1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

「卓球から始まった悪夢」余命宣告される両親を抱え、公務員の仕事を手放した40代独身娘の絶望

プレジデントオンライン / 2021年4月24日 8時45分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MaxKolmeto

人生100年時代の今、70歳前後は高齢者とはいえまだまだ若い。ところが、東北地方に住む40代独身女性の父親も母親も、同時多発的に事故や病気で「亡くなってもおかしくない」状態になってしまう。突然、ひとりで2人を介護しなければならなくなった女性の孤独と絶望とは——。
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、未婚者や、配偶者と離婚や死別した人、また兄弟姉妹がいても介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

■「卓球で尻もち」をきっかけに父親がおかしくなった

東北地方に在住の南野朱里さん(仮名・50代前半・独身)は現在、78歳の母親を在宅介護しながら、週に2日、自宅で絵手紙教室を開いている。

南野さんがまだ40代前半だった2010年12月、当時69歳の父親が趣味の卓球をしているときに、尻もちをついた。そのときは何ともなかったが、約3週間後に足先から痺れが出てきて、だんだん上半身へ広がり、最後は胸あたりまで達し、激しい痛みを訴えたので、当時67歳の母親が救急車を呼ぶことになった。

検査の結果、父親は脊髄梗塞(背骨の中を通っている脊髄に血液を供給している血管が詰まってしまう病気)と診断。医師は、「このまま歩くことができなくなる可能性が50%ほどあります」と告げた。

父親は、意識はしっかりしていたものの、しばらく寝たきり状態が続き、約3カ月後にようやく起き上がれるようになった。

2011年2月。父親は歩行のリハビリを受けるため、リハビリセンターへ転院。

当時は公務員として働いていた南野さん。入院している間は、父親の身の回りのことは看護師がやってくれるが、着替えを持っていき、汚れ物を回収するため、毎日の面会だけでも時間はとられる。今後のことを考えると、仕事と介護の両立ができるかは見通せない。母親は元気だが高齢のため、多くを求められない。

そこで南野さんは、包括支援センターへ相談に行き、要介護認定調査を受けることに。父親は要介護2だった。

■リハビリ中に2度目の転倒「性格が変わると思います」と医師

ある日、いつものように歩行のリハビリを受けていた父親は、バランスを崩して転倒し、頭を強く打ってしまう。再び救急病院へ運ばれると医師は非情な宣告をする。

「亡くなられてもおかしくないほどの重症です。記憶障害・高次機能障害・硬膜下血腫他のため、性格が変わると思います。それも、悪くなるほうに……」

父親はその日のうちに意識を取り戻したが、面会に行ってもぼんやりしていて、母親や南野さんのことがわからないときや、知らない人の名前など、おかしなことを口走ることがあった。

「当時の父は、自分が置かれている状況が全く理解できていない様子でした。誰が誰だかもわからないし、なぜ自分が病院に入院しているのかもわからない感じです。頭のリハビリを受ける際に同席しましたが、父は、正しい言葉を発しているつもりなのに、口からは違う言葉が出ているようで、イライラすることが増えました」

頭を打ってから父親は、ひどく時間を気にするようになり、入院中も肌身離さず腕時計をつけるようになった。南野さんと母親はバスを2つ乗り継ぎ、毎日面会に通っていたが、ある日突然、父親が言った。「バスの時間だよ。乗り遅れるぞ。もういいから、早く帰らなきゃ」

その言葉を聞いた瞬間、南野さんは涙が溢れた。

「自分が大変な状態になったのに、私と母の帰りのバスの時間を心配してくれるなんて……と驚いてしまって。父は、倒れてから怒りっぽくなったけど、以前と同じように思いやりの心を忘れないでいてくれた。それが嬉しくて、それまで我慢していた涙が出てしまいました」

父親はまだ60代。まさかこのまま寝たきりになってしまうのか。倒れて頭を強打してから、そんな不安でいっぱいだった南野さんだが、この日の帰路は足取りが軽かった。

■要介護の父のケアをする中、今度は母親が甲状腺がんに

南野さんには2歳上に姉がいたが、結婚して車で3時間ほどの遠方で暮らしている。一方南野さんは二度の離婚を経て、実家から車で5分ほどのマンションに1人で住んでいた。

父親は、その後も1カ月半ほどおかしなことを口走っていたが、幸いだんだん落ち着いて、少しずつ穏やかになっていった。

同年7月、父親の退院が決まり、自宅での介護が始まる。南野さんは、介護用ベッドのレンタルや介護タクシー、デイサービスやヘルパーの利用などの契約や手続きに追われた。

その当時の父親は、脊髄梗塞の後遺症で、足の運びがうまくできず、手すりや介助がないと歩けない状態。そのため南野さんは、退院までに居間や玄関、トイレや浴室などに手すりを付けるリフォームを手配した。それでも入浴時は危険が伴うため、母親が手伝った。

手すりのついた階段
写真=iStock.com/kazuma seki
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazuma seki

「娘の目から見て、母は介護の専門家ではないのに、本当によく頑張っていたと思います。ただ、父は自分が思う通りのことを母ができないと怒るんです。感謝の気持ちを全く口にしないわけではなかったですが、父はもともと気難しいところがあり、母にしてみればいつも文句を言われている感覚だったと思います」

父の自宅介護が始まって1年半。2013年10月、70歳になっていた母親は、軽度の糖尿病があり、近所の内科を月に一度受診していた。主治医が首を触診したとき、違和感があったためレントゲンを撮ると、すぐに紹介状を書き、大きな病院で診てもらうよう言われる。

その足で総合病院を受診すると、甲状腺がんが発覚した。手術を勧める医師を前に、母親は「夫を家で介護しているため、施設に預けないと手術は受けられない」と相談。すると医師は、翌年の2月まで猶予をくれた。

「母は若い頃から元気で明るく、病気ひとつしたことがない人。それが”油断”となったのでしょうか。母自身、違和感を覚えていたそうですが、特に気に留めなかったようです」

2014年2月。73歳の父親を初めてショートステイへ預け、母親は甲状腺がんの手術へ。当初の予定では、片方だけ摘出することになっていたが、手術中に急遽全部摘出することに切り替わった。

5時間に及ぶ手術が無事終わり、ほっとした南野さんは父親を迎えに行ったが、ショートステイ施設へ着いた瞬間、病院から電話が入る。母親は手術後出血が止まらない、という内容で、再手術を受けることに。父親は南野さんの姿を見るなり「早く帰りたい」とこぼしたが、「もう少し我慢してね」と言い残し、母親の病院へとんぼ返りした。

■両親の介護のため、公務員からパートに仕事を変えた

母親は2週間で退院し、その後はホルモン剤を毎日服用することに。そのため、定期的な通院が必要になった。

母親はみるみる体力が落ち、以前のように父親を介助できなくなってきた。2人の通院の付き添いや介護サービスなどの手続き、ケアマネジャーとの打ち合わせ、実家へ行っての家事サポートも必要になり、南野さんがすべてを1人で担うには厳しい状況に陥っていく。

かといって、車で約3時間かかる場所に住む姉に「介護に来てほしい」とは言いにくい。退職を考えたが、「今辞めたら、もう年齢的にどこも雇ってくれないのではないか?」と思い決断できずにいた。

それでも思い切って姉に相談すると、「経済的な負担は私が担うから、両親の介護をお願いしたい」と言う。姉夫婦には子どもがおらず、夫婦共公務員で収入面の心配はなかった。

そのため、南野さんはフルタイムの公務員職から、思い切ってパートの仕事に切り替え、実家で両親と同居を開始し、介護に集中できる環境を整えた。

「この頃の私は、介護の大変さが全然わかっていませんでした。金銭的援助をしてくれた姉には申し訳ないですが、何度『仕事をしていたほうがいいかも』と思ったか知れません。お金の心配をしなくていいだけでも、私は幸せ者です。でもそれだけに、弱音を吐くことができませんでした……」

■父親がベッドで泡を吹いて倒れていた

そして2016年5月。買物に出かけていた母親が家に戻ると、いつもいる居間に父親がいない。「寝室で寝ているのかな」と思った母親は特に気にせずに家事をしていたところ、大きな音がしたため、母親は急いで寝室を見に行くと、父親がベッドで泡を吹いて倒れており、息をしていない。

母親はパート中の南野さんに電話をかけ、「お父さんが! 息してない!」と叫ぶ。びっくりした南野さんは、救急車を呼ぶよう指示し、急いで病院へ向かう。

集中治療室
写真=iStock.com/Georgiy Datsenko
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Georgiy Datsenko

救急隊員の話によると、父親はてんかんの発作を起こして倒れたようだ。父親はICUに運ばれ、医師からは、「もう話せなくなるかもしれません」と言われた。

運良く倒れたのがベッドの上だったものの、一度目は卓球中、二度目はリハビリ中、そして三度目の転倒をした父親は、再び寝たきりの入院生活に逆戻りしてしまった。

しかしそれから1カ月後、父親は驚異的な回復力を発揮し、リハビリ病院へ転院に。多少理解力は落ちたものの、会話ができるようにまで回復した。

ようやく平穏な時間が訪れた。

そう思った矢先の2018年5月。74歳の母親は、甲状腺がんの定期検診で、大腸がんと肺がんが見つかる。主治医によれば、これらのがんは甲状腺がんとは関係がなく、大腸がんになった後に肺に転移したとのこと。「ステージ4です。このまま何もしなければ、余命は半年でしょう」と宣告。

南野さんは目の前が真っ暗になった。(以下、後編に続く)

----------

旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

----------

(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください