本主義の父」渋沢栄一の玄孫である渋澤健さんたちと立ち上げ、かれこれ十年近くにわたって私が主催している「資本主義研究会」の活動につながっています。そこでの主題は、「資本主義は人間の本性にかなっているのか?」「資本主義は人間を幸せにするのか?」ということです。

こうした問題意識に沿って、人間と資本主義との関係、資本主義の新しい形などについて、今でも議論を続けています。この活動の中間的な成果として、2019年には、『資本主義はどこに向かうのか』を出版することができ、資本主義と人間との関係性の整理のところまでは、なんとかたどり着きました。

そして、それと並行して個人的に進めているのが、宗教や哲学や思想の研究です。それまで受験秀才できていた私は、答えがなさそうな難しい問題に拘泥して前に進めなくなるのは得策ではないということで、どちらかと言えば、難解な本は避けて通っていたように思います。それが、客体としての資本主義の研究をするだけでなく、それを受け止める主体としての自分自身の問題に正面から取り組まなければならない、そのためには宗教や哲学や思想を真剣に学ばなければならないというように変わっていきました。

書架とひらいた本
写真=iStock.com/yuelan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/yuelan

■ビジネスリーダーに読書の大切さを知ってほしい

たび重なる金融危機に巻き込まれ、多くの苦しみを味わったことも、少し時間が経って冷静に振り返ってみると、あの時のあの判断は正しかったのか、もっと別の選択肢があったのではないかなど、さまざまなことを反芻してみるようになりました。そして、これまでは自分を取り巻く環境のことばかりに注意が向かっていて、自分の身に降りかかる不運を嘆いてばかりいたのが、それを受け止める自分自身のあり方というのはどうだったのかを考えるようになったのです。

こうした経験を経て、物に憑りつかれたように読書を始めた私は、自分自身の備忘録のためにFacebookに読後感をアップするようになりました。意外にもそれが好評を得て、書評サイトHONZのレビュアーに誘われ、その他の雑誌にも書評を頼まれ……というように広がっていき、いつの間にか肩書のひとつが「書評家」になっていました。

そして、これまでの自分の読書体験を語るとともに、読書の大切さを今のビジネスリーダーたちにも、是非、理解してもらいたいと思い、人類の歴史に残る名著についての本を出版することにしたのです。

■読書をすれば、人類の歴史を味方につけられる

私の愛読書の中に、1800年以上も前に書かれた第16代ローマ皇帝マルクス・アウレーリウス・アントニヌスの『自省録』があります。この中の一節に、私が好きな、「善い人間の在り方如何(いかん)について論ずるのはもういい加減で切り上げて、善い人間になったらどうだ」という言葉があります。本書(『読書大全 世界のビジネスリーダーが読んでいる経済・哲学・歴史・科学200冊』)では、こうした本質的な問いかけに対して、それぞれの時代を代表する人たちがどう考えて、その人なりにどのように考えたのかという視点から、人類の歴史に残る名著を取り上げて解説していきたいと思います。そうすることで、読者の皆さんが、数千年の人類の歴史を味方につけることができるからです。

そうした読書体験は、皆さんが重大な経営判断や経営危機に直面し、人生の岐路に立たされたとき、そして自分とはなにか、自分が本当はなにがしたかったのかを改めて考えてみなければならないときに、必ずや、一筋の光明になると信じています。

----------

堀内 勉(ほりうち・つとむ)
多摩大学社会的投資研究所教授・副所長(多摩大学大学院特任教授)
東京大学法学部卒業、ハーバード大学法律大学院修士課程修了、アイ・エス・エル(ISL:Institute for Strategic Leadership)(SLP)修了、東京大学 Executive Management Program(東大EMP)修了。1984年日本興業銀行(現みずほ銀行)入行。興銀証券(現みずほ証券)、ゴールドマン・サックス証券を経て、2005年森ビル・インベストメントマネジメント社長に就任。2007年から2015年まで森ビル取締役専務執行役員兼最高財務責任者(CFO)。著書に『コーポレートファイナンス実践講座』(中央経済社)、『ファイナンスの哲学』(ダイヤモンド社)、『資本主義はどこに向かうのか』(編著、日本評論社)。

----------

(多摩大学社会的投資研究所教授・副所長(多摩大学大学院特任教授) 堀内 勉)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください